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花咲くまでの物語~外伝~  作者: 国城 花
9/11

猫の手を借りるということ


私立静華(せいか)学園は、エリートたちが集まるお金持ち学校である。

学園の理事長は、世界的ブランド企業の社長でもある。


そんな理事長の屋敷は、広い敷地にどこかの国の宮殿を思わせるような豪邸が建っている。

その豪邸の中を、かなりの速足で歩きまわっている若い執事がいた。


黒髪にすらりと長い手足、身にまとう執事服は一分の乱れもない。

歩く速さ以外は、完璧な執事姿である。



速足のままにダイニングへ行くと、そこで掃除をしていたメイドが執事が来たことに気付いて振り向く。


「お嬢様を見ませんでしたか?」

「見ていないわ」


涼しげな目元のメイドは、落ち着いた声色で返す。


「また逃げられたの?」


執事は少し眉を寄せると、頷く。


「お客様がいらっしゃいますとお伝えしたら、逃げられました」

「いつものことね」


この家のお嬢様は、面倒事が嫌いなのだ。

特に、客人の相手のように外面を保たないといけないものは面倒くさがって嫌がる。

そして逃げ足が速いため、一度逃げられるとこの優秀な執事でも簡単には見つけられない。


「いつ、いなくなられたの?」

「5分ほど前です」

「それなら、もう敷地内にはいないかもしれないわね」

「ですが、今日いらっしゃるお客様は大切な方です。お嬢様が会わないわけにはいきません」


ただでさえその客人を迎えるにあたって使用人たちは忙しくしているというのに、執事の仕事はお嬢様を見つけないことには進まない。


「お嬢様を見かけたら、連絡をお願いします」

「分かったわ」


掃除に戻ったメイドに最後にそう頼むと、執事は次の場所へ向かった。




屋敷の外に出て、だだっ広い庭の中を速足で進む。

整えられた芝生に、季節の花が美しく咲く庭の中をずんずんと進む。


噴水の近くで生垣の剪定をしている人物を見つけると、麦わら帽子を被った小柄な後ろ姿に声をかけた。


さかきさん。お嬢様を見かけませんでしたか?」


榊と呼ばれた小柄な老人は作業の手を止めて振り返ると、首を横に振る。


「いいえ。見ていませんね」

「気配は?」

「そちらも、感じておりません。今日は、こちらにはいらっしゃっていないようですね」


木登りが好きな人なので庭にいるのが一番可能性が高かったのだが、それが外れて執事は眉を寄せる。

この様子だと、さっきのメイドが言っていたようにもう敷地内にはいないかもしれない。

そうなると、お嬢様が帰ってくる気分になるまで見つけるのは難しい。


「今日のお客様は、とても大切な方らしいですね」

「はい」


静華学園の理事長であるこの屋敷の主人にとって、無下にはできない相手である。

屋敷の主人が帰ってくるのが少し遅れてしまうので、その間は孫であるお嬢様が客人の相手をしなければいけないのだ。


「そのことは分かっていらっしゃるでしょうから、きっとお時間までには現れるのではないでしょうか」

「だとよいのですが…」


お嬢様の面倒くさがりと自由奔放さをよく分かっている執事としては、100%安心はできない。

新作のパンが食べたいからという理由で、学園の授業をさぼるような人である。

自由過ぎる。



「お庭にいらっしゃった時は、戻るようにお声がけしてみましょう」

「よろしくお願いします」


お嬢様は庭で過ごすことも多いので、庭師である榊とは繋がりが多い。

榊が説得すれば、戻ってくる可能性はある。


榊も庭師として客人を迎えるために忙しいのですぐにその場をあとにして、執事はまた速足で屋敷の中に戻った。




「いないわよ」


お嬢様の私室に戻ると、小柄なメイドが執事が尋ねる前にそう告げる。

広くて豪華な部屋にはメイド1人しかおらず、執事は肩を落とす。


「私の目を盗んで戻ってくる可能性も考えられたのですが…」


執事が必死に屋敷中を探している最中にしれっと戻ってくることもあるので様子を見に来たのだが、今日は戻ってきていないようだ。


