第六話 心の友(1)
天文十五年(1546年)9月
俺の名は松井新二郎。
人には言えないが俺の密かな楽しみは、主人を陰ながら眺めることだ。
美しい――この世にこれほど美しいものがあるのであろうか……
俺は一目見た時から心を奪われた。
そう我が主の足利義藤さまに見事に心奪われてしまったのだ。
俺は義藤さま、当時は菊童丸様だが、菊童丸様が外出した折に一目見て、親父にあの御方のお側にお仕えしたいと願った。
親父は悲しい顔をして俺に言った。
「松井の家では家格が合わぬ。それは無理なのだ」と。
松井の家は将軍にお目見えができる奉公衆の家柄ではなかった。
ましてや将軍のお側にお仕えできる御供衆や御部屋衆といった家格でもない。
応仁の乱以降、幕府の身分制度はだいぶ緩んでいたが、家格もなく何の手柄もない家の者がいきなり将軍の嫡男の側近にはなれなかった。
「松井の家は医学に秀でる家でもあるのだ。医師として身をたて典医として仕えればよかろう」
そう父には言われたが、俺は武士として仕えたかった。
俺は体を鍛えるのが好きだった。
武芸を修めるのも好きだった。
……それに俺嫡男だぞ。
だが俺は諦めきれなかった。
俺は機会を見つけて外出中の菊童丸様に直訴した。
今考えれば礼儀知らずであり、とても無謀な話だ。
痴れ者として斬られていてもおかしくなかっただろう。
「菊童丸様! 何卒私をお供のお一人にお加え下さい!」
突然声を上げた俺に周りの者どもは言った。
「無礼者!」
「身分をわきまえよ!」
「この痴れ者が!」
「黙れこわっぱ」
口々に罵倒された。
だが、菊童丸様はそんな俺に声を返してくれたのだ。
「許す。新二郎と言ったな。わしと遊ぼう」と。
もちろん周囲の者には反対されたであろう。
だが菊童丸様は俺をお側に置いてくれたのだ。
俺は菊童丸様の母親の家である近衛家の家人という身分で、特別に菊童丸様にお仕えすることができた。
年も近いので菊童丸様の遊び相手としてはちょうど良かったのも幸いした。
この時決めたのだ。
俺は何があっても義藤さまに誠心誠意お仕えするのだと。
さらに体を鍛え、武芸の修行にも励み、立派に義藤さまの護衛を勤めてみせると。
今は義藤さまに近侍することを許されているが、松井の家が御供衆や御部屋衆になったわけではない。
義藤さまの御母堂様に出仕し、近衛家の家臣として護衛役の名目で仕えているのである。
俺は義藤さまの護衛に徹している。
護衛以外のことには出しゃばらないつもりだ。
俺が余計なことをすれば近衛の家に迷惑がかかる。
そして何より義藤さまの側に居られなくなるのが怖いのだ。
家格の足りない俺を無理に仕えさせてくれた義藤さまに迷惑はかけられない。
俺は義藤さまのお側にただ居られれば良いのだ。
大望なぞ望むべくもない。
俺の望みは義藤さまのお側に仕え、ただ、ただ義藤さまを「眺める」ことなのだから――
◆
だが、どうにも最近気に入らないことがある。
義藤さまに近づく怪しい輩が現れたのだ。
その輩は細川与一郎という。
淡路細川家の嫡男ということだから身分はしっかりしている。
義藤さまが将軍に就任の折には御部屋衆として側近になるのであろう。
……正直羨ましい。
将軍の嫡子である義藤さまに擦り寄ろうとする者は大勢いる。
だが義藤さまは余りそういった者どもを近づけさせない。
細川与一郎とやらが現れるまではそうだったのだ。
だが細川与一郎は何かが違う。
義藤さまが普通に近づけているのだ。
なぜだ? それに義藤さまの態度もなぜかヤツには違うのだ。
このところなにか近すぎやしないか?
……おい、正直羨ましいぞ。
それに細川与一郎の義藤さまを見る目だ。
どうにも怪しい……あの目はよからぬことを考えている目だ!
俺の勘が訴えてくる、あの男は危険だと。
今日も細川与一郎は義藤さまのところへ兵法指南と称してのこのこやって来ていやがる。
何やらまた黒うどんなる物を義藤さまに献じているようだ。
そういえば東求堂の茶室でこの前も調理していたな。
黒うどんの話は俺も先日噂で聞いた。
なにやら流行りのうどんらしいが、普通のうどんと何が違うというのだ?
茶室で与一郎みずからが調理し義藤さまに振舞っている。
義藤さまはとても美味しそうに食している。
義藤さまはじつは大変な食いしん坊であるのだが、そこをついてくるとは与一郎め!
