第三十二話 根来(2)
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さて、硝石について説明しよう。
硝石は煙硝もしくは焔硝とも記され現代では硝酸カリウムと呼ばれる。
一言でいえば火薬の最も重要な材料である。
硝石は日本のような湿潤な気候では硝石鉱床が存在せず(雨で溶けちゃう)、海外から交易で購入するほか無かったのである。
倭寇の王直などは硝石の交易でかなり儲けたとされる。
だが自然な方法ではないのだが、日本においても硝石を生産することが出来る。
硝石の作成方法は「古士法」、「培養法」、「硝石丘法」の3つの方法が良く知られている。
今回土産として持参した黒色火薬に使った硝石は一番簡単な「古士法」で作って持ってきた。
根来に向かう前に求政と二人で作っていたのである。
黒色火薬は一般的な比率の硝石75%、木炭15%、硫黄10%で作った。
「すまんが求政手伝ってくれ。角倉吉田家に依頼して古い家の床下の土を集めて貰った。この土に水を加えて、土の中の成分を水に溶け出させるのだ」
「土の成分ですと?」
「うん。前に細菌の話をしたことを覚えているか? 土の中には細菌がいて、その細菌の硝化作用により土に硝石の元になる成分(硝酸カルシウム)が作られているのだ。水にこの土を入れ土中の成分を溶け出させる」
「正直、私には与一郎様が何を言っているのかほとんど分かりませんが、与一郎様の言うことですので間違いはないのでしょう。説明は不要ですので作業の指示だけ願います」
「ん、分かった。では水に土を入れ、それを釜で煮立てる――」
「古土法」による硝石の生産方法は、築20年以上の家の床下の土を取ることから始まる。
雨に濡れない場所の床下の土の表面を6cmから9cmの深さで削り取る。
そしてこの削り取った土を水に入れ、土から硝酸カルシウムを抽出した抽出水を作る。
次は抽出水を釜に入れて煮る。
煮立ったところに草木灰を入れて混ぜる。
これを煮詰めて濾過して一晩おけば硝酸カリウム、硝石の結晶の出来上がりである。
「古土法」はそれに適した「土」を入手できればそれほど難しくは無い。
難しいのは土の確保なのだ。
一度土を取った家の床下からは15年から20年が経過しないと再び硝石を得ることができない。
土中で生成されるアンモニアの量が少ないため、細菌の硝化作用で必要な分の硝酸カルシウムを得ようとするとそれだけ年数がかかるのである。
アンモニアが足りなければどうすればよいか?
それが硝石を得るための手段として「培養法」、「硝石丘法」へ発展、改良されることになる。
古土法は江戸時代には全国で行われ、戦国時代でも1557年に毛利元就が土の採取の依頼を出しているように、すぐにでも広まってしまう。
情報として手札にするならば今しかない。
津田算長が興味を持ってくれるならば古土法の情報など安いものである。
パーン
根来寺の裏手で津田監物の弟である津田妙算が鉄砲の試し撃ちをしてくれている。
求政は初めて見る鉄砲の威力に驚いている。
求政は津田妙算に砲術の指南を受けているところだ。
「それではこれが煙硝(硝石)の作成方法を記したものになります」
てきとーに「煙硝作成奥義書」と名付けた古土法による硝石作成のメモを津田監物に手渡す。
江戸時代において年数を掛けて経験から生み出された方法に現代知識の科学的要素も加えたものだ。
古土法としての完成度はこの時点で世界最強であろう。
「――これほどの知識をいったいどこから得たのでありますか?」
「室町殿に忠誠を誓うものは全国におりますれば、情報は集まるものであります」未来の知識とは言えないので適当に嘘をついておく。この時の室町殿にそんな力などない。
「室町の威光いまだ衰えずということですか」
「全国の武家が望む限り幕府は必要とされます。公方様は武家のためにあるものですから」
