第三十三話 猿楽の舞(1)
天文十六年(1547年)12月
根来を出発した我々はまず大和南部の米田本家に戻り、米田本家当主の米田小重郎と再度面会した。
根来杉ノ坊の津田家との交渉が上手くまとまったことを大々的に誇張してお話しするのである。
今後の津田家との仲介を米田本家にお願いするためだ。
米田本家とは商談もまとめた。
大和南部における生薬手配のとりまとめに、清原家や山科家への生薬の卸しの打ち合わせ、硝石の古土法による作成法の伝授と秘匿の契約である。
薬学に詳しい米田本家は硝石の作成を依頼するにはうってつけであった。
出来た硝石に関しては津田家や我々に販売して貰うことになる。
古土法だけでも硝石の売買で数年は儲かるだろう。
大和南部のメープルシロップの採取の手伝いもやってもらうので、今後も米田本家とは良い関係を続けたい。
硝石の利益については俺から米田本家への賄賂に近い。
米田本家は医薬関係でいろいろな所へ出入りできるところなどが情報収集の面で非常に役に立つ。
米田本家とは米田求政を通じて今後も協力関係を維持していきたいと思っている。
大和では米田求政の紹介で結局20名ほどの郎党と足軽を採用した。
米田本家を辞してから順次彼らと合流して奈良の林家(饅頭屋)に向かった。
奈良林家とも商談を行い。
林家には饅頭屋宗二殿の指導の元で大和におけるメープルシロップ採取を南部の米田本家とともに差配してもらうことになった。
対価として奈良におけるもみじ饅頭の販売権と吉田の神酒の販売権を与えることにした。
大和の国では「奈良漬け」や「吉野葛」、「きな粉」などを公方様へのお土産としてちゃんと確保した。
最も大事な仕事は忘れていないのだよ。
葛餅でも作ってあげればきっと公方様は喜んでくれるに違いない。
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「森野吉野葛本舗」 創業南北朝時代
「葛」はマメ科のツル性植物であり、その根から漢方薬が作られる。
漢方薬葛根湯の「葛根」である。
食材としては根のデンプンから「葛粉」が作られた。
南北朝時代に森野吉野葛本舗の初代とされる「兵部為定」が南朝に仕え、葛粉の製造を開始し「吉野葛」の名で世に知られるようになる。
それ以来代々葛粉の生産を続け江戸時代初期の1615年、森野与右衛門貞康の代に生産に適した水を求めて大宇陀に移住した。
創業から現代まで「森野吉野葛本舗」は添加物を一切含まない国産の良質の「本葛」を作り続けている。
奈良に行くことがあれば450年以上続く伝統の味を楽しんで欲しい。
――謎の作家細川幽童著「そうだ美味しいものを食べよう」より
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大和でやるべきことを終え、京に戻るともう年の瀬であった。
まずは慈照寺に向かい、東求堂の義藤さまに帰京の挨拶をしなければならない。
いつものごとく東求堂の前で松井新二郎に声をかけるが、なぜか今日は元気がない。
普段は暑苦しいほどにウザイのに珍しいものだ。
「どうした新二郎? 何か元気がないな」
「お、おお、心の友よ。よーやく帰ってくれただろ。とにかく早く公方様をなだめて欲しいだろ」
「うん、今帰った。義藤さまをなだめるとはどういうことだ?」
「義藤さまはこのところ荒れまくりだろ。正直助けて欲しいだろ……」
新二郎の説明いわく、義藤さまがおかしくなったのは俺が旅立って三日目からだという。
まず新二郎の筋肉のトレーニングがうるさいと怒られた。
まあ確かに新二郎は暑苦しいが普段はそこまで言われない。
そして四日目には供御方の進士賢光が「毎日同じ飯を出すな」と叱り付けられたという。
賢光の野郎はザマァないのだが、普段は供御方に文句を言うような公方様ではないので珍しいことである。
五日目、柳沢元政が心配なら俺への伝令を命じてくださいと公方様に申し出たところ、公方様に「役立たずはいらん」と罵られ、元政は現在進行形で今もヘコみまくっている。
六日目、気晴らしに遠乗りに出掛けようとしたら、運悪く公方様の馬が怪我をしていて遠乗りに出られなかった。
それで馬の世話していた中間が叱責された。
