第7話 アリーシアの婚約
エステルハージ侯爵家の事件から数日後。
主不在のバルダザール伯爵家のダイニングでは娘マリナと母親である伯爵夫人が食事をとっていた。
食卓には、伯爵が拘束される前と変わらぬ豪勢な料理が並ぶ。
「あの人も困ったものですね、バルダザール家の当主がこんなことになるなんて……」
「申し訳ございません、お母さま」
伝統あるバルダザール伯令嬢である母親。
婿養子で豪商であるバルダザール伯と結婚するまでは、バルダザール伯家は凋落の一途をたどっていた。
美しく見えても、見栄と体面だけを追い求める存在。
それがマリナの母親に対する評価だった。
その母にとって、当主の捕縛という事態は何より屈辱的だろう。
「エステルハージのお屋敷のものは何でも選べると楽しみにしてましたのに」
「本当に、残念でしたわね」
エステルハージ家を乗っ取っる当てがはずれ、ため息をつく母親に、マリナは張り付いた笑みを向ける。
(わたくしも捕まっていたら、お母さまも、いつも通りではいられませんでしたわよ)
もともと、中央の役人への賄賂を欠かさない父だったが、今回は第一皇子の命令による拘束。父はかなり強引な手法で拡大してきており、余罪は多い。
(西の王国とのつながりは露見しないにしても、最悪、爵位剥奪もありえますわ)
自らのために、それだけは避けなければならない。
そこでマリナは皇帝の二人の皇子のもう一方、第二皇子派の力を借りた。
第二皇子は現皇妃の息子であり、第一皇子カシウスより三歳年下の十六歳。
第一皇子とは異なり、まだ、政にかかわっていない。
戦地での派手な功績がある第一皇子に比べ影が薄い存在だ。
だからこそ、バルダザール伯家が入り込む余地があった。
(なんとか証拠不十分で釈放させることができるはず。
とりいるために、いくつか蓄えていた財物や鉱山を手放すことになりましたが、仕方ありませんわ)
マリナは父から厳しい教育を受け、すぐれた商才を発揮していた。
だが、それも後ろ盾があってこそであることをマリナは理解している。
「それにしても、あの小娘はうまくやったわね。まさか第一皇子の後ろ盾を得るなんて。しかも一番の側近と婚約ですって?」
話がアリーシアに及ぶと、マリナの料理を食べる手が止まる。
アリーシアとライハート卿との婚約。
帝都では今その噂でもちきりだった。
マリナの脳裏に、アリーシアのことが浮かぶ。
格上の侯爵令嬢であり、お従姉さまと慕ってきたアリーシア。
そのおかげでなんとか自身が囚われることは免れた。
(まさかこのわたくしが、お従姉さまに助けられることになるなんて……)
その時のことを思いだすとナイフとフォークを持つ手に力が入る。
アリーシアは侯爵令嬢にもかかわらず、自分から積極的に人と関わろうとせず、いつもマリナの陰に隠れて行動していた。
――そんなお飾りの存在がわたくしを救う?
あってはならないことだ。
「あんな小娘にいいようにされるなんて、許せないわね。
デビュタントでは、少し痛い目にあってもらいましょう」
母親の言葉はくしくもマリナの思いと一致していた。
たしかに、デビュタントの場はチャンスかもしれない。
バルダザール伯家は凋落したとはいえ、中央貴族としては伝統と人脈がある。
母の力も使えないことはないだろう。
(お従姉さま――デビュタントでは、屈辱を必ず倍にして晴らさせて頂きますわ)
その時のことを想像しながらナイフに力をこめ、肉を切る。
口に運んだ肉の味はいつもと変わらない、上質でやわらかいものだった。
◇◇◇
「こ、婚約、ですか!?」
エステルハージ侯爵邸の執務室。
呼び出されていたアリーシアに父親が切り出す。
「そうだ、申し込みがあってな。もうすぐデビュタントだろう?」
父不在の前世では、デビュタントの前はまだ婚約はしていなかった。
「わ、わたしにはまだ早いです! お父さま、わたしが望む方があらわれるまで、待ってくれるって言ってましたよね?」
エステルハージ侯はヴァレリアン帝国ではめずらしく、自らの意思で妻を選び、後妻はいない。
アリーシアにも好きな人ができるまで待ってくれると言っていた。
それに、前世でのカシウス殿下からの結婚の申し込みは、デビュタント後の出来事だ。
――まさか、それが早まるなんて。
「うむ、私もそのつもりだったが……。先のことを考えると、第一皇子が後ろ盾になってくれたとはいえ、はやく絆を強めたいんだ」
先日の一件以来、中立の立場だったエステルハージ侯爵は第一皇子派の立場を鮮明にしていた。
「それに、噂にもなっているようだし、おまえもまんざらでもないんだろう?」
「えっ? わたしとカシウス殿下が噂に?」
「? カシウス殿下と?」
エステルハージ侯の救出劇は帝都でも話題になっていた。
もちろんカシウス殿下も称賛されていたが、噂として特に貴族令嬢の間でささやかれていたのは騎士と令嬢の話だった。
「えっ、婚約のお相手ってカシウス殿下ですよね?」
アリーシアにとって結婚する相手というのはカシウス殿下だけだ。
それは当たり前のことで、他の人との結婚は全く想像すらしていなかった。
「さすがに第一皇子の婚約は簡単に決められん。相手はライハート・アルカディウス卿だよ。第一皇子の側近として、その腕もたしかだ。今回の功績で男爵となることも決まっている。ゆくゆくは婿養子として、エステルハージ家に入ってもらうことになる」
そう、アリーシアを助けた騎士として噂になっていたのはライハートの方だった。
前々からの噂に加え、エステルハージ侯爵を助けた時も大活躍したらしい。
「わ、わたしがライハート様と? それは困ります! だって、私は、カシウス殿下と……」
そこで言葉がつまる。
アリーシアはカシウス殿下と結ばれることだけは確定していると思い込んでいた。
(だって、前世でもカシウス陛下と……。それに他の人と結婚なんてことになったら、娘は、ミーシャはどうなるの!?)
