第二十八話 いい茶の湯だな(2)
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帰りは義藤さまと二人でタンデムのツーリングである。
やっぱり可愛い女の子とのデートといえばバイクでタンデムは男の夢だよね?
ボーイッシュな女の子に後ろから抱きつかれて、愛馬のハーレーダビッドソンで風を切って走る。
最高だね! ブヒヒーン!
ちょっとエンジン音がうるさいけど、ハーレーはそんなものさ気にするな。
さあ飛ばすぞぉ!
「こ、こら。少し飛ばし過ぎではないのか。あ、危ないではないか」
「ええ、危ないのでしっかり抱きついてください。そう、もそっと胸を押し付ける感じで」
「ばっばかもの、何を言っているのだお主は!」
「すみませーん、もう少し押し付けてくれないと、胸があるのかないのか、わかりませーん」マジで分からんから困る。
「○×□△!」義藤さまが俺を罵倒するが意味不明である。
「何も聞こえませーん。さあもっと飛ばすぞぉ、ヒィヤウイゴー!」
「い、いい加減にするがよい!」
「何もきこえませーん。イヤッフー!」
一応この意味不明な状況を説明しておこう。
中村新助が我が愛馬『成田無頼庵』を引いて来てくれたので、馬に二人乗りで帰っているわけだ。
別に盗んだバイク(馬です)で走り出したわけではないし、夜中に窓ガラスも割ってない。
ボーイッシュというか普通に男装に戻った義藤さまが後ろに乗り、俺にしがみついているわけである。
ちなみに中型二輪免許は持っていたがハーレーには乗った事は無い。
俺は本田党である。
愛車はGB250クラブマンでありカフェレーサー仕様である。
川崎党と鈴木党にはいつか鉄砲隊で問答無用で一斉射撃するから待っていろ。
現代で馬術の経験などはないのだが、「細川藤孝」の体がチート過ぎて普通以上に馬に乗れてしまうのでぶっ飛ばしているのである。
こいつの体なら義経バリの一ノ谷の戦いにおける鵯越の逆落としとか、中山大障害とか中山グランドジャンプも余裕でこなせる気がしている。
というわけで、愛馬でぶっ飛ばしたので、小一時間ほどで慈照寺についてしまった。
もう少し抱きついていて欲しかったのだが非常に残念である。
慈照寺に着いてから速攻で義藤さまに思いっきりどつかれた。
なぜだか分からないが顔を真っ赤にしてプリプリ怒っているのである。
東求堂に戻ったときには、痴れ者を成敗せよと命じられた新二郎にブタ肉ドライバーを喰らったりもした。
楽しい食べ歩きプランを頑張って考えたのに何故だ、げせぬ。
さらには一部の奉公衆の皆様(大体親戚筋)に公方様の無断連れ出しの件がバレて、袋叩きに遭ったりもした。
だが俺は「我が室町の生涯に一片の悔いなし!」と拳を突き上げ、まったく懲りずに次の機会を窺うのである。
女物の小袖などは次に使う機会のため大事にしまっておくのである。
別に匂いを嗅ぐような変態的な行為は……黙秘権を行使する。
だが、公方様はすっかり外出が気に入ってしまったようで、遠乗りの稽古と称して奉公衆や俺を引き連れて、たびたび中島殿の茶室に通うようになった。
こうして遠乗りの稽古帰りに「今日も茶屋へ寄っていこう」と義藤さまが言い出し、中島殿の呉服屋は俺の計画どおりに「茶屋」の屋号となるのである。
これからは茶屋明延と呼ぶことになる。
面倒くさかったから助かることこの上ない。
ただ、おーい! お「茶屋」とか呼んではいけない。
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そして俺の計画どおりに、義藤さまが「茶の湯」にも凝りだした。
なんと自ら大御所様に頼み込んで、とあるお茶の師匠を呼んで貰うあたり、やる気は本気のようである。
その呼ばれたお茶の師匠が志野宗温であったりした。
宗温は「香道」志野流の2代目で志野流開祖の志野宗信の嫡男である。
