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責任感の強い国

作者: くんのまま

責任感の強い国


あるところに、とても責任感の強い民族がいました。


彼らは約束事をよく守り、勤勉で真面目で、その国は平和でした。


誰もが責任感を持って自分の役目を果たすからです。


小さな島国でしたが、栄えて裕福でした。


子どもの教育にも力を入れていました。


この国には、頭のいいお行儀のいい優秀な子どもがたくさんいました。


国民たちは自分たちの正しさがとても誇らしかった。


さらにその国は他人に迷惑をかけないように国民全員が気を配ります。


そのため大半の国民には、暮らしやすい国でした。


自分のことが自分で出来る、健康な人にとっては特に。


でも、子どもを産んだ母親にとってはそうではありませんでした。


赤ちゃんとのくらしは、予測不可能なことの連続だったからです。


誰にも迷惑をかけたくなくても、しょっちゅう迷惑をかけてしまう。


他人に迷惑をかける母親と赤ちゃんを、人々は煙たがりました。


母親は自分がしたことでもないことで、いつも周囲に謝りました。


ごめんなさい、すみません、ご迷惑をおかけしました。


この国では子どもを産んだ女の人は社会的弱者になるのです。


こどもがこどもらしくふるまうだけで、この国では迷惑になるからです。


だからこどものお世話がどんどん大変になっていきました。


母親も責任感が強かったので、赤ちゃんの世話の大変さをひとりで抱え込みました。


責任感の強い国での子育ては、過酷を極めました。


赤ちゃんを残して自殺する母親が後を絶ちませんでした。


時には赤ちゃんを連れての無理心中もありました。


それでもこの国は変わりませんでした。


親や兄弟や姉妹、近所の人に預けたらいいのにって、思いますよね?


