第五話 東求堂(2)
【東求堂(1)の続き】
◆
吉田神社から慈照寺まで、今日は兄上と一緒に歩いて行くことになり、いろいろと足利義藤様のことを聞くことができた。
若様は爵を受けて、すでに幼名の菊童丸から義藤に改名をしているのだが、まだ正式には元服をしていないらしい。
そのためであるのか、義藤様の近侍もまだ任命されていないらしい。
それに義藤様は人前に出ることも少ないそうだ。
そういったこともあり、兄上は俺が若様に近侍することになって驚いていた。
俺はなんとなくであるが若様が女性であることを隠しているから人前に出ることが少なく、近侍も置かないのではないかと思えた。
慈照寺に入り公方様(足利義晴)のいる常御所で働いている兄上とは別れて、銀閣寺の側にある東求堂へ向かった。
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東求堂 1486年建立
京都左京区の慈照寺(いわゆる銀閣寺)の境内にある。
慈照寺のなかで銀閣寺とともに創建されたままの室町時代の建物が現存する国宝である。
創建は銀閣寺の3年前になり書院造の最古のものとなる。
東求堂は曳家されており、創建当時は銀閣寺の側に建っていたと推測されている。
慈照寺に行ったら銀閣寺だけではなく、せっかくなので東求堂も是非見に行こう。
――謎の作家細川幽童著「そうだ京都へ行こう!」より
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「よく来たな、万吉!」
東求堂の縁側から若様に笑顔で元気よく声をかけられた。
胸を張ったポーズなのに胸が出ていない……成長はこれから期待するとしよう。
「お久しゅうございます」――と、慌ててひざまずく。
「おかげを持ちまして、それがしは元服いたしました。今は細川与一郎藤孝と申します。若様にありましては以後お見知りおきの上お引き立てよろしくお願い奉ります」
「……与一郎、苦しゅうない、面を上げい」
「ははっ」
顔上げて改めて若様を見るのだが、さっきの笑顔が消えており何故か不機嫌な顔をしている。
何か不調法をしでかしたのだろうかと心配になってしまう。
いや、そういえば胸を見ていた気もするが……
「許す、さっさと上がるがよいぞ」
「はっ、ただいま」
草履を脱いで、東求堂の縁側にてかしこまる。
「何をしているか、早く入るがよい」
若様は不機嫌なままであり、俺を置いてささと東求堂の室内に入ってしまわれた。
慌てて後を追って俺も室内に入る。
「そんなところで何をしている。もっと近うよるがよい」――ちょっとだけ近づく。
「もそっと!」――やばいなぜか若様が半泣きになった。
「若様、恐れ多くございますれば」
「そ、そんなんじゃ、お主をわざわざ呼んだ意味がないではないか! わしは……ヨシフジと呼べと申したであろう!」
もう完全に泣きだしそうというか、若様の目から一滴の涙が零れてしまう。その涙を見て馬鹿な俺はようやく気付くのだ――
「これは……わたくしの心得違いでございました。お許しくだされませ」
ゴホン、と咳払いをわざとらしくする。
気持ちを切り替えるためである。
「さあ義藤さま、機嫌を直してください。勉強をはじめましょうか」
にっこりと笑顔で不調法に言ってみる。
頭を下げたりもしないし、そして普通に近づいた。
「そうじゃ、それでよいのじゃ」
あ、笑顔になった。やっぱり義藤さまは可愛い。
そう……義藤さまは、かしこまられる相手ばかりで嫌気がさしていたのだ。
義藤さまはもう少し対等な関係というか、気を使われすぎない関係に憧れていたのであろう。
記憶をなくして、何も知らない俺が、義藤さまが将軍継嗣であることも知らずに、思えば無礼であった俺の態度や、てきとーな俺の口調を義藤さまは気に入っていたのだ。
「ただ人前では無理ですよ」――と、一応つけ加える。
「わかっておる」――と言って、義藤さまが舌を出して来る。
うーむ、可愛い。ただ、なんだか幼児化している気がしないでもないのだが、おそらく義藤さまは11歳くらいだろうから、本来はこんなものなのかもしれない。