宗温の香道の弟子としてはあの「武野紹鴎」と、なにより「細川藤孝」が居るので、ちょうど良かったりする。(というか藤孝さん香道でも超一流かよ)
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「志野流」 「志野宗信」(生1442〜1523没)
志野流は三条西家の御家流とともに香道の始まりからあり、唯一現代まで途切れることなく伝わる至高の流派である。
また茶道も伝えている。
開祖の志野宗信は足利義政の近臣で連歌師の古今伝授でも知られる三条西実隆、肖柏、宗祇らと工夫を凝らして香道を創設した。
茶道の村田珠光は香道においては宗信の弟子である。
香道は茶道にも大いに影響を与え、志野棚や香合などにそれらが見られる。
また志野流は美濃焼のひとつ志野焼の創設にも関わっているといわれる。
志野家は豪商でもあったというが、まだ解明はされていないので今後の研究を待ちたい。(個人的には豪商だったと思っています)
――謎の作家細川幽童著「京の文化を習おうより」より
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香道と茶の湯を習っているところをマジメに書いてもクソつまらないのですっ飛ばすが、剣豪(馬鹿)将軍が文化よりに傾いて嬉しい限りである。
俺と義藤さまは。数日ほど志野宗温に茶道の手ほどきを受けて、香道についても真摯に習得に努めていたのである。
香道とは簡単に言えばいい香りのする木「香木」を香炉で炊いてその香りを楽しむものである。
香木で有名なものでは東大寺正倉院にあり、権力の象徴ともされ織田信長が切り取ったことで有名な「蘭奢待」がある。
「香道も悪くはないが、わしはやはり美味しいものの香りの方がよいな」うん、分かってた。
「それ師匠(志野宗温)の前で言ったらダメなやつですから」
「わかっておる。香道は香道でマジメに取り組んでおるだろう」一応マジメに習っている。
「美味しいものといえば、メープルシロップの在庫が底をつきましたので、もみじ饅頭の生産量を減らしました。また冬になりシロップが取れるまでは限定少量生産になります」
饅頭屋宗二殿は夏の間はもみじ饅頭から「おやき」に生産体制を切り替えている。
通年でもみじ饅頭を作るにはシロップが足りない。
「なんじゃと。もちろんわしの分は確保してあるのだろうな」
「もちろん確保はしてありますが、1日1個までになります」
「ば、ばかなっ! それではわしは甘いものが足りなくて死んでしまうぞ」死ぬのかよ。
「まあ、私の分のもみじ饅頭を分けて差し上げてもよろしいのですが――」
「お主の饅頭はわしのもの。わしの饅頭もわしのもの。何も問題ないな」……お前(武家の棟梁です)はタケシか。
「私の分の饅頭を差し上げてもよろしいのですが、一つお願いがあります」
「な、なんじゃそのお願いとは」
「はい、公方様に書いて頂きたい書状があります。それは――」
「なんだそんなものかいくらでも書いてやろう。わしはまた女物の着物を着ろとか言われるのではないかと思って焦ってしまったではないか」
「あ、やっぱりそっちで」
「ならん!」
「そ、そんなご無体なー」
「しらぬわ」
――相変わらず、東求堂は平和であったのである。
まあ俺は一応香道や茶道を習いながらも領地経営の方でも動いている。
追加の新兵を募集したり、道具を作ったり集めたりもしていた。
米田求政以外にも配下が欲しいので人材も探していたりする。
志野宗温師匠の指導がひととおり終わったので、俺は急ぎ小石出村に向かわねばならないのである。
稲の刈り入れシーズンが到来してまったからである。
また忙しくなりそうだ……
私ごときのラブコメに結構需要があったのにビックラこいてます。
まあ、書いてて楽しいのでねじ込んでいこうかな。
基本的にはエロ表現は今回ぐらいが私の性能の限界ですが、
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