第14話 タリマンド侯爵領を覆う影
皇帝の許可を得て、カシウス皇子とアリーシア、そしてみーちゃんはタリマンド侯爵領へと出発した。
アリーシアがいるため馬車での移動だったが、かなり急ぎで進む。七日の旅程を経て、タリマンド侯爵領へと到着する。
ほとんど帝都とエステルハージ侯爵領を行き来するだけのアリーシアにとっては物珍しい光景だ。
「ここがお母さまの故郷……」
あの後、父であるエステルハージ侯爵にも母の故郷であるタリマンドについて尋ねた。
母はタリマンドで呪術を扱う「巫女」と呼ばれる集団の中でも、高位にいたらしい。
みーちゃんを助けるためには、「巫女」の協力をあおぐ必要がある。
「私の母の故郷でもある」
二十年ほど前、現皇帝が戦争に勝ち、タリマンドを帝国領に組み入れた。
緒戦で帝国が大勝した後、カシウス皇子の母親であるタリマンド王女がヴァレリアン皇帝に輿入れし、帝国に帰属することで講和が成立する。
タリマンド王国では徹底抗戦の意見も多かったが、カシウス皇子の母であるタリマンド王女が皆を説得して講和を選んだのだ。
「あまり、歓迎されていない様子ですね」
タリマンド領都は閑散としており、領都に到着するまで特に出迎え等もなかった。カシウス皇子とアリーシアは旧王城ではなく、行政を司る建物の応接室に通され、タリマンド侯爵が現れるのを待っていた。
帝国に組み入れられてから二十年の時がすぎたが、タリマンドではまだまだ反帝国の気運が根強く残っている。
(カシウス様はタリマンドの血も引いているのに)
故郷の血を引くものが皇帝になれば、その恩恵を得られやすく、本来はもっと友好的でもおかしくないはずだ。
「疫病で手いっぱいで、それどころではないのだろう」
カシウス皇子はそう言って折り合いをつけている様子だったが、アリーシアとしては納得がいかない。中央の医師団、医薬品や食料を携えて、第一皇子自らがやってきたのだ。
(お父さまも、タリマンド領にむかうのは遠慮してると言ってたし、まだ戦争のわだかまりが残っているのね)
アリーシアがそう考えていると、ようやく扉が開いた。
「帝国の第一皇子、カシウス殿下にご挨拶申し上げます。遠路はるばる、このようなところまでよくお越しいただきました。大したおもてなしもできず申し訳ございません」
応接室に現れたのはアリーシアたちより少し年上の若い男だった。
痩身で知的な印象をうける。
それに、赤髪で青い瞳という帝国の南側に多い特徴を持っている。
父より、タリマンド侯爵は元王国の第三王子で30代半ば、それに東の国の特徴である黒髪と緑の瞳と聞いていた。
つまりこの男性はタリマンド侯爵ではない。
「タリマンド侯爵はどうしたのだ?」
カシウス皇子もそのことに気づき、男に問いかける。
「侯爵閣下をはじめ多くの者たちが疫病にかかってしまい、今は私が指揮を執っております。申し遅れました、私は宰相のヴァルゲと申します」
ヴァルゲはそう言って頭を下げる。
丁寧な態度ではあるが、どこか棘を感じる。やはり、歓迎されていない様子だ。
「……わかった、それより疫病の状況を教えてくれ」
カシウス皇子は本題に入る。
高熱に頭痛や嘔吐。
ヴァルゲが語る疫病の症状は、アリーシアが記憶しているものと一致していた。
「……ということで、疫病を患ったものたちは旧王城を開放して隔離しております」
広大な王城であれば、隔離施設としては十分だろう。
王城を開放してでも疫病を食い止めようとしている。アリーシアも好印象を抱く。
「基本的な対策はとられているようだな。中央から、数は少ないが、疫病に効果のある予防薬を持ってきている。疫病に接する主だった者たちにのませてほしい」
アリーシアの記憶と、みーちゃんの助言を頼りに、この疫病に対する予防薬を事前に準備していた。自分たちをふくめ、共に訪れた者たちは服用済みだ。
完全に防ぐことができるものではないが、症状が軽くなり、命を落とす可能性も格段に少なくなるはずだ。
「お気持ちはありがたいのですが……それは出来かねます」
ヴァルゲの言葉は丁寧だが、明確な拒絶だ。
「タリマンドにはタリマンドのやり方があります。中央の皆さまのお力は不要です。それに、この疫病への予防薬など、聞いたことがありません。効果がはっきりしない薬を投与して、症状が悪化してしまっては元も子もありません」
その点は、アリーシアたちにとっても痛いところだった。
まだこの疫病への対処法は確立されていない時期だ。
予防薬についても未来の知識とみーちゃんの神託を合わせたもの。
効果が証明されているわけではない。
「……巫女の方々から、何か神託はありませんでしたか?」
アリーシアが口をはさむ。
東の国において神事は『巫女』と呼ばれる女性たちを中心に行われる。
みーちゃんからも疫病の薬についての情報が得られたのだ。