でも出来ませんでした。


近所に住む人も、子どもを預かってケガでもさせたら責任を問われます。


だから、安易に手を貸せません。


責任を取りたくないからです。


母親も、誰かに預けて何かあると母親が責任を問われるので、人に頼れません。


だから母親は朝から晩まで、気の休まる時はありませんでした。


なんなら、寝ている間だってそうでした。


子どもが咳をして寝床に吐いたら、眠くても寝床の清掃をしなければなりません。


疲れが取れてない身体に、新たな疲れがぶち込まれます。


母親たちは、我が子をかわいいと思える心の余裕を失いました。


かわいくてたまらなかったはずなのに。


子どもを、自分を苦しめるモンスターのように感じるようになったのです。


まるでアレルギー症状のように。


母親はついに頭がおかしくなりました。


子どもは、笑顔の消えた母親を見て悲しみました。


自分のせいで愛する母親が苦しんでいると。


母親の姿を見て育った子どもたちは、大人になっても子どもを作りませんでした。


それどころか、結婚すらしなくなりました。


結婚をすると配偶者に責任を持たなければなりません。


子どもを作る責任も生じます。


そして子どもを作ると、子どものすることすべてに責任を持たなければならない。


責任感が強く、責任の重さを知っている国民は、子どもを作らなくなりました。


責任を取りたくないからです。


こうしてこの国の女の子は、とうとう最後の一人になりました。


その子は、無責任に妊娠した誰かが、産み捨てた子どもでした。


最後の一人なのにも関わらず、女の子を非難する心無い大人すらいました。


女の子にとって、この国は窮屈で生きずらい国でした。


責任問題になるから、あれもダメ、これもダメ、部屋で静かにじっとしていなさい。


大人たちは責任を問われることを恐れて、女の子をがんじがらめにしました。


のびのびと育つことが出来ない抑圧に、女の子はうんざりしました。


でも女の子は、ある日船に乗って、責任感の強い国から逃げました。


責任感の強い国は、こどもがいなくなって静かになり、ほっとしました。


ケガや病気になられて、責任を問われずに済みます。


ついに責任感の強い国は、老人だらけの国になりました。


でも彼らは自分のことにだけ責任を持って、一生をまっとうして死んでいきました。


またひとり、またひとり。


誰にもお世話されず、誰もが孤独で、さびしい最期でした。


でも誰にも迷惑をかけず、自分に与えられた責任だけまっとうして去っていきました。


皆、結局のところ、自分さえよければそれで良かったのです。


最後に残った国民は、死ぬ間際にこう言いました。


「なんで自分の責任を果たしたのに、こんなにさびしいんだろう」


こうして、責任感の強い国は絶滅寸前まで国民の数を減らしました。


残っているのは、歩くのもやっとの老人たちだけになりました。


誰も彼らの世話をする人はいません。


彼らも誰の世話もしてこなかったから。


皆、自分のことで精いっぱいでした。


国民のほとんどが、真面目すぎたために責任感が重くなり過ぎてしまいました。


責任感が強いというのは、良いことばかりではなかったのです。


もはや責任感の強さは、毒となって、知らぬ間に彼らを蝕んでしまいました。


もう取り返しがつかないほどに。


一方、国を出た女の子は、隣にある'無責任な国'で無事に大人になりました。


女の子がその国で最初にびっくりしたのは、トイレの汚さです。


無責任な国では、自分さえ良ければ後に使う人のことなんて、考えません。


道路もデコボコでゴミだらけ、建物の壁には落書きだらけ。


栄養バランスも考えずに甘いものだけ食べて、歯磨きもしないから虫歯だらけ。


お風呂に入らず臭くなっても、周りの人への迷惑なんて考えません。


人も建物も、何から何まで汚い。


まるでお世話してくれる大人がいない子どもだけの国のようでした。


部屋の設備が壊れて修理業者さんを呼んでも、約束した日に来ないのも当たり前。


任せた仕事もほっぽらかして遊びにいってしまい、期日や納期に間に合わない。


仕事を貰えないから、無責任な国の人々は、誰もが貧しかった。


後先考えずにお金を借りてしまうので、誰もが借金まみれ。


でも、こんなにめちゃくちゃなのに、活気に溢れていました。


誰もが無責任にどんどん子どもを産むから、子どもがたくさんいるのです。


子どもたちは誰もが元気で子どもらしく活発でした。


他人に迷惑をかけるのなんて、お構いなし。


こんなに子どもだらけだったら、面倒をみきれないんじゃないかと女の子は思いました。


でも、この国の大人たちは、誰もが気軽によその子に食べ物を与えます。


女の子のいた責任感の強い国では、そんなことをしたら大変な騒ぎになります。


女の子は決められた管理者からしか食べ物をもらってはいけませんでした。


でも無責任な国では、国民全員が子どもの世話をほんのちょっとずつ、する。


誰も母親ひとりに子育ての責任を押しつけません。


だから母親は無責任に子どもを家や道端や近所の家の前に置いてでかけます。


子どもが子どもの世話をするのも見慣れた光景でした。


全くの他人でも、それぞれができる範囲で子どもを世話しました。


ひとりになって考え事も買い物もできるし、友達と遊ぶこともできます。


この国の母親たちは、みんな笑顔でいつも楽しそうでした。


女の子は、無責任な国の無責任な人々がとても気に入りました。


無責任だけど誰もが皆とても思いやりがありました。


心が温かかくて面倒見のいい、優しい人たちに囲まれて、女の子は成長しました。


ところが、大人になるにつれて、段々と無責任な国が抱える問題に気付きました。


父親も無責任なので、帰ってこなかったり、お金を稼いで来てくれません。


妻が稼いできたお金を勝手にとって、遊びに行ってしまったりもします。


子どもの世話も、気が向いた時にしか、しません。


無責任だからです。


妻も子どももみんないつもお腹を空かせていました。


