第10話 マリナ、デビュタント開演を待つ
まもなく、デビュタントが始まろうとしているその時。
(お母さまはうまくやったみたいですわね)
マリナもいつも以上に着飾ってその場に立っていた。
周囲を観察するがアリーシアの姿はない。
(流石は皇宮のデビュタント。豪華で美しくはありますが、少し古めかしくもありますわね)
ヴァレリアン帝国の威容にふさわしい、壮麗な会場。
帝国一の楽団による舞曲は古典的なものだ。
調度品も伝統に則った高価なものがそろえられてはいるが、最新の流行は取り入れられていない。
商売に携わっているマリナには、大国になりすぎた帝国が他国より遅れ始めているのを感じていた。
「それにしても、マリナ様。噂の『人形姫』は姿をあらわしませんね」
人形姫――デビュタントにもなろうというのに、人形を持ち歩くようになったアリーシアをからかう言葉だ。
マリナの母やライハート卿の信奉者たちを中心に、社交界ではアリーシアへの嫉妬交じりの噂が流されていた。
いわく、ライハート卿は人形姫アリーシアとの婚約は乗り気ではない。一目ぼれしたアリーシアが強引に婚約を進めようとしているというもの。
他にも、アリーシアはライハート卿だけでなく、カシウス殿下やその他の殿方に誰彼構わず色目を使っているという噂も流れていた。
(お従姉さまのおかげで、いろいろ助かりましたわ)
本来なら、マリナの父、バルダザール伯の拘束に伴った事件の方がもっと噂として広まっていてもおかしくなかった。
それが、アリーシアの奇行と婚約騒動の陰にうまく隠れることができている。
エステルハージ家やカシウス皇子をはじめとする第一皇子派もアリーシアの噂を消そうと躍起になっているようだった。だが、人のうわさには戸を立てられない。
貴族の女性たちの間での噂を、女友だちが少ないアリーシアや男たちに止める術はない。
社交界に顔が広いマリナやマリナの母との差がそこにはあった。
「やっぱり、ライハート様に振られてしまって、はずかしくて顔を出せないんじゃないかしら?」
「それとも、今も他の男を誘惑して、密会してるなんてこともあるんじゃないかしらね?」
口さがない年頃の貴族令嬢たちの間では、アリーシアの話でもちきりだった。
「皆さま、お従姉さまにも何か事情がおありなんでしょうし、お従姉さまのことをそんな風におっしゃるなんて、わたくしは悲しいですわ」
「マリナ様、申し訳ありません」
アリーシアをかばうマリナに取り巻きのひとりが頭を下げる。
「いいんですのよ。わたくしとしても、最近のお従姉さまのことは気になっているんです。あまり柄の良くない殿方とお会いになっているのも見ましたし……。今も誰と何をしているのか、本当に心配ですわ」
母親から聞かされていたことが現実になっているとしたら、今ごろアリーシアは大変な目にあっているだろう。
それを想像するだけで、マリナは口の端が上がりそうになるが、なんとか悲しそうな表情を保つ。
「まあ、まさかそんなことが……。そんな方にもマリナ様は心配なさっているんですね。本当にお優しいです」
「わたくしにとって、ただひとりの従姉ですもの、当然ですわ」
(お父さまが拘束された、あの事件までは、完全にわたくしの手の中でしたのに)
急に遠い存在になってしまった。
(それも今日で終わりですわ)
デビュタントが終わるころには、皇居の一室で乱暴されたアリーシアが発見されるだろう。
そしてその事件はアリーシアが誘惑して引き起こしたことになる。
皇宮でそんな事件を起こしたら、いくらカシウス殿下でもかばいきれないし、ライハート卿との婚約破棄も確実だろう。
(そうなったら、またわたくしが、お従姉さまをたっぷり慰めてさしあげますわ)
「皇帝陛下、ご入場!」
衛兵の発声とともに、扉が開く。
ついに、デビュタントがはじまる。
楽団の演奏が荘厳なものに変わり、マリナだけでなく、皆が扉に注目する。
現皇帝、ヴァレリアン十九世が、杖をつき、足をひきずりながら現れた。
杖の反対側には皇妃が立ち、支えられるようにして歩く。
まだ五十歳前後のはずだが、髪や髭も白くなっており、その姿はもっと年のいった老人にみえた。
二十年ほど前の戦争で足を負傷してから、皇帝は徐々に弱り始めた。最近ではめっきり社交の場に姿を現さず、カシウス皇子が代理となることが増えている。
(もしかして、今回の騒動で第一皇子派の失態を印象付けるために、皇妃が引っ張り出してきたのかもしれませんわね)
