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四〇四

作者: ル・グラン・シリュス

 新居に引っ越してから数日が経ったある夜のこと――。

 「ギコギコギコギコ」

 深夜零時を回ったころ。ノコギリか何かで硬いものを切るような異様な音が上の階から聞こえてくることに気付いた。

 「こんな時間にいったい何だろうか」

 築浅で鉄筋コンクリート造のマンションにしては珍しく、上の部屋からの音が漏れ聞こえてきたのだった。


 都内へも乗り換えなしの三十分ほどでアクセスができ、人も密集しておらず自然豊かで落ち着いた雰囲気のあるこの街に惹かれて越してきた。

 このマンションは駅から歩いて三分。大型商業施設へも徒歩ですぐに行けて、家賃も予算内。日当たりもばっちりなこの物件に一目ぼれして決めたのだった。

 不動産屋のお兄さんが言うには、この物件はかなり好条件がそろっていて、空きが出るとすぐに埋まってしまうような人気物件だが、入居者はなぜかすぐに引っ越してしまうということだった。

 何かワケがあるのだろうかと少し気になっていて、ずっと頭の片隅に引っかかったままだったが、本当に何かダメなことがあったらまた引っ越せばいいやという軽い気持ちで考えていた。そしてその理由が今わかったような気がしてスッキリした。

 神経質な人であればなかなかに気になるような音だが、普段工事現場で耳をつんざくような大きな音が聞こえている環境に慣れているせいか大して気にならず、布団に入りすぐに眠りにつけるくらいには問題がなかった。


 時折聞こえてくる上階からのその音は、週に数回、時間帯は決まって零時過ぎ。

迷惑といえば迷惑だし、まったく気にならないといえば噓になるが、耐えられないというほどではなかった。

 気になっていたので管理会社に連絡をして、気を付けてもらうように伝えていただくようなことはしていたが、状態は一向に変わらなかった。それでも警察に相談するとか、そこまでの手段を行使することはしなかった。

 むしろ、上階の人はいったい何をしているのだろうかと次第に興味が湧いてきた。

普通に考えれば、最近流行りのDIYでもやっているのだろうかと考えられるが、日中は一切聞こえてこないので、毎回この時間帯にやるというのはどうも説明が難しい。日中に仕事があったり、やむを得ない理由でこの時間しか確保できないということもあるだろうが、常識を持ち合わせている人であればおそらくこの時間にやるということはないだろう。考えれば考えるほどにますます興味が湧いてきた。


 そこで、まずは上階に住んでいる人を探ることにした。いったいどんな人が住んでいるのか、家族構成はどんなか、少しずつ近づいて距離を詰めて、タイミングを計って謎の音についてそれとなく聞いてみようと考えた。

 マンションの非常階段の陰から上階の廊下が見える角度があり、景色を眺めるふりをしながら、上階の部屋である四〇四号室のドアの動きに注意を向けていた。工事現場で働いているため、勤務時間がバラバラだったことも幸いし、平日日中帯、土日夜間など曜日と時間帯を変えて観察を続けることができた。

 ここまでくると、もはや探偵気取りの立派なストーカーになっていたが、趣味で始めたブログにも観察日記と称して状況を毎日更新するようになっていた。


 そしてとある夜。

 いつものノコギリ音が聞こえてくる二時間ほど前に、床を爪でこするような「サー」という音と、床を叩くような「トン」という音が聞こえた。

 「サー、トン、サー、サー。トン、サー、トン、サー、サー」

 戦争映画でたまに似たような交信手段が使われているのを見たことがある。確かモールス信号のような気がしたが、何を意味するメッセージなのかまでは分からなかった。しかし、上階で何か動きがあると考え、急いで非常階段に出て、四〇四号室のドアに目をやった。

 すると、ほとんど同じタイミングで、三十後半から四十前半くらいの長髪でシュッとしたスリムな男性がドアから出てきて目が合ってしまった。

 「こんばんは」

 その場しのぎの挨拶を交わしながら、とっさに右手をポケットに突っ込み、たまたま入っていた電子タバコを取り出して、いかにも一服吸うために外に出てきた感を装った。

 男性は軽く会釈をし、こちらを不審な様子で警戒しながらも、すぐにエレベーターへ向かい、どこかに消えて行った。


 それからしばらくたったある日のこと。

 朝のゴミ出しの際に、上階の男性とたまたまエレベーターで鉢合わせた。

 「こんにちは。下の部屋に住んでいるものです」

 自然な感じを装いつつ、ここぞとばかりに声をかけた。

 「どうも」と男性も挨拶を返し、そのまま二人でエレベーターに乗り込んだ。

 そして気になっていた謎の音について、できる限り無邪気に、それとなく持ち掛けた。

 「ちょっと気になったんですけど、DIYとかやられてますか。たまに、夜ノコギリか何かで作業されてますよね」

 するとほんの一瞬、男性の黒目がすぅーっと大きくなり、感情を持たない人形のような、完全な無表情になったかと思えば、すぐに顔全体がシワシワになるくらいにニコッとほほ笑んだ。

 「あぁ、ごめんなさい。うるさかったですよね。趣味がDIYなもので、ちょっと変わった素材を使って本棚とかいろいろ自作してるんです」

 ほほ笑みながらも目は全く笑っていなかった。

今まで見たことのない表情の変化に異様な感覚を覚え、背筋が凍るような寒気を感じた。

 本能的にあまり深入りしてはならなそうだと感じ、これを機にもう関わらないようにしようと決めた。

 しかし、あの質問を男性にして以来、偶然にも、外に出かけるたびに誰かに見張られているような視線を感じていた。これは被害妄想ではなく、確かに見られているような感覚があった。


 ある日の夜のこと。

 仕事終わりに先輩と飲みに行き、夜更けに自宅に帰り玄関のドアを開けようとしたその時。いつも感じていた視線の正体がついに分かった。

 「こんばんは」

 低くて不気味なドスのきいた声で、完全な死角から上階の男性が急に声をかけてきた。

 びくっとし、心臓が止まるかと思いながらも挨拶を返すと、続けざまに男性が話す。

 「今日はずいぶんと遅いんですね。お仕事ですか? 大変そうですね。そうだ、今度コーヒーでも飲みに来てくださいよ。DIYで作った珍しい家具でも見ながら一杯どうですか?」

 先日の不愛想な様子とは打って変わって、積極的に距離を詰めてくる男性の不自然さに驚き、恐怖を感じつつも断るのが苦手なこともあり、つい了承してしまった。


 そして、当日。

 四〇四号室のインターホンを押すと、男性がほほ笑みながら出てきて、中に入るよう促された。

 一風変わったところはなく、全体的に白で統一されたごく普通の部屋だった。しかし、テーブルや椅子、ラックなど近くに置かれている家具に目を凝らすと、白くてところどころにひびの入った、直線でなく湾曲しているパーツからできた変わった家具がたくさんあった。

 「どうですか。けっこう珍しいでしょう。作った家具を自宅でこうして飾ったり、たまにネットで販売したりもしてるんです」

 男性がこだわっているという豆から焙煎してくれた美味しいコーヒーを口にしながら、他愛もない会話を続けていると、緊張がほぐれたこともあり、だんだんと眠くなってきたのを感じた。

 人の家にお邪魔しておいて眠ってしまうのは失礼だと思い、必死に目を開けようとするが、瞼の重さには勝てなくなってきた。トイレで顔を洗わせてもらおうと思い、立ち上がろうとするが、うまく立てずにそのままよろけて床に倒れこんでしまった。


 そして数日後。

 男性がECサイトに出店しているお店から新しい家具が出品されていた――。

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