もちろん、ミーシャが産まれてくることはないだろう。
それはアリーシアにとって、何よりも優先される願い。
「お、お父様! この婚約、解消させてください!」
全てが好転したはずのアリーシアのやり直し人生。
アリーシアが娘との幸せを掴むためにはなんとしてもこの婚約は解消しなくてはならなかった。
「はあ、まさかこんなことになるなんて……」
アリーシアは自室に戻り、ベットへと座り込む。
「おかえりアリーシア。いったいどうしたの?」
ベットで絵本を読んでいたみーちゃんが、少し眠そうに目をこすりながら尋ねる。
「そ、それが……」
ライハート卿との婚約について話す。
結局、父であるエステルハージ侯には、本人同士で会って話をしてほしいと押し切られた。
今の時点で、エステルハージ側から一方的に婚約破棄すれば、ライハート側との関係が悪化し、ひいてはカシウス皇子との関係もこじれる可能性がある。
お父さまの言うことももっともだ。
「カシウスでんか以外の人と結婚するなんて、絶対にダメ! だって、そんなことになったら……」
「そうよね、なんとかしないと……」
もちろん、こちらからライハート卿に婚約解消したいという話はするつもりだ。
だが、貴族同士の婚約はそう簡単に取り消せないのも事実だ。
うつむくみーちゃんにアリーシアは答える。
しばらく「うーん……」というベットに寝転がっているみーちゃんの考え込む声が続いた。
「そうだ!」
突然、みーちゃんが飛び起きる。
「ようは、婚約がなかったことになればいいんでしょ? だったら……」
みーちゃんの作戦、それはライハートがアリーシアを嫌うように仕向けることだった。
婚約と言っても口約束だけでまだ正式に発表したわけではない。
たしかに簡単ではないが、双方の同意があればまだ穏便にすませる道はある。
だからこそ、父も一度は会うように言ってきたのだ。
「そうね、その作戦でいきましょう!」
「みーちゃんも手伝うから、ぜったいにだいじょーぶよ!」
振り上げられたみーちゃんの手をぎゅっとつかむ。
「よし、そうと決まったら、さっそくライハート卿に会いましょう!」
えいえいおーとこぶしをあげるみーちゃんを微笑ましく見守る。
アリーシアはこの婚約をなんとか回避する決意を固めるのだった。
◇◇◇
「お前が、アリーシアと婚約だと?」
「ええ、エステルハージ侯の承諾は得られました」
帝都の離れにあるカシウスの執務室。
ライハートからの報告をうけ、カシウスはなんとか表情には出さないようにつとめた。
「……お前、ずっと婚約を避け続けてきたんじゃなかったか?」
ライハートは名門伯爵家の三男であり、次期皇帝候補筆頭であるカシウスの側近である。
本人自身の外見や武勇もあいまって、さまざまな家から婚約の申し込みが殺到していた。
にもかかわらず、身軽な立場を最大限活用し、ライハートはまだまだ自由恋愛を楽しんでいる様子だった。
それがよりにもよってアリーシアと婚約するとは。
「家からもそろそろ身を固めろと、うるさくなってきましたし。オレなら婿養子としてエステルハージ侯爵家を継ぐこともできる。皇子としても、エステルハージ侯爵を味方につけられるし、良いことずくめでしょう?」
「………………」
たしかに、ライハートの言うことは理にかなっている。
いつものカシウスであれば、ただ無表情にうなずくだけでこの会話は終わっただろう。
「……アリーシアは、お前との婚約に同意したのか?」
「いえ、そこはまだこれからですね」
「……」
「でも安心してください。このオレの魅力でアリーシアちゃんをきっちり落としてみせますよ」
それはライハートのいつもの軽口だったが、なぜかカシウスはいらだつのを感じる。
「あくまでアリーシアの意思が最優先だ……後見人として無理強いは許さない」
「もちろんですよ。ちゃんと優しくしますって。じゃあアリーシアちゃんとのデートがあるんでこれで失礼します」
あくまで軽い口調は崩さず、手をひらひらさせながらライハートは退出した。
後にはカシウスのみが残される。
「………………」
カシウスはしばらくライハートが出て行った扉を何をするでもなく眺めていた。
ふと気が付くとカシウスが手に持っていたペンは無残に折れ曲がっていた。
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