「では、さっそく孫子の続きでもやりましょうか」
「うむ、頼むぞ」
「『兵は、詭道なり。』孫子の有名な一説で、戦争とはしょせんだましあいであると説いています――」
とりあえずは俺のお仕事である。兵方指南役として「孫子」の講釈を義藤さまに行うのであった。
◆
義藤さまの「お腹がすいたな」の声で、昼時が近いのに気づいた。
いったん兵法のお勉強会はお開きとする。
「なあ与一郎。お主は知っておるか? この近くに何やら美味いと噂のうどん屋があるそうだ。中間や小者どもが噂しているのを聞いたのだが、わしも食べに行きたいと思うのだ」
「そんなに食べたいのですか?」
「うむ、最近はなかなか外出が許されないのであるが、また抜け出してでも行ってみたいと思っておるぞ」
(義藤さまは前に慈照寺を抜け出して、白川のほとりでぶっ倒れていた俺を発見している)
「そうですね、今日のお詫びに食べさせてあげてもよいですが……」
「まことか? わしを連れて行ってくれるのか? それとも黒うどんとやらを買ってきてくれるのか? いつかのー楽しみじゃのー♪」
「いつかではなく、たった今ご用意いたしましょう」
「今すぐとな?」
「はい、こんなこともあろうかと、実は持参しております」
そう言って持ってきた蕎麦を義藤さまに自慢げに見せる。
「鍋か釜と、あとは煮炊きができる場所さえあれば今すぐにでも作れるのですが」
「なんじゃ。それなら任せるがよい」
そう言って義藤さまが部屋の中央の畳をおもむろに開けた。
畳半畳分のスペースに囲炉裏が現れるのであった。そうここは茶室であったのだ。
なぜか得意げな二人は、お互いを見合って苦笑してしまう。
「誰かある!」
義藤さまが部屋の外に声をかけると、いつもの護衛君がすぐに駆けつけた。
「はっ、新二郎ここに」
「新二郎すまぬがここで煮炊きがしたいのじゃ、鍋か釜と煮炊きの準備を頼めるか?」
「かしこまりました。すぐに用意させます。しばしお待ちくだされますよう」
そういって護衛の新二郎はすぐに奥へ飛ぶように歩いていった。お前は競歩のオリンピック代表選手か何かかよ。
グツグツグツ……
国宝である東求堂の茶室「同仁斎」で、鍋で蕎麦を茹でている。
千利休などが見たら飛び蹴りでもかましてきそうな光景であろう。
さすがに天ぷらは持って来なかったので、今回は「もり蕎麦」になる。
蕎麦を湯切りしてざるに盛って、めんつゆを用意する。
「まだか? まだか?」と待ちきれないご様子の義藤さまが可愛いが少しうっとうしい。
「さて、出来ましたよ義藤さま。まずは私が食し方の手本を見せましょう」
ざるから蕎麦を箸で掴んで三分の一ほどめんつゆに付けて一気にすする。
うん、我ながら美味い出来だ。
「さあ、義藤さま。どうぞ召し上がって下さい」
「うむ、いただくとしよう……ンマー、美味いぞ〜♪」
義藤さまが笑顔で美味しそうに俺の作った蕎麦を食べてくれている。
それを眺めるのはとても幸せなことだと感じるのだった……
◆
――少し考え込んでしまった。
義藤さまは「足利義輝」だ。
史実で足利義輝が弑逆されるのは1565年だったはずだ。
三好三人衆と三好長慶の後継者である三好義継によって引き起こされる「永禄の変」で命を落とすことになる。
今は1546年だ。
襲撃されるまであと19年ということになる。
19年後か、時はあるな。
もしかしたら救うこともできるのではないか?
だが、俺の手で歴史を変えてよいのか?
そんなことが許されるのだろうか?
だが一つ分からないことがある。
足利義輝が可愛い女の子だったのは、一体どういうわけだ?
前にも思ったが上杉謙信じゃあるまいし、足利義輝女説なんて俺は聞いたことがない。
なんというか既に歴史は変わっているのではないか?
というかなんで女だ? おれが戦国時代に転生したせいなのか?
何かが歪んでしまったのか? この先の歴史はどうなるのだ?
既に変わっている歴史なら、俺がどう変えてしまおうがかまわないのではないか?
