恋する聖女は平民ですが
「ローズ! お前との婚約を破棄させてもらう! この盗人が!」
婚約者であるジーニアス伯爵が、婚約パーティーの場でそう言い放つ。
伯爵の隣には、子爵家令嬢のグリシアが立っていた。彼女は必要以上に伯爵に胸元を寄せ、笑みを浮かべている。
周囲は何事かと騒めき、視線が集まる。耳を疑う台詞に、私は動揺した心を抑えながら口を開く。
「……どういうことですか?」
「君が付けているそのブローチは、グリシア嬢が失くしたものだそうだ。盗んだ品を堂々と付けているとは、卑しい女め!」
伯爵は、私の胸元で光るブローチを指さす。これは今朝、グリシアから婚約の祝いだと頂いたものだ。
断ろうとしたが、パーティの場ではこういうのが必要だと、半ば無理やりに付けられた。
「返して! それは私の父の形見よ!」
悲痛な表情で駆け寄ってきたグリシアが、私からブローチを引きちぎるように奪い取った。
「――平民のくせに、伯爵家に嫁ごうなんて調子乗りすぎ」
グリシアは、私の耳元でボソッと呟く。さらに胸元を引っ張られた勢いで、ドレスが破けてしまった。
このドレスは、幼いころに病気で亡くなった母から譲り受けた大切なものだ。
心の底から怒りがこみあげてくる。
「ちょっと、何するの!? あなたが私にプレゼントだと――」
「何の話? この期に及んで、言い訳をするつもり!?」
あたかも被害者かのように、グリシアが私を蔑むような目をする。
信じられない。一体何が起きてるのかわからなかった。
「どうかお話を聞いてください! ジーニアス様!」
「ふん。盗人の言葉なんか誰が聞くか」
誰も私に耳を傾けず、罵詈雑言が飛び交う。
どうしてこんなことに……。
そもそも、私を聖女だと知ったジーニアス伯爵が婚約者にしたいと声をかけてきたのが始まりだった。
それから伯爵は、社交場でそれなりに振る舞えるようになれと、作法を厳しく指摘してきたのだ。
少しでもボロがあると平民だと馬鹿にされ、果ては暴力まで振るわれていた。
父には言えなかった。私の婚約を喜んでくれていたし、何より働きすぎで体を壊した父に代わって生活を楽にさせてあげたかった。
今思えば、聖女の私をただのアクセサリーのようにぶら下げたかったのだろう。
「これだから平民は……。幼いころは聖女としてチヤホヤされていたらしいが、品性が足りなさすぎる」
「私が思っていた通りですわ、これだから平民は油断できませんのよ」
「聖女だからと平民を婚約者にしたのが間違いだった。グリシア嬢、やはり君のような教養ある人こそが私の伴侶に相応しい」
グリシアは、何度か茶会で見たことがある。ことある事に平民だと私をいびり、あざけ笑っていた。
それだけに今朝のブローチは不可解だったが、すべては私を罠にはめるためだったのか。
「ローズをこの屋敷から追い出せ。せめてもの温情だ。罪には問わないでやろう」
そして私は、反論の余地もなく屋敷から追い出された。
後ほど聞いた話だが、二人はあの場で正式な婚約を結んだらしい。
すべては――私を快く思わないグリシアが仕組んだ罠だったのだ。
◇
その日からすべてが一変した。
私がブローチを盗んだという噂が瞬く間に広がったのだ。
昔から仲の良い人は私を信じてくれているが、一方で嫌悪感をむき出しにする人もいる。
私が伯爵家に嫁ぐという話が出回ったとき、それを快く思わなかった人たちだ。
町を歩けばヒソヒソと噂をされ、わざと聞こえるように陰口を言われることもある。
それもあって、小さな仕事すら雇ってもらえなくなっていた。
「ただいま、お父さん。夕食の準備するね」
「おかえりローズ、いつもすまんな」
体調を崩してベッドで寝込む父と会話を交わす。
父だけは、私が盗人ではないと信じてくれた。家に帰ってただ泣くしかなかった私の背中を、いつまでも撫でてくれ、一緒に怒ってくれた。
思い出せばまた辛さが胸を締め付けるので、私は首を振って気持ちを切り替え、台所に立つ。
料理をしながら眺める本は、料理本ではない。
昔、神父さんから頂いた魔法本だ。
『祝福の聖女』
それは私が生まれたときに、神父から名付けてもらった大切な二つ名だ。
この世界では、魔力が高い女性は聖女と呼ばれ、特別な存在と認知される。
一番得意だったのは癒しの魔法で、怪我を治したり、壊れた物を元の状態に戻すこと。
本来なら聖女は、国からの支援を受けて、魔法学校に通うことができる。
だが、タイミングが悪く領主間での戦争が勃発し、魔物が多く発生した時期も相まって、申請することができなかった。
「ええと、この魔法の呪文は……」
このままでは貯金もすぐに底を尽きてしまうだろう。
この町にいれば、いつか路頭に迷うのは間違いない。
となると、選択肢はたった一つ。
聖女として雇ってもらえるように仕事先を探すのだ。
私にはもう何もない。だけど、この魔力は誰にも奪われない神からの贈り物だ。
そのためには、まずは勉強が必要不可欠だった。
独学では限界があるが、やるしかない。
「私は諦めない」
