第三十三話 猿楽の舞(2)
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いよおー、ポン♪ いよおー、ポン♪ ピロロ〜♪ いよおー、ポン♪
おう! いやあポンポン♪ おう! いやあポンポン♪
正月二日から吉田神社で猿楽(能)を見ております。かれこれ2時間以上は見ているのではないかな……まさに拷問である。
何故か俺は公方様の横で猿楽(能)を見るはめになっているのだが、猿楽にも詳しいので公方様の説明係を押し付けられたわけである。
ちなみに演じられているのは正月初会なので、神聖に扱われるとされる祝言曲の「翁」である。
なぜに吉田神社で猿楽(能)を興行しているかというと、最近少し大人しかった兼右叔父が節分祭に向けて文化活動に本気で取り組んでいた。
正直、吉田家もこのところ儲けまくっていて懐が暖かいのである。
吉田神社境内に金を掛けて新しく立派な能舞台を建てていた。
今日はそのお披露目興行なのである。
金があるので芸能活動をサポートして箔をつけようという魂胆である。
現代でも企業が「メセナ」として文化活動を支援することはよくある。
吉田神社としては神事にもなり、縁のある猿楽の流派の一つ観世流を支援しようとしているわけである。
猿楽といえば春日神社(現、春日大社)と興福寺の神事に奉仕していた、大和四座といわれる猿楽の座が現代の「能楽」に直接的に繋がっている。
大和四座の中から室町幕府の足利義満に重用された観阿弥・世阿弥父子が現れ、能の流派ではもっとも有名な観世流となった。
室町幕府も観世流を支援しており、義輝(義藤)公の将軍宣下、元服披露でも祝賀能を行っていたりする。
ちなみに奈良の春日神社と興福寺であるが、この時代神仏習合思想で春日神社と興福寺は一体になってしまっている。
興福寺の僧兵が朝廷などに文句があって強訴する時に担いでいくのが春日神社の神木だったりする。
そして我らが吉田神社にとっても能とは関係が深かったりする。
元々が吉田神社は奈良の春日神社の流れをくむ神社なのだ。
藤原山陰(伊達氏の祖)が藤原氏の氏神である春日神社の神様を勧請(分祀)して吉田山に建てたことが吉田神社の起源だったりする。
その縁から吉田家は猿楽の大和四座とは関係が深い。
能の中でも最も神聖視され正月初会や祝賀能で演じられる『翁』の秘事である『翁の大事』を観世流の家元や宝生流の家元に吉田家が授けたりしている。
能の中には神道、特に吉田家の唯一神道が生きていたりするわけである。
作中では鰻屋の店長になってしまった吉田兼有であるが、その父である吉田兼将は観世流の観世弥次郎長俊と親しく、能に関する書物などを書き残している。
また清原家では飯河家に養子に出た奉公衆の飯河秋共が一両斎妙佐の名で能の世界では有名で、観世流七世家元の観世宗節の弟子であり、後年細川藩の能の師匠になったりするなど観世流とは縁が深い。
最後に能といえば最近忘れがちなのだが、俺は「細川藤孝」なのである。
細川藤孝といえば「もう一曲あそべるドン!」ではないのだが太鼓の達人だったりする。
まあ太鼓じゃなくて小鼓(肩に担ぐ小さいやつ)だったりするのだが、細川藤孝を名乗るなら小鼓を習わなければならないだろう。
(藤孝の芸はなるべく回収するスタイル)
そんなわけで吉田家が観世流の一座を吉田神社に呼んだ際に、史実どおりに囃子方の観世流太鼓方宗家4代の似我与左衛門(観世国広)に弟子入りをした。
そんなに簡単に弟子入りできるのかって?