俺は義藤さまが好きなんだと思う。
助けてもらった恩もあるし、可愛いし、一緒に居て今すごく楽しいのだ。
幸せな気分になれるのだ。
……男が戦う理由としてはそれで十分ではないのか?
惚れた女のために歴史を変える?
そうだよな、そんなのあたりまえだよな!
惚れた女を助けるんだ。
それだけで動機は十分じゃないか。
だが実際問題として義藤さまを助けることは可能なのであろうか?
それを、俺にやれるのか?
助けるのは当然だ。惚れた女を見捨てられるわけがない。
もう見捨てたくはない……
だがしかし、どうやって助ける?
足利将軍家も室町幕府も衰退しきっているではないか。
三好家の台頭もすでに始まっているのであろう。
今から足利将軍家が三好家を倒す?
室町幕府を再興して天下を統一する?
そんなのは間違いなく無理ゲーだ!
バンゲリングベイもびっくりな鬼畜難易度だ。
室町幕府に残された体力なんてスペランカーだぞ。
とにかく三好家に滅ぼされないように室町幕府を強化する。
それが第一目標だ。
けっこうな無理ゲーではあるのだがやるしかない。
だが、現状で俺に何がやれる?
俺は細川藤孝に生まれ変わったが、若い頃の細川藤孝について知っていることは少ない。
細川藤孝という戦国武将が歴史の表舞台に登場したのは、足利義輝の弟である15代将軍の足利義昭の救出劇からだ。
細川藤孝は確かに文武両道のチート野郎ではあるが、若い時代から目立った業績を上げているわけではない。
というか今の俺は数えで13歳のガキなのだぞ、こんな若造に何ができるというのだ?
今の細川藤孝は『淡路細川家』の養子で跡取り息子という立場だ。
俺が知っている細川藤孝は『和泉守護細川家』を継いでいたはずなのだが、これはどういうことだ?
歴史が変わったのか? それとも俺が知っている知識が間違っていたのか?
まあ、和泉守護家のことを今は考えてもしょうがない。
淡路細川家の現当主は俺の養父である細川刑部少輔晴広だ。
義父上は現将軍の足利義晴の側近ではあるが、淡路細川家自体にそこまで力はない。
幕府の奉公衆として幾ばくかの知行があるだけだ。
淡路細川家の力は正直まったくあてにできん。
要するにたいした領地もなければ、軍事力もない。
さらに俺は当主ですらないので指揮権もない。
しかも現在洛中は細川国慶に占拠されており、義父の細川晴広は上京の淡路細川の屋敷を放棄して、公方様とともに東山の慈照寺に逃れている。
室町幕府は絶賛洛中から逃亡中で、そして今の俺は吉田神社に居候の身だ。
これでは内政チートも軍事チートもやりようがないではないか。
内政チートでお金を稼いで、織田信長のマネをして「楽市楽座」とかでお金を稼いで「兵農分離」などで常備軍を整備して、さらには鉄砲を買いあさって数を揃えた鉄砲隊で敵を殲滅する。
戦国時代のチートのセオリーはこんなところだと思うのだが、部下も領地もない現状では何もできないではないか。
さて困ったな……まあ、何にしてもまずは銭だな。
銭さえあれば土地を買ったり御料所や荘園の代官の身分を購することも可能であろう。
徳政を訴えられる恐れもあるが、そこはそれ幕府内に強力なコネも出来た。(義藤さまのことです)
銭があれば家臣や郎党を雇うこともできるだろう。武器の購入も可能だな。
やはり鉄砲の購入は早く始めたいところではある。
金はあって困るものではない。金があればできることも増える。結局どの時代も世の中金か……
「おかわりじゃ!」
義藤さまの食いしん坊な声で我に返った。結論の出ない思考をいったんやめて、義藤さまにおかわりの蕎麦を盛ってあげる。
今ぐらいは、義藤さまの側にいられる幸せを感じて居てよいかな?
どうせ平和な時間は、そう長くは続かないのだから――
スペランカーとか意味通じますかね?たまにファミコンがすごくやりたくなる。
アイスクライマーとかシティコネクションとかソンソンとかバトルシティとか
やりだすと止まらない。