第四十二話 麒麟が我が家にくる(1)
天文十七年(1548年)5月
京より公方様の名代として大館晴光殿も大垣に参り全ての準備が整った。
まず始めに和睦の儀式であるが、尾張からは守護の斯波義統とその嫡男の斯波岩竜丸(7歳)が大垣城へ招かれている。
斯波岩竜丸には将軍足利義藤の『義』の一字が拝領され、正六位下左兵衛佐の官位も与えられた。
斯波岩竜丸はまだ7歳であり早くはあるが、『斯波義銀』として元服することとなる。
武衛家(斯波宗家)は、守護代の織田大和守家や現状では又守護代の坂井大膳に押さえ込まれている有様であり、幕府のお声掛かりで嫡男の元服を行うことができた、父の斯波義統は満足そうであった。
武衛家への栄典に関して言えば、織田弾正忠家を奉公衆にすることへの懐柔策に他ならないし、費用の半分を弾正忠家が拠出しているので、武衛家と弾正忠家の融和策でもある。
そして、これらは守護代織田大和守家の織田信友と小守護代坂井大膳らへの挑発でもあった。
ぶっちゃけると、この式典から織田信友と坂井大膳らを完全に締め出したのだ。
むろん当然出席するつもりで大垣城まで斯波義統一向と共にのこのこやって来た織田信友や坂井大膳を文字通り門前払いした。
「お前らの席はないから」である。
大垣城の城門前で何やら騒いでいるが、式典は織田信友や坂井大膳らを無視して粛々と進められた。
尾張守護の斯波義統と美濃守護の土岐頼芸とが和睦の誓詞を交し合う。
斯波家も土岐家も落ち目であり既に大した勢力はなく名目だけの存在に成り下がっているため、これはただのセレモニーでしかないのだが、まあ形式も必要なのだ。
続いては斎藤道三の従五位上越前守への任官である。
越前守はかつて美濃守護代斎藤惣領家が自称した官位であり、これで斎藤道三は守護代相当とみなされることになる。
そして締めに行われるのが、織田備後守信秀の嫡男の織田弾正大忠信長と斎藤越前守道三の娘である『帰蝶』の婚儀である。
大館晴光に大和晴完という幕臣の典礼のプロのツートップに、弾正忠家の知恵袋な平手政秀も協力し、あの明智光秀が小間使いで手伝っているという豪華メンバーでの式典運営であり、全くぬかりはなかった。
当然の如く全ての式典の事前準備から当日の差配まで、面倒なことはこいつらに丸投げしているぞ。
俺はこいつらに方向性を示す影の支配者として君臨していたのである。
そこの君、お前何もしていないだろとか失礼なことは言わないで欲しい。
この後の観世流猿楽公演で小鼓も叩くし、式典の費用の大半は俺の金だぞ? 残りは信秀と道三が出しているけど。
それに、奉公衆と道三から借りた兵を率いて、織田信友らを追い返してイジワルするという大事な仕事もやったのだ。
むろん織田大和守家の締め出しは、織田信秀や斎藤道三と協調しての動きであり、今後、織田大和守家を排除し尾張を織田弾正忠家でまとめるための算段である。
尾張を織田弾正忠家が、美濃を斎藤道三の斎藤家がお互い協力してまとめていくための両家の婚儀でもあるのだ。
両家の婚儀は豪華式典運営メンバーのおかげでつつがなく終った。
観世流の猿楽上演も行われ、頑張って太鼓の達人をやっていたが、俺の小鼓などはもはや正直どうでも良かったりする。
そして猿楽ののちに宴会になだれ込んだ。
宴会の料理は相変わらずの俺流フルコースを展開した。
蕎麦に、天ぷらに、とろろご飯に、鰻重に、今回はひつまぶしと新鮮なアジが手に入ったので刺身も出している。
デザートはもみじ饅頭に草加煎餅、アンザッククッキー、今回はパンケーキも出しているぞ。
饗応の料理の準備も明智光秀がよく手伝ってくれた。
どうにも俺の料理法をスパイしているようであったが、楽がしたかったので結局光秀をこき使ってやった。
史実で徳川家康の饗応役もやったという光秀は、こき使いがいがあり俺は相当楽ができました。
