第二十五話 川端道喜(2)
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脚気の治療方法は簡単に言えば食事療法である。
白米食や酒などを慎み、「ビタミンB1」を多く含むものを食べるように食事を改善すればいいだけなのだ。
ビタミンB1が多く含まれるものは下記のものである。
豚肉、豆類、雑穀パン、牛乳、緑黄色野菜、たらこ、牡蠣、玄米(米ぬか)、それにウナギにソバである。
渡辺殿にはしばらく脚気の食事改善になぜか適している我が店に通ってもらった。
朝ごはんはそば粉を使ったおやき。
昼ごはんは玄米を使った鰻重。
晩御飯は蕎麦を食べるように指示をした。
そして副菜として、新たに開発した沢庵漬も三食食べさせたのである。
沢庵漬は「たくわん」、「たくあん」とも書く。
江戸時代の高僧「沢庵宗彭」により考案されたという伝説がある。
奈良漬や柴漬が既にあった関西あたりでは普通にどこかで作っていると思うのだが、沢庵が考案したことにして、まだ無かったことにしておこう。
沢庵漬は天日干しした大根を米ぬかと塩で1ヶ月から数ヶ月漬けた物である。
お婆ちゃんの家でも普通に自家製の沢庵漬をつくるため軒先に大根をよく吊るして干していた。
多くの家で昔はよく見られた光景だったのだが、そんな日本の原風景を見ることも少なくなってしまってちょっと悲しい。
(お婆ちゃんのたくわんが最高に美味かったと思っているので老舗店などの紹介はない)
ようするに沢庵漬は米ぬかで漬けるものだから、米ぬかからビタミンB1がよく大根に浸透しているので、「脚気」の食事療法にはとても適しているものなのである。
普通に美味いし、保存食であるので北白川城の篭城前に作っておいたものである。
1ヶ月程わが店に通ってもらい、俺の指示どおりに食事内容を改善した渡辺殿の症状はどんどん良くなっていった。
1ヵ月後に再び深部腱反射をしてみると、反射も改善していた。
そして完全に良くなると、渡辺進殿本人と、その娘婿であり、餅屋を継いでいる渡辺弥七郎(後の川端道喜)殿がその餅屋自慢の「御所ちまき」と銭を大量に持ってお礼に来たのである。
「細川与一郎様のおかげであります。このご恩は一生忘れません」
「義父の病状がこんなにも良くなったのは細川様のおかげです。深く感謝いたしまする」
二人に土下座までされてしまう。
渡辺進殿が涙を流さんばかりに感謝の意を示してきた、というか泣いている。
病気の治療であこぎに稼ぐ気はさらさらないので、持ってこられた御所ちまきと銭はお願いして、公方様への献上品という形にしてもらい、渡辺弥七郎殿と一緒に慈照寺へと持参して公方様に献上した。
「餅屋渡辺といったか。そなたの主上への献身は聞き及んでおる。まことに殊勝なり。それにこの御所ちまきもあっぱれな味である。主上のように毎日とは言わぬが、わしの元にもたまには持参を頼むぞ」
公方様はもらった銭には目もくれず、「御所ちまき」にご満悦であった。
餅屋渡辺弥七郎殿も非公式ではあるが、公方様へのお目通りが叶い、またもや感謝されてしまった。
そしてここで餅屋渡辺に二重に恩を売りつけた悪魔(主人公です)が動き出し、餅屋渡辺殿を悪の道に引きずり込むのである。(普通の商売です)
「弥七郎殿。ひとつお願いがあるのですが、私と一緒に商いをやっては頂けませぬか?」――
◆
渡辺進殿の脚気の治療の一件からしばらくすると。
わが店が出す食べ物は病気をも治す魔法の健康食だと、噂に尾ひれがついて、なぜか京中に瞬く間に広がっていた。
そしてその噂を聞きつけた人々が押し寄せ、蕎麦屋も鰻屋もこの突発的に起こった健康食ブームにより長蛇の列が途切れない有様となった。
両店長のヘルプにより、俺も厨房に入りフル回転しなければならない盛況さである。
噂を広めまくったのは言うまでもないが、自動人間拡声機と化した清原業賢伯父と山科言継卿である。
誰かあいつらを止めてくれ。
