第55話 悪魔と天使
一瞬でも、イノシシから目を離したのは良くなかったようだ。
後方での出来事に気を取られ、振り向いていた。
結局なにがあったのか分からなかったので、イノシシに視線を戻そうとした。
「マスター、危ない!」
気がついたときには遅かった。
イノシシが最後の力を振り絞って、攻勢に出てきていたのだ。
逃げられないと悟ったのか、ならばこちらを殲滅して生き延びようと手段を変えてきたようだ。
隙のあるものから倒していく。ごく自然な選択だ。
イノシシの突進程度なら、普段はタイムがアプリでサポートして躱すことが容易だ。
現在はマジカルタイムが1人、タイム四天王が4人、アニカのサポートに1人と、6人全員が出払っている状態。
つまり自力でイノシシの突進と向き合わなければならなかったのだ。
とっさのことでアプリを使う余裕もなく、刀で受け止めるのは自殺行為だろう。
自力で回避行動を取るしかない。
横へ飛んだものの、半身に突進を食らってしまった。
刀が間に入っていなければ、イノシシの牙をもろに食らっていただろう。
もしかしたら串刺しになっていたかも知れない。
そういった事態は避けられたのだが、吹き飛ばされ、地を転がることは避けられなかった。
「「「マスター!」」」
タイムの悲痛な叫びが響き渡る。
取り乱したタイムは、四盾結界を維持することも忘れて俺の元に集まってくる。
「よくもマスターを!」
マジカルタイムの頭上には先ほどよりも大きな火球が3つ浮かんでいた。
四盾結界を解いたことによりCPUコアリソースが増え、扱える火球の数が増えた上、大きくなったのだ。
燃え盛る火球がイノシシに向かって飛んでいく。
イノシシは力を振り絞って避けるものの、3つの火球から逃げられるわけもなく、ボコボコにされていた。
しかも先ほどとは違い、まるで意思でも宿っているかのように、ヒットアンドアウェーでイノシシをサンドバッグにしていた。
「タイムちゃん! もう止めるのよ!」
エイルが駆け寄り、タイムを羽交い締めにして制止させようとした。
それでもタイムは半狂乱になってステッキを振り回し、火球でイノシシを殴るのを止めない。
「このっこのっこのーっ!」
「止めるのよ! もう息をしていないのよ!」
肩で息をするタイム。
エイルの言葉が届いたのか、漸くステッキを振るのを止めた。
火球は動きを止めて地に落ちると、弾けて消えた。
イノシシはというと、見るも無惨な姿に変わっていた。
「! マスター!」
タイムは俺に駆け寄ると、右手に聴診器、左手にカルテ、頭にナースキャップを被ったミニスカナースに変身した。
この世界の治療薬などは俺の身体には効果がない。
代わりにこのナースモードのタイムが色々と身体の調子を見てくれているのだ。
だからエイルよ、トイレで出した物はマジマジと眺めるのではなく、さっさと流すものなのだと理解してくれ。
何故女医ではなく看護婦なのか……とタイムに聞いたことがある。
そうしたら〝こういうときはナースがお約束だろ〟と言われたそうだ。
怪我を治すのも大きな絆創膏を貼ってくれたりしてくれる。
ただ、今回は打撲だ。
外傷も地を転がったときに付いたものはあるが、酷いものはない。
頭は打っていないので意識はあるものの、痛みで声も出ない。
チビナースたちが擦り傷を水で洗い流して、絆創膏を貼っている。
こういうときはガーゼに包帯じゃないのか?
