第48話 フレッドの暴走
アニカの兄と名乗る者が契約陣の中に入っていくと、中が紅に染まり、様子が見えなくなってしまった。
続けてタイムが中に入ろうとするのを、やんわりと止めた。
後は、アニカの兄に任せるしかない。
争う理由がなくなったので、押さえていたものたちを解放した。
俺たちはただ見守ることしかできなかった。
エイルは魔法のことは分かっていても、精霊のことはよく分かっていない。
知識はあっても、ただそれだけではダメなのだ。
彼らは契約陣が気になりつつも、けが人の治療をしている。
今となってはやり過ぎた感はあるものの、あの状況では致し方なしと思うことにした。
四天王が近づいていき謝ろうとしていたが、逆に恐れ平伏され、「勘弁してくれ」と喚き散らされた。
傷心のタイムがトボトボと歩いて戻ってくる。
心の痛みに〝痛覚吸収〟は効果がなかった。
タイムたちをそっと抱きしめ、頭を撫でて慰めてやる。
これで少しでも、痛みが和らいでくれればいいのだが。
1人に戻ったタイムが俺の腕の中で眠りについたので負ぶってやると、丁度契約陣が砕け散って消えた。
中からはアニカと自称兄が現われた。
どうやら2人とも無事なようだ。
「アニカ!」
「フレッド様!」
二人がそれぞれの仲間の元に戻っていく。
これからは互いの道を別々に歩むかのように。
アニカは肉体的な負傷はないものの、疲労が激しい。
精神的にも疲れているようで、顔色は芳しくない。
「アニカ、怪我はないか?」
「うん、大丈夫だよ」
駆け寄った俺にもたれ掛かってきた。
背中に寝こけるタイム。
胸に疲弊したアニカ。
力の抜けた者は、重く感じるというが、それらに挟まれると身動きが取れなくなった。
「契約はうまくできたのか?」
「うん、兄さんから契約を引き継いだんだ」
どうやら本物の兄のようだ。
「引き継いだ?!」
「反対してなかったのよ?」
「なんて言えばいいのかな。邪魔はされたけど、折れてくれた……のかな。よく分からないや」
「じゃあ、召喚術師になることを許してくれたってことか?」
「んー、多分」
「はっきりしないのよ」
「良くも悪くも、ボクの兄さんだったってことです」
フレッドもまた肉体的な負傷はないものの、疲労が激しい。
精神的にも疲れてはいたが、それを表に出すのはプライドが許さなかった。
「フレッド様、ご無事でしたか」
「ああ、委細問題ない」
「では、目的は果たされたのですね」
「もう止めだ」
「……は?」
「止めだと言ったんだ」
「〝止めだ〟……とは一体」
「契約はこれで終了ということだ」
「そうですか。分かりました。請求は後日お知らせ致します」
「ああ、分かっている」
「では」
1人の男が、身体に口があるだけの精霊を呼び出すと、大口を開けて皆を飲み込んだ。
精霊はゲップをすると、にぃっと笑って地面へと溶け込んでいった。
その場に残ったのは、フレッドだけだった。
フレッドがアニカに向き直る。
そこには、気を許して男に身体を預けている姿が目に止まった。
「アニカよ、それがお前の仲間なのだな」
「はい、ボクの大切な友達です」
「挨拶が遅れた。俺はアニカの兄、フレッド・エドワード・オルバーディングだ。次期当主である」
「あ、ご丁寧に、どうも。僕はモナカと申します。背中で寝ているのは……俺の相棒でタイム・ラットといいます」
「エイル・ターナーなのよ。この子はシバイヌのフブキなのよ」
「わふ!」
「モナカと言ったか。お前はアニカとずいぶん親しそうにしているな」
「はい、仲良くさせてもらっています」
「ほう、それで兄の目もはばからず、抱き合っていると?」
「兄さんってば、なにを言うんですか」
「赤くなるな! 倒れそうだから支えているだけです。抱き合っているわけではありません」
「ほう、つまり動けないことをいいことに、一方的に抱きしめているということか」
「違います! そんなんじゃありません!」
「ほう、俺のお……妹にそんな価値は無いということか」
「そうなの、モナカくん!」
「どうしてそういうことになるんですかっ! アニカも乗っかってくるんじゃない!」
「乗っかるって、こうかい?」
アニカが飛び上がって、のし掛かってきた。
支えるだけならまだしも、タイムを背負った上でアニカまで覆い被さってきたら、立っていられない。
尻餅をついて崩れ落ちてしまった。
顔の上にアニカが覆い被さっていて、息がし辛い。
「ぎゃん!」
背負っていたタイムが俺とアニカの下敷きになってしまった。
どうやら〝痛覚吸収〟の効果が切れているようだ。
「ア、アニカ、早くどいてくれ。タイムが潰れちまう」
動こうにも身動きが取れない。
とにかくアニカを押しのけてでも、早くどかなくては、タイムが潰れてしまう!