「お客様に会う前に身だしなみを整えておきたいのだけれど、その時間もあるか怪しいわね」


小柄なメイドはハンガーにかかっているワンピースを見ながら、残念そうにため息をつく。

シンプルながらも年頃の少女が着るような、可愛らしいデザインである。

このワンピースを着て髪型をセットすれば、いかにも良家の令嬢という見た目になるだろう。


『お嬢様が逃げた理由の1つは、これだな…』


お嬢様は自分が着飾ることも嫌がるので、お嬢様を着飾りたいこのメイドからもよく逃げている。

しかし大体はこのメイドに押し切られているので、押し切られる前に逃げたのかもしれない。



「そろそろ戻って来られないと、さすがにまずいですね」


執事は、時計を確認する。

このままでは、大切なお客様をホストが迎えないという大変な事態になる。


さてどうするかと、考えていた時だった。



開いていた窓の隙間から、すっと黒い影が部屋の中に入ってくる。

身軽に絨毯の上に降りると、しなやかな身体を優雅に伸ばす。


「にゃあ」


それは、お嬢様が飼っている黒猫だった。

飼っていると言っても飼い主に似て自由なので、いたりいなかったりする。


執事はその猫の姿に、ふっと笑みを浮かべる。

ポケットから猫用の餌を取り出すと、黒猫にそれを見せる。


「お嬢様を、連れ戻してきてほしいのですが」


黒猫は、じっと執事を見つめ返す。


「これは、お嬢様を連れ戻した時の報酬にいたしましょう」


黄色い目は、執事が持つ餌に視線を移す。



少し間が空いた後に黒猫はトコトコと執事のもとまでやってくると、その膝にポンと手を乗せる。

そうしてそのままくるりと方向転換すると、開いたままの窓から再び外に出ていった。



一連の流れを見ていたメイドは、呆れた目を執事に向ける。


「猫が連れ戻してくれるというの?」

「飼い主に似て、優秀ですので」

「その飼い主は、逃げ足が速いのだけど」


加えて、面倒くさがりで自由奔放である。



そんなことを話していると、数分もしないうちに開いた窓から黒猫がすっと部屋に入ってくる。

後ろを振り返って「にゃぁ」と鳴くと、猫に続いて少女が身軽に部屋に舞い降りる。


灰色がかった薄茶色の髪が風で揺れ、薄茶色の瞳は不機嫌そうに目を細めている。


「猫に頼まないでよ」


どうやら、猫はちゃんと飼い主を見つけて連れ戻してきたらしい。

優秀すぎる。


「さすが、お嬢様の猫です」


執事は約束通り、黒猫に報酬の餌をあげる。

それを口にくわえると、黒猫は飼い主の肩に飛び乗る。

自分では開けられないので、飼い主に開けるように促している。


「買収されたのか…」


細長い包装の口を切ってやると、黒猫は満足そうに餌にかぶりついている。

そんな猫に、飼い主は複雑そうな顔をしている。

まさか、餌1つで自分が売られたとは思わなかったらしい。


「お嬢様がお逃げになるからです」

「だって面倒くさいんだもん」

「今日のお客様は大切な方です。我慢なさってください」


さすがに戻ってきた以上は諦めたのか、お嬢様は「はいはい」と適当な返事をしている。


「では、こちらにお召し替えをなさってください」


メイドが差し出したワンピースを見て、お嬢様は1歩後ろに下がる。


「やだ」

「お客様をお迎えするのですから、身だしなみは大切ですよ」

「それはやだ」

「せっかくですから…」


お嬢様を着飾らせたいメイドと、絶対に着飾りたくないお嬢様との攻防はしばらく続きそうである。



その間に、執事は絨毯の上で餌にかぶりついている黒猫の頭を撫でる。


「またお嬢様が逃げられた時は、あなたにお願いしましょうか」


黄色い目は、何かを訴えるように執事をじっと見つめる。

空になった餌の袋を執事の足元に置くと、ポンポンと2回膝を叩く。


「…次の報酬は2倍寄越せということでしょうか」

「にゃあ」


本当に、飼い主によく似ている。

次も仕事をさせるなら、同じ報酬では動いてくれないらしい。



安易に猫の手を借りるものでもないな、と執事は学んだのだった。



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