それから毎日、寝る間も惜しんで必死に魔法の勉強を重ねた。
◇
一ヵ月後、私は一枚の紙と、小さな衣装ケースだけを持って馬車を降りた。
すぐ近くに、天まで伸びているような高い外壁と、強固な鉄の門が見える。
さらに大きな橋、それを囲む水路が、敵の侵入を容易に許さないことも示していた。
ここが――王都「ヴァルヴァシア」
話しは聞いていたけれど、まさかこんなに大きいなんて……。
圧倒されて固まっていたが、ハッと現実に舞い戻る。
近くの門に小走りで駆け寄って、兵士に声をかけた。
「すみません、ローズ・ヴィクトアです。これを」
手に持っていた、一枚の紙を手渡す。
今の私の恰好は、見るからに田舎者に見えるのかもしれない。
色味の薄いグレーのジャケットに、ブラウンのスカート。
これでも一張羅だが、馬車に乗っていた人たちの色とりどりの服装を見て恥ずかしくなった。
「宮廷魔術師の求人に採用された方ですね。案内します」
私は兵士の後を追って、王都に足を踏み入れた。
「すごい……」
目の前に飛び込んできた景色が、現実だとは思えなかった。
まるでお祭りのように人々が行き交い、色々な音で溢れ返っている。
見たこともないような店が立ち並び、肌の色も違う、毛並みも違う、尻尾も生えているような人が大勢歩いていた。
なんとなく、昔見た絵本を思い出す。
小さな女の子が、兎の魔物について行って、新たな世界に飛び込むところから物語がはじまる。
楽しいこと、怖いこと、そしてさまざまな人と出会いながら少女は成長していく。
まるで、自分がその主人公になった気分だ。
しばらく歩き続け、案内された場所は、王宮内部にある一室だった。扉の重厚さに唖然としていると、兵士が扉をノックする。
「ウィルソン様。採用者をお連れしました」
返事があって中に入れば、豪華な応接間が私を迎えてくれた。大きな机を一つ挟んだ先のソファーに、一人の男性が座っている。
「君がローズ・ヴィクトアか?」
歳は二十歳前後。柔らかそうな銀髪に青い瞳を持つくっきりとした二重。目鼻立ちがはっきりとしていて、目を奪われるほどの美形だった。
着ている真っ黒いコートには、煌びやかな金色のボタンが付いている。
肩に縫われているのは、この国の紋章である鷹紋章だ。
「はい! 私が、ローズです!」
「俺の名前はリアム・ウィルソン。ここの宮廷魔術師だ」
「はい! リアム様ですね」
「さっそくだが仕事の話に入らせてもらう」
淡々とした口調で目も合わない。少し怖くなる。
少し舞い上がっていたのかもしれない、気を引き締めなければ。
仕事がもらえれば条件は何でもいいと、手当たり次第に申請をしたが、まさか王都で働けるとは。粗相をしてクビになってはいけない。
「採用条件については目を通したか?」
「はい! 穴が開くほど読みました! でも、実際に穴は空いてないです!」
「そうか、それは良かった」
爵位持ちでもない、魔法学校の卒業認定もない私が、王都で採用されたことが嬉しくて何度も読み返していたのは本当だ。
お金を貯めて、こっちで家を借りる妄想までしているのは秘密だ。
「なら言及する必要はないな。三ヶ月間、よろしく頼むぞ」
「え? 三ヶ月?」
「ああ」
無表情のまま、リアム様が答えた。
ん、あれ、どういうことだ? えも言われぬ不安が襲ってきたので、急いで紙を取り出す。
いや、やはり王都で採用されましたと、私の名前が書いてある。
「裏だ」
困惑している私に気づいて、リアム様が言った。冷や汗を掻きながら確認してみると、確かに三ヶ月間の採用と書かれている。
あまりに興奮しすぎて、裏を見ていなかった。
「え、ええーー!?」
町を出るとき、お父さんと涙の別れをした。
本当は二人で王都に来たかったが、お金の問題、身体のことがあった。
私が慣れた頃に来てもらおうと思ってたが……。
「僅かな期間だが、ここで働けば聖女として認知され、どこでも働きやすくはなるだろう」
「そうですよね……頑張ります! 私、頑張ります!」
良かった、まだチャンスがあった! 一生懸命働けばいいんだ。
興奮のあまり立ち上がって元気よく声を出してしまう。
「す、すいません! つい大声を……」
頬を赤らめ、おそるおそる顔色を伺うが、リアム様はまったく動じていなかった。
それから詳しい給与の話しをされたが、目が飛び出るような金額だった。
前金も頂けるらしく、これなら田舎にいる父も安泰だ。
「君の仕事は負傷兵を癒すことだ。ちょっとした戦争が続いてな、今は人手が足りてないんだ」
なるほど、そういうことか。最初の仕事が、人のためになれるだなんて嬉しい。
けれども、不安もある。いくら勉強してきたとはいえ、学校は出ていないからだ。
「基本的に私のそばで働いてもらうことになる。わからないことがあれば、すぐに聞け」
「わかりました!」
そして私は、リアム様の治療助手として働くことになった。
◇
私が王都へ来てから一週間が経過した。
朝から晩まで癒しの魔法を使い続け、くたくたになってベッドに潜り込む生活を繰り返している。