しかし、明智光秀とか大和晴完とかを家臣にできればこの先相当楽ができるのだが、なんとか家臣にできぬものであろうか……
そんなことを考えながらも宴会は無難に終わった。
宴会の後、手伝ってくれた明智光秀を労いながら、いろいろとささやいておいた。
そして一夜が明け、胃が痛くなる会談がなされるのである。
◆
大垣城に設けた茶室で6人の男が座っている。
そのメンバーは、俺こと細川藤孝に、我が腹心の米田求政、そして斎藤道三にその嫡子の斎藤義龍(利尚)であり、とどめに織田信秀とその嫡男のうつけこと織田信長の6人である。
濃尾国境の冨田で行われた正徳寺の会見が1553年であり、5年早く斎藤道三と織田信長が会見することになる。
まあ既に昨日に式典や宴で顔合わせは済ませているが、ここからはガチでの外交だ。
俺が招いたとはいえ、正徳寺会見よりも非常に胃に堪えるメンバーで行うことになった。
(正徳寺の会見は斎藤道三と織田信長が初めて顔を合わせ、道三が信長を気に入り、両家の同盟が強固になった会見です)
濃尾の大枠の和議がなり、大垣城の寄進がなったとはいえ、決めなければならないことは多々あり、両家の懸案事項の協議をするための席である。
まずは両家の勢力境界の再設定を協議する。
濃尾国境は木曽川の本流であった境川に土砂が堆積し、流量の低下により木曽川の流れの多くが尾張方面へと川筋を増やしていた。
決定的になったのは1586年の大洪水であり、豊臣秀吉により尾張国の一部が美濃国へと国替えにもなっているのだが、この頃から既に国境は結構あいまいであったりする。
また「武功夜話」にだけ記載されている言葉なのだが、「川並衆」という言葉がある。
川並衆とはようするに木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域の濃尾国境周辺の国人衆らのことである。
彼ら「境」に生きる者は戦いのたびに尾張方、美濃方へと属する先を変え、織田家も斎藤家もなかなか支配を及ぼすことができなかった。
「川並衆」と称される国人には、蜂須賀正勝(小六)、坪内勝定、前野長康(坪内将右衛門光景)、大沢次郎左衛門正次(基康)、松原源吾、日比野清実、青山新七(昌起)、稲田大炊助貞祐などがおり、彼らは、木曽三川の水運を担う者でもある。
また織田信長の側室で嫡男織田信忠を生んだ『吉乃』の生家である生駒家は木曽三川流域で灰屋という、染料用の灰と油を商い馬借としても財をなした武家商人であったりする。
(吉乃や類の名は恐らく創作である。生駒家と信長の婚姻は織田弾正忠家らしい経済的な面での結びつきの強化とも考えられる)
これら木曽三川流域で活動する国人衆を両家の勢力下に置くことは、尾張・美濃の流通の大動脈を押えることにもなり両家の経済力強化ともなるのだ。
両家から『川並衆』に圧力を掛け、順次どちらかの傘下に治めていく方策を採ることと決まった。
次なる議題は、守護代織田大和守家への対応である。
ほかに織田伊勢守家も居るのだが、織田弾正忠家とは友好関係にあるため、織田弾正忠家が敵とするのは、とりあえず織田大和守家の又守護代坂井大膳などである。
すでに大垣で門前払いして挑発しまくったのですぐに暴発するであろう。
織田大和守家を織田弾正忠家が攻める際には、斎藤家が援軍を出すことで、これもすんなり決まった。
対して斎藤家は美濃国内で対立していた、土岐頼純派への懐柔や討伐、それに加え東濃への支配強化をはかることになる。
斎藤家が動く際には織田弾正忠家が斎藤家に援軍を出すことも約された。
東濃の隣国の信濃では甲斐の武田晴信が村上義清や信濃守護小笠原長時と争っており、数年後には木曽谷の木曾義康は武田の支配下となり、東濃の遠山氏も武田の影響下に入ってしまうことになる。
その前に東濃を斎藤家が押える必要があろう。