「ごめんなさい。あんっ、そんな強く揉まないでよ。もっと優しくして欲しいな」
「なにを言っているんだ。早く、この、離れっ……抱き付くな!」
「貴様! 俺の目の前で堂々とアニカの……アニカの……くっ、殺す!」
「ダメだよ兄さん。ボクの、んっ、大切な人あっ、殺すなんて言わ、やっ、モ、モナカくん、激しっああっ」
「モナカ! どさくさに紛れてなにしてるのよ!」
「なにって、いいからエイルも(アニカをどかすのを)手伝ってくれ」
「なに言ってるのよ?! (胸を揉むのを)手伝えのよ?! うちにそういう趣味は無いのよ!」
「なんで趣味が関係あるんだよ!」
「いいのよ! アニカも流されてないで離れるのよ!」
エイルがアニカを力一杯引っ剥がす。
新鮮な空気を腹一杯に吸い込んで、一気に吐き出す。
何度か繰り返し、ようやく落ち着いてきた。
あ、そうだタイム!
「タイム、大丈……夫、か?」
そこには潰れて平面になったタイムが居た。
えっと……平面タイム? カエルじゃなくて?
シャツに張り付いているわけじゃないから違うのか。
え、これ大丈夫なの?
[息を吹き込むと元に戻ります]
……は?
息を吹き込むと?
風船なのかな。
「カエルみたいにストローをケツの穴に突っ込んで膨らませればいいのかな」
[マスターはバカなの?! 人工呼吸1択でしょ!]
あ、意識ははっきりしているのね。
とりあえず放っておこう。
心配して損した。
そういえば、アニカに結構乱暴なことをしてしまった気がする。
急いでいたとはいえ、悪かったな。
気を取り直してアニカの様子を見てみる。
恍惚な表情を浮かべ、グッタリとしている。
精霊との契約で精神が磨り減っていたのが、今のことで一気に出たのだろう。
意識がはっきりしていないようだ。
アニカはこのまま休ませた方がいいだろう。
タイムを拾い上げ、クルクルと丸めて小脇に抱えておく。
わーキャー暴れられたが、とりあえず気にしない。
アニカを引き剥がしてくれたエイルに、まだ礼を言っていなかったのを思い出した。
エイルの方を向くと、目の前に炎の形をした人が立っていた。
「うわっ! な、なんだ?!」
「主様……本当にこの者を灰にしても宜しいのでしょうか」
「はい?!」
いきなり物騒なことを言い出しやがった。
宜しいわけないでしょ!
「構わん! さっさとやれ!」
「ですが……」
「イフリータ、俺様の命令が聞けないというのか?」
「そのようなことは御座いません。ですが、ルゲンツ様の嫌がることは、ご勘弁願えますか」
「俺の大事な弟を嬲った礼はきっちりつけなければならん。ヤってしまえ!」
「はぁー、知りませんよ。2度と口を利いてもらえないどころか、存在を滅ぼされることになっても」
「なっ!?」
「ではモナカ様、貴方様に恨みは御座いませんが、主様の命により、お命頂戴致します。お覚悟!」
イフリータと呼ばれた者は、勢いよく燃え盛ると、俺に抱き付こうとしてきた。
灼熱の炎に抱かれて、存在が消される!
その直前に、俺とイフリータの間に割って入る者が居た。
「マスターに抱き付いていいのはタイムだけなの! あなたはダメー!」
小脇に抱えていたはずのタイムが、するりと抜け出してイフリータに立ちはだかっていた。
「ふっ、我はダメで、ルゲンツ様は良いのか?」
「……ルゲンツ?」
「アニカのことだよ。ほら、アニカ・ルゲンツ・ダン・ロックハートって名乗ってただろ」
「そだっけ? あはははは」
笑って誤魔化すタイムだが、イフリータの抱擁をあのペラッペラのまま防いでいる。
タイムに筋力とか関係ないとは思っていたが、この状態でもとは思わなかった。
というか、普段俺を叩いてくるときは、手加減してくれていたというのだろうか。
甘噛みみたいなものなのかも知れない。
それとも、主従関係による強制力の可能性もある。
ロボット3原則だったっけ。
〝人間への安全性、命令への服従、自己防衛〟のようなものだろうか。
いずれにしても、本当なら俺が守らなきゃいけないのにだ。
次回はアニカとタイムのターンです






