第5話 エステルハージ侯爵家を狙う陰謀
アリーシアの父であるエステルハージ侯爵の訃報。
それを聞いて、動かなくなってしまったアリーシアに代わり、マリナがてきぱきと動く。
「お従姉さま、お気を確かに。わたくしのお父さまにすぐ来てもらうよう手配しますわ。皆さまはお帰りになって。このことはまだ内密にしてくださいね」
その言葉に従い、取り巻きたちは皆、急いでこの場を後にした。
アリーシアもマリナに支えられるようにして、自分の部屋へとつれられる。
「お従姉さま、お飲みになって。少しでも落ち着きますわ」
一緒のソファに座ったマリナが水を飲ませてくれる。
その後もいろいろ親身にマリナは接してくれたが、アリーシアの心は凍りついたままだった。
しばらくして、マリナの父、バルダザール伯が姿を現す。
(連絡を受けてから向かったにしては明らかに早い……前の時は、こんなことにも気づけなかったのね)
バルダザール伯は挨拶もせず、アリーシアと寄り添うマリナが座るソファの対面にどっかりと腰をおろした。
「まさか、兄上がこんなことになるとはな。
おそらく、西の王国の強硬派が糸を引いているのだろう。やつらは戦争を起こしたがっていたからな」
「………………」
アリーシアは、前世でそうであったように、何もしゃべらず、うつむいていた。
前世では父を失ったことを信じられない思いと心細さが原因だった。
だが、今世は違う。
半ば演技だ。
だけど、策略が失敗し、本当に父が亡くなってしまった可能性もある。
そう考えてしまうと、素の部分も大いにあった。
「……エステルハージ家を継げる者はアリーシア、お前だけだ。まだ社交界デビューも済んでいないお前には、領地経営は荷が重いだろう」
「………………」
バルダザール伯が諭すような口調で語りかけてくる。
「そこでだ。兄上……お前の父からももしものことがあったらと頼まれていたのだ。後見人として、このワシがついてやろう。ワシに任せて、お前はしばらく、ゆっくりするがいい」
「それが良いですわ、お従姉さま。これからのことはわたくしの父にまかせてくださいませ。お従姉さまが元気になるまで、わたくしもお側についておりますから」
「……………………」
アリーシアは前の時と同様に、無言のままうなずいてみせた。
他に頼るものがなかったあの時は、それが一番良いと思ったのだ。
「よし、ではこれにサインするのだ」
そう言ってバルダザール伯は一枚の紙を取り出す。そしてマリナが支えるようにして、アリーシアはペンを握らされる。
あの時は促されるまますぐにサインをした。
今回はじっくりと目を通す。
前世では後から知ったことだが、実権はバルダザール伯となり、領地を譲りわたすに等しい内容の契約書だった。
「…………………………」
「読むのは後でもできるから、早くサインを。これから葬儀の準備もせねばならんしな」
「お従姉さま、大丈夫ですから」
なかなかサインしないアリーシアに、バルダザール伯が急かす。
「…………やっぱり、そういうわけにはまいりません」
「お、お従姉さま?」
「ど、どうしたんだ?」
突然顔をあげたアリーシアに、マリナとバルダザール伯が慌てだす。
「叔父さまにおまかせすることはできません。エステルハージ侯爵領は、嫡子たる私が、しっかり守ります!」
力強く宣言するアリーシアに、ふたりは一瞬あっけにとられた。
「そ、そうだな、もちろんだとも。心配いらん、その手伝いをワシがするだけだ。書類はあくまで形式的なものと思ってくれればいい」
「そうですわ、お従姉さま。わたくしたちを頼ってくだされば、何も心配はいりませんわ」
ふたりとも優しい口調だったが、顔に浮かぶ笑みはぎこちない。
「大変申し上げにくいのですが……父が万一に備えて、ある方を後見にと。ですから、こちらにサインはできません」
