第4話 マリナの思惑とエステルハージ家でのお茶会
皇都にある、バルダザール伯爵の邸宅。
その執務室に、邸宅の主であるバルダザール伯とその娘、マリナがいた。
「いよいよこの日がやってきたな、マリナ」
「そうですわね、お父さま」
マリナは自分の父親であるバルダザール伯に向かって微笑む。
バルダザール伯は、もとはエステルハージ侯爵家の次男で、商才があり、若いころから領内で商売をはじめていた。
儲け話には疎い兄、エステルハージ侯爵とは対照的に大きな財を成している。
その財力を活かし、嫡男のいないバルダザール伯の婿養子となり、バルダザール伯家を継いだのだ。
「兄上がいなくなったエステルハージを手中に収めれば、こっちのものだ。その力を使って、皇家とつながりも持てる。
――ゆくゆく、お前が皇妃になるということも十分ありうるぞ」
バルダザール伯は、笑いながら、一杯で庶民の一か月の給金に相当するであろう値段のワインを一気に飲み干す。
「お父様、まだ笑うのは早いですわ」
マリナは香りを楽しみ、所作を崩さず、紅茶に口をつけた。
「これからが最後の仕上げ、一番楽しいところですもの」
そう答えるマリナも笑みを隠しきることはできていない。
「たしかに、お前の言う通りだな」
「最高の演劇を特等席で見届けさせて頂きますわ。
――いってまいります、お父さま」
マリナは立ち上がる。エステルハージ侯爵邸にむかうために。
「エステルハージの娘のことは頼んだぞ」
「大丈夫ですわ、あの子はわたくしを信頼してますもの」
これから起こることにアリーシアがどう反応するのか。
(お従姉さまとして、あの子を立ててきたのもすべてこの時のため。
これからは、今までのようにはまいりませんわよ、お従姉さま)
マリナの相貌には今度こそはっきりと笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
アリーシアは、自分の邸宅でお茶会の準備をしていた。
死に戻る前の記憶では、今日が父であるエステルハージ侯爵の訃報が伝えられる日だ。
「いよいよね、アリーシア」
「…………」
この日にむけて、いろいろ手は打ったつもりだが、もちろん確実ではない。
じっとしていると、様々な嫌な考えも頭に浮かんでくる。
「だいじょーぶよ! だって、おと……第一皇子に頼んだんだから。ぜったいにうまくいくって!」
「……そうよね。殿下が行ってくれるんだものね」
未来の夫であり、後に皇帝となるカシウス殿下。この時代でも剣の腕や軍事の才能は、すでに評判になっている。
その彼が直接行ってくれたのだ。お父さまも無事にちがいない。
「そうそう、だから、わたしたちは、どーんと待ってればいいのよ!」
「みーちゃん、ありがとう」
ぎゅっとみーちゃんのことを抱きしめると、心の不安が落ち着いていく。
「お嬢様、マリナ様たちがいらっしゃいました」
侍女の声にアリーシアは立ち上がる。
「さあ、いきましょう、みーちゃん。
この袋に入ってくれる?」
「わかったよ!」
みーちゃんは、マリナには見られたくないというので、用意した手提げの袋に入ってもらう。
マリナには鋭いところがある。
みーちゃんの秘密がバレるのを避けるにはその方が良いとアリーシアも納得していた。
袋に入れたみーちゃんを胸に抱き、アリーシアはお茶会の会場である中庭に向かう。
そこにはマリナと、その取り巻き数人の姿があった。
マリナと、時を遡った今世で会うのはこれが初めてのこと。
もちろんマリナも若返っているが、牢屋でのことが頭に浮かび、体がこわばる。
「お従姉さま、お久しぶりですわね」
マリナはにこやかな笑みを浮かべて近づいてきた。
その姿を見て、アリーシアの頭に牢獄での日々がフラッシュバックする。
「ち、近づかないで!」
アリーシアは、抱擁しようと近づいてきたマリナを思わず突き放してしまう。
「どうしましたの? お従姉さま?」
「ご、ごめんなさい、マリナ。少し体調が悪くて……。病気がうつったら大変だから」
とっさに言い訳をする。
今はまだ、マリナとの関係を壊すわけにはいかない。
(気持ちを強くもたないと!)
