第二十三話 室町殿とは(4)
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さて、義藤さまに室町幕府の歴史などを説明し、この事態の解決策である、『ザ・開き直り』を伝授し、そして北白川城の軍議に於いてそれを提案したのだが、いい加減その場面に戻りましょう。
「与一郎よ、もう少し説明をしてくれぬか? 皆のものは分かりかねている様子であるぞ」
「はっ。皆様はこの北白川城が右京兆殿と管領代殿の軍に包囲され危機的状況にあるとお考えのようですが、これはただの御所巻というものにございます。過去にも足利尊氏公や義満公、それに義政公も邸宅を包囲されたことがございます。何をそれほど憂慮する必要があるのでございましょう?」
『御所巻』、何やら美味しそうな名前ではあるが海苔巻や恵方巻ではない。
御所巻とは有力諸大名などが、『御所』を包囲して幕政の転換や政敵を追放しろと将軍に対して申したてたり(実質脅迫)することである。
先にあげているが、足利尊氏も足利義満も足利義政も『御所』を包囲されているのだ。
室町幕府というものはそういうものなのである。(モチロンそんな幕府嫌だが)
さらに言えば、足利義輝が永禄の変で三好三人衆に包囲されたことも、足利義昭が二条御所や槇島城を織田信長に包囲されたことも御所巻となんら変わらないのである。
先祖にならい、つまらぬ意地や側近を捨て去ることができれば、もしかしたら義輝は討たれることはなく。
足利義昭も追放されずにすんだのである。
室町幕府は将軍が変な意地さえ張らねば滅びなかった可能性がおおいにあるのだ。
「与一郎よ。それが詰問の使者とどう繋がるのかもそっと説明はあるのか?」父の三淵晴員が俺の話に食いついて来た。
「はい。まずは六角定頼の使者があったことなど完全に無視して、こちらから右京兆殿と管領代殿の両名に対して使者をお出しします。先ほども申しましたが、形式上は右京兆殿に対して細川国慶の洛中占拠を許し、公方様を危険にさらした責を問う詰問の使者でよろしいかと存じます。その実は右京兆家の権威と管領代の職責を持って、可及的速やかに慈照寺へ公方様をお戻しする手筈を整えるよう交渉するのであります」
大御所や諸将にはお分かり頂けるであろうか? ようするに細川晴元と六角定頼に公方様を『迎えに来い』と言えばよいのである。
「与一郎、右京兆殿に対して挙兵した我らがなぜ詰問の使者を送れるのだ? 我らにはさっぱり意味が分からないのだが?」
父の三淵晴員が再度皆に成り代わって質問してくる。
「はて? 大御所様が細川氏綱と共謀して細川晴元を討とうとしたことなどありましたでしょうか? 私はそのような事を聞いたことがござりませんし、そのようなことは無かったかと存じますが」
やはり父は口をあけてぽかーんとしてしまうのだが、おかまいなしに発言を続ける。
「大御所様を管領として補佐した細川高国殿ならいざ知らず。高国殿の養子でしかない、細川氏綱に何を義理立てする必要がありましょうか? 公方様に対して未だ何も貢献したことすらなく、公方様に謁見したことすらない氏綱殿と手を結ぼうとしたことなど都合よく忘れるがよいのです。かつての室町殿ならそれくらいのことができたと思われますが、今の室町殿にはそれができないのでありますかな?」
「藤孝、わしに言いたいことがあるならもっとはっきりと申すがよい!」公方様(今の室町殿)が打ち合わせどおり怒ったふりをする。
「それではあえて公方様に申し上げます。降伏や和睦などという言葉がお嫌なら、全て無かったことにして開き直りくだされ。とぼけて細川晴元と六角定頼に使者を送り、慈照寺にお戻りできるよう誰ぞやに交渉をお命じするだけのこと。少なくとも、六角定頼殿の影響下にある坂本に落ちることと、慈照寺に戻ることでは、安全性の確保においてそう違いはありませぬ。詰まらぬ意地など捨てるがよいのです。公方様にはここまで言わねば分からぬのでありますか!」
大御所様に直接言えないから、打ち合わせのうえ俺と公方様で言い争うまねごとをしただけなのであるが、公方様に対しての無礼な言動に反応し、いつもの大御所の側近達から罵詈雑言が俺に投げつけられる。
「何を申すかこの若造が!」
「公方様に対してその言は何たる言い草か!」
「戦も分からぬ小僧が何を言うか!」
「この無礼たとえ公方様が許してもわしがゆるさぬぞ!」
「その野蛮な物言いはなんでおじゃるか」
「この痴れ者めが!」
「黙れこわっぱ!」
毎度のことなので罵詈雑言にも慣れてきたなとか思っていたのだが、そこに意外な助け舟が入ったのである。
それはまさかの伊勢伊勢守貞孝であった。
「与一郎殿も方々も少し口を慎むがよかろう! 室町殿は京におわしてこその室町殿である。あまり軽挙妄動し、坂本などに逃げ出すが如きはそれがしも賛同しかねる。武家の棟梁として毅然とした態度で右京兆殿や管領代殿と交渉すべきと、それがしも愚考いたす」
幕府の重鎮、政所執事様の言である。場が静まり返った。
「大御所様、差し出がましいことではありますが、この貞孝に交渉をお任せくださること、ご考慮して頂くわけには参りませぬかな?」
大御所は俺の発言からずっと黙ったままであった。
やはり面白くはないのであろう。
だが伊勢守に言われて吐き捨てるようにつぶやいた。
「……よきにはからえ」これで軍議は決した。
軍議が終わり大広間から出る際に伊勢伊勢守と同じタイミングになってしまった。
目が合ってしまったので、挨拶しないわけにはいかない。
「先ほどは私の発言を擁護していただき誠にありがとうございました」
「別にお主を擁護したわけではない。お主のつまらぬ茶番に飽きただけのこと。お主に感謝される謂れなどはない。それがしはそれがしの思うところを述べたまでのこと、勘違いはしないで頂こうか」
聞く人が聞けば、俺と伊勢伊勢守殿との薄い本でも書きそうな、ツンデレ的な発言をかまして、伊勢守はクールに立ち去った。
公方様と俺の喧嘩の真似事はやはりバレてーら。
翌日から伊勢貞孝が主導して細川晴元と六角定頼との交渉が始まった。
政所執事様が出張ってしまっては、交渉に出向く気まんまんな俺の出番など来なかったのである。
……あれ? 俺って伊勢守においしいところ取られてないか?
なんだか軍議の満座の席で公方様に無礼を働いた若造というレッテルだけが残って、手柄をかっ攫われてないか? またやらかしたか俺?
まあ……よいか。
史実では北白川城を焼いて坂本に逃げ落ちることになるのだが、それは避けることになりそうだからな。
今回は手柄など別にいらんのだ。
申し訳ないけど今回の俺の第一目標は、在京しての商売繁盛である。
坂本なんぞに逃げ落ちることになれば商売あがったりだからな。
それに義藤さまが俺が頑張ったことを分かってくださっていればそれでいいのだ。
――そして数日後、その交渉は一気に進むことになる。
三好長慶がその武名を轟かせた、後世に「舎利寺の戦い」と称される戦の報が届いたためである。
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