あくまで申し訳なさそうに頭を下げる。
「なんだと!? 兄上め、血縁のワシというものがありながら……。そんなどこの馬の骨ともしれぬ奴より、ワシの方が後見人にふさわしい。ワシの力があれば、もっともっと領地を豊かにできるんだ!」
「そ、そうですわ、お従姉さま。わたくしもお従姉さまを支えますから、一緒に頑張りましょう!」
他の後見人という言葉に激高するバルダザール伯。
マリナも必死でフォローするが、未来を知っているアリーシアの心は揺らがない。
「実は、ちょうど先ほど後見人の方もお見えになったようです。直接お話頂けますか」
「うむ、それがいい。ワシがきっちり話をつけてやろう」
アリーシアの言葉に、バルダザール伯は鷹揚にうなずいた。
「では、お入りください」
扉が開く。
入ってきたのは、第一皇子の側近、ライハート・アルカディアだ。
「……なんだ。第一皇子のおまけの若造か。お前なんぞが後見となっても、エステルハージ侯爵領を守ることはできん。やはりこのワシにまかせるのが一番だ」
扉をにらみつけていたバルダザール伯は、拍子抜けしたようにソファに腰をおろす。
未来ではライハートは爵位を賜り騎士団長として栄達する。
だが今はアルカディア家の嫡子でもなく、爵位を持たない一介の騎士にすぎない。
後見人として力不足とみられても仕方がない。
「ライハート卿のお噂は聞いておりますわ。お従姉さまをたぶらかそうとしても無駄ですわよ。わたくしがお従姉さまをお守りしますわ」
アリーシアにくっついて座っているマリナも、かばうようにライハートをにらむ。
あくまで献身的な姿に、演技だと知らなければ心が動かされたかもと思ってしまう。
「おいおい、ひどい言われようだな。まあ、今のオレの評価はそんなものか。だけど、アリーシアちゃんの後見人は、オレじゃないんだよねぇ」
そう言って肩をすくめるライハートはその場に恭しく膝をつく。
その背後には、ヴァレリアン帝国第一皇子、カシウス・ヴァレリアンが立っていた。
「カ、カシウス殿下!? ど、どうしてここに!?」
「カシウス殿下!?」
絶句して動けなくなったバルダザール伯とマリナ。アリーシアもライハートにならい、膝をつく。
「殿下の御前だ。控えよ!」
ライハートの鋭い言葉に、バルダザール伯とマリナも慌ててその場に膝をついた。
カシウス殿下は机の上にある契約書を手に取る。
「ま、待ってください! それは!」
「まあまあ、まだ控えてくださいね」
バルダザール伯があせって立ち上がろうとするが、ライハートに肩を押さえられた。
「ふむ、なかなかの内容だな、バルダザール伯。一度サインしてしまったら、私の力でも覆すには無理が必要だっただろう。
……だが、この私がアリーシア嬢の後見人となるのだ。これはもう必要ないな?」
「ぐっ…………も、もちろんでございます。殿下が後見人となられるなら、エステルハージ侯爵領も安泰でございます」
バルダザール伯はそういって愛想笑いを浮かべる。
その言葉にカシウス殿下はうなずくと、契約書をライハートに渡す。
「これは証拠として保管させてもらう。これ以上おかしな動きをすれば……わかっているな?」
「は、ははっ!」
カシウス殿下の言葉にバルダザール伯は平伏せざるを得なかった。
「それに、情報が錯綜していて混乱させてしまったようだが……。エステルハージ侯は生きている」
カシウス殿下が目配せすると、この館の主でありアリーシアの父、エステルハージ侯爵が姿を表す。
「お父さま!」
前世では数か月でまた会えると信じていたのに、そのまま帰らぬ人となってしまったお父さま。
死に戻った私にとって父に会うのは本当に久しぶりのことだ。
アリーシアはかけよると父にだきつく。
「お父さま、無事でよかった……」
「ア、アリーシア。カシウス殿下の御前だよ」
