寺生まれのHさん
「そういえば、僕と桑さんの馴れ初めってここだけど、速水さんと高見沢さんって桑さんとはどこで知り合ったんだい? 桑さんの事だから求人サイトとかじゃないんだろう?」
豚玉と海鮮ミックスのお好み焼きを同時に焼きながら、夏生が桑鶴に尋ねた。
2杯目はのんびりとビールを飲んでいた桑鶴は、口元に付いた泡をティッシュで拭くと突然笑い始める。
「雛子は俺の同級生の妹でな。経理と総務と人事を全部兼ねられる人材を探してるって相談に行ったら自分で売り込んできたんだ」
「そういうことです。ブラックな匂いはちょっとしましたけど、桑鶴さんとの付き合いもそこそこ長いですから心底まずいことにはならないと思いまして。何より自分の能力がその時の会社で正当に評価されてないという不満が募ってたときだったんですよ」
半袖のサマーニットから出ている細腕を高見沢が叩いてみせる。確かに高見沢は辣腕家だ。
「自分から売り込みか。確かに、らしいな」
うんうんと頷く剣持に視線で促され、理彩が少し嫌そうな顔をして口を開いた。
「私は……確か一昨年の秋頃かな? 同僚とお酒を飲んでたんだけど、気がついたら途中から相手が桑鶴さんにすり替わってた」
「何ですかそれ」
「どういうこと?」
高見沢と夏生に口々にツッコまれて、理彩は気まずそうに視線をさまよわせる。理彩が言い淀んでいる続きは桑鶴の口から語られた。
「べろんべろんに酔った速水に愚痴絡みされて相手が困ってたからな、替わってやって、適当に愚痴を聞いてやっただけだ。最後に泣き出したから、こいつ面白いなと思って、ポケットに俺の名刺を突っ込んでおいた」
「真っ青になったんですよ、あの次の日は! 一緒に酒を飲んでたはずの同僚は、本当に途中で帰ってたし! どうやって帰ったか覚えてないし!」
「タクシー呼んだらちゃんと自分の住所言ってたぞ。それから後は俺は知らん。翌日の夜になって速水の方から電話を架けてきたんだ」
「架けるでしょ! 『知らない男性がおまえの愚痴引き受けてくれた』とか飲んでた同僚に言われたら! ポケットに入ってた名刺の番号に電話して謝るでしょう!? ついでに何もなかったか確認するでしょ!」
もはや理彩の声が悲鳴になっている。「こうなると『強い』じゃなくて『狂ってる』方のコミュ狂だね」と夏生は苦笑し、悠は従姉の醜態に軽い頭痛を覚えた。
「わかった。とりあえず理彩は駄目な社会人だって事はよくわかった」
「その後、改めて飲み直して仕事の話を聞いてな。いやー、縁故採用はいいぞ! なにせ経費が掛からない。採用するときにちゃんとスキルチェックもしてるしな。片っ端から知らない奴と飲むのも、何かに繋がるんだぜ。面白いな!」
「それ、桑さんだからできることだよ。他の人ができると思わないで欲しい」
「そうですね。少なくとも私も兄も絶対できませんよ」
桑鶴以外がうんうんと頷く。
夏生は焼き上がったお好み焼きに刷毛でソースを塗り、青海苔を振って鰹節を散らした。湯気で踊る鰹節を見て悠がごくりと唾を飲み込んでいると、夏生は大きめに切り分けたものを悠の皿に取り分けてくれた。
「マヨネーズはお好みでね」
「四本さん、問答無用で青海苔掛けましたね」
「だって美味しい方がいいだろう? 歯に付くとか気にしてたら損だよ。はい、どうぞ」
6つに切り分けたうちの比較的青海苔の少ないところが高見沢用に取り分けられたのは、夏生のせめてもの優しさだったのかもしれない。
その日は思う存分お好み焼きともんじゃ焼きを堪能し、全員が満足して帰路についた。
――クレインマジックに嵐が迫っている事に、まだ誰も気付いてはいなかった。
平和だったクレインマジックに事件が起きたのは、打ち上げから間もない日だった。
「やられました」
高見沢が椅子から勢いよく立ちあがった。その常にはない固い声に何か重大なことが起きたのだろうと悠は察する。全員の視線が高見沢に集まる中で、高見沢は悠を一瞥した後で桑鶴に視線を向けた。
「悠さんの名前と住所がSNSで晒されています。……今、うちのアカウントに報告がありました」
「やっぱり来たか。どのくらい広まってる?」
椅子に座って両腕を頭の後ろで組んでいる桑鶴は、いつもと何ら変わらない態度だ。
既にCM制作前に想定されていた事柄だから、彼にとっては慌てるに値しないのだろう。
「投稿されたのが約3時間前、既に40件ほど拡散されていますね。それで済んだのは、良識的な人が拡散をしないでいてくれたおかげでしょう。拡散件数よりも、付いてる非難の方が多いくらいですし。連絡してくれたフォロワーは既に運営に違反通告と削除申請を出していて、どれくらい後かはわかりませんが、削除されるのは間違いないと思っていいですね」
立ったままでパソコンを操作し、リアルタイムの情報を高見沢が報告する。そして彼女はこの上なく慈悲深い笑みを浮かべて、真逆の言葉を言い放った。
「こちらとしてはスクリーンショットも撮って証拠も押さえてありますから、違反通告の後で情報開示請求して法的措置に訴えることも出来ますよ。どうしてやりましょうか、ふふふ」
その場の全員が、起きている事態よりも高見沢に恐怖を感じていた。桑鶴さえも顔を引きつらせている。
「初手で痛い目を見せてうちのアカウントで経緯を晒し上げないと、今後同様のことをしてくる輩が出てくるので徹底的に叩きのめしたいですねえ。二度とうちに対してこんなことをしようなんて思わない位に。ああ、腕が鳴ります」
「鳴らさんでいい!」
顔を青ざめさせた理彩が、高見沢の向かいの机から手のひら大のマスコットを投げる。握られてストレスを解消させるのが役目のはずのマスコットは、うまいこと高見沢にキャッチされた。
そして、これから彼女によって血祭りに上げられる犠牲者の象徴の様に、雑巾絞りにされて放り投げられる。
「ひえっ……」
「雛子、頼むからこっちが法を犯す様な事はしないでくれよ?」
「嫌ですねえ。まるで私が殺人でも犯すみたいな言い様じゃないですか」
「物理的に殺さなくても社会的に殺すつもりなんだろ?」
「それは御仏のお導きのままに」
「寺生まれのHさん、怖すぎだよ……」
室内の温度が体感で3度ほど下がった様に悠には感じた。1度はおそらく身バレのせいで、2度分は高見沢のせいだ。
「ナツキチ……悪いが熱いカフェオレを淹れてくれないか」
「あっ、私の分も!」
「うん、僕も今そんな気分。ハルくんは?」
「俺も……甘めのカフェオレが飲みたい」
身を震わせた面々が次々にカフェオレを所望する中、高見沢がひとり不思議そうな顔をしていた。
「皆さん寒いんですか? エアコンの温度上げます?」
「そういうことじゃないの! あんたのせいよ!」
噛みついた理彩に向かって、高見沢は不満そうにコーラルピンクに彩られた唇を尖らせた。