俺はやらなければならないことがたくさんあるのだ。
蕎麦屋と鰻屋はもうすでに儲かっているから十分なんだ、タスケテクレ……
朝から続くウナギを捌いては串を刺し、焼くという無限地獄の中で俺の心は壊れかけていた。
もうぬるぬる野郎の顔にも見飽きたというか、ぬるぬる野郎の間抜け面にムカついて来たその時だ。
どこからともなく聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえて来たのである――
「か、掃部頭ィ! お主のウナギの方がデカイではないか! わしと換えるのじゃあ!」
「掃部頭ではありませぬ。我々はちりめん問屋の大旦那と番頭でございますぞ。番頭とお呼び下さいませ」
「お、おお、そうであったなスマン。だが蒲焼重の交換はさせて貰うぞ」
「残念ですがそれは出来かねます」
「な、なんじゃと!」
「私の蒲焼重は玄米製でございます。おおご……大旦那さまにそのような粗末なものを食させるわけには参りませぬゆえ」
その声を聞いた俺の頭の中のタネか何かが割れた。
人間の限界を超越したスピードで俺は……アラホラサッサと蕎麦屋の方へ逃げ出した。
関わっちゃダメだ。
関わっちゃダメだ。
アレは絶対に関わってはダメなやつだ。
第六感が全力で俺に告げてくるのだ。
だが蕎麦屋に逃げ込んだ俺にさらに絶望が襲う。
「カモン、いや番頭や、締めは黒うどんで行くぞ」
「ははっ。温かいのと冷たいのとどちらにいたしましょうか」
ちりめん問屋とか称するどこぞのご老公が、今度は蕎麦屋に襲来したのだ。
なんでこっちにも来るんだよ! よし、今度は薬局に逃げるぞ。
だが退路は塞がれた。
「酒じゃ酒じゃ、おいそこの娘、ちとこちらに座って酌でもせんか! 気の利かぬ店じゃのう。この馬鹿ちんがぁ!」
「まったくでございますな」
逃げ出す暇もなく、すでに出来上がっていたどこかの大旦那が店の自慢の巫女ウエイトレスに当たりちらすモンスタークレイマーと化して襲いかかってきたのである。
「お、お客様。こ、困ります……当店ではそのようなことはいたしておりませぬ」
「なんじゃと! わしの言うことが聞けぬというんか! おい責任者はどこだ! この店の責任者を出せい! 今すぐわしの元に呼んでまいるがよい!」
店中の巫女ウエイトレスが一斉に俺の方を見つめてくる。
こうして俺の退路は閉ざされた。
だがちょっとマテ! 無理だ! いくらなんでもアレは対処不能だ。
アレに勝つ方法なんてさすがにないぞ。
現代でいえば「モリモリ元総理」あたりを押さえ込むのと同じレベルで至難なことだぞ。
現役総理大臣ですらできないレベルの仕事なんて俺にできるわけがないだろーが!
だが、なんとそこに吉田兼見の叔父上が現れた。
そしておもむろに大旦那の横に座って酌を始めるではないか。
そしてご機嫌斜めだったどこかのちりめん問屋の大旦那が、なんということでしょう! 頭を下げておとなしく飲み始めたではないか。
吉田兼右叔父はそういえば足利義晴の神道の師匠であったのだ。
ダメだこいつ(叔父上です)、アレをおとなしくさせるとは、ちょっと尊敬してしまうぞ。
こうしてキングゴショラに襲来された我が店の危機は回避され、健康食ブームが過ぎ去るまでの修羅場営業を無事に乗り切ることができたのである。
炎上したり、イナゴの群れがやって来たり、キングゴショラに襲来されたり、ウチの店って何か呪われているんじゃないのか?
霊験あらたかな唯一神道の吉田神社の境内にあるのに呪われているっておかしいじゃないか?
と思わないでもないのだが、金儲けに走っているから神様も怒っているのだろうと諦めた。
酒の時もそうなのだが、蕎麦と鰻重と天ぷらとか大御所に献上するのを忘れていたのだ。
義藤さまに美味しいものを持っていく時には、必ず常御所の方にもおすそ分けをすることを固く誓うのであった。
キングゴショラの襲来など二度とゴメンなのである……




