第8話 ライハート卿とのデート
「さあ、いよいよね……」
アリーシアは馬車から、噴水広場に降り立つ。
ここは皇都の商業地域の中心であり、日中ということもあり多くの人でにぎわっていた。
今日はドレスではなく、街歩き用の装いをしてきた。
日傘をさすその姿は下級貴族か裕福な平民に見えるだろう。
気軽な感じで会おうというライハートからの提案だった。
いつも馬車で通るだけの街並みを立って眺めるのは新鮮だ。
「これからのことがなければ、もっと楽しめたんだけど……」
「だいじょーぶ! わたしもついてるから!」
アリーシアをはげますように、胸に抱えたみーちゃんが小声でこたえる。
どうしても付いていくというので、みーちゃんを連れてきたが、本当に大丈夫なのか不安になってきた。
待ち合わせ場所に目を向けると、そこにはすでにライハートが立っていた。
長身で帝国中央では珍しい赤髪のためよく目立つ。
「アリーシアちゃん、早いねぇ、もしかしてオレとのデート、楽しみにしてくれてたの?」
ライハート卿も今日はいつもの軍服ではなく飾らない普段着だった。
情熱的な緋色の瞳をむけ、笑いかけられると、乗り気でないアリーシアでもドキッとしてしまう。
年頃の娘たちが夢中になるのもよくわかる。
「ラ、ライハート様!? もしかしてずっと待っていらっしゃったんですか?」
約束の時間にはまだだいぶ早い。
先に来て、女性を待たせたことを非難するという最初の作戦はすでに崩れ去っていた。
「もちろん! アリーシアちゃんとの初めてのデート、オレも楽しみだったから」
「そ、そうですか、あ、ありがとうございます」
頬が赤くなるのを感じる。
お世辞だとは思うが、未来の夫であったカシウス殿下を含めても、女性としてこんな直接的にわかりやすく好意を示されるのは初めてだった。
「で、でも、わたしはやっぱり、ライハート様との婚約は……」
「まあまあ、前はほとんど話せなかったし、こうしてちゃんと会うのは初めてでしょ? 今日一日、一緒にすごしてから、決めてほしいな」
もともとお父さまともそういう約束だったし、ライハート卿の実家の顔を立てる必要もある。
「……わかりました」
「ところで、今日もその子と一緒なんだね」
ライハートの視線が胸元のみーちゃんに向く。
「は、はい。みーちゃんって名前で、親友だからどこへ行くのも一緒なんです。ライハート様も気になりますでしょう?」
この年になっても人形を連れ歩くような、子供っぽい地味な令嬢。
ライハート卿とのうわさでは、アリーシアはそのように評されている。
どうやらライハート卿と帰る際に、みーちゃんを連れ歩く姿が目撃されていたようだ。
いくら救出劇が評判になったからといって、ライハート卿には釣り合わないという女性からのやっかみの声も聞こえてくる。
「ははっ、オレは気になんてしないよ。可愛くて良いじゃない。」
「か、かわいい!?」
かわいいという言葉にアリーシアの顔が再び赤くなる。
「うん、どことなくアリーシアに似てるしね」
ライハート卿の視線は胸元のみーちゃんに注がれていた。
(あ、みーちゃんのことを可愛いっていったのね)
「そ、そうなんです、小さいときに、母が私に似せて作ってくれたんです」
恥ずかしさにアリーシアの頬はますます赤くなる。
「じゃあ、行こうか」
こうしてライハート卿とのデートが始まった。
「はい、これ食べてみてよ」
「あ、ありがとうございます」
ライハートから差し出されたのは、串にささった鳥肉だった。
炭で焼いた香ばしい匂いに、アリーシアも思い切ってかぶりつく。
「お、おいしい……」
「だろ、ここの屋台の鳥肉は最高なんだ」
たれの甘みと鳥肉の柔らかさがアリーシアの口の中に広がり、自然と幸せな気持ちに顔がほころぶ。
(街の露店にこんなおいしいものがあるなんて、知らなかった)
鳥串を堪能していたアリーシアだったが、胸の中に抱いたみーちゃんにつんつんと合図を送られ、やっと本来の目的を思い出す。
(はっ! デートを楽しんでるだけになってる!)
