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おまけ 医師の名門坂家

本編にはまったく関係がないので読み飛ばしてください

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 輝きの不如帰 副読本

 謎の作家細川幽童著「どうでもよい医家の知識」より

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「医師の名門 (さか)家」 


 清和源氏(せいわげんじ)土岐(とき)氏流という。

 大和(やまと)発祥の豪族といわれ土岐氏初代の土岐光信(ときみつのぶ)の五男である坂三郎光角が「坂」を号したというが、尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)にその名は無いのでかなり微妙ではある。

 ただ土岐氏と同じ源頼光(みなもとのよりみつ)を祖先とする家伝(かでん)を伝えているのでどこかしらで繋がる可能性はある。


 土岐光信-坂三郎光角-坂三郎維良-坂四郎維光-坂三郎光元-坂四郎光春-坂三郎光忠-坂九佛-坂十佛-坂士佛-坂起宗-坂子勇-坂嘉邦-坂進月-坂定国-坂光國


 江戸時代に編纂(へんさん)され、その胡散臭(うさんくさ)さには定評のある「寛政(かんせい)重修(ちょうしゅう)諸家譜(しょかふ)」では上記の系譜(けいふ)(しる)され本編に少し名前がでた坂光国(さかこうこく)先生に繋がる。

 坂九仏(さかくぶつ)以前は結構微妙だと思われるが、平家物語に坂三郎惟良と坂四郎坊永覚の名が見えるので家としては実在していたと思われる。

 坂九仏(九佛)以降はだいたい信頼してよいと個人的には思っている。


 坂九仏は鎌倉時代末期の人で京に住み医師となる。

 ここから一子相伝(いっしそうでん)っぽい北斗神ケンならぬ坂家医術が始まる。


 坂十仏(さかじゅうぶつ)は足利尊氏に「万葉集」を講義するなど和漢の学者として優れ、連歌師(れんがし)としても有名。

 医師としては光明天皇、足利尊氏の侍医であり民部卿法印(みんぶきょうほういん)(じょ)せられ、以降の坂家の本家当主は民部卿法印に叙せられるようになる。

 九仏(くぶつ)の子だから十仏(じゅうぶつ)とか実にふざけた名前だと思う。


 坂士仏(さかしぶつ)は幕府では義詮・義満・義持の侍医であり、義満から「士仏」の名を貰っており、義満の臨終まで治療にあたっている。

 また北朝の後光厳・後円融・後小松天皇の侍医でもあり、後小松天皇からは勅旨(ちょくし)により「上池院(じょうちいん)」の号を与えられ「当代一」の名医と謳われた。坂家の本家は以後上池院家を名乗る。

 名前の士仏は「十と一で士」という相変わらずふざけたネーミングセンスであるが足利義満がつけたらしいので黙っておこう。


 ちなみにこの坂士仏が貞丈雑記(ていじょうざっき)に「医者剃髪(ていはつ)の初めならんか」と書かれており、江戸期までの医者のスタイルの元祖だったりする。

 本来、僧の位である法印(ほういん)(法印大和尚位)や法眼(ほうがん)(法眼和上位)、法橋(ほうばし)(法橋上人位)が医者にまで及ぶようになったのもこの頃からである。


 そしてこの坂宗家が民部卿法印の上池院家として一子相伝っぽく、坂光国にまで繋がるのだが、実はほかにもう一つの流れが存在する。

 坂士仏の次男から始まる家である。

 南斗聖ケンみたいなものとでも思えばいいです。


 坂士仏=坂浄快=坂浄秀-坂浄孝-坂浄喜-坂浄運


 坂浄快(さかじょうかい)は坂士仏の養子であるが義兄の坂起宗(さかきそう)より優れた弟になってしまったので坂士仏に怒られ医者になるのを禁じられて近江の坂本に追放される。

 それでもめげずに称光天皇の侍医となり法印に叙せられている。

 お前はケンシロウか何か? と突っ込まずにはいられない。

 本朝通鑑(ほんちょうつがん)に記載がある。


 坂浄秀(さかじょうしゅう)は律令制の医療者養成機関である典薬寮(てんやくりょう)のトップを代々勤めた典薬頭(てんやくのかみ)の丹波氏の出で坂浄快の養子となった。

 実父は丹波篤直(たんばあつなお)でその次男だという。

 坂家が朝廷の医者のトップの血筋を取り入れパワーアップしたようなものである。

 後花園天皇の病を治し「盛方院(せいほういん)」の号を与えられ、宮内卿法印に叙せられる。


 こうして坂家は宗家の「上池院家(じょうちいんけ)」と分流の「盛方院家(せいほういんけ)」の二つに分裂する。


 盛方院家の坂浄運(さかじょううん)は本編でも名前だけ出ているが、明応年間に明に渡航して張仲景(ちょうちゅうけい)の医術を学び、「傷寒論(しょうかんろん)」を日本に持ち帰っている。

