愛岐トンネル群
翌日2人は馬籠に居ました。
石畳の街道を歩きながら何かを探すように2人黙って歩いていました。
それから60年近くの歳月がながれ・・・
名古屋のテレビ局の番組収録が始まった。
「・・と言うわけで、今回わたくし(土岐津栞)は内津峠にやって来ております。
歴史探訪、事件の真相解明に繋がる旅となりますでしょうか?
いえ、わたくし(^^)が必ずや、解き明かしてご覧にいれます。」
番組レポーターの決まり文句で始まったシリーズは4回目を迎えた。
今回は60年近く前の知多半島の海岸での男性が不審死した未解決事件の容疑者が
岐阜県の方へ逃げたという噂の真相を確かめるべく知多半島から取材を続けていた。
警察発表や報道や取材で得たオフレコ情報などをまとめてみると、どうやら容疑者は
知多半島をあちらこちらした後、国鉄中央線で中津川の方面に向かったとの情報を最後に
足取りが途絶え遂に迷宮入りとなったようです。
少し調べてみると昔の国鉄中央線は定光寺駅から多治見駅までの間が今の線路とは
違うところを通っていたようで、トンネルの数も多く新しい仕様への変更が困難だったため
トンネル路線を廃線にして新しく線路を敷設して今の路線になっている、というような
解説があった。
そして、取材を進めていくうちに「愛岐トンネル群保存再生委員会」なるものの
存在を知った。中央線の路線仕様変更に伴い、使われなくなり放置され、時代とともに
忘れ去られていた線路とトンネルたちが、ひょんな出来事から脚光を浴びることとなったのだ。
それのきっかけが煉瓦であった。
2005(平成17)年、JR中央線勝川駅の高架化改修工事で取り壊されるホームの土台となっていた
明治の赤レンガを町おこしに再活用しようとイベントが企画され
その盛り上がりの中で、昔の煉瓦造りのトンネルが思い出され
トンネルに使われている煉瓦を使えばもっと規模を大きくできるとの声が高まり
捜索が行われることとなったため、もはや手つかずの雑木林に埋もれた
昔のトンネルと線路が見つかるきっかけとなったのだ。
「きっと容疑者も汽車でこのトンネルを抜けて姿を消したに違いない!」
と確信した私はので逃亡の足跡を辿ってみる企画を考案し取材を試みた。
それには是非当時のままに奇跡的に残っているトンネルと線路をこの目で確認したいと思った。
仕事の合間を縫っていろいろ仕事中にもネットの情報を集めてみると
『愛岐トンネル群保存再生委員会』なる存在に辿りついた。
そして、会と春日井市が春、秋に特別公開を開催することを知った。
普段は人の立ち入らない山に埋もれ、また保存整備の為にもトンネルルートは立ち入り禁止
区域に指定され特別公開日のみ一般人の立ち入りが規制されている為、
特別公開期間だけが確認できるチャンスだった。
愛岐トンネル群の特別公開日に合わせて朝、定光寺駅に到着した。
普段は無人駅なのだが公開日は駅員も観光客もすごい数で驚いた。
先ずは昭和30年代の汽車の旅の雰囲気が味わえればと思い来てみたが、
これでは失敗だったかと少し落胆していた。
だが、これも情報番組の画としてはなかなか面白い。
『このトンネル群の話題に60年前の事件をどう載せていけるかは、これからの取材次第かな』、
と感じながら次の企画へのステップアップの構想に思いを馳せらせていた。
そして何日か過ぎたある日、
「最近、変な事にクビを突っ込んでいるんだって!」
局の上司が突然話しかけてきた。
「急に変なツッコミを入れてるのは、あなたでしょ!」と言いたいところをグッと堪えて
「えっ!何の事ですか?」と平然を装う。
「いやネ、中央線で何処かに行くのを見かけたやつがいるらしいンでね」と上司。
「だれだ!そんなことを、告げ口したのは?」と思いながら、
「いいえ!ただの小旅行です」ととぼけた。
「何か追っかけてるんだったら、言っておいてくれよ!」と言って自分のデスクにもどっていった。
「さすが、鼻が効くナ〜」と思いながらも
「まだまだ発表にはネタが足りないなー」と呟いた。
だが、
この深入りが新たなる事件のきっかけになってしまったのだろうか。