七日目、供御方の大草公重殿が俺の教えた鰻重を作って公方様に出したそうだが、半分ぐらいしか食べてもらえなかったらしい。
あの食いしん坊にしては珍しいことである。
そして、八日目になると、新二郎に「お主の筋肉が鬱陶しい」との最後の言葉を残し、公方様は東求堂に篭られてしまった。
それ以来政務にも出ていない。
ようするに引篭もりになってしまったのである。
この三日間は特に大事な政務はなかったというが、東求堂に篭ったままではさすがにまずい。
どうしたらここまで最大限に拗らせまくるのだ? 正直カンベンしてくれ。
「頼むから義藤さまの機嫌を直してくれだろ……」大ダメージを喰らった新二郎が俺に懇願してくる。
「お、お願いします。公方様の勘気をなんとか解いてください」怯えた目をした元政にも懇願される。
「……お、おうまかせてくれ」
まったくもって嫌な予感しかしないのだが、二人に懇願されては、俺が公方様のヒキコモリをなんとかするしかないだろう。
諦めて東求堂に入り公方様に声をかける。
「細川兵部ただいま戻りましてございます」
……返事がない。うしろを振り返って新二郎を確認するが、新二郎は手で行け行けと合図を送ってくる。
ほんとに義藤さまが居るのか? とも思ったが、踏み込むしか手はないのだろう。
「失礼いたします」障子をあけ中に入る。そこには――
布団で夜着にくるまって丸まっている義藤さまらしき物体が居た。
オイオイお子様か?
「義藤さま。お加減でも悪いのですか?」
「だれじゃ? わしは気分が悪いのじゃ。さがるがよい」
「藤孝が戻りました。気分が悪いようでしたら薬など用意しますが」
「うそだ。藤孝はわしなんか置いてどっかにいってしまったわ。戻ってくるはずがないのじゃ」
「うそじゃありません。藤孝は義藤さまのところへ帰ってきました」
「ほんとうか? ほんとうにお主は藤孝か?」
「はい。藤孝です」なんというかマジで拗らせているなぁ。
「お主は淡路細川で兵部大輔で与一郎で熊千代で万吉の藤孝に相違ないのか?」
「いろいろと名前はありますが、義藤さまの藤孝とだけ覚えておいて下さい。その義藤さまの藤孝がちゃんとお土産を持って、義藤さまの元へ帰ってまいりました」
「……お土産もあるのか?」
「はい。金山寺味噌に湯浅醤油に葛餅に奈良漬に薯蕷饅頭もあります」
「……ほんとにわしの元に帰って来たのか? どうせまたすぐにどこかへ行ってしまうのではないのか?」
「私が帰るところは義藤さまのところしかありませぬ。たとえどこかに行ったとしても必ず帰ってまいります」
「嘘じゃ! この前は全然帰ってこなかったではないか。手紙の返事も来なかったではないか」やっぱり手紙の件は気にしているのか。
「今度は気をつけます。柳沢元政も大いに反省しております。元政は私の居場所が分からなかっただけなので、そろそろお許しください」
「では、しばらくここに居てくれるのか?」
「いろいろ忙しくはありますが、義藤さまが望むなら、しばらくはどこへもいきません」
「ほんとうか? ほんとうにそばにいてくれるのか?」
「はい。ですからいい加減布団から出てきてお顔をお見せ下さい。義藤さまのお顔を見ないと急いで帰って来た意味がありませぬ」
「い、いまはダメじゃ、あ、明日からがんばるゆえ」
明日から頑張るとかいうヒキコモリの言葉を信用する馬鹿はいない。
「えーい! 問答無用でござーる!」がばっと。
「ばっ、やめっ!」
義藤さまが包まっていた夜着を無理やり剥ぎ取った。
義藤さまは泣いているような、笑っているような、恥ずかしそうな顔で真っ赤になっていた。
だが怒っているふうではなく、喜んでいる風でもあった。
ただ義藤さまの格好が半裸に近くエロい案件に成りそうなので、慌てて夜着をすぐに戻した。
「申し訳ございませんでした。目の保養に成り過ぎますゆえ、恐れ入りますが何かお召し物をお願いいたします」
ぼんッ、義藤さまが真っ赤になって言語にならぬ言葉で罵倒してくる。
「○×□△―!!」何を言っているかはまったくわからん。
とりあえず逃げるとしよう。
「食事の用意をしてまいりますので、それまでに服装を整えておいてください。すぐに美味しいものを用意いたしますゆえ」
ご飯を炊いて、金山寺味噌を乗っける。
