まともじゃない会社
件の会社、株式会社クレインマジックはオフィスを東京市部に構えていた。オフィスと言われて悠が想像していたのとは全く違い、ビルではなくマンションの一室だった。
ごく当たり前にキッチンがあり、リビング部分に形も色もバラバラなデスクが並んでいる。理彩のデスクは無個性なメタルシルバーのスチールデスクだった。
その隣は形は似ているが、色違いでワゴンが引き出せるタイプ。その席では色白で儚げな容貌の女性が悠には目もくれずにカタカタとキーボードを叩いている。
一言で言うなら、この空間はカオスだ。
統一している何かがあるとしたら、それぞれの物品がおそらくほぼ新品だというところだけ。
そして悠は、社長を名乗る白いセーターにダメージジーンズという恐ろしくラフな格好をした男に手近な椅子を勧められ、身体を縮ませて座っていた。
物凄く居心地が悪い。普通に玄関があったからそこで靴を脱いで客用スリッパを履いているせいで人の家に上がり込んでいる感が物凄いし、座っている椅子もたまたま席の主が不在にしているだけらしく、デスクの上には普通に物が置いてあるからだ。
悠が借りている椅子が、これまた社長が座っている椅子よりも立派なのだから、もうどうしたら良いかわからない。デスクも滑らかな曲線を描くクリーム色の天板にマットな黒い脚がついていて、オフィスデスクと言うよりは小洒落たカフェのひとり用のテーブルと言った方がイメージ的には近い。仕事をする気はあるのかと逆に問いたくなる。
社長は桑鶴祥吾と名乗った。社会人としてはギリギリと言えそうな明るい髪色で、癖毛をアレンジしたヘアスタイルが目立つ。色白で目の色も薄いせいか、日本人離れして見えた。
高校生と言っても通じそうな童顔で、見た目では年齢不詳。黙っていれば整った顔立ちと線の細さのせいで若手アイドルのようだ。理彩は悠をここへ案内した後はさっさと通常業務に戻ってしまい、悠はさっきから桑鶴の説明を膝が触れ合いそうな距離で聞かされている。
いたたまれなさに悠が身を竦めていると、突然盛大な溜息がオフィスという名のリビングに響き渡った。勢いよく立ちあがった理彩の隣の席の女性が、ずかずかと大股でキッチンへ向かうと、冷蔵庫を開けて何かを取り出していた。
「あー、全く気が利かない人たちばかりですね! 仮にも来客なんだから、お茶の一杯くらい出してあげたらどうです? 速水、貴女のことですよ」
アップにした髪を揺らし、外見だけは儚げな女性がバンと荒い音を立てて冷蔵庫のドアを閉める。その音に悠と理彩は同時に身を竦ませた。
柔らかな茶色い髪が彼女の顔を縁取っていて、眠たげにも見えるアーモンド型の目は若干の垂れ目だ。全体的に線が細くて優しげな容貌に見えるが、大股の歩きっぷりといい、冷蔵庫の雑な閉め方といい、見た目通りの中身という訳ではないらしい。
明らかに怒気を発していたのに、彼女は丁寧にコルクのコースターまで敷いてタンブラーを置いてくれた。
シンプルなスタイルのタンブラーには麦茶と思しきお茶が入っていた。そういえば確かに「お茶の一杯」も出されていないとここで気づく。バイトの面接なんてこんなもんだろうが、「来客」への対応としては少々適当な気がした。
「遅くなってしまいましたが、どうぞ。麦茶です」
悠に対しては仏像のように穏やかな笑みを向け、優美な仕草で麦茶を勧めてくれる。
理彩も怒ると怖いが、こちらの女性もある意味落差が怖い。
「貴方が恐縮することないんですよ。悪いのはそこの白いのと、そっちの茶色いのですから」
「ちょっと、高見沢。『茶色いの』はないでしょ」
Vネックの薄手の茶色いニットを着ていた理彩が盛大に顔をしかめていた。高見沢と呼ばれた麦茶を出してくれた女性は、理彩を見下ろしてフンと鼻を鳴らす。
「貴女なんか茶色いので十分です。ああ、すみませんね、見苦しいとこを見せてしまって。うちの麦茶、結構美味しいですよ。料理担当がこだわって毎日煮出してますからね」
「はあ……どうも」
料理担当? とツッコミたいのを飲み込んで、早速麦茶に手を伸ばす。
冷たい麦茶は心地よく喉を滑り、爽やかな香ばしさの後に微かな甘みを感じた。
麦茶など久々に飲んだ気がするが、ペットボトルのものとは味が全然違うのは悠にもわかる。その味に驚いていると、桑鶴も立って自分用のマグカップに麦茶を注いで戻ってきた。
「すまんすまん。いつもは気が利くナツキチが全部やってくれるからなあ」
「四本さんに頼りすぎですよ。私も人の事は言えませんが」
「ナツキチというのはな、四本夏生といって、うちの料理担当――つまり企画部長だ。そこのは総務部長の高見沢雛子。あと、君の従姉で開発部長の速水理彩。どうだ、社長以外全員部長だ、凄いだろう!」
桑鶴はどうだ、という言葉と同時にアリクイの威嚇のように両手を広げていた。いちいちアクションが大きいところが悠からすると子供っぽく見え、年齢不詳に拍車を掛けている。
そして社員たちはそんな社長に冷淡だった。
「名刺に部長って書いた方が格好いいからって理由だけでやったんですよね」
「役職手当が有るわけじゃなし、実質平社員じゃないですか、詐欺ですよ」
高見沢と理彩の冷たい声が降り注ぐ。ひぃ、と悠は喉の奥で小さく悲鳴を上げた。
桑鶴の方は彼女らのそんな塩対応に慣れているのか、気にしたようなところもなく悠然と椅子に戻っていった。
「いろいろ手が欲しいところはあるんだが、専門の人員を用意するかどうかは微妙なところでな。できれば、ちょっと高い時給を払ってもひとりで済ませてしまいたいという魂胆さ。俺は白いが、うちはブラックなもんでな!」
「ブラックとか言っちゃ駄目ですよ。逃げられますよ」
堂々とブラックと言い切る社長と従姉のとんでもない発言に、この裏切り者と理彩に向かって内心罵倒する。
これでは生け贄だ。ここでバイトするのはやめた方がいい。帰りたい。そう思い始めた。目が泳いだ悠の様子を察したのか、桑鶴は華奢な見た目にそぐわぬ力で悠の腕を掴んだ。
「逃がすもんか。君は得がたい人材だ。その料理経験ゼロの君が欲しい!」