そんなものはお金を積めばどうとでもなるのである。
応仁の乱以降、京が荒れたため猿楽の公演が減り、世知辛い世の中だが観世流も懐が寂しいのである。
義藤さまが怖くて小出石村に行けないので、こっちに残って文化活動をしていただけともいう。
嫁さんが怖くてゴルフに行けないお父さん状態である。
しばらく義藤さまの元に出仕しながら、ヒマな時は小鼓を叩きまくるという生活をしていた。
とりあえず細川藤孝の芸事では茶道に香道に能の小鼓を回収した。
包丁道も大草公重殿に大草流を習っている。
あと残っているのは書道とか古今伝授に連歌あたりか。
武芸のほうも早いところ適当に塚原卜伝あたり(剣聖です)をとっとと探さないといけないな。
とくだらないことを考えながら太鼓の達人(小鼓の練習です)をやっていたら、兼右叔父と兼見君にお願いをされた。
毎回のことだが嫌な予感しかしねえ。
「すまんが与一郎。正月の奉納舞をどうしても成功させたい。興行の目玉として公方様と大御所様にご出席をお願いしたいのじゃ。そちから頼んでくれぬか?」
「俺からも頼むよ与一郎」
将軍と大御所が揃って吉田神社の猿楽興行を上覧する。
さすがに天覧は無理だから、現時点ではこれ以上の箔はないだろう。
神道界で成り上がろうとしている吉田家としてはいくらでも名声は欲しいところだしな。
俺としても吉田家が力を増すことにはメリットがある。
後ろ楯が強力になることは結構なことである。
「分かりました。公方様にお願いしてみます。ただし金がかかります」
「おお、頼んでくれるか。金ならいくらでも出すでおじゃる」
「それと条件ではありませんが頼みたいこともあります」
「頼みとは?」
「はい、今後吉田家の力を貸して欲しいのです――」
◆
公方様には猿楽興行への出席について、興行後のご馳走で買収した。
大御所も「吉田の神酒」飲み放題の大宴会で話をつけた。
政所にも賄賂を贈った。
護衛となる奉公衆は身内で固めた。
公方様の身内である近衛家の皆様には清原家から賄賂を贈った。
根回しが功を奏して将軍一家の猿楽上覧は問題なく決定した。
問題と言えば一応幕府を主宰しているつもりの右京兆家の細川晴元である。
細川晴元と大御所はまだ公式には仲直りしていないのだ。
俺としては細川晴元なんぞに来て欲しくはないのだが、兼右叔父としては一応京の支配者に気を使いたいのだろう。
近衛家に仲介を依頼して、細川晴元も興行に来ることになった。
困ったことに近衛家当主で前関白の近衛稙家と細川晴元は公私共に仲が良いのである。
そんなわけで幕府首脳? が吉田神社の新築の能舞台に一堂に会しているわけである。
猿楽の公演の方はまだ続いている。
猿楽は神聖な儀式なのだがいかんせん長過ぎる。
式三番とかいうらしいが、もう何時間もやっているよ。
義藤さまもいい加減飽きているなこりゃ。欠伸は我慢しているみたいだが、さっきから、草加煎餅と今年の初物のもみじ饅頭が凄い勢いで無くなっているぞ。
大御所はさっきから浴びるように吉田の神酒を呑んでいるし。
細川晴元も近衛稙家と楽しげに呑んでいる。
まあ成功といえば成功かな。
式三番のあとは食事が運び込まれて宴会である。
神聖な儀式だろうがおかまいなしに大御所はめちゃくちゃ呑んでいたけどな。
このあとは俺も囃子方(演奏者)として小鼓を叩いたりする。
やべえ将軍の上覧の能舞台とかこれより凄い舞台ってあるのかよ?
めちゃくちゃ緊張してきた。
俺の出番は略式の居囃子で、四拍子(笛・太鼓・大鼓・小鼓)の小鼓の演奏だけである。
他のメンツも能を習っている幕臣だけで構成したので、まあ余興である。
こういう宴会では身内が何かやれば喜ばれるものである。
演奏者と仲の良い奉公衆が茶々を入れながら楽しげに聞いている。
公方様も俺の演奏の時には結構まじめに見てくれていた。
もみじ饅頭は食べていたけど。
演奏を終えて戻ったら公方様に褒められた。
「兵部、見事であったぞ。今度東求堂でも余興に聞かせるがよい」
褒められて嬉しいし、個人的にも小鼓は面白かったので続けて行こうと思った。
後年の柳生但馬守宗矩みたいに猿楽に狂って、他人の家に押しかけて演じることまではしないと思うがね。
それに能ばかりやっていたら幕府が滅んでしまうわ。
観世流の本格的な猿楽公演は終わって、あとは宴会と白拍子の舞とかで終りである。
巨乳の白拍子が見事にぷるんぷるん踊っていたので、思わず食い入るように見ていたら、義藤さまに思いっきり怒突かれた。
しょうがないじゃないか、だって義藤さまと違ってデカかったのだよ。
他の野郎どもも喜んで見ていたのに、俺だけ怒突かれて理不尽である。
だがあえて言おう「おっぱいは正義だ」、「おっぱいは愛だ」漢ならばどうあっても見てしまうものなのだよ!
あのたわわな実りを見ないなんてバチがあたるわ。
こうして正月の吉田神社の節分祭は、将軍上覧の猿楽興行などもあり、大盛況に終わった。
参拝者もかなり増え、供物や御榊料だかの寄付も大量に集まったので、猿楽興行に金を使ったけどそれ以上に儲かっている可能性がある。
恐るべしは兼右叔父の金への嗅覚である。
正月が過ぎれば俺の最大の金儲けのメープルシロップの採取も始まる。
いろいろやるべきことは多い。
「おっぱい」以来、さらに義藤さまの俺を見る目が冷たくなったが……
気にしないで頑張ろう。(涙)
時間が無い中頑張って書き上げました。
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褒めてくれても良いのだぞ。褒めてくれたらおっぱいをがんばる(意味不明)