魚の干物に大根おろしと湯浅醤油、奈良漬を添えて、おやつに薯蕷饅頭と葛餅である。
公方様の分に加え新二郎と元政と俺の四人分を用意した。
「この金山寺味噌はマジで美味いだろ。ご飯がすすむだろ」
「魚に大根おろしとは合うものなんですねえ」
「薯蕷饅頭も葛餅も美味うまじゃあ〜♪」
四人で食事を楽しむことで、ようやく公方様も和んだ雰囲気になってくれる。
新二郎や元政に謝ったり、笑顔で談笑したりしているので、もう心配はなさそうだ。
二人は俺に感謝の眼差しを送ってくる。
だが、食事が終わったタイミングで運悪く、進士賢光が公方様の食事を持ってきた。
だが俺の用意したお土産で公方様はお腹がいっぱいであったのだ。
「すまぬな(進士)美作守、満腹で今日は食べられそうにないのだ。ほかのものに出してあげてくれぬか? 次は必ず食べるゆえ。許せ」
「はっ」公方様に文句は言えないので進士賢光は思いっきり俺を睨みつけて戻っていった。
何かまたいらぬ恨みを買ったような気がする。
◆
翌日、大御所様や多数の奉公衆が参加して、紀州根来から持参した鉄砲「種子島銃」の披露がとり行われた。
披露だけでなく実演として米田求政による試射も行う。
ダーン
標的にした甲冑に穴が開き、その衝撃で甲冑が支えごと倒れてしまう。
甲冑には弾丸が貫通した痕もはっきりと残っている。
その威力と轟音に見物していた奉公衆からざわめきが起こる。
「あれが噂の種子島なるものか」
「音がうるさいでおじゃるな」
「なかなかではありますが、小笠原弓術にはちと劣りますな」
「使い物になるのかあれは」
「一発しか撃てないのでは使いものになるわけがない」
試射には多くの奉公衆が集まった。
やはり武の者どもであり新兵器には関心があるようなのだが、鉄砲には懐疑的な者が多い雰囲気であった。
弓のように連続で撃てないところなどを問題として指摘する者が多かった。
実は試射なので早合などは披露していない。
まああえて手の内を晒す必要もないからな。
「兵部大輔見事である! わざわざ紀州までご苦労であったぞ」それでも大御所は鉄砲にご満悦であった。
「兵部大儀である」だが一方、公方様は素っ気無い。
紀伊の津田家からとして試射に使った鉄砲1挺と火薬の調合方法を記した書を公方様に献上した。
結局は大御所が大いに興味を持ったため鉄砲は大御所の手に渡っている。
大御所がご満悦であったので津田家の申次になることに問題はなかった。
津田家には正式に幕府から、献上の礼として吉田の神酒と特別に大御所からの礼状という名の催促状を送っておいた。
奈良の米田家を介して津田家とは今後も文通をすることになる。
手持ちの鉄砲の方は米田求政に任せた。
郎党の連中に鉄砲を撃たせて適性がある者を選別してもらっている。
鉄砲がまだ5挺しか用意がないので硝石は余裕で足りている状況だ。
角倉吉田家には古土法用の床下の土集めは継続してやってもらっている。
ただ将来のことを考えると古土法とは別の方法で硝石をさっさと増産したいところなのだが、義藤さまの目が怖くて小出石村に行けなくて困っている。
……よくわからないが不機嫌なままの義藤さまを放っておいて小出石村になぞ行ってしまっては、さらに義藤さまが怖くなりそうなので諦めて吉田神社で文化活動をしつつ、公方様に毎日ご機嫌伺いをする日々をすごしている。
現状一番の問題は……、新二郎や元政には笑顔を向けるようになったのに、義藤さまが俺にはまったく笑顔を向けてくれないことなのだ。
そうです義藤さまの俺を見る目が怖いのです。
日常会話は問題なくしているのだが、非常に冷たい目で俺を見てくるのである。
俺が一体何をしたというのだろう? まったく身に覚えがないぞ。
まあ最近はその冷たい視線がなんとなく快感になってきているがなぁ。
――そうして義藤さまの目が冷たいまま年が変わり正月を迎えてしまった。
◆
【猿楽の舞(2)につづく】
毎日更新だけが取り得の小説でしたが、不定期更新になり
申し訳ないです。でも頑張って続けるよ。
次回の後半部分は説明回になっちゃうかなぁ
なんでもいいからはよ書けという方は
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