巫女からも同様の神託があってもおかしくない。
「タリマンドのことについて詳しいようですが……神託について、私には何も知らされておりませんな。それにお忘れですか? タリマンドの呪術を禁忌として封じたのは、あなたがた帝国中央の者たちでは?」
ヴァルゲ宰相はアリーシアには顔も向けず、それだけ答えた。
その顔には明らかないら立ちが浮かんでいる。
「……私は皇帝の勅命を受けて、この場に来ているのだ。その意に逆らうというのか?」
カシウス皇子の瞳がヴァルゲ宰相をとらえる。
「そ、そのつもりはございません。ですが、先の戦争でもタリマンド前王は皇帝陛下にだまし討ちで敗れたと考えております。そのご子息であるカシウス皇子が持ち込んだあやしげな薬。タリマンドの者たちが飲むとは思えません」
ヴァルゲ宰相はカシウス皇子の氷の視線に少したじろいだ様子だったが、言葉ではタリマンドの者たちを代弁する形で拒絶する。
「…………」
話が戦争とタリマンド民衆の感情に及び、カシウス皇子の視線も少し弱まる。
反帝国感情がいまだに根強い理由のひとつがこのことだ。
先の戦争の緒戦にて、ヴァレリアン皇帝は奇策によってタリマンド王国を打ち破った。帝国では皇帝の知略により大勝をしたということになっている。だが、タリマンド側の印象は全く異なるということだろう。
「それより、カシウス殿下やそちらのご令嬢が疫病にかかってしまっては大事です。早々に立ち去っていただきたい。疫病の対応がありますので、これにて失礼させて頂きます」
ヴァルゲ宰相は話は終わったといわんばかりに立ち上がる。
「……タリマンドの者たちを邪魔するつもりはない。我々は我々で動かせてもらう」
カシウス皇子の瞳が再びヴァルゲ宰相を射抜く。
「かしこまりまして。ですが、タリマンドも疫病の対応で手いっぱいなのです。皆さまのおもてなしはできかねますので」
そう言いながら、ヴァルゲ宰相は立ち上がる。
丁寧な口調ではあったが、早く帰れ、邪魔はするなよ、という意図がアリーシアには感じられた。
「ま、待ってください!」
アリーシアがヴァルゲを呼び止める。
(みーちゃんのこと、お願いしないと!)
アリーシアにとっては疫病も心配だが、みーちゃんが最優先だ。
「巫女の皆さまにご相談したいことがあるんです」
「今は疫病の対応が先です、邪魔はなされぬようお願いします」
ヴァルゲはそこで、はじめてアリーシアの方を見た。
アリーシアの胸元でぐったりし、ただの人形のようにみえるみーちゃんに目を向ける。
「……ご令嬢は状況がお分かりではないようですね。火急の場にそのような汚い人形を持ち込むなど」
「なっ! みーちゃんはきれいです!」
思わず反論してしまうアリーシア。
「あなたのようななんの役にもたたない令嬢にこられても迷惑なんです」
「ヴァルゲ宰相、アリーシアはエステルハージ侯爵令嬢で、私が後見をつとめている。今回、この疫病への重要な知識を持ち、危険を顧みずこの地に来たのだ。これ以上、侯爵令嬢を侮辱するなら、それは帝国に対する侮辱とみなす」
カシウス皇子の氷の瞳が、これまで以上に鋭くなる。
部屋の温度が急激に下がったような気がするほどだ。
「と、とにかく、カシウス皇子殿下も、ご令嬢も、疫病にかかる前にこの場からお立ち去りください。その方が帝国のためにもなりますゆえ」
カシウス皇子に圧倒されたヴァルゲ宰相はそれだけ言うと足早に立ち去る。
応接室にはアリーシアとカシウス皇子だけが残された。
「…………先ほどの男……ヴァルゲについてどう思った?」
「嫌な男です! みーちゃんにあんなことを言うなんて!」
あの場では何も言うわけにはいかなかったが、アリーシアは怒りを感じていた。
「それに、アリーシアにもな。……あえて挑発していたのだろう」
「えっ、何のために?」
宰相というからには貴族の一端を担っているはずだ。帝国の頂点に近い皇子に対して無礼な態度を取れば、その場で手打ちにあっても文句は言えない立場だ。
「タリマンドの宰相である彼を害せば、さらにタリマンドの者たちの私への感情は悪化する。やつもそれを見越しての言動だろう。どうしても、帝国中央と、タリマンド領の不和を拡大させたい者がいるようだ」
「せっかく、皇子のお母さまが、戦争が拡大しないようにしたのに……」
「そなたの父、エステルハージ侯爵もな」
アリーシアの父と母の出会いも帝国とタリマンドとの講和の場だったと聞いている。
母は巫女のひとりとして、王女とともに交渉に立ち会ったらしい。
「まあヴァルゲのことはどうでもよい。まずは巫女に会おう」
みーちゃんのためにも騒動を起こすわけにはいかない。
アリーシアには何よりも優先すべきことがある。
ふたりは巫女たちがいる「神殿」へと向かった。
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