過剰に巻かれてミイラ男になりそうな気もするけど。
ちびっ子が動き回る中、ナースタイムに服を剥ぎ取られた。
いや違うな。タイムが服に手を当てて一言呟くと、服が弾けて消え去ったのだ。
まるでタイムの変身シーンのように、だ。
違うのは、タイムは全裸なのに対し、俺はパンイチな点だ。
よかった。最後の砦はちゃんと残っていてくれて、本当によかった。
服の下には擦り傷などの外傷は無かった。
それなりに防御力の高い服なのだ。
オオネズミの爪程度なら、破けることもなかった。
胸と腕には、一目で分かるほどはっきりと青痣ができていた。
タイムが身体に聴診器を当てて他に痛めたところがないか、調べてくれている。
聴診器で心音を聞いているわけではなく、これで身体の異常が分かるのだという。
簡易超音波検査のようなものらしい。
詳しくは本人にも分からない。いつも通りだ。
異常を感知すると、カルテに自動書記される。
聴診器もカルテも、ただの飾りではない。
診断結果によると、内臓にダメージはなく、骨も折れておらず、打ち身で青痣ができた程度で済んだ。
タイムが青痣部分に軽く触れると、激痛が走って呻き声を上げてしまった。
「あ、ごめんなさい! これを食べて」
そう言って〝痛覚吸収〟を食べさせてくれた。
……え、俺もこれ食べられるの?!
てか、食べないと効果が出ないんだ。
アプリでぽん! じゃないんだね。
そういう風に調整されたってことなのか。
ともかく、味もちゃんとするのが驚きである。
こんなときでなければ味わって食べるのだが、そんな場合ではない。
アニカも精霊と共に近くに来て心配そうな顔で覗き込んできた。
精霊は相変わらず自由気ままにアニカの側で遊んでいる。
「モナカくん、大丈夫?」
「う……ああ、なんとかな。イノシシはどうなったんだ? 逃げられちまったか?」
「タイムがボコボコにして仇を取っておいたよ」
「おいおい、勝手に殺すなよ」
「マスターに酷いことをしたんだから、殺されても文句はないでしょ!」
「……ん?」
なんか、話が噛み合っていない気もするが、気にしないでおこう。
つまり、イノシシは倒したってことか。
俺が吹き飛ばされている間に、タイムがボコボコにした。そういうことか。
「まあこっちが先に手を出したんだ。どちらかといえば、それはイノシシの台詞だろ」
「え、あのイノシシ喋るの?!」
「いや、喋らないけどさ」
「なら文句は言わないよね」
「まあ……そうだな」
痣の部分にタイムが透明なクリーム状のなにかを塗ってくれた。
ヒンヤリとしていて気持ちいい。
〝痛覚吸収〟が利いているのか、痛みは感じない。
冷たさや触られている感触はあるので、神経そのものを麻痺させているのではないようだ。
クリームを塗り終えると、ガーゼで幹部を覆い、包帯を巻かれた。
ミイラ男になるのは避けられない運命のようだ。
身動きができる程度には加減されているので、よしとしよう。
そういえばフブキとエイルはどうしたのだろう。
フブキはというと、油断なく周囲の警戒をしてくれていた。
なんてできた子なんだろう。
惚れ直すじゃないか。
エイルはというと……イノシシを前にして佇んでいた。
タイムがボコボコにしてしまったから牙が折れてしまったのだろうか。
だとするなら、タイムのマスターとして申し訳なく思う。
タイムは後でお説教かな。
起き上がって、俺もイノシシを見に行く。
「ダメだよマスター、まだ安静にしてなきゃ。痛みはなくても、傷ついているんだから。無理したら悪化するよ」
「すぐそこまでだよ」
足は擦り傷程度で特に問題はなさそうだ。
タイムがそれ以外で特に手当てをしていないから、捻挫とかもないだろう。
その辺の管理は信頼できるから、手当てしていないなら問題ない。そういうことだ。
なので自力で歩いてエイルの側まで行く。
エイルの初弾はなんの成果も得られなかったから、落ち込んでいるのかも知れない。
安心しろ。俺も似たようなものだ。
似たもの同士、慰め合おうではないか。
タイムに「君がッ死ぬまで殴るのをやめないッ!」とはさすがに言わせられなかった
雰囲気が違いすぎる
次回、エイルがちょっと愁傷です