なんと卑怯な男であるか。
しかし義藤さまは本当に美味しそうに食べるな。
幸せそうに食する姿がとてもお美しい……火を使うからか戸を開けているので、そのお姿を拝見できて少し嬉しい。
いや、いかん。
惚けている場合ではない。
与一郎のよからぬ企みを看破してやらねばならないのだった。
あやつは義藤さまを黒うどんとやらで籠絡して何をしやがるつもりなのだ。
そんなこと考えているうちに食事は終わったようだ。
義藤さまは食後の腹ごなしといって弓の稽古をはじめた。
しっかりお代わりしているところが義藤さまらしくて良い。
さて与一郎めはどこにいったか……与一郎は義藤さまの食した黒うどんとやらを片付け、あちらで義藤さまの弓の稽古を見ているようだな。
……義藤さまからは距離があるな。
出しゃばるようなマネはしたくはなかったのだが、どうにもこの男は我慢がならん。
よし、少し問い詰めてやろう。
「貴様。何を見ているだろ」
与一郎に近づき声を掛けた。俺がこの男の化けの皮を剥いでやろう。
「何を見ているって、若様の弓の稽古を見ているだけだが」
与一郎は突然俺に声を掛けられ驚いた様子だが、ぬけぬけと言い返して来た。
「いや、貴様は何かよからぬことを考えているのではないか?」
「何の言い掛かりだそれは。俺はただ主君を大事と思って見ているだけであるぞ」
「いいや、貴様の目だ。貴様の目は若様を何か邪な目で見ているだろ!」
「そういうお主こそ、いつも若様の護衛と称して若様を邪な目で見ているのではなかろうな? 怪しい……実に怪しいぞ」
「ば馬鹿な! そんなことがあるわけがないだろ。俺は若様を邪な目で見たことなどない! 俺はただ若様の美しいお姿を見ているだけで満足で――」
しまった俺は何を口走っているのだ。
「美しいだと! お主まさか?」
「ち違う! 決して男色とか、そのような破廉恥で邪な気持ちではないのだろ! ただ純粋に若様を――」
「だ、男色だと……」
「だから違うだろ! 俺にとって義藤さまは違うのだ! そう俺にとっては神や仏のようなもので、とても美しく神々しいものなのだろ!!」
……お互いが沈黙する。
先に口を切ったのは与一郎だった。
「ならば私と同じではないのか? 私も義藤さまを美しく思っているが、邪な目でみているわけではない。ましてや男色などというものは毛嫌いしている」
(個人の感想です)
「俺も男色ではなく――」
男色などとは決して違うのだ。俺は義藤さまに肉欲などはないのだ!
ただ、ただ義藤さまを美しく思うだけなのだー!
「では俺もお主も美しいものを見て幸せだと感じているだけではないのか? 共に静かに眺めようではないか。煩くすれば義藤さまに迷惑がかかる」
俺と同じ思いだというのか?
この与一郎もただ義藤さまを美しいと思っているのか? 俺は……
「なあ、お主を何度か見かけているが、悪いヤツではないと俺は思っていた。俺の名は細川与一郎藤孝と申す。よければ名を教えてはくれまいか? 俺たちは友になれると思うのだが?」
と、友だと。
身分違いの俺を友だというのか……
「お、おれは松井新二郎勝之と申すだろ」
「そうか新二郎。おぬしに良い言葉を教えて進ぜよう」
「良い言葉?」
「そうだ。美しいものを見て、心が幸せになる。それはな――」
与一郎は何を言うつもりなのだ?
「――『萌え』というのだ」
ズガーン!!
衝撃が俺の頭を叩いたようだった。
「萌え」……なんと相応しい言葉か。
俺の、俺のこの想いをまさに現すような衝撃的な言葉だった。
「萌え……だと……」
「そうだ。萌えだ」――与一郎が断言する。
俺たち二人は互いを見つめて、そして互いの拳をぶつけ合った。
何故そんなことをしたのかは分からない。
だが、やらずにはいられなかったのだ。
俺たちが互いを認めあった瞬間なのであろう。
……たった今、この戦国の世に実によく分からない友情が生まれた。
【注意】
松井新二郎……義藤さまを「男」として見て「萌えて」マス
細川与一郎……義藤さまを「女」として見て「萌えて」マス
「我ら足利義藤さまに『萌え』を感じる者同士。ともに義藤さまのため命を掛けようではないか!」
与一郎殿が一度ぶつけた拳を開いて手を出して来る。
「おう! 心の友よ!」
俺はよく分からないが、その手を取り握りあった。
これが日本史上初の「ハンドシェイク(握手)」であったと伝わる――
ここに誰か余人が居れば思わず突っ込まずにはいられなかったであろう。
「お前ら真面目に仕えろヨ」――と。
とってもアホな二人に義藤さまが近づいて来る。
「お前達、何をしているのだ?」
しまった。少し騒いで若様の弓の稽古の邪魔をしてしまった。
「いえ、義藤さま。たった今、この新二郎と友になったところなのですよ」
与一郎がうまく誤魔化してくれた……まあ嘘は言っていないな。
「まったく。わしが一所懸命に弓の稽古をしている時に、お前たちだけでずるいではないか……まあ良い」
若様の弓の稽古を邪魔してしまって申し訳ない気持ちになる。
「藤孝、この者は不器用なヤツでな。どうにも周りと打ち解けずに、良い友が居ないようなのだ。新二郎は不器用だが、わしに良く仕えてくれているのじゃ。こののちも是非仲良くしてやってくれ」
「はっ、畏まりました……って、新二郎、お前はなんで泣いているのだ?」
「どうしたのだ新二郎?」
義藤さまが驚いた様子で近づいて来てくれる。
「良く仕えてくれているなんて、俺にはなんてもったいないお言葉だろ……」
「新二郎……まったくしょうがないやつだな。これを使うがよいぞ」
義藤さまが手ぬぐいを差し出してくれた。
「あ、有難き幸せだろ」――涙が溢れて止まらない。
義藤さまが笑ってくれている。ああ、俺は幸せ者だろ……
この命、必ずや貴方様の為に使いますぞ――
義藤さまを守るため、俺は自らの命を掛けることを改めて決意したのだった。
そして、こうも思ったのだ「萌え」とはとてもスバラシイものだなぁと。
◆
【心の友(2)につづく】
「萌え」ってまだ使います? もしかして死語?
最近聞かない気がするのは私が歳をとったせい?
またまた感想を頂きましてありがたいです。
気が向いたらでいいので一言だけでも何か反応があるとモチベになります。
誤字脱字報告も頂きましたが非常に助かります。ありがとうございました。