まだまだ至らない点がおおくて、リアム様によく怒られているが、兵士さんは優しい言葉をかけてくれる。
ありがとうの言葉がこんなにも嬉しいとは。
今日は業務報告を終えたら終業だ。コンコン、と王宮の中にある、リアム様の部屋をノックする
壁越しに了承を得られたので、扉を開く。
「リアム様。各報告に関する書類を持ってきました!」
「そうか、そこの棚の上に置いてくれ。私が最終チェックを行う」
「はい!」
リアム様はとても仕事熱心だ。礼儀正しいのはもちろんだが、厳格な方でもある。
また、良い意味で神経質だ。兵士たちの傷跡が残らないように、丁寧な治癒魔法を行う。
隣で見ている私にしかわからないが、聖女である私よりも魔法の精密さに驚く。
棚の上に書類を置いたあと、ふと机の端が光った気がして目を向ける。置いてあったのは、ガラスの箱に入った懐中時計だった。
今時めずらしいなと思って見てみると、針が動いていないどころか、ボロボロで、数字も欠けている。
「……壊れてる」
つい、ボソッと声に出してしまい、リアム様が、「なんだ」と顔を上げた。
「どうして壊れた時計を飾っているんですか?」
するとリアム様は、ペンを止め、悲し気な視線で時計を眺めた。
「……これは、亡き父から頂いたものでな。数年前に壊れてしまったきりだ。魔力を動力にした時計で、時計職人では直せなかったんだ」
「でしたら、魔法で直すことはできないんですか?」
リアム様は、静かに首を横に振る。
「何度も試したが、ダメだった。諦めてここに飾ることにした。たまにこうして眺めているんだ」
「そうなんですか……」
私は、リアム様の気持ちが痛いほどよくわかる。
大切な人から頂いたものが壊れてしまうのは、身が引き裂かれる思いだ。
だけど、私なら……直せるかもしれない。
勝手だと分かっていながらも、まるで何かに導かれるように、おもむろに手を伸ばす。
「おいっ……! 何を!」
私は懐中時計に手をかざし、祈る。
手の平から白い光が溢れ、包み込まれ――。
光が収まった時、リアム様は唖然とした表情をしていた。
「直って……いる……」
止まっていた針は動き出し、欠けていた数字やひび割れは元通りだ。ことが終わった後で私はハッと我に返った。
「ごめんなさい!! 私、勝手に……!」
謝りかけた口が止まる。
私の視線の先にいるリアム様は、心から嬉しそうな笑みを零して、懐中時計を見つめていた。いつだって冷静沈着に仕事をしている彼の、新たな一面を覗き見たような気持になる。
「ありがとう、ローズ。たった今、救われたような気持になったよ」
「お役に立てたのなら……光栄です」
「聖女は確かにモノを直せるが……ここまで強い力を持つ者は初めて見た」
褒められてる? ちょっと嬉しくて、胸を張る。
「はい! 実は私、祝福の聖女という二つ名を頂いているんです!」
学校に通えなくて二つ名持ちの申請はできてないけれど。
伝えたはいいものの、静寂が訪れてしまった。
「……調子に乗りました。すみません」
がっくりと肩を落とす私とは対照的に、リアム様は顎に手を当てて深く考え込んでいた。
◇
「これ……何でしょうか?」
負傷兵の治癒に一段落がついたある日、個人的な頼みがあると、リアム様に言われて地下室の部屋の扉を開いた。
だだっぴろいテーブルの上に、さまざまな家庭用品が置かれている。
鍋、箒、大きな古時計に、クマのぬいぐるみ、etc……そのどれもがボロボロで壊れている。
「王都の住民から預かったものだ。どれも壊れているが、大事なものと聞いている」
「なるほど……」
「思い入れがある品を長く使いたいという気持ちはよくわかる。だからこそ、俺も合間を見つけて直してたんだ。これは王都の仕事とか関係ない個人的な頼みなんだが……やってくれるか?」
リアム様は、申し訳なさそうに言った。
気持ちはよくわかるし、仕事とかそうじゃないとか、関係ない。
「そうなんですか……わかります。凄くよくわかります! 喜んでやります!」
まずはボロボロのぬいぐるみに手をかざす。
手の平に魔力を集めると、白い光がぱあっと光る。
すると、みるみるうちに直っていく。
「やはりすごいな……」
それを見ていたリアム様が、驚いた顔で声を漏らす。
いつも迷惑をかけてしまっている分、喜んでもらいたい。
「どんどんやっちゃいますね!」
その日、私は疲れ果てるまで祝福の魔法を使い、片っ端から新品の状態に戻していった。
◇
あの日以来、リアム様との距離が近づいた気がする。
山のようにあった壊れた品物は新品の状態に戻り、毎日仕事の合間を見てリアム様と共に持ち主の元へと戻している。
今はリアム様と街中を歩くと、目に映るすべてが新鮮でワクワクする。
少しだけ砕けた口調で話すことも増えた。
すると、知らなかった彼の一面を次々知ることができた。
リアム様は全員の名前と、預かった品物を覚えていた。記憶力もすごいが、何よりもみんなから慕われていることに驚く。