親戚や隣近所と助け合いながら、なんとかその日その日を暮らしていました。


皆がお互いに時に責任感を持ち仕事をまっとうしました。


皆がお互いに時に無責任に仕事を放棄したり適当にして、周囲を困らせました。


でもお互いさまだったので慣れていました。


そして子どもたちは自由でのびのびしていますが、よく怪我をします。


でもケガを治療するお金もありませんでした。


子どもが病気になると、母親は悲しみました。


苦しむ子どもに、何もしてやれなくて無力感に打ちひしがれました。


子どもたちはいつも空腹で、幼い子どもの世話やお小遣い稼ぎに追われていました。


だから、本を読んだり、学んだり、何かに集中することができませんでした。


誰もが落ち着きが無く、その日その時を生きることで精いっぱいでした。


未来に期待すると傷つくので、誰もまじめに生きようとしません。


目標を立てて計画的にがんばる、ということができない環境にどの子どももいました。


だから無責任な国の子どもたちは、お行儀も悪く、物覚えも悪く、バカでした。


無事に大人に成長できた子どもたちは、無責任でやる気のない大人になりました。


その悪循環は、この国がいつまでも貧しい原因のひとつでした。


女の子は大人になると、責任感の強い国へ帰国しました。


責任感のない国のいい加減さにうんざりしたからです。


でも、わずかな老人ばかりで国力の衰えた惨めな祖国に女の子は驚きました。


まじめに生きたその果てが、これなのかと。


誰もが孤独で、心が冷え切り、すべてに絶望していました。


唯一の若い国民だった女の子は、祖国に戻ると、お金持ちになりました。


これまでに亡くなった人たちの財産を相続したからです。


女の子は国を一から作り直すことにしました。


まず、無責任な国の女の人と、その子どもたちを100人、自分の国に連れてきました。


なぜ女の人かというと、男と女なら、女の人の方が比較的まじめだったからです。


もちろん、必ずしもそうではありませんが。


そして女の子は連れて来た女の人たちに、こう言いました。


「与えられた仕事に責任感をもって、まじめに取り組むと、ご褒美がもらえる」


女の子は、連れて来た全ての人に寝食を保証しましたが、劣悪な環境でした。


雑魚寝で布を一人1枚しかもらえなかったり、食事もパン1つだったり。


でも、まじめにやる人は評価され、ちょっとずつ暮らしが良くなります。


食事に一品増えたり、ちょっといい毛布にかえてもらえたり、個室をもらえたり。


女の子は、細かい差をつけて、人々を精密に評価しました。


無責任な国の女の人たちは、細かい差に一喜一憂しました。


スタート地点が劣悪だからこそ、少しの改善がより嬉しく感じられました。


じきに、連れてこられた大人の女の人たちのうち、ふたつのグループに分かれました。


比較的まじめに仕事をする人と、サボってばかりの不真面目な人のふたつに。


女の子は、無責任な国の大人のうち、不真面目な人たちを子どももろとも帰しました。


そしてまた100人、無責任な国から女の人とそのこどもたちを連れてきました。


新しく連れてこられた人たちは、真面目に働く同じ国の人を見て驚きました。


「どうしてそんなに真面目に働くの?」


「真面目にやればやるほど、ご褒美がもらえるから」


女の人たちは、細かい評価とそのわずかなご褒美に夢中になりました。


たとえわずかでも、がんばりが認められて嬉しかったからです。


彼女たちは誰もがやる気に満ちていました。


女の子はこれを繰り返すうちに、比較的まじめな国民を増やしました。


不真面目な人々を真面目に行動させるシステムが功を奏したのです。


連れて来られた子どもたちも、母親の姿を見て行動を改めるようになりました。


次に女の子は、子どもが自由に利用できる施設をたくさん作りました。


出入り自由で、24時間稼働している施設もありました。


そこには常に誰かしら大人がいて、施設を管理していましたが、片手間でした。


仕事の合間に、3時間だけ出向いて、子どもの遊び相手をしたり施設を整えます。


3時間だけ子どもたちに向き合えばいいのです。


そして、その間もきちんと給料が出ます。


サボりにはなりません。


充分な大人の数が配置され、子どもより大人が多い状態にします。


そうすれば、子どもの相手をする人と、そこの家事をする人に分担できるからです。


その子どもたちの相手をする時間以外に、休憩時間も別であります。


そのため一人の時間も確保できます。


そして女の子は、人々に'子育て関係では責任を追及しない'と明言しました。


責任を追及しない環境で、事故や事件が起きないように最善を尽くす。


環境だったり保険だったりシステムだったりで、カバーして。


そして、何か子どもに残念な出来事があっても、その時その場にいた人を責めない。


どうやったら、再発しないかを一緒に考えさせました。


責任は追求せずに。


つまり責任感はもちつつも、責任を追及して締め付けない環境を作りました。


女の子は、子どももケアワークの労働要員として教育しました。


小学校で、授業の科目に'保育'を導入。


年齢に応じて、やれるケアワークを短時間の仕事として与え、報酬を与えました。


こどもマネーというポイントシステムです。


1時間働くと1マネー。


未成年だけが使える、お金のようなものとして普及させました。


ポイントなので、使用期限があります。


もちろん、例え30分であっても働かないという選択も子どもたちはできました。


こどもマネーは、あまり貯まりません。


年齢にもよりますが、拘束時間が最大で1日3時間までだからです。


でも1マネーで、どの飲食店でも一食、食べれるのです。


子どもたちは、親へ依存しなくなりました。


親は肩の荷が下りて、子育てが楽になりました。


親が子にすべき最低限の世話は、寝る前に絵本を1冊読んであげることだけ。


寝かしつけは、他の人に任せてもいいのです。


あとは、子どもの話を聞いて、がんばりを見つけて褒めたり労をねぎらうこと。