 どうやら以前から「傷寒論」は日本に伝わっていたらしいのだが忘れられた存在になっていたようで、坂浄運が再発見した感じである。


 本編に出てくる坂浄忠(さかじょうちゅう)先生はこの坂浄運の次男で兄の坂浄見(さかじょうけん)が早くに亡くなったため盛方院家を継いでいる。

 史実では正親町天皇と足利義昭の侍医であったようだ。

 坂浄忠の奥さんは吉田兼右の娘なのだが、坂浄忠は兼右より4歳年上なのだ。

 先生に向かってこのロリコン医師が!

 と言いたいのだが、細川藤孝は我慢しているようである。


 坂浄忠さんの子から母親の家である吉田を名乗り、吉田盛方院(よしだせいほういん)と呼ばれるようになる。

 まあ血統的には坂家でもなんでもないので別によかったりする。

 浄忠さんの子の吉田浄勝(よしだじょうしょう)松井康之(まついやすゆき)の姉と結婚したりしている。

 浄勝の弟の吉田浄慶(よしだじょうけい)が兄浄勝の死後盛方院家を継ぐが、その後は兄の浄勝の子の浄珍(じょうちん)が継いで江戸幕府の奥医師となる。


 江戸時代の中期から主流となり、現代漢方薬にまで繋がる古方派(こほうは)の元祖は名古屋玄医(なごやげんい)とされているが、個人的には吉田盛方院家と名古屋玄医になんらかの関わりがあるのではないかと考えている。誰か偉い人調べてくれ状態である。


 吉田盛方院家は江戸時代には、正月元旦から風呂上りのところをネコに「おちんてぃん」を噛まれて死んだり、大御所徳川家斉の臨終の瞬間を見逃す失態をやらかして、蟄居(ちっきょ)謹慎(きんしん)家禄没収(かろくぼっしゅう)とかうけたりして、散々なことばかりなのだが頑張って奥医師をやっていたようである。


 上池院家の方は坂光国の嫡子の坂維天(さかいてん)が織田信長と豊臣秀吉に仕えたとされる。

 上池院家も江戸幕府の奥医師になり、坂光国の次男の坂忠存(さかちゅうぞん)勝願院(しょうがんいん)を号して(はり)医としてやはり幕府の奥医師になっている。


 というように坂家は室町幕府に最初から侍医として仕え、江戸幕府にも医官の名家として仕え、明治になって西洋医学が主流となるまで名門医家として第一線にあり、まともに家系が辿れる最古の医者の家系なのではないかと思っているのだが、一般的な知名度などは皆無というかマジで誰も知らないのである。


 ただ、足利義輝が弑逆された永禄の変のおり、兄の松井新二郎勝之を公方様と一緒に討たれた松井康之が、変のあとに盛方院の家に(かくま)われていたりする。

 実は松井康之は坂浄忠先生の弟子として「言継卿記」に出てきたりする。

 室町期の医者として松井少輔とか松井正済という名がみられるので、松井家と医学は身近なものであり、兄が死ぬ前は松井康之は医者になる予定だったのではないかと考えている。


 松井康之は足利義昭の上洛戦のおり、数騎を率いて参陣し「縁」ありて細川藤孝の旗下で戦うことになるのだが、この「縁」とは、【細川-吉田-坂-松井】という繋がりだと個人的には思ってます。

 多分二人は以前からの知り合いだったのだと思います。

 細川藤孝にとってその時期は率いる兵も少なく、以前からの知り合いで兄が討たれ松井家の新当主となり既に数騎を率いていた松井康之は頼りになる存在だったのでしょう。

 そのため藤孝は松井康之を厚遇し、康之はその厚遇に応えて活躍し筆頭家老となっていくのである。

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没にしたやつを投稿してしまった。反省はしている


坂家を知って欲しくて前に書いてたおまけの駄文です

もはや需要がないのは百も承知なのである

作者のつまらない駄文に付き合って読んでくれた方には

感謝しかないでござる


この先の展開に詰まっているのでおじゃるー

ただの逃げでおじゃるー

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[良い点] 更新お疲れ様です [一言] 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ! やります!僕が更新します! そんな感じで期待してます(・∀・)
[一言] 洋の東西を問わず免許制度が導入されたり、細菌やウィルスの存在が確認されたりするまで医者は胡散臭いペテン師という扱いでしたしね。
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 逃げるな、書け!(鬼畜) 更新お待ちしてます(ニッコリ)
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