こんなに立派な地位をお持ちの方が、積極的に市民と関わるなんて聞いたことがない。
王都の人は特別なのかと思ったが、みんなの言葉からリアム様が特別なんだとわかった。
市民と話すリアム様は、いつも楽しそうだ。
それに……
「彼女が聖女、ローズだ。彼女のおかげで直ったんだ」
いつも私の紹介を必ずしてくれる。リアム様のお役に立てていることが、嬉しくて誇らしくて堪らなかった。
返却業務の帰り際、私はリアム様に感謝を伝えた。
「リアム様、ありがとうございます! 私はいま、自分が聖女として生まれたことがとても誇らしいです!」
私の顔を横目でみたリアム様は、ふっと笑う。
「感謝するのは俺のほうだ。今まで出会った聖女にあまり良い印象がなくて身構えていたんだが、君は違う。とても楽しそうに、それでいて一生懸命だ」
「私はただ、自分を必要としてくれたのが嬉しいのです! それに、仕事だって楽しいです!」
「俺だって君と仕事ができる毎日が楽しいよ」
嬉しかった。私が思っていたことを、リアム様もおなじように思っていてくれていたのだ。
また前のめりで言葉を紡ごうとして、段差に足がつまずく。
倒れそうになった私を、リアム様が咄嗟に支えてくれた。
優しくて、頼りがいのある手だ。
「まったく。お前はいつまでたっても落ち着きがないな」
「す、すみません……」
それは、リアム様の前だけで……リアム様を前にすると、どうしても調子が狂ってしまう。
きっと、私の顔が真っ赤になっていること気づいたはずだ。
けれど、心臓の鼓動だけは、リアム様にどうかバレませんようにと願った。
◇
拝啓、お父様へ。ローズです。
私が王都に来てから、早いもので二ヶ月が経ちました。
お身体は大丈夫でしょうか。
初仕事を終えてから、ありがたいことに忙しい日々を過ごさせてもらっています。
予定していた治癒の仕事が早く終わり、今は兵士の武器、防具を綺麗にしたり、老朽化した壁を補強したり、水漏れを直したりetc……。
もはや聖女ではなく、自分の天職は大工なんじゃないかと思うことも多々ありますが、感謝の言葉を言われると、すべての疑問が吹き飛びます。
また、前回の手紙で書かせてもらったリアム様とも、随分打ち解けることができました。
厳しいところや、無表情で何を考えているのかわからないこともありますが、誰よりも国民のことを考えている素晴らしいお方です。
どんなに面倒なことでも、自ら出向いて物事を解決したり、小さな子供の声にも耳を傾けるのです。
何よりも、時折みせる笑顔がたまらなく可愛いです。
一番ドキドキしたのは、肩を支えてもらって――。
「ちょっと待って、私一体、なに書いてるの……!?」
近況報告の手紙を書いてる途中で、ハッと現実に舞い戻る。
だんだんとラブレターのような――。
コンコン。『入っていいか?』
壁越しにノック音とリアム様の声が聞こえて、椅子から転げ落ちそうになる。
「は、はい!!」
急いで手紙を枕の下にもぐりこませる。
呼吸を整えて、火照った頬を手で仰ぎながら待つ。
「すまないな、こんな朝早くに。大丈夫か?」
「いえ! 目が覚めて暇を持て余してました! 暇なので、腕立て伏せでもしようかと! はい!」
「そうか、元気なのはいいことだな」
しまった……。またやってしまった……と思ったが、リアム様が微笑む。
魔法とおなじく、笑いのスキルも成長しているようだ! あれ、聖女として喜ぶべきことなのか。
心なしか、リアム様はいつもと様子が違う。
そういえば、今日は久しぶりの休日だ。
ここへ来たばかりの時は、仕事で忙しくて寝てばかりいたが、ようやく体が慣れてきていた。
「今から俺と一緒に街に行かないか」
「え! わ、私とですか!?」
まさかのお誘いに驚いて、違う人じゃないかと、後ろを振り向く。当然、誰もいない。
「時計を修理してもらっただろう、その礼をしたいんだ。嫌……か?」
「行きたい! 行きたいです!」
「わかった。ゆっくり用意してくれて構わない、俺は入口で待ってる」
「了解です! 急ぎますね!」
前に仕事終わりに、リアム様の前で、街をゆっくり見てみたいなと言ったことがある。それを覚えていてくれたことに嬉しくて心がじんわりとする。
寝巻から私服に着替えようと、実家から持ってきた衣装ケースを開き、手が止まった。
忘れていたわけではないが、実際に目で見ると、心がズキズキと痛む。
あの時のことを――鮮明に思い出す。
「お母さん……ごめんね」
胸元が破れている、赤いドレスが入っている。
私は、その破れた箇所を手で触れる。
あの日、盗人呼ばわりされ、屋敷を追い出された。
わざわざ王都まで持ってきたのは、悔しい思いを忘れないためだ。
今の私なら、魔法で簡単に直すことはできる。
だけど、それは今じゃない。
もう一度同じ目にあったとしても、たった一人で立ち向かえる力を得たと確信したとき、私はドレスを直そうと思っている。
その日はきっと、遠くない。
◇
それから私たちは、王都を観光するために街に出た。