「武家のためにある?」
「武家の正当性を認めることは武家の棟梁たる室町殿しか出来ぬことです。守護や守護代、地頭に奉公衆。室町殿に御家の領地の安堵、お墨付きを求めるものは数多くおります。昨年もそうでありましたが、今年はさらに各地から公方様へ年賀の挨拶に訪れる諸侯は多くなりましょう」
「いまだ、それほど多くの諸侯が挨拶に参られますのか」
「公方様に官位の奏上を願うもの。公方様より一字拝領を求めるもの。所領の安堵や確認を求めるもの。守護や守護代、またはそれに準ずる家格を求めるもの。紛争の仲介を求めるもの。いまだ室町殿の威光にすがるものは数多くありますれば」
もう大して実力はないのだが、ハッタリで室町幕府を必要以上に大きく見せることを忘れない。
「此度お譲り頂く鉄砲の1挺は津田家から公方様への献上品と致しましょう。それと火薬の調合法も津田家からの献上品とさせて頂きます。公方様より津田家の申次を任されておりますれば、今後の公方様への仲介はおまかせあれ」
「根来寺ではなく、我が津田家と幕府との申次であると?」津田監物が驚きの声をあげる。
「公方様は鉄砲をいち早く取り入れた津田家の働きを大変高く評価しております。そのためわざわざ御部屋衆の私を紀伊まで差し向けたのです」
モチロン嘘である。
公方様は津田家なぞ知らんと思う。
困ったことに根来寺すらまともに知っているのか怪しいレベルだ。
まあ、だが心配はいらない。
もうすぐ新しい「もみじ饅頭」が出来上がる。
ダメといわれても甘いもので適当に懐柔して津田家の申次に就任してくれよう。
もっとも鉄砲の献上でその必要もないと思われるが。
「く、公方様が我が津田家を……」
あんな食いしん坊将軍でも、よそから見れば立派な征夷大将軍に見えるものだ。
将軍の側近がわざわざ訪ねて来て、「将軍はあなたに期待していますよ」と囁くのだ。
普通ならコロっといくと思うよ。
「公方様や幕府に希望の事がありましたら、いつでもこの藤孝へご相談下さい。仲介の労はいといませぬ。大和の米田家に仲介させますので何かあれば米田家を頼るがよいでしょう」
「あ、ありがたきお言葉感謝いたします。我が津田家のこと、公方様へよろしくお伝え願いまする。公方様への献上分1挺は我が津田家より進上いたします」ほらコロんだ。
「献上分以外で鉄砲はいかほど購入できましょうか? お譲り頂ける可能な数は全て購入したく考えておりますが」
「まだ生産数も少なく値が張ります……」
「ご心配なく。こうみえて我が淡路細川家は裕福でありますので――」淡路細川家は近江の300石程度の御料所を任されているに過ぎないので貧乏だが、俺は金持ちだ。
結局、鉄砲は公方様へ献上する1挺と、俺の購入分として5挺の合計6挺を手に入れることができた。
さすがに生産数がまだ少なく値は張るのだが、値段の問題よりも生産が間に合っていないので在庫が無く5挺しか買えなかった。
これからも継続して購入する話はついているので、少しずつ増やしていくしかない。
「与一郎様! この種子島というものは凄いものでありますな」津田妙算に鉄砲を習っていた求政が戻って興奮しながら俺に声をかけて来た。
「ああ、この種子島には戦の根本を変える力がある。いち早く津田殿から鉄砲の奥義を習えた我々は運がよい」津田家を煽てるのも忘れない。
「兵部大輔様も種子島を試射なされますか? 私でよければ御指導させて頂きますが」津田監物殿が直々の指導を申し出てくる。
津田妙算と求政は俺への津田監物殿の待遇の変化に驚いている。
鉄砲を習っている間に俺が「VIP」待遇に変わっているからな。
「監物殿直々のご指導とはありがたい。よろしくお願いします」
パーン
「お見事です」津田監物殿がお世辞を言ってくれるが、的の中心から大分はずしてしまった。
俺の腕じゃレーザーポインターでもないと真ん中に当たる気がしない。
まあよい、俺自ら鉄砲を撃つ状況にでもなったら討死と潔く諦めよう。