それさえやれば子育てしていると言えるのです。


つきっきりで、何から何まで世話をしてやらなくても、母親と名乗れるのです。


その後、こどもマネーは進化して商品を購入したりもできるようになりました。


お金のような地位を確立したのです。


学校で子どもが、幼い子どもとの向き合い方やコツを学んで実践する。


この試みは、後にすべての国民が子育て中のママや、乳幼児に寛容になる社会の基盤になりました。


子どもが子どもを世話するので、時々事故や事件もあります。


どんなに気をつけてても、起きる時は起きるのです。


それは、超管理型責任追求社会の時もそうでした。


子どもの事故というのはゼロにはならないのです。


それは保険でカバーします。


そして、起きた出来事について、誰も責めないことを社会の共通認識にしました。


'天の采配でそうなった'ということにして、再発防止に努めます。


母親や保育士や保育補助として現場にいた子どもを、責めません。


女の子はそのように社会を作り変えていきました。


次第に、教育を受けた子どもたちが大人になりました。


誰もが、その辺をうろついている子どもを自分の弟妹や子どものように世話しました。


子どもは自由に家の外をぶらついて、いつも誰かに助けられて、のびのび遊びました。


隣近所の家に突撃訪問しても、誰もが温かく迎えてくれます。


つまらないなと思ったら、また隣のおうちへ行きます。


性犯罪のリスクは依然としてありました。


そこは、性犯罪者リストの管理と、子どもに教育をほどこすことで予防としました。


性犯罪というものがある、という知識を子どもに与えること。


なるべく2人以上で行動すること、もし被害にあっても自分を責めないこと。


こっそり、ひみつで打ち明けられる担当者を必ず学校や地域にいること。


打ち明けても、絶対に叱られない、責められないと確約するということ。


法律も変えて、怪しいと思われた人間の家には国がこっそり監視カメラを設置しました。


そして、通報の内容や信憑性次第では、子どものいない職場と生活圏に隔離しました。


性犯罪者と確定した者は、例え初犯であっても野放しにはしませんでした。


こうして女の子は、性犯罪者を洗いだして、子どもに接触できないようにしました。


多少の被害は出ましたが、その被害を最大限、次世代に生かしました。


性犯罪者がほとんどいない社会になっても、学校で性について早くから教えました。


知っておくことが武器になるからです。


子ども同士で興味本位で子どもが出来ることもありました。


でも、育児分野に関しては、誰も責めてはいけないという理念が浸透していました。


そのため、子どもが妊娠しても、深刻な雰囲気はありませんでした。


「妊娠したの?そうなんだ~、生まれたら抱かせてね」


程度の軽い感じでした。


そして妊娠と出産、そして育児は、キャリア断絶にはならない社会になっていました。


子どもは社会全体の子どもであり、母親一人の責任にしないからです。


つわりがしんどい時は学校を休み、臨月はしんどいなら自宅学習か休学。


そして出産して2ヶ月は間違いなく休学か、リモートで教室の学習にアクセス。


産後の肥立ち次第ではしっかり休ませます。


産婦児童の体調に応じて学校もフレキシブルに対応しました。


生まれた子は、母親一人に任せません。


母親の身体は回復に専念しなければならないからです。


国から派遣された、近所に住むサポーターがつきっきりで家事育児をサポートします。


サポーターは5人は最低でも割り当てられ、負荷が分散されます。


ママをひとりきりにはさせません。


ただ、産後1ヶ月~数ヶ月、ガルガル期がある場合は、収まるまでそっとします。


ママにガルガルされながらサポートするのはパパの役目です。


その時期が収まり、他者を受け入れるようになってきたら各種サポーター投入。


ママは深夜帯だけはひとりで対応し、早朝はパパか祖父母が子どもの世話をします。


そしてサポーターが朝来て、子どもを中学校か高校などの学校へ連れていきます。


もちろんタダ働きではなく、家事育児介護すべてに国から報酬が出ます。


クーポンであったりポイントであったり税金の一部が返金されたり、色々です。


すべての学校に保育室があり、学生は交代しながら短時間つきっきりで世話します。


乳幼児の数より、学生の数の方が多いので、当然負荷が分散されます。


学生たちにとっても、こどもマネーを稼ぐ千載一遇のチャンスです。


ひとりきりで世話するわけでなく、複数人で1人の赤ちゃんをみるのでこわくありません。


むしろなんなら楽しいです。


そう、女の子の作った社会は、子育てが苦行ではなく楽しいものになりました。


質と量を確保するべく、女の子は、女の人1人あたり産むのは3人までとしました。


それ以上産んでも責められませんが、出産は女の人の身体にとって負荷になります。


飲むだけで堕胎できる薬も、ネット通販で簡単に手に入るようにしました。


産むか産まないかは、女の人が選ぶべきだからです。


でも、子どもを産むことも育てることも、大変じゃない社会ができました。


昔、この責任感の強い国は、'子どもを産んだら人生おしまい'の雰囲気がありました。


でも今はそうじゃありません。


だからほとんどの女の人は、妊娠したら産む選択をするようになりました。


堕胎薬へのアクセスが容易になったとしても。


自分で世話できない場合は、簡単に養子に出せるようになりました。


子どもは社会全体の子ども、という共通認識が国民全体に行き渡りました。


責任感を持ちつつも、責任を追及しない、責めない子育て環境のある社会。


女の子が作った、新・責任感の強い国は、その後人口が増え、優秀な人間も増えました。


自殺も大幅に減り、虐待も産後うつも育児ノイローゼもほとんど無くなりました。


そして多くの人々が、ほどよく責任感があり、ほどよくユルい平和な国で一生を笑顔で終えました。


おしまい。


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