リアム様はいつもの真っ黒いコートじゃなくて、私服だ。
いつも恰好いいとは思っていたけど、ブラウンのジャケットが良く似合う。
そういえば、これって……デートになるのか!? そう考えると、顔が火照ってくる。
「どうした?」
「い、いえ! 行きましょう!」
「リアム様! あれなんですか!? 凄いです、猫がダンスしてます!」
「ああ、あれは本物に見えるが、猫の人形だよ。この国の名物だ」
初めてみるものに感動して。
「これ……すっごく美味しいですね。イチゴとクリームの相性がばっちりです!」
「そうだな、甘いものもたまには悪くない」
美味しいものを食べて。
「リアム様……王都の街並が良く見えて、凄く綺麗です」
「いいだろう、俺はこの場所が一番好きなんだ」
綺麗な景色を見て、最高の一日を過ごさせてもらった。
「楽しかったですね!」
「ああ、もう遅い、帰るか」
王宮への帰り道、一つのアクセサリーの屋台が目に止まる。
あの日以来、私は装飾品を一切つけていない。いや、見るのもつらいのだ。
悪夢のような出来事が、脳裏に鮮明によみがえる。
とはいえ、私だって女の子。
綺麗だなとか、可愛いなと思う気持ちが完全になくなったわけじゃない。
今日が本当に楽しかったからこそ、光り輝いている装飾品が素直に綺麗だと思えたのだ。
「気になるのか」
「え?」
私の視線に気づいたのか、リアム様が屋台の人に声をかけた。
王都で人気なのはどれなんだ? 訪ねている。
だけど、私は過去の記憶がフラッシュバックしはじめ、心臓がバクバクと音を立てていく。
リアム様は、一つのアクセサリーを手にとり、嬉しそうに私に見せる。
「このタイプが王都で人気だそうだ。俺としてもローズに似合うと思うが……付けてみないか?」
綺麗、とっても綺麗なブローチだ。だけど、私は触れることすらできず、数歩後ろに後ずさる。
あの日の記憶が、盗人と指をさされた日の記憶がフラッシュバックする。
私の身体が、意志と関係なく震えて止まらない。声が出せない、心が……苦しい。
「……ません」
「ん? なんだ?」
「いりません!」
思わず強く言ってしまう。リアム様は見たこともないほど驚いた顔をしている。
同時に、悲しみの瞳を浮かべていた。
違う、そうじゃない。リアム様は悪くない。違う………なんでこんな。
違う、違う、違う。
「ごめんなさい……」
居てもたってもいられなくて、私はその場から逃げてしまう。
こんな、こんなはずじゃなかったのに。
――――――
――――
――
「ローズ、ここにいたか」
日はすっかり暮れ、人気のない場所の椅子に座っていた私に声をかけてくれたのは、リアム様だった。
「俺は女性と出かけたことがほとんどなくてな。知らずうちに傷つけてしまったんだろう、すまない」
「いいえ……リアム様は悪くありません……私が悪いんです」
私のを目をしっかりと見て、リアム様は謝ってくれました。
違う、違う、言わなきゃ、言わなきゃ……。
「……少し話をしないか」
リアム様は、私の隣に腰かけると、優しい声で言った。
私は、静かに頷く。
「俺は、東の小さな国で生まれたんだ」
「そうなんですか? ……てっきり、王都生まれかと」
「だからこそ、君のことが他人だと思えなかった。不安ながらに懸命な君を見ていると、俺も頑張らないといけないなと、初心に振り返れた」
「そんな……リアム様は、ご立派です。とっても、素晴らしい人です」
リアム様と話していると、心が温かくなる。
深呼吸して、勇気を振りしぼり、拳を強く握りしめた。
「リアム様に、聞いてほしい話があります」
そして私は、今までのことをすべて話した。
時折、口籠る私の言葉を、ゆっくりでいいからなと、相槌を入れてくれる。
その優しさに、心がほぐされていく。
そして、ブローチのことも。
「だから、リアム様は悪くないんです。ただ、私が思い出してしまっただけで――」
「ローズ、君はやってない。君がそんなことをするわけがない」
「え……ど、どうしたんですか、リアム様!?」
リアム様は、突然、私の体を抱き寄せた。強い力だ。
だけど、心地よくて、ホッとする。
「俺は口下手で、気の利いたことは言えない。だが、ずっと君のことを間近で見ていた。一生懸命で、明るくて、優しくて、心が綺麗な君をだ。誰がなんというと、俺は君を信じてる。だから、もう安心してくれ。今後、君を傷つける人がいたら、俺が絶対に守る」
「リアム様……ありがとうございます。そのお言葉だけで……私は……」
あの日、あの場所で、誰も私の言葉を信じてくれなかった。
リアム様は、私のことをまったく知らない人だ。
こんなただの平民の私を、心から信頼してくれている。
嬉しくて、嬉しくて、だけど、なぜか少しだけ悲しくなる。
ああ、そっか。
私――リアム様が好きなんだ。
だけど、心臓がきゅっとなった。
こんな素敵なリアム様と出会えたにも関わらず、もうすぐ三か月が経つからだ。
「ローズを陥れたというのは、グリシアという令嬢で間違いないんだな?」