尾張の織田家、美濃の斎藤家でガッチリと組み、甲斐・信濃の武田家、駿河・遠江の今川家に対抗する形が取れれば最高である。
幕府としては、織田家、斎藤家への支援を約するわけである。(ほぼ俺の独断ではあるが)
ここまでの談合は基本的に斎藤道三と織田信長とがメインで話を進めていた。
本来であれば織田信秀と斎藤道三が主であるはずなのだが、やはり道三と信長のウマが合うようで、信秀も途中から信長に主導権を渡していた。
斎藤義龍(利尚)はなかなか議論に入れず、ちょっと信長にジェラシーを感じているようであったが、面白いからほっといた。
そして次なる話は幕府(俺)から両家への技術支援と商売の提携のお話である。
「その話を待っておったぞ! ワレは早くおみゃーさんから約束どおり硝石の作成方法に鉄砲の運用法の教えを請いたいのである」信長がさらにやる気を出した。
「兵部殿に婿殿よ。なにやら面白き話しをしておるようじゃが、鉄砲の運用に硝石作りとは聞き捨てならぬな」道三もツッコミを入れてくる。
「兵部殿は織田家に対してそのような約束をしておりましたのか?」斎藤義龍(利尚)も興味津々だった。
「弾正殿(信長)には以前お約束したことでありますが、鉄砲の運用に必要な硝石の作り方と、鉄砲の連続射撃を可能とする早合の技、それと根来産の鉄砲をお譲りいたすこととなっております。大垣城を放棄する条件として御供衆の地位や弾正大忠の官位の約束とともにでありますが」
「それは少し不公平ではないか? 我が家は御供衆にもなっておらんし、儂の嫡男への官位もまだである。我が斎藤家にも等しくお願いしたいものだな」
「舅殿、大垣は我が軍が押えておりました。兵部殿が我が織田家により好条件を提示するのは致し方ないのでは」
「それに道三殿は越前守の官位を得ておるが、わし(信秀)は新たな官位を賜ってはおらぬぞ」信長と信秀がツッコミ返す。
「そうではあるが、御供衆や官位はともかく、硝石はなかなか手に入らぬものだ。我が斎藤家も兵部殿に教えを請いたいものであるわ」
「舅殿とは縁戚となったのだ。ワレは我が家のみで硝石を独占しようとは思わぬが、それには兵部殿の許しが必要であろうな」
「かたじけないな、婿殿。婿殿は許してくれておるのだ、我が斎藤家にも硝石を譲っていただきたいものだ。兵部殿いかがであろうか?」
道三と信長が仲良すぎー。
それに織田家にだけ硝石の技術供与をしても、あとで織田家が斎藤家に教えてしまえば同じであるし、ここで提供するのは所詮『古土法』での硝石作成法だから俺としては別に教えてもかまわないものである。
「分かりました。硝石の作成法や早合による鉄砲の運用は、両家に対して等しく開示いたしましょう。念のため申しますが、他家への他言は無用に願います。ですが、根来産の鉄砲は10挺程しか用意がありませぬ。鉄砲の提供は織田家にのみでお許し下さい」
「その頂く鉄砲10挺だが、そのうち半分を織田家から斎藤家に譲っても構わぬか?」
「は? そうですね、それは宜しいことであります。両家の絆がさらに強まる良いお話かと」
「がっはっは、儂は良い婿を貰ったものじゃ」
うん、だから斎藤道三と織田信長って仲良過ぎだわ。
「では、のちほど硝石の作成法を記したものをお渡しします。早合の方法については、のちほど我が家臣の米田源三郎から指南を受けることでよろしいですかな? それと少し談義が長引いておりますゆえ、休憩にいたしましょう。源三郎、平手殿と明智殿に食膳の用意をするよう伝えてくれ」
「はっ」
隣室で控えていた、平手政秀や明智光秀らに昨日の宴とほぼ同じメニューで申し訳ないが、蕎麦と天ぷらともみじ饅頭にお茶を運び込ませた。
それと試作したばかりの固形石鹸も持って来させる。
◆
【麒麟が我が家にくる(2)に続く】
大河の放送は止まってしまったが、我が家には麒麟が来るお話
後編は短めなので、今週中にあげる予定