「……よい、気にするな」
お父さまは慌てていたが、それでもつきはなすことなく抱きしめてくれた。
アリーシアはあふれる涙をおさえられない。
カシウス殿下も何も言わず、見守ってくれていた。
「ま、まさか……こんなはずは……」
「お従姉さま、よかったですわ」
一方、バルダザール家の親子の反応は対照的だった。
バルダザール伯はうなだれ、膝をついたままぶつぶつつぶやき、マリナは涙をうかべて笑顔をみせている。
この変わり身の早さはアリーシアも認めざるをえない。
「では、わたくしたちはもう必要ありませんわね。カシウス殿下、失礼させて頂きますわ」
旗色の悪さを悟ったマリナはカシウス殿下に一礼し、自分の父親をうながす。
「待て」
カシウス皇子が退出しようとするふたりを呼び止める。
「今回の件は未遂で終わったが、まだいろいろ余罪がありそうだ。調べが済むまでの間、皇都の地下牢に身柄を拘束させてもらおう」
「こ、皇都の地下牢に?」
思わずマリナがつぶやく。
アリーシアが前世で囚われた場所。皇都の地下牢は貴族の子供たちに「悪いことをしたら入れられる恐ろしい場所」として知れ渡っていた。
どんないたずらっ子も震え上がる所だ。
カシウス殿下の声に応じ、兵士がふたりを取り囲む。
「ま、待ってくれ! た、たしかに契約書に問題があったかもしれんが、善意で行ったことなんだ!」
「そ、そうですわ、お従姉さまのためを思って……」
「話は取り調べで聞かせてもらう。何もなければすぐ開放する」
ふたりは兵士について歩くことを促される。
「お、お従姉さま! わたくしだけでも助けてください! わたくしはお父様についてきただけで契約書のことなんて知りませんでしたわ!」
マリナは私に視線を向ける。
「………………」
「お、お従姉さま!? お願いします、お従姉さま。本当にわたくしはお従姉さまのことを思って……」
無言のアリーシアに、マリナはそう言って膝をつき、手を願うように組んで私に向かって頭を下げる。
アリーシアは牢屋での出来事を思い出す。
服をぬがされ、マリナに平伏させられたあの時のことを。
(あの時のことは忘れてない。だけど、まだその時じゃない)
今マリナを拘束したとしても、マリナ自身に直接の罪はない。連座したとしても、国外追放がせいぜいだろう。
その後に、恨みを持ったマリナが何をするか予想できなくなる。
(それに、娘のためにも、その程度で終わらせるわけにはいかない)
アリーシアはマリナに近づき、同じく膝をついてマリナの手を両手で包み込む。
「マリナの気持ちはちゃんとわかってる。だからそんなに心配しないで」
「お、お従姉さま、助けてくださるのですか?」
「今回の件、なにも知らなかったんでしょ? だったら、マリナは関係ないじゃない」
「え、ええ、そうですわ」
マリナに目線を合わせたまま、アリーシアは微笑む。
マリナの目元には少し涙が浮かんでいた。
「今までだって、ずっと私のこと助けてくれたんだもの。マリナのことは信じてるよ。これからもよろしくね」
「も、もちろんですわ、お従姉さま」
そう言ってマリナは抱きついてくる。
アリーシアもそっと抱きしめ返してあげる。
想いあう従姉妹同士の抱擁。
少なくとも表面上は感動的な光景だった。
「……アリーシア、いいんだな?」
「はい、カシウス殿下」
「では、バルダザール伯のみを連行する」
カシウス殿下はうなずくと、兵士たちに目配せする。
バルダザール伯も観念したのか、それ以上言葉を発することはなく大人しくつれていかれた。
こうして、バルダザール伯によるエステルハージ侯爵家乗っ取りの策謀は未然に防がれる。
アリーシアの運命が変わる、第一歩の出来事だった。
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