「はい。どうしてですか?」
「いや。なんでもない」
リアム様は優しく微笑み、私の頭を撫でた。
触れる手が温かく、私は照れて目を伏せる。
この時私は、自分の感情にいっぱいいっぱいで、リアム様が何かを考え込んでいる表情をしていたことに気づくことができなかった。
◇
私が王都を去る三日前、突然こんなお誘いがあった。
離宮で盛大な夜会が開かれるらしく、聖女の私にも是非参加してほしいとのことだった。
嬉しいことに、大勢の人が是非にと言ってくれているらしい。
そして私は、自室で破れたドレスを見つめていた。
「お母さん……」
大勢の貴族がいるだろう。きっと、その場に立つとあの日を思い出す。
身体が震える。呼吸が早くなる。
けれども、今回はリアム様がそばにいてくれる。
その想いを、無駄にしたくない。
震える手を押し殺して、ドレスに手をかざした――。
◇
「母君のドレス、ローズに良く似合ってる」
「ありがとうございます、リアム様も格好いいですよ」
王城へ向かう馬車の中で、リアム様が母のドレスを褒めてくれた。
すべてを聞いた上で、微笑んでくれているのだ。
リアム様は、黒いタキシードを着込んでいる。
胸元から少し飛び出ている赤いハンカチは、私のドレスに合わせてくれたらしい。
嬉しすぎて飛び跳ねそうになったが、さすがに堪えた。
長いようで、短い三ヶ月だった。
聖女として王都に迎え入れられ、色々な人に感謝され、観光して、リアム様に抱きしめられて……。
最高の思い出ばかりだ。
ダメだ。せっかく綺麗に化粧したのに、涙が出そうになってしまう。余韻に浸るのはまだ早い。
私は、ヴァルヴァシアの聖女として夜会に参加する。
粗相は許されない。リアム様のためにも、完璧に振る舞わなければならない。
歩き方から、言葉遣いにしっかりとした挨拶。
絶対に――失敗してはいけない。
「気を張らなくていい。ただご飯を食べて、お酒を飲むだけだ」
「す、すいません……。もしかして、変な顔してましたか?」
しまった。せっかくの楽しい夜会だというのに、リアム様に気を遣わせてしまった。
「笑顔だよ、ほら、こうやって」
すると、リアム様はほんの少しだけ口角を上げる。いつもそばで見ている私にしかわからない程度だが、たしかに笑顔だ。
とっても、愛らしい。
「こうですね!」
負けじと、私は満面の笑みで返す。リアム様も釣られて笑みを浮かべ、いつの間にか離宮に到着した。
「凄い……」
ここへ来たときと同じくらい衝撃を受けて、足が止まった。
見たことがないほど大きい。
圧倒される。
「ローズ、よかったら、これを付けていかないか? やはり君に似合うと思ってな」
「それは……」
リアム様がポケットから出したのは、屋台で見たアクセサリーだった。
少し戸惑いながら、けれども、真剣な瞳でリアム様は言う。
「過去を乗り越えることは難しい。だが、君にはその強さがあるはずだ。俺がそばにいる、一緒に乗り越えないか」
少し……戸惑う。また思い出してしまうんじゃないかと、怖くなる。
だけど、リアム様の力強い言葉で安心できる。
私も、ここへ来て強くなれたはずだ。
「……はい、是非、付けたいです」
そして、リアム様はほっこり笑った。
扉を開けてもらって中に入ると、素敵な空間が私を迎えてくれた。
豪華な食事に、綺麗な装飾、色とりどりのスイーツに、優雅な演奏。
気品ある人たちが、楽しそうに談話している。
「大丈夫か?」
「はい、こんな素敵な夜会に呼ばれて嬉しいです」
思わずはしゃぎそうになって、心を落ち着かせる。
「リアム様、あそこのケーキ食べませんか?」
「いきなり甘いものか。望むところだ」
心なしか、リアム様も少しだけはしゃいでいた。
ケーキを頬張っていると、大勢の人に声をかけられる。
王都に住んでいない領主様も、どこから聞いたのか、私のことを知っていた。
どうやら、国民に寄り添いながらも、分け隔てない素晴らしい聖女だと言われているらしい。
おそれ多いが、もちろん悪い気はしなかったし、リアム様も嬉しそうだった。
「やあ、君が祝福の聖女、ローズ・ヴィクトアか。このリアムを夜会に引っ張り出すなんて、只者じゃないな」
「え、どういうことですか?」
聞けば、リアム様は夜会にほとんど顔を出していなかったそうだ。
リアム様と親しい間柄に見える男性が、こういう場は苦手だもんなと言っていた。
つまり、私のために頑張ってきてくれていたのだ。
本当に、リアムは素敵な人だ。
それだけに、今この瞬間が思い出に変わってしまうのが怖い。
そんなことを考えていると、リアム様と親しかった男性が戻ってきて、何やら話していた。
「いや、今は無理だ」
「国王様の面子もあるだろ、そんな時間もかからない、行こうぜ」
どうやら親交の深い他国の王族たちが、この国独自の防衛魔法についての質問があるとのこと。そのため、少しだけ別室でリアム様と話したいのとのことだった。
おそらく、私と離れることを懸念して頑なに拒否してくれているのだろう。
