第十九話 牧庵友の会(2)
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とりあえずは癪ではあるのだが、政所への対処である。
この前のように「イヤミ」だけですめば御の字であるが、妨害などされだしたらブチ切れて俺の手で室町幕府を滅ぼしかねないので、いわれたとおりに付け届けをする。
メープルシロップの売上げから黄金色の饅頭(中身は銭です)を用意する。
「吉田の神酒」も樽ごと用意した。
饅頭屋宗二殿と角倉吉田光治と俺とその郎党達で連れ立って伊勢守の屋敷に向かう。
門前で所用を伝え、アポを取っといた蜷川新右衛門殿にお会いする。
伊勢守に直接もっていくのも癪なので、政所代の蜷川新右衛門親世殿のところへ持って行くことにしたのだ。
「お初にお目にかかります。細川刑部少輔の子、与一郎藤孝と申します。以後お見知りおきの上お引き立てよろしくお願い申し上げます」
「これはこれはご丁寧にどうも。政所代を務めます、蜷川新右衛門と申します。よしなに。して本日はいかようなる用向きでありますかな?」
「は、これなるは林安盛(饅頭屋宗二)と申しまして、もみじ饅頭を商う者にございます。政所におかれましては格別なるご配慮を頂きました故、ご挨拶に参上させました次第であります。宗二殿、礼の物を――」
饅頭屋宗二が黄金色の饅頭(中身は銭です)をスッとお渡しする。
蜷川新右衛門はその中身を確認して心得ているのか何も言わない。
「そして、こちらは吉田社における酒の製造販売につきまして同じく政所に特別なるご配慮を頂戴した。「吉田の神酒」を造ります角倉の吉田与左衛門光治にございます。政所の多忙をお聞きし、陣中見舞いにとその酒を持参させました。表にありますればご確認お願いいたしまする」
「これはこれは痛み入ります」
「そして、これはお手数をお掛けする。蜷川新右衛門様にと」
「重ね重ね痛み入ります」
「今後もこれなる者や我が家につきまして、新右衛門様にお取次ぎの労をお願いすることがあるかと存じますので、引き続きお引き立ての程よろしくお願いいたします」
「分かり申した、それがしにお任せ下され。主にはくれぐれも丁寧な礼であったとお伝えさせて頂きますぞ。今後もこの新右衛門にお任せ頂ければ悪いようには致しませぬ。安心召されよ」
「よろしくお願い申し上げます」
――伊勢守の屋敷から引き上げ、二人にも礼を言う。
「本日はお手数をお掛けしました」
「いえいえ、こういった仕儀は商売では当然に必要なこと。今後は我らも動きます故ご心配なきように」
「はい。与一郎様はいざという時に動いて頂ければ結構。普段の付け届けは我らにて行います」
「かたじけなく。余りにも無理をいわれた時はすぐにお伝え下さい。それまでは面倒をかけますがよろしくお願いします」
――付け届けというか、袖の下というか、黄金色のお饅頭というか、まあそういったものがまだまだまかり通る世界が続くのである。
特別背任や収賄罪などは遥か彼方の未来の話である。
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このように幕府内は煩いのでしばらくおとなしくするとした。
幕府以外出来ることをやっていたが、漢方薬について動きがあった。
毎日のように呑みに来る、おじゃるな集団の二日酔いが酷そうだったので、五苓散を出してあげたら山科言継卿に絶賛された。
清原業賢伯父が結構な頻度で酒を配達しているはずなのだが、それでも足りないのか毎日蕎麦屋か鰻屋に呑みに来るのだから呆れてしまう。
まあ、そのおかげで漢方薬が売れたのだからよしとしよう。
山科卿が絶賛するものだから、店に置いたら結構売れだしたのだ。
ここですかさず金の匂いに敏感な吉田兼右叔父が動いた。
謎の宮大工集団を召喚し、翌日には薬屋をオープンさせたのだ。
薬屋の名前は「薬局 牧庵」である。
坂浄忠先生の許可を得て清原喜賢叔父が正式に医者として「牧庵」を号して開業したのだ。
これからは喜賢叔父を牧庵先生と呼ぶことにする。
そして、その薬局の開業に合わせて漢方薬にもヒット商品が生まれたのである。
「酒を呑んだら五苓散」
「呑む前にも五苓散」
のキャッチコピーで売れ出したのだ。
薬局では液体石鹸や上布で作ったマスクも売りだし始めている。
五苓散は当初は蕎麦屋と鰻屋でも売っていたのだが、薬局での販売に一本化した。やはり薬なので、漢方薬は坂浄忠先生や牧庵叔父の診断がなければ一般販売はしない方針にしたのだ。
何か事故があったら怖いからね。
それでも、文字通り呑む前や呑んだ後に薬局を訪れ、牧庵叔父の処方を受けて五苓散を買って行く客が後を絶たない。
二日酔いになってまでなんであんなに酒を呑むのか分からない。