さて、最後の土産も渡しておくかな。
「実は鉄砲の運用に関してこのようなものを考えてまいりました。監物殿も妙算殿もコレを試しては頂けませんか?」
二人に渡したものは、紙の筒のようなものの束である。
「……これは?」
「早合とでも申しましょうか。鉄砲の射撃間隔を短くできる工夫です」
むろんパクリである。「早合」とは鉄砲を一発撃つ分の弾丸とあらかじめ量っておいた火薬をセットにしたペーパーカートリッジである。
撃つ際に紙を噛み切って中の火薬や弾丸を銃身に装填する。
弾丸とセットになっており火薬を量る必要もないので装填が早くなる利点がある。
この「早合」もどうせ根来衆や雑賀衆は自力で導入してしまうであろうから、さっさと教えて恩を売るのに使ってしまおう。
「な、なんと既にこのような工夫まで考えているとは……」
俺が持ってきたペーパーカートリッジに火薬を量って入れながら、その効果が既に分かっているあたり、さすがは津田妙算である。
パーン……パーン
「どうですか? 津田妙算殿」
「この早合はたしかに有効です……細川様はどこでこのような技を……」津田妙算殿は絶句しながら早合に驚いている。パクリ技で『津田流砲術』の開祖の歓心を得ることが出来たのはデカイな。
国産硝石と幕府への仲介と早合で、津田兄弟の心をガッチリと掴むことができた。
このあと津田監物殿から鉄砲鍛冶の芝辻清右衛門も紹介して貰った。
今は無理だろうが今後のために清右衛門にも囁いておいた。
「根来を去るようなことがあれば、是非幕府をお訪ね下さい。公方様のお抱え鍛冶師という称号も悪くはないと思います。清右衛門殿であれば給金もかなり弾まれるでしょう」と……。
さて、あとは公方様への土産だな。
これを忘れては京に生きて帰れない。
紀州といえば「みかん」なのだが、実はキシュウミカンの栽培が紀伊で始まったのは1574年なので残念だがまだ無かったりする。
他に紀州土産といえば、梅干だがそれも江戸時代の話だ。
土産に困っていたら津田監物殿が経山寺(金山寺)味噌と湯浅醤油をくれた。
公方様への土産ならば是非にとタダでくれた。
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「金山寺味噌・湯浅醤油」
金山寺味噌は食べる味噌であり、ご飯のお供です。元々は保存食で夏野菜を冬に食べるために生まれた。
湯浅醤油は醤油の元祖ともいわれ、金山寺味噌の上澄みが元だったりする。
金山寺味噌は1249年、湯浅醤油は1535年と共に長い歴史を持ち、現代でも売られる伝統の和歌山土産である。
――謎の作家細川幽童著「そうだ美味しいものを食べよう」より
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さあこの旅の最大の目的である美味しいお土産も無事に手に入れた。
ついでに鉄砲も手に入った。
はやく俺の心のオアシスである慈照寺に帰ろう。
早く帰らないと公方様がまたへそを曲げる恐れがあるからな。
こうして俺の紀州出張は成功裏のうちに終わったのである。
今日までなんとか毎日更新をやってまいりましたが、
本日の更新分を最後に以降は不定期更新になると思います。
詳細は後日に活動報告に記載しますが、私事都合です。
しばらくは週一での更新を目指します。時間が取れれば
週二ぐらいはできるかな? なんともいえません。
つたない小説ではありますが、自分なりに頑張って書いてきました。
応援してくれる方も多いので、エタらないよう最低でも序章の所まで
は必ずもって行きます。今後はのんびり応援して頂ければ幸いです。
今後も頑張ります。
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今後は更新報告等から見に来ていただければと思います。