「リアム様、私は大丈夫です! 構わず行ってください」
私は、満面の笑みで言った。本心から出た言葉だ。
「……いいのか?」
「はい、ここの美味しい食事を食べ尽くしてしまうかもしれませんが!」
「わかった。そうならないうちにすぐ戻るよ」
そう言って、リアム様は私の頭を撫でたあとに離れていった。
ああ言ったものの、途端に心細くなる。
いや、食事だ。美味しいものを食べていれば、気にならない――。
そう思って振り返った瞬間、誰かと肩がぶつかった。
「す、すみません! お怪我はないで――」
「こちらこ――お前……なんでこんなことに」
その相手は、あのジーニアス伯爵だった。
隣には、グリシアが立っている。胸元には、あのときのブローチが付けられていた。
心が揺れ動いて、足元がぐらつきそうになる。
違う、私の心は強い、強くなったはずだ。
あのころの弱い自分じゃない。負けるな。
「私はこの王都で聖女として働いていて、正式な招待を受けて来ています」
毅然とした態度で、はっきりと言い放つ。
これには、伯爵も予想外だったようだ。悔しそうな顔で口元を歪める。
だが、隣にいたグリシアは違ったようで、すぐに顔を真っ赤にした。
「性格が変わったみたいに偉そうね。そんな小汚いドレスに、安っぽいブローチなんか付けちゃって、どうせ盗んだものでしょ」
まただ。またグリシアは、私を盗人呼ばわりする。
ここで悲しめば、相手の思う壺だ。
騒がず、慌てず、聖女として毅然とした態度で対応するのが本当の強さだと、リアム様から教わった。
「これは王都で一番人気のブローチで、大切なお方から頂いたものです。私は盗人ではありません」
だからこそ、私はキッパリと言ってやった。
この場にリアム様がいなくても、私は負けない。そう誓ったんだ。
以前とは違う強さを、二人に見せつけることができた。
これ以上話しても意味はない。ここから離れようとしたが、グリシアがとんでもないことを言い放った。
あまりの驚きで、言葉を失ってしまう。
「聞こえなかった? その態度を改めないと、あなたを盗人として逮捕するわよ」
「ああ、そうだなグリシア。あの場に目撃者は多数いた。今からでも、令状を取るのは難しくない」
「そんな……」
ありえない。そもそも私は盗人ではないし、証拠なんてあるわけがない。
だが、あの場にいた全員が証言すれば、事実なんてあってないようなもの。
無理だ。どれだけ心を強くあろうとも、私は勝てない。
そもそも、この二人にはどう足掻いても勝てなかったんだ。
聖女で生まれたとはいえ、私はただの平民。
「ようやく静かになったわね、この平民女。どうせ、あなたにブローチをプレゼントした男も、大したことないんでしょ」
「ああ、間違いないな。この女はどう見ても場違いだ。。見た目から父親と同じ貧乏の匂いがする」
悔しい、悔しい、悔しい。
何にも言い返せない。
私をバカにされて、父をバカにされて、リアム様もバカにされて……。
あまりの悔しさに、涙が出そうになる。
「ほら、許してやるから、謝罪しなさい。盗人でごめんなさいって、ほら、言いなさいよ!」
認めたくない。でも、どうしたら今の状況を打開できるかも分からない。
唇を噛みしめ、顔を俯きかけた、その時だった。
「俺の大切な人を貶めるなんて、いい度胸だな。グリシアに、それにジーニアス伯爵だな」
私の後ろから現れたのは――リアム様だった。
「君たちの話はローズから聞いてる。でっち上げの犯罪で、彼女を陥れたこともな」
いつもは絶対言わないような口調で、二人に言い放つ。その様子に気づいた周囲が、騒然とする。
グリシアは驚いて目を見開き、ジーニアス伯爵はムッとした表情で言い返す。
「でっち上げだと? 突然現れてその物言いはなんだ。誰だお前!」
「俺はここの宮廷魔術師だよ」
ただごとではないと、周囲から騒めきが聞こえはじめる。
伯爵も後には引けないのだろう。
しかし、グリシアは胸を撫で下ろしたかのように言う。
「魔術師ごときが偉そうに、このお方は、伯爵様よ! あなたなんかと、立場が全然違うわ、ねえ、ジーニアス様!」
けれども、伯爵の様子は百八十度違っていた。声を震わせながら、後退りする。
「その銀色の髪……青い瞳……宮廷魔術師……」
「? ジーニアス様、どうしました?」
「も、申し訳ありませんでした! この度はとんだご無礼を……ほら、お前も謝れ!」
「え、ど、どいいうことですの!?」
「このお方は、多くの逸話を持つ英雄、リアム・ウィリアム様だ!」
伯爵は深々と謝罪して、グリシアに言い放つ。それを聞いたグリシアは、冷や汗をかきながら頭を下げた。
「俺に謝るんじゃない。祝福の聖女、ローズ・ヴィクトアに謝るんだ」
私は、わけがわからなかった。たしかにリアム様は誰からも慕われていたが、まさかそんなにすごい人だとは……。
「大変なご無礼を申し訳ありません、ローズ・ヴィクトア様っ!」
「申し訳ありません、ローズ様……」
情けない二人の姿を見て、私は気持ちがスカッとした。