みーちゃんとの作戦その二、「ライハート卿のマナー違反を非難して婚約解消する」は暗礁に乗り上げていた。
そもそも、作戦自体に問題があった。
女性とのうわさが絶えないライハート卿は、エスコートも完璧だったのだ。
「かわいい彼女のためにおまけしとくよ!」
「おう、ありがとう!」
ライハートはいつも市中を回っているようで、顔なじみがとても多い。
どこにいっても声を掛けられ、それに対して愛想よく答えていた。
市井の人気という意味では、身近で親しみやすい人柄だし、寡黙なカシウス殿下より上かもしれない。
(わたしも、もっと、いろいろなことを知らないと……)
ライハート卿の姿を見ていると、前世で自分が皇妃として何もできていなかったのがよくわかる。
(少なくとも、何が高いか安いかぐらいは頭に入れないとダメね)
作戦その三「高いものをねだってライハートを幻滅させる」にもアリーシアは失敗していた。そもそも自分で買い物をする経験に乏しいアリーシアにはどれが高いか安いかわからなかったのだ。
そうこうしているうちに日も落ちて夜になる。
アリーシアとライハートは街で評判というレストランまで来ていた。
騒がしすぎず、フォーマル過ぎず、おしゃれな店内はライハートの趣味の良さをうかがわせる。
(このままではダメだ、どうしたらいいの……)
みーちゃんと考えた付け焼刃の作戦では、乗り気なライハートとの婚約を破談にすることは難しそうだ。
「どうだった? 今日一日、オレに付き合って」
「…………それは、その……楽しかったです……」
それは本心からの気持ちだ。
もし未来の記憶がなければ、おそらくこのまま、何の憂いもなくライハート卿と結婚していたのだろう。
そうして、エステルハージ侯爵夫人として幸せな家庭を築く未来があるのかもしれない。
だけど、そこには未来の娘、ミーシャはいない。
(やっぱり、ライハート様と結婚することはできない)
こうやって好意を向けてもらえるのは嬉しいが、アリーシアには自分の幸せより大事なことがある。
「それは良かった。
……だけど、それにしては浮かない顔だね」
「ど、どうして私なんです? ライハート様はこれまで縁談を断り続けてきたと聞いてます。なぜ急にわたしと?」
前世では、カシウス陛下の側近だったにも関わらず、ずっと戦地にいたこともあり、ほとんど出会うことはなかった。
たしか、未来でもまだ独身だったはずだし、出会っても皇妃と将軍という立場で、気さくに話したことは一度もない。
それに、処刑の際に、第二皇子と共にいたことがどうしても気にかかる。
その時アリーシアに向けられたのは、感情がこもっていない、つまらないものを見るかのような視線。
今のライハート卿とは全く重ならい。
「もちろんアルカディウス家の三男として、アリーシアちゃんがふさわしい相手ということもある。だけど、やっぱり一目惚れかな? 貴族の令嬢が秘密の地下通路から皇子に会いに来て、隣国の陰謀を未然に防ぐ。そんな子は初めてだ」
「それは、その……お父さまに言われただけで……」
「それでも、あの下水が流れる場所は通らないさ」
それは、未来での投獄経験とみーちゃんの知識のおかげだったが、褒められるとどうしても顔がほころんでしまうのを感じる。
「それに、アリーシアちゃんはオレにそっけないだろ? 男ってのは逃げられると追いたくなるもんなんだよ」
ライハートには好意を寄せてくる女性は数多い。
アリーシアがライハート卿に興味を示さなかったことで、逆に気になってしまったということなのだろうか。
「そういってもらえるのは嬉しいですけど……。やっぱり、わたしはライハート卿とは釣り合いません。だ、だから、この婚約は……」
「アリーシアちゃんに釣り合うのは、カシウス殿下ってことかな?」
アリーシアの拒絶の言葉はライハートに遮られる。
ライハート卿の口調はこれまで通り優しかったが、どこか棘を感じられた。
「どどど、どうして殿下の名が出てくるんですか?」
カシウス殿下の名が出て、明らかに動揺してしまったのが自身にもわかる。
「言葉は丁寧でも、オレよりカシウス殿下との方が気安いでしょ? オレってその辺のことはよく分かるんだよね」
(それは、未来のカシウス陛下よりまだ若くて怖さが足りないというか……今はなんだか話しやすいし……。逆にライハート卿は未来のせいで何を考えてるのかわからないから……)
理由を説明できず、アリーシアはうつむく。
「カシウス殿下のことが好きだから、オレとは結婚できない?」
その言葉にアリーシアははっと顔をあげる。
(カシウス殿下のことが……好き?)
