中央線逃避
内津峠
『いち・・に・・・・』『さん・・・・よん・・』
通り過ぎる度に小さく声に出して数えていた。
そしてまた入ると、通り過ぎるまでのその度に貴方の顔も見えづらくなっていた。
それを何度か繰り返すうちにやがて列車は峠のトンネル群を通り過ぎて
やっと多治見側へと出た。
窓から差し込む夕日が紅葉の樹々の隙間を埋めて光の海のように輝いて見えた。
今度の旅は長くなりそうだ、、と感じていた。
「貴方とやっと此処まで来れたのですね」
「あゝ」貴方は短く答えた。
「『11』までは数えていたんですけどね」
と言っても、貴方は「何が?」とつれない返事ばかり。
「トンネルですよ!」に「あゝ」の上の空!
それからは暫く沈黙が続いた。
内津峠の『14』のトンネル群を抜けた列車は川沿いを進んでいた。
時々見える川面を見つめながら、哀しみの感情に押し潰されないように唇を噛み締めていた。
あの時、自分は、正常な精神状態だったのだろうか?
野間の灯台の下の波打ち際で貴方と足が濡れたとはしゃいでいた日々に、
あんなことが起こるなんて・・・いまでも信じたくない。
防波堤の上での出来事が今でも鮮明に思い出される。
中津川駅で降りると貴方は車を頼んで落合宿まで行った。
宿が頼んであったようだ。
長門屋と読めた。
車を降りた所で訊ねた。
「名前はどないすればいいんですかね?」
「君は下の名前だけ言っていれば大丈夫」「苗字はわたしが考えます」
そう言うと旅館の中に入って行った。
私も後について中に入った。
仲居さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!ようこそお越し頂きました」と言うと、
「ご案内いたします、こちらへ!」と部屋まで案内してくれた。
「夕方の膳が整うまでごゆっくりお過ごしください」と言って仲居さんは出て行った。
部屋には2人きりになった。
「私たちこれから・・・」と言いかけて黙った。
不安や戸惑いの感情が渦巻いて、考えが纏まらない。
沈黙の時間が過ぎそのまま二人は抱き合っていた。
今までの事など何も言葉にしなかった。
やがて夕刻になり係りの仲居さんがやってきた。
「夕食の支度が整いました」「お持ちしますね」
と言って準備を始めた。
夕食の膳立ては山菜と川魚などが並んだ。
貴方の好物の鮎の塩焼きなどもあったが、ほとんど箸が付かなかったのです。
その夜、夢を見ました。哀しい夢を。
泣いていたのか、叫んでいたのか?貴方に起こされて目が覚めました。
貴方の背中に頬を当てて、寝付かれなくなってしまった夜を過ごしました。
「あんなことになって!」「あんなことになって!」・・・・・
何度も繰り返しつぶやいていました。
朝方ウトウトとして目を覚ますと、貴方はもう起きていて私にこう言いました。
「ちょっと、馬籠宿の方に行ってみるか?」
私は少し戸惑ったのだろうか?
でも、「えゝ!」と答えていました。
翌日2人は馬籠に居ました。
石畳の街道を歩きながら何かを探すように2人黙って歩いていました。
それから60年近くの歳月がながれ・・・