一人では勝てなかった。だが、リアム様と二人で、ようやく乗り越えることができたのだ。
「勘違いするなよ、その謝罪は、この場でローズを辱めたから言わせただけだ。お前たちの罪は償ってもらう」
「ど、どういうことでしょうか……」
リアム様は続ける。グリシア、伯爵の顔は青ざめていた。
「ローズがブローチを盗んだと濡れ衣を着せただろう。すでにあの場にいた全員の証言から実状は調べ上げている。グリシア、お前が全てを仕組んだことも、日常的にジーニアスから暴力を振るわれていたことも、すべてだ」
ハッキリと言い放つリアム様の言葉に、私が一番驚いていた。
まさか、そんなことをしてくれていただなんて。
グリシアとジーニアス伯爵は、その場に項垂れるように倒れ込む。
「そ、そんな……」
「ああ……」
そして、二人はそのまま憲兵に連れていかれた。
周囲はもちろん騒然としていたが、先ほど親しく話していたリアム様のご友人がうまく納めていた。
名前を聞いて驚いたが、ご友人は王都の第一皇子だったのだ。
◇
帰りの馬車の中、リアム様は仕切りに私の心配をしてくれていた。
怪我はないか、手は震えないか、と。
優しい、リアム様は本当に優しい人だ。
それだけに、心が、心臓が苦しなる。
出会ってしまわなければ、こんなに想うことはなかったはずだ。
私はもう、王都を去らねばならないのだから。
「リアム様、もう大丈夫です。そんなに心配しないでください」
「そうか……俺が約束を破ったせいだ。本当にすまなかった」
その言葉に、私は首を横にふる。
「いいえ、リアム様は私を守ってくださいました。あの言葉の通り、盾になってくれたじゃありませんか」
「ローズ……ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」
しかし、私の目から涙がこぼれてしまう。
小さな涙の粒が大きくなり、一つ、二つ、と零れて止まらなくなる。
「ど、どうしたローズ!?」
慌てふためくリアム様が愛おしくてたまりません。違います、違うのです。
「悲しいだけです。リアム様と会えなくなってしまうなんて、想像するだけで辛いんです。できることならば、ずっと一緒にいたいと思ってしまったんです」
「なぜだ。君は俺の婚約者だろう? ずっと側にいてくれるんじゃないのか」
耳を疑った。私が婚約者? どういうことだ
「そうか……俺の気持ちが伝わってなかったのか……」
「え? 婚約者って?」
「ほら、前に口下手だが、今後君を絶対に守ると言っただろう。俺は、なんだその、プロポーズのつもりだったんだ。それで、ローズは受け入れてくれたと……」
「ええー!? 私はてっきり、安心させてくれるための言葉かと……」
お互いに、少しだけ短い沈黙が続く。そのあと、私たちは声を出して笑った。
「口下手すぎますよ、リアム様!」
「すまない……人を好きになるなんて初めてで、どう言ったらいいかわからなかったんだ」
恥ずかしそうに頬をかくリアム様を眺めていると、笑顔になる。
え、でも、まさか、ということは!?
私があたふたしていると、リアム様が『よし』と瞳を見つめてくる。
「なら、はっきりと言う。ローズ、俺は君と過ごしたこの数ヶ月間が本当に幸せだった。どんなことにも嫌な顔ひとつせずに、一生懸命な君を見ていて、俺は愛を知った。君の涙を見ていると、俺は居ても立ってもいられない。どうにかして、笑顔にしてあげたいと心から思うんだ。俺の婚約者になってほしい」
リアム様の言葉の一つ一つが、私の心に突き刺さる。
こんなにも嬉しいことがあるだなんて、思っても見なかった。
私も、リアム様が大好きだ。
私も、リアム様の笑顔をもっと見たい。
私の方が、リアム様を愛している。
「もちろんです、リアム様。不束者の私ですが、今後ともよろしくお願いします!」
そして、リアム様は震えながらも、いいか? と優しく声をかけ、私にキスをしてくれた。
◇
後から聞いた話だが、ジーニアス伯爵とグリシアは、虚偽の申告で他人を陥れようとした罪で爵位をとりあげられた。
その後、二人はあの町を追い出され、代々伝わった家柄も全て潰えたときいた。
私は王都で聖女のまま、リアム様と暮らすことになった。
もちろん、父も一緒だ。
「リアム様、街中の噴水が壊れてしまったようなので、直してきます!」
「俺もついて行く。ローズにわるい虫がつかないようにな」
あれからリアム様は、どこへ行くのにも着いてくる。
無表情で、口下手で、けれども、誰よりもまっすぐで。
私はそんなリアム様が大好きだ。
これからの人生を一緒に歩むことができることを、誇りに思う。
お母さんにも……紹介したかったな。
噴水にたどり着いて、修理を終えると、やっぱり思う。
神父さん、私って、大工の聖女じゃないの?
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こんなに長文にもかかわらず、最後まで見て頂きありがとうございました!