「そ、そんなことは……」
否定しようと思ったが、途中で言葉に詰まる。
(カシウス殿下とは娘のために結婚しなければならないだけで、好きとか嫌いとかは関係ない。だけど……)
アリーシアは自分の気持ちにずっと蓋をしていた。
(わたしは、カシウス殿下のことが好きなの?)
自分自身のことなのによく分からない。
「オレからしたら、分かりやすすぎるくらいだけどね……だけど、本当にわかってる? カシウス殿下と結ばれたらそれで終わりじゃない。アリーシアちゃんはいずれ皇妃になるんだ」
「……」
「皇妃ってのは国の中心である皇帝を支える存在だ。責任は重いし、自由だってない――並の神経では務まらない。その覚悟が、アリーシアちゃんにはあるのかな?」
「それは、もちろんです、皇妃としての務めはしっかり果たします」
この問いに関しては、おどおどすることなく、アリーシアはしっかりと答えられた。なにせ、未来で実際に皇妃として生きていたのだ。
(前世ではちゃんと責任を果たせなかった。今度こそしっかりやってみせる)
娘のためにも、そこは曲げるわけにはいかない。
「ふぅ……仕方ない。アリーシアちゃんにその覚悟があるなら良いか」
「じゃ、じゃあ、婚約は!」
ため息をつくライハート卿にアリーシアは勢い込む。
「そんなに喜ばれると傷つくなぁ」
「ご、ごめんなさい」
おどけた口調のライハート卿に、アリーシアは頭を下げる。
「まあ、デビュタントまでは待ってよ。アリーシアちゃんに悪いようにはしないからさ」
「あ、ありがとうございます」
本人同士の同意があったとしても、家同士の調整が必要だ。
すぐに婚約解消というわけにはいかないだろう。
「まあ、せっかくの機会だし、せめてこの場だけでも一緒に楽しもう」
ライハート卿の言葉にアリーシアはうなずく。
憂いがなくなり、やっとアリーシアは本心から食事を楽しむことができるようになっていた。
店を出るとすっかり日は落ちていた。
ライハート卿に抜かりはなく、迎えの馬車はすでに呼ばれて待っている。
「それにしても、あんなエスコートもろくにできない、へたれ皇子に負けるのは悔しいな」
「へ、へたれ皇子!?」
カシウス皇子とは全く結びつかない形容にアリーシアは思わず聞き返す。
「まあ、皇子様に愛想が尽きたらいつでもオレの元に戻ってきていいから。
――さよなら、アリーシア」
問いには答えず、ライハートはアリーシアの手を取り、その甲にキスをする。
「さ、さようなら、ライハート卿」
とっさにそれだけ言うと、アリーシアは慌てて馬車に乗り込む。
走り出した馬車の中から後ろを振り返る。
暗くて表情は見えないが、ライハートは角を曲がるまで、ずっとこちらを見つめていたようだった。
キスをされた手の甲が少しだけ熱をもっているようにアリーシアには感じられた。
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