第47話 精霊との契約3
下位精霊に人型は居ない。
そもそも精霊に定まった形というものがない。
人界に顕現する際、適当な生物を模倣する程度である。
下位精霊にも満たない微精霊でさえ、下位の攻撃魔法をも凌ぐ力を秘めている。
彼らの撃ってきた火球が、可愛く見えるほどである。
そんな存在の上位存在。
一体どれだけの力を持っているのか。
そんな存在を従えるだけの力を持つものとは、どれほどの存在力を持っているというのか。
「不味い。アニカに上位精霊を従えさせるだけの意志の強さはない。このままじゃ食われてしまう」
「え?!」
「なに!?」
「貴様らが我らの邪魔をするから、こうなったのだぞ。こうならないために、邪魔をしていたというのに」
上位精霊から、炎があふれ出す。
契約陣の中を縦横無尽に暴れ回る。
中は焦土と化し、地面の草は一瞬で灰になった。
にもかかわらず、その熱波は契約陣の外側には一切漏れていない。
アニカがまだ生きている証拠であり、また精霊力を押さえ込めることができているからだ。
炎の精霊は尚も暴れ回っている。
いや、どちらかというと遊んでいるといった感じだろうか。
無邪気にアニカの周りを飛び跳ねて回っている。
「ああやって精霊が自由気ままにしているようでは、契約は失敗する。下位精霊ならそれだけで済むが、上位精霊なら、力尽きると同時に存在を食われるぞ」
アニカにとって、上位精霊を押さえ込むのが精一杯だ。
そもそも押さえ込めるだけでも十分な力があるといっていい。
だが、それだけでは力不足なのだ。
アニカの体力も限界が近いのか、陣にヒビが入った。
「アニカ!」
「止めろ! 素人が手を出すな」
「黙って見てろっていうのか!」
「貴様が飛び込んだところで、一瞬で灰にされるのがオチだ。俺が行く」
「お前が?」
「お……妹を守るのが、兄の勤めだ」
「兄?!」
兄を名乗る男は、契約陣へと歩みを進めた。
タイムならば……とも思ったが、痛覚吸収では熱は防げない。
今はこいつに頼るしかないのだろうか。
アニカの兄が契約陣との境界に手を伸ばす。
触れた途端に全身が炎に包まれた。
だが苦しんでいる様子はない。
精霊の作り出したものは、精霊に屈しない限り影響を受けることはない。
だが少しでもひるんだ途端、飲み込まれる。
ある種の幻覚みたいなものだ。
上位精霊ともなると、その存在の力だけで相手を圧倒してしまう。
アニカの兄が耐えられているのも、精霊がまだ遊び半分だからである。
陣の中へと身体を侵入させていく。
この時点で精霊の機嫌を損ねれば、即灰になるだろう。
他人の契約に割り込むのだ。
相応の覚悟と意志の強さが必要だ。
単純に契約する以上に困難なのである。
にも拘わらず、陣の中へと迷うことなく入っていく。
陣の中は灼熱の世界だ。
外とは隔絶されている、いわば別世界。
故に、陣の大きさに似合わぬ広さを備えていた。
そして精霊の気分次第で生きるも死ぬも半ば決まるような、圧倒的な存在力の差。
そんな中、兄が生かされているのは精霊の気まぐれなのか。
それとも、それだけの存在力を持ち合わせているからなのか。
「兄さん?!」
「アニカ! どうして俺の言うことを聞かなかった。何故また契約をしようなどと考えた」
「兄さん、ボクは精霊が好きなのです。誰になにを言われようとも、この気持ちだけは変わることはありません」
「試験結果を忘れたか。命があるだけ幸運なんだぞ。前みたいに、また精霊に殺されたいのか」
「あの話は信じていなかったのではありませんか?」
「なにを言うかっ。大切な妹の……いや、弟の言うことを疑う兄が居ると思っているのか」
「兄さん……」
「だからこそ、アニカに召喚術師を続けさせるわけにはいかないのだ。俺はお前を失いたくはない」
「兄さん……。それでも、ボクはこの子たちと生きていくことしかできません。だからボクは精霊召喚術師を止めません」
「ならば、兄が最大の壁となってやろう。この精霊とは、俺が契約する」
言葉とは裏腹に、兄の身体は少しずつではあるが、焼けただれていた。
存在力の限界。
それでも、アニカを守るという強い意志のみで対抗していた。
常人ならば、叫び声を上げてもおかしくないほどである。
「おい貴様、俺様が主人に、なってやる。有り難く、思え!」
「もう止めてください。兄さんには無理です」
「うるさい! 弟は黙って……兄に、守られていろ!」
「はぁ、無礼な羽虫がうるさいぞ」
それまで、沈黙を守っていた上位精霊が口を開いた。
その言葉自体にも存在力が宿っており、弱い者なら聞いただけでその存在を否定されるであろう。