やはり俺には酒飲みの根性が理解できないのである。
薬局で販売している液体石鹸はモチロン鰻屋や蕎麦屋でも使っているし、紫蘇とドクダミの煮汁で除菌清掃もしている。
現代で衛生管理者の免許を持つ俺が経営する店で食中毒とか出たら恥だからな……火事で店が焼け落ちたことがあったが、都合よく忘れることにした。
(実は防火管理者講習も修了していたりする)
【注意:現代の皆さんはちゃんと市販の消毒液で除菌してください。手に入らないから紫蘇とかドクダミでやっているだけです】
山科言継卿はもともと医薬の知識があり、坂浄忠先生の指導も受けてくれているので医師として漢方薬の購入を許可している。
なんだか五苓散ばかり仕入れて自分の二日酔いにしか使ってないような気もするが、まあ見て見ぬふりをしている。
山科言継卿とは大分親しくなり、医薬の話や酒の話、情報通なので朝廷の情報や交流のある各地の大名などの情報を頂いてもいる。
だが、会話のたびに頭に「おーっほっほっほ」という高笑いが入ってウザいので会話は割愛することにした。
山科卿は我々の医薬の研究のメンバーにも入ってくれていたりする。
言継卿のほかには坂浄忠先生の本家筋である、上池院家の坂光国さんが我々の活動に参加してくれた。
坂光国さんの家系も名医の家系で、その子孫は坂四家と呼ばれ江戸幕府に内科や鍼科の奥医師として仕えることになるのだがそれはまだ先の話である。
正式に医師となった牧庵叔父を中心に坂浄忠先生と坂光国先生、それに山科言継卿と米田求政殿、俺こと細川藤孝のメンバーで医薬のグループを作っているのだ。
俺はこのグループを心の中で「マキュアン友の会」と呼んでいる。
だって、牧庵がマキュアンにしか聞こえないんだもん。
「マキュアン(牧庵)友の会」の活動も順調だ。
その活動はトレインによる集団スプリントでもタダ乗りでもない。
ましてや頭突きでもない。
別にマイヨヴェール(ポイント賞)を目指しているわけでもない。
グルペットを作ろうとしているわけでもない。
漢方薬の医師向けの販売奨励とか石鹸とマスクの普及活動とか至極真面目な活動である。
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ロビー・マキュアン (オーストラリア出身)
ツール・ド・フランスでマイヨヴェールを3回獲得するなどスプリンターとして活躍した自転車ロードレースのプロ選手である。
巧みなバイクコントロールとその気性の荒さが有名である。
トレインと呼ばれるゴール前のスプリントで行われるチーム戦略なしでも勝てる稀有なスプリンターで、他チームのトレインにくっついて行き、最後に差すところなどは「ただ乗りマキュアン」と称された。
気勢の荒さからゴール前スプリントでは横に陣取る選手によく「頭突き」をかまし失格となることも多かった。
スピードはあるが反面登りが続く山岳ステージは苦手としており、タイムアウトにならない程度に最後尾をゆっくり走る集団「グルペット」を、その知名度からよく組織していた。
グルペットを率いる様はTV解説者の栗村修氏の名づけた「マキュアン友の会」が日本の一部で有名で、マキュアンを「友の会会長」とする愛称が一部の世界では長らく定着していた。
会長の愛称はなんとマキュアン本人も自称するほど有名であったという……とても愛すべき選手であった。
――謎の作者細川幽童著「ちょっと意味が分からない」より
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友の会の地道な活動で薬局の客も増え、ほかの漢方薬なども少しずつ売上を伸ばしていった。
だが、「吉田の神酒」の売上増にともなう五苓散の売上上昇が漢方薬としては異常に利益がでるため、
薬局も正直いって五苓散だけでウハウハだったりする。
生薬の買い付けは米田殿がやってくれているが、なにやら薬局の売上げを見て、オジーズや山科卿も生薬の買い付けに参入しようとしている。
米田殿は大丈夫かな? なんとなく乗っ取られそうで怖いのだけど。
まあその時は米田殿を家臣に引っこ抜けばいいから、黙ってほっとこう。
そして俺は新しい料理というか保存食の開発にも余念がないのである。それはこの先に来るであろう、新たな戦いを見越してのことである――
題名だけでオチを洞察されました凄いネ! 知っている人はそうは居ないと思ってネタ
にしたのですが完敗しました。大変申し訳ありませんでした。
さすがに、この文章量で1日2度投稿は限界を迎えておりまする。もう鼻血も出ません。
カクヨムで前半部分の改稿投稿を始めたのも悪いんですけどね。読み返したくなったら
カクヨムの方もよろしくお願いします。大分無駄を省いて読みやすくなったかもです。