対して、第二皇子の母である現皇妃は、三十後半にしては若々しい。
美しく着飾ったその姿は、この場の主役であるデビュタントの若い令嬢たちがかすむほどだった。
(派手すぎますし、所詮は帝国式。わたくしの方が上ですわ)
派手なのはマリナも同様だったが、最新の流行を取り入れた自らのドレスに絶対の自信を持っている。
(表向きは優しそうな顔をしてますけど……本当の姿を知ったら、皆さんはどう思うのかしらね)
皇帝を気遣う控えめな優しい皇妃、それが皇都での現皇妃の評価だった。
だが、裏では第二皇子を皇位につけるため、いろいろな画策を行っている。
マリナもその一端を担うことになったからこそ、第二皇子派の男を伴いデビュタントの場を訪れることができていた。
(今は、皇妃の力を借りるしかありませんわ)
マリナの視線は皇帝と皇妃の後ろを進む少年へと移る。
そこには第二皇子であるハインリヒ・ヴァレリアンの姿があった。
皇族として豪華な衣装に身を包んではいるが、緊張からか自信なさげな表情をうかべている。
それが周囲に頼りない印象を与えていた。
(ご自身にも頑張っていただかないと、困りますわね)
皇妃の力が大きいとはいえ、若年の第二皇子ハインリヒ派の勢力はまだ第一皇子派に劣っている。
だが、第一皇子カシウスは武断派の皇子である。内政もそつなくはこなしているとはいえ、政治力に長けているとはいえない。
大きくなりすぎてしまったヴァレリアン帝国には、腐敗が広がっている。まだまだ第二皇子にも挽回の余地は十分にある。
(とはいえ、やっと政務をはじめたばかりの十六歳ですもの。今の皇帝陛下がしばらく存命でないと、帝位を継ぐのは、難しい立場ですわね)
今回のデビュタントで皇帝健在を示す意図もあるのかもしれない。
逆に、普段は中心であるはずの第一皇子カシウスは不在だった。
そうしているうちに、皇帝陛下、皇妃、第二皇子は玉座の指定の席に座る。
カシウス皇子の席は空いていた。
演奏も元の緩やかなものに戻り、周囲もカシウス皇子が現れないことにざわついている。
(もしかして、お従姉さまのことを探していらっしゃるのかしらね?)
この場にいないということは、その可能性が高そうだ。
だが、計画通りなら、アリーシアは皇宮の中でも奥まった、皇妃の私邸に近い場所にいるはずだ。カシウス殿下でも容易に立ち入ることはできない。
そこにいると確信をもって探さない限り、すぐに見つかるということはない。
(万が一、カシウス殿下が見つけたとしても、それはすべてが終わった後ですわ)
マリナの思考がカシウス皇子にうつる。
もともとバルダザール伯の計画では、エステルハージ家を乗っ取った後は、第一皇子派に食い込む予定だった。
(わたくしが、第一皇子に見初められ、皇妃となるはずでしたのに!)
マリナの魅力と財力、中枢での立場を存分に活かせばそれは不可能ではなかったはずだ。
あろうことか、アリーシアが先にカシウス殿下に取り入ったことで、その夢は完全に断たれていた。
(ですけど、ここからわたくしの新しい計画が始まりますわ)
最も盛り上がる、デビュタントが終わりに差し掛かるころ。アリーシアが引き起こした痴態の一報が入る手筈だった。
(いまから、その時が楽しみですわ。
おーっほっほっほ!)
マリナはこれからのことを夢想し、心の中で高笑いをあげる。
その時だった。
「第一皇子カシウス殿下、ご入場!」
再び上がった衛兵の声にざわめきはしんと静まり返る。
(ふふふっ、どうやら、カシウス殿下も、お従姉さまのことは諦めてしまったみたいですわね。皇子からも見捨てられて、かわいそうなお従姉さま)
そんなことを思いながら、マリナは扉の方に目をむけた。
皆の注目も扉へと集まる。
扉が開くと、カシウス殿下はひとりの女性を伴っていた。
そのドレスは、帝国の伝統に則ったものでありながら、最新の流行を取り入れた上品なもの。
彼女のドレスに比べると、自分のドレスが急にみすぼらしく感じられる。
(そ、そんな! こんなこと、ありえませんわ!)
カシウス殿下にエスコートされて進むのは、マリナの従姉であり侯爵令嬢、アリーシア・エステルハージだ。
(アリーシアは、今ごろ、男たちに乱暴されて……)
その評判は地に落ちるはずだったのだ。
マリナが愕然としていると、アリーシアがこちらの方を見る。
その表情は勝ち誇っているようにマリナには感じられた。
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