「我とルゲンツの至福の時間をこれ以上邪魔立てするならば、喰ろうてやるぞ」
「止めてよイフリータ。この人はボクの兄さんだよ。そんなことするなら、もう口を利いてあげないよ」
「ははっ、冗談だよルゲンツ。本気にしないでおくれ」
そういうと、兄の周りに纏わり付いていた炎の気配がすっと弱くなった。
楽になったのか、立つことすら限界だった兄は、その場で崩れ落ちてしまった。
「兄さん!」
「安心おし。ルゲンツも我の力は知っておろう。痕など残らぬ」
アニカが兄に駆け寄る。
精霊の言うように、兄の身体に火傷の痕は一切残っていなかった。
しかし磨り減らした存在の力や精神力は、回復してはいない。
「うう……アニカ、集中を切らせてはいけない。兄は大丈夫だ」
「イフリータはボクを傷つけるようなことはしません。安心してください」
「イフ、リータ?」
「古い友人です。昔、兄さんに話したことがありましたよね」
「そうか、あの話の精霊だったのか。ふっ。兄は、余計なことをしてしまったのだな。済まない」
「そんなことありません。ボクも最初は分からなかったのですから」
「なんと! 我のことを忘れておったのか。悲しいぞルゲンツ。それであんなに他人行儀だったのじゃな」
「う、悪かったよ。こっちで会えるなんて思ってなかったし。それに雰囲気が違うから」
「我はすぐに分かったというのに。およよよよ……」
「泣かないで。今はちゃんと分かるから」
「……ふむ、やはりルゲンツは変わらんのお」
「それでなんだけど、ボクと契約して使役精霊になってくれないか?」
精霊はアニカを見つめると、ため息を1つ。
そして首を振る。
「前からも言っておるように、我らはルゲンツと契約はせぬ。おぬしのことは好きじゃ。力になってやりたいとも思うておる」
「だったら!」
精霊は再び首を振る。
「ルゲンツは優しすぎる。故に我らを従えることはできぬ。友人にはなれても、主人にはなれぬのじゃ」
「どうして!」
精霊は兄に歩み寄ると、炎を伸ばして顔を撫でた。
「こやつは無礼ではあるが、在り方を分かっておる。精霊に舐められたら、人など幾ら存在が大きかろうが、すぐに消えるであろう」
精霊は更に炎を伸ばし、兄の身体全体を包んだ。
「いいじゃろう、無礼な羽虫よ。主と契約してやろうぞ。存在は足らぬが、ルゲンツに免じてやるとしよう」
「フン、なにが免じる、だ。すぐに貴様など、平伏させてやるぞ」
「っははははは! ここまで無礼じゃと気持ちがよいのお。せいぜい我に喰われぬよう、存在を強めるのじゃ」
「逆に俺様が喰ってやる」
「ふふふ、それは楽しみじゃのう」
「そんな! ボクと契約しておくれよ」
「ダメじゃ。ルゲンツは……そうじゃな、無礼な羽虫に――」
「フレッドだ! 俺様はフレッド・エドワード・オルバーディングだ。主の名くらい覚えろ!」
「そうか、主様の名はフレッドと申すのか。ふむ、覚えたぞ。主様、ルゲンツ様がそのときまでお仕えさせて頂きます」
精霊は右手を胸の前に当てると、深々と頭を垂れた。
「主様、1つ宜しいでしょうか」
「なんだ」
「使役されておられる火蜥蜴を、ルゲンツ様に契約変更させては頂けないでしょうか」
「なんだと」
「ルゲンツ様は力は無くとも、意志の強さだけならばよいものをお持ちになられています。此度はわたくしめが選ばれたので事なきを得ましたが、もし違えば……ですので、そうならぬ為にも、ルゲンツ様にもよく慣れている、主様の火蜥蜴ならば……と、具申致します」
「そうか、そうだな。……ふむ、よし分かった。任せる」
「はは、お任せください」
「イフリータ?」
精霊はアニカの方に向き直ると、アニカを抱きしめた。
とても優しく、柔らかな暖かさだった。
「ルゲンツよ、おぬしにはこの火蜥蜴をつけてやろう。この子はおぬしに尽くしてくれるであろう」
「イフリータは?」
「我は主様の下にゆく。しかしな、おぬしが本当に我のことを必要としたとき、我はおぬしの下にゆくであろう」
精霊はアニカから離れると、その圧倒的な存在感を無くしていき、その場から消え去った。
残されたのは、アニカと兄と火蜥蜴だった。
火蜥蜴は新しい主人に頭をこすりつけ、長く燃え盛る舌をチロチロと出した。
「兄さん……」
「ん? かまわん。火蜥蜴よ、長く俺様に仕えたこと、大義であった。これからは弟のために尽力せよ」
火蜥蜴は頷くと、アニカの中に入り込んで消えた。
契約は、一応の成功を収めたのだった。
次回、アニカを巡って兄が暴走します