アリーシアはみーちゃんが入った袋を抱きしめ、心を奮い立たせる。
「それは大変ですわね。もしよろしければ、私の家から医者を派遣させて頂きますわ」
心配そうなマリナに、微笑み返す。
「ありがとう、薬を飲んだからもう大丈夫よ。せっかく来てくれたんですもの。お茶会をはじめましょう」
ひと騒動あったが、その後は表面上、和やかに進行する。
「このお茶、良い香りですね、マリナ様」
「こちらは、南の公国より仕入れた茶葉ですわ。まあ、わたくしの家の伝手なら、これくらいは普段使いのものですわ。
おほほほほ……」
いつもマリナが会話の中心となり、その取り巻きがマリナをほめる。
アリーシアはにこにこと笑っているだけ。
それがお茶会のおきまりだった。
こうして一緒に過ごせる友だちがいるだけで幸せと思い込んでいた。
だが、うわべだけの関係と理解した今はお茶の香りを楽しむこともできない。
「そういえば、アリーシア様、ライハート様のこと本当なのですか?」
話題が、珍しく私にうつる。
第一皇子の執務する離れの邸宅からライハート卿にエスコートされたことが噂になっていた。
「あ、あれは……なんでもないの。
お父さまから用事を言付かっただけで……」
「そんな、隠さなくてもよろしいですのよ。私たちのデビュタントも、もうすぐですし。そろそろ、お相手を探さないと」
「うらやましいですわ。第一皇子様の側近の方ですし、嫡子ではございませんから。ゆくゆくはエステルハージのお家をお継ぎになられるのですか?」
マリナの取り巻きとはいえ、同じ年ごろの令嬢たちだ。
こういった恋の話には興味津々である。
帝国の貴族令嬢は十七歳前後にデビュタント――社交界へデビューをするしきたりがある。
今後の結婚相手を探す場でもあるが、高位の貴族ほど婚約者を伴い、紹介する場となることも多い。
「そんなこと、ありえません! だって、私はカシウス殿下と――」
そこまで言って口をつぐむ。
珍しく声をあらげたアリーシアに皆は一瞬押し黙ったが、すぐに笑いにつつまれた。
「アリーシア様はカシウス殿下のこと、お慕いされているんですね」
「カシウス殿下に見初められることは、わたしたちの憧れですものね」
皆にはこの年になっても皇子様との結婚にあこがれる夢見がちな子と思われてしまった。
うつむいた顔が紅潮しているのを感じる。
(だって、本当に私はカシウス殿下と結ばれて……)
最愛の娘であるミーシャを授かるのだ。
カシウス皇子以外の人と結婚することなど考えられない。
ありえないし、あってはならないことだ。
「皆さま、あまりお従姉さまを困らせないでくださいませ。純粋なところがお従姉さまの良いところですもの。さあ、皆さま、こちらは、今皇都で一番有名なケーキ職人がつくったものですのよ」
マリナのフォローが入り、お茶会は元の雰囲気にもどる。
こちらを見て微笑むマリナに、アリーシアもぎこちない笑みを返した。
(前世でのことがなければ、素直に感謝できたのに)
今の時間を生きていると、あの出来事が夢だったんじゃないか――。
どうしてもそう思いたくなってしまう。
――でも、それももう少しでわかる。
「た、大変です、お嬢様!」
私の思いに共鳴したのか、メイドが慌ててやってくる。
「旦那様が、赴任先で賊に襲われて、それで……、それで……」
「お、お父様が、賊に!? それでお父様は!?」
言葉を詰まらせたメイドにアリーシアはかけより、先を促す。
「そ、それが、……お亡くなりになられたと……」
「お、お父様が……」
メイドの言葉に、アリーシアは放心した表情でその場に崩れ落ちた。
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