夏生のリスタート
「ハルくんはさ、僕が試作したものの中で、どれが一番美味しかった?」
「全部」
夏生が作った料理が美味しくないわけがない。照り焼きも美味しかったし、フライドチキンも良かった。ハーブソルトを使ったものももちろん美味しかった。ひとつ選べと言われても悠には難しい話だ。
「ははは、ありがとう。嬉しいけど微妙に参考にならないなー。これは、発想の転換が必要かも」
「社長があれだけ食べ物が悪いと文句を言ってたんだ。退院してきたときに大喜びする様なものを考えてみたらどうだ?」
悠の提案に夏生はハッと顔を上げ、指を鳴らして「それだ!」と叫ぶ。
「とりあえず、桑さんのトラウマを刺激しそうだからカリフラワーと紫蘇とタラは絶対に避けよう。
ハルくんは、食事が駄目駄目な病院から退院した時に、どんな料理が並んでたら嬉しい? きっと桑さんが喜んだ方が、企画も通りやすくなると思うんだよね」
「まずい食事が続いて、戻ってきたときに夏生が作った料理が並んでたら……なんでも嬉しい。いっそ、このチキン3種全部並んでて欲しい」
まだまだ食べ盛りの悠の食欲ダダ漏れの言葉に、夏生はひとしきり笑い、ふと真顔に戻った。
「……いや、むしろ有り? 来年変化球を投げるためには今年基本を押さえておくという点で、3種類全部一気に出すのは確かに目を引くかも。ちょっと見た目に派手な要素を加えて……」
考え込み始めた夏生の邪魔にならないように、悠はそっと自分の部屋へと戻った。クレインマジックの仕事も大事だが、大学生でもあるので期末が近くなって課題も増えているのだ。夏生のことは心配だけども、ずっと張り付いているわけにはいかない。
それに、きっと夏生の中では桑鶴を驚かせる企画がもう動き出しているのだと、悠には確信できたのだ。
結局桑鶴は1週間入院して、「異常は見つからない」と言われて退院してきた。
それを理彩からのメッセージで知り、悠が大学から帰ってきてから会社へ行くと、3種類のチキンがカウンターに並んでいた。どれも桑鶴が既に試食をした形跡がある。
そして上機嫌な桑鶴と夏生、それに頭を抱える高見沢と遠い目をした理彩がいた。
そこから察するに、夏生の目論見通り作り直した企画書はそのまま通ったようだ。
「貴方たち、経費って概念知ってます?」
じっとりと重い声で高見沢が唸る。「知ってるぞ」「知ってるよ」と社長席とキッチンから同時に答えが返っていた。
「やっぱりナツキチの料理は最高だなぁー! 福宇田の食事と違いすぎて、うまくて泣くかと思った。しかも3種類のチキンに2種のソースなんて並んでたら、嬉しくてたまらないに決まってるじゃないか!」
企画書では照り焼きチキンとハーブソルトを使ったローストチキンは丸鶏、フライドチキンは骨付きモモ肉を使うと書いてある。だが、今日は試作のためにモモ肉で作られていた。
鶏皮や脂のうまみが存分に味わえる部位なので、味気ない病院食の後なら尚更美味しく感じたに違いない。
「これ、もちろん撮影は一日でやるんですよね?」
3種類のチキンを同時にレシピとして公開すると桑鶴が決めたため、高見沢は厳しい顔で念押しした。
「ああ、はっきり言って原材料より剣持にかかる経費の方が余程高いからな。そうだ、どうせならその日は一足早いクリスマスパーティーにしようじゃないか! 鶏を何羽も焼いたら食べきれないだろうからな」
「それもいいと思うな。じゃあ、レシピ確定させるための最終試作に入らせてもらうよ。クリスマススペシャルとして出すチャンネル用レシピと、アプリ用の初心者向けと両方確定させないとね」
「ああ、ナツキチ、頼んだぞ」
「いなきゃいないで困るけど、いればいるで本当に面倒ね、この社長……」
「同感です」
理彩の呟きに、げっそりとした顔で高見沢が頷いた。
撮影のための機材が全てスタンバイできてから、夏生がエプロン姿でキッチンに入った。今日は動画サイト用の撮影だ。ひとつひとつの料理は難しくはないが、これからやろうとしていることは初心者には厳しい。
そして何より、「梅崎夏生」としてのスタートなのだ。自然と夏生の顔も引き締まっている。
「やあ、みんな。クレインマジックのクリスマススペシャルを見てくれてありがとう! 僕はおなじみ、料理のお兄さん四本夏生だよ」
撮影が始まり、剣持が持つカメラに向かって夏生が笑顔で手を振る。そして、深呼吸を一度して表情を改めた。
「楽しいクリスマスの前に、私事だけどもひとつ大事なお知らせがあります。どうか、聞いてください」
余程緊張しているのか、夏生は胸に手を当ててもう一度深呼吸した。一瞬だけ目を閉じ、まっすぐカメラに向かって穏やかな声で話し始める。
「僕はずっと四本夏生という名前でみんなの前に出ていたけど、実は四本というのは母の旧姓なんだ。
本名は梅崎夏生といいます。あの料亭の『うめ咲』のひとり息子。だけど僕にはうめ咲を継ぐ気がなくて、家庭料理を作る道を進みたかった。その事で数年間父とは袂を分かってました。それで、梅崎の姓は名乗りにくくてずっと四本って名乗ってたって訳」
クレインマジックのメンバーも、全員息を潜めて夏生の告白に耳を傾けていた。思わずそうしてしまうような真摯さが、夏生の言葉には宿っていたのだ。
「だけどね――これは本当にみんなのおかげなんだけど、僕がクレインマジックのアプリや配信動画でやってきた事で、それが評価された事で、父に僕のやりたいことを受け入れてもらえたんだ」
カメラに向かって、心から嬉しそうに夏生が笑う。きっと彼はアプリユーザーやチャンネル登録者ひとりひとりに「ありがとう」と言いたいのだろう。
見ている方も幸せになる様な笑顔――それが夏生の笑顔だった。
「楽しく作って美味しく食べる。それが僕のやりたいこと。芸術的な料理じゃなくても、やっぱり食事って人を養うものだからね。
うめ咲の、父の料理も凄いけど、僕はやっぱり身近な料理を笑顔で作りたい。それが、父と母から受け継いだ『僕の料理』だから。
なんか深刻そうに聞こえたらごめんね。要は、父と仲直りできたから梅崎夏生に戻りますっていうことなんだけどね。これからは、胸を張って梅崎の名前を名乗る事にしました。以上!
これからも美味しい料理を楽しく作っていくから、クレインマジックと梅崎夏生をどうぞよろしく!
――じゃあ、前置きはこのくらいにして、そろそろ始めようか」




