家庭料理を作る道
「ハルくん?」
急に笑った悠を訝しんで、夏生が覗き込んでくる。
夏生としては、「ずっと隠し続けていた秘密」を思い切って明かしたのだから、これ以上笑っては悪いと悠は口元を一度手で押さえた。
「いや、夏生が真面目だと改めて思っただけだから。俺にとっては、夏生は夏生で名字が梅崎でも四本でも、今更どうでもいいんだ。多分理彩も高見沢さんも剣持さんもそう言うと思う」
「でも、僕が梅崎を名乗らなかったのは父から家を勘当されてたからってのもあって。
勘当って重くない? 僕は家庭料理を作りたくて、父は僕をうめ咲の跡取りにしたかった。主義主張の対立って奴だよ。桑さんと知り合ったのは勘当される前だったから、大学を出てから初めて会ったときに勘当されたって言ったら随分驚いてたけど」
「それはまあ、現代でなかなか聞く言葉じゃない様な気がするから、驚くだろうな」
「桑さんは僕の事情を全て知った上で、クレインマジックに僕を誘ってくれた。『君の正しさを、ここで証明して見せろ! 俺たちはお互いを存分に利用できる。悪くないだろう?』ってさ。あの人、そういうところが大きい人だよね」
「そういう事情があったんだな」
桑鶴らしいエピソードだ。悠も思わず頷いてしまう。桑鶴の底の知れなさはどこから来るのか分からないが、自分が15年経ったとしてもあんな存在になれる気はしない。
「僕の父は料理人だけど――いや、だからこそ、かな? 家では基本的に料理をしない人だった。父の作る美しくて美味しい料理を僕はいつも凄いと思っていたけど、僕にとっての『料理』って、やっぱり母が適当さを混ぜ込んで作る家庭料理だったんだよ」
夏生が料理に掛ける情熱は並々ならぬものであるとは思っていたが、やはり環境が夏生の意識を育んだらしい。
「パン粉切らしてたから冷やご飯をつなぎに使ったハンバーグが思ったより美味しかったとか、ミートソースをたくさん作ってスパゲティに載せて食べた後、残りは冷凍しておいて別の日にご飯に載せてチーズを掛けてドリアにするとか、そういう料理。
母も料理は上手だったけど、いつも全力で料理をしている訳じゃなかった。毎食全力でなんて無理な話だからね。でもそれが、『家庭料理』なんだと僕は思うよ」
「ああ、だから『料理経験0から作れる基本的な料理』が夏生のレシピの条件なのか」
悠はずっと疑問に思っていた。確かに業界には後発で太刀打ちできないほどの有名レシピ動画アプリがいくつもあるが、夏生の実力ならもっと凝った料理もレシピに落とせるはずだった。――初心者向けという縛りさえなければ。
それはクレインマジックが隙間需要を埋めるために戦略的にそうしているのだと思っていたが、夏生のこだわりだったのだ。「家庭料理」は、毎日凝ったものを作り続けるわけではないのだから。
それが今、すとんと腑に落ちた。
「うん。クレインマジックは桑さんのワンマン経営に見えるけど、根底のポリシーは僕のものなんだ。
……父と絶縁状態にあるって言ったけど、気まぐれに父が作ってくれたチャーハンがびっくりするくらい美味しかったこととか、前に話したナポリタンのこととか、僕は忘れられないんだ。父を、尊敬してる。それは僕の中では揺るがない。だから僕は料理の道に進んだけど、それは『うめ咲』の跡継ぎとしてではなかった」
夏生の指がコーヒーカップに伸びて、それを弾いた。コンという音がして中の液体に波紋が広がっていく。
「父とは違う道を選んだことは後悔してない。身近な料理をちょっとの工夫で美味しく作ったり、楽しく作った料理を楽しく食べる事が、僕の中では大事なんだ。僕はそれを、両親から受け継いだと思ってる。父は否定するかもしれないけど……いや、否定しているだろうね。
料理の道では早い年齢で修行を始めることが多いんだけど、僕は栄養学も学びたくて大学に行った。そういう事も反対されたしね。最終的には、『うめ咲の跡継ぎと思って育ててきたが、おまえは認めない』って言われてそこから絶縁状態だよ。跡継ぎになるつもりが僕になかったせいもあるけど」
「夏生の、お母さんは……」
夏生の話の中で、母についての話が過去形だったことが悠の中で引っかかっていた。恐る恐るそれを口に出すと、夏生はうん、と憂いを含んだ眉を寄せる。
「僕が大学4年の時に亡くなった。父との摩擦が酷くなっていったのは、母が亡くなってからだね。胃がんだったんだ。胃を全摘して、いろいろなものを食べるのに制限がついて、いつも悲しそうにあれが食べたいこれが食べたいって言ってた。
元々食べることが好きだから料理がうまくなったような人でね。それで、やっぱり母が食べたがったのは慣れ親しんだ家庭料理だったんだ。だから、僕は……」
「そうか」
悠はカップをテーブルに置いて夏生に向き直った。




