第十八話 伊勢伊勢守(1)
天文十五年(1547年)1月
織田信秀の饗応役という修羅場をなんとか乗り越えたわけだが、何やら織田弾正忠家の申次役などにもいつの間にか就任していた。
織田家御一行様のお帰りに、土産用の酒ともみじ饅頭を渡すついでに、従兄弟の平野くんに渡すお手紙を平手政秀さんに託したりした。
織田家の申次となったので、せっかく尾張に住んで居るという親戚とお近づきになりたいと思ったからだ。
添状にその平野長治くんの実の父である、清原業賢伯父の紹介状も入れてある。
まあ、お手紙のやり取りぐらいだろうが、尾張の情勢でも聞ければよいと思っただけである。
そこまで他意はない。
なにやら織田信秀がまた睨んでいたが、土産の酒は非常に喜んでいたので、多分気のせいだろう。
俺としては公方様に提案したとおり、織田弾正忠家に守護代に準ずる家格を与え織田家の幕府に対する支持を上げたかったのだが、さすがにそれは無理だった。
どう考えてもこの時期の織田弾正忠家が欲しがっているのは家格だと思ったから、台所につまみ食いに来る義藤さまに三略の勉強がてら提案してみたのだ。
まあ、義藤さまも諸侯が欲しがるものについて興味を持ってくれたようなので今回はそれだけでよしとしよう。
こんな感じでやり遂げた感を持って、満足しながら吉田神社に揚々と引き上げた俺を待っていたものがあった。
仕事の満足感で忘れていたのだ。
宴の用意で俺がやらかしていたことを……
礼儀正しく、鳥居の下で頭を下げ、端っこを通り抜けようとしたその時だ。
暗闇の中で俺は数人の男たちに取り囲まれた。
鳥居の下で立ち往生する俺。
神聖なる吉田神社の神域で狼藉とは罰当たりな連中である。
そして男たちが篝火や松明を炊いたのか、暗闇の中から俺を取り囲む男たちの姿が浮かび上がる。
その男たちの正体とは!
――蕎麦屋の店長の南豊軒叔父さんに、鰻屋の店長の吉田兼有さん、それに酒蔵を預かる角倉吉田家の吉田六佐衛門さんと、メープルシロップ作業場を預かる饅頭屋宗二殿、そして彼らを率いるオジーズ達であった。
正直、思い当たるふしがありすぎて言い逃れができねえ……。
退路は? 退路はないのか? 一瞬で周囲を見回し、わずかな隙を見つけた俺は、一目散にスタコラサッサと逃げ出した。
しかしまわり込まれた。
なんと吉田兼見くんまでもが現れ、俺の行く手を遮ったのである。
そして、その暴漢たちは非道にも俺を問答無用で取り押さえ、簀巻きに縛り上げたうえで、なんと罰当たりにも鳥居に吊り下げるなどという所業をするのであった。
縛り上げられ吊るされた俺は、なんとか交渉を試みた。
日頃お世話もしている仲ではないか、「話し合おう話し合えば人はきっと分かり合えるはずだ」
だが、そう声を掛ける俺に対する返答は、
「だまれカス」
「この裏切り者めが」
「てめーは俺を怒らせた」
「君はほんとうに馬鹿だなぁ」
「人間のクズが」
「ば〜かじゃねえの」
など、交渉の余地のない罵倒の嵐であった。
重力に魂を引かれたオールドタイプな人類では分かり合えないのだった。
だが、俺はそこに光明を見つけた――吉田兼見くんである。
今回彼には何もしていない気がする……多分。
俺は彼に一縷の望みを託し交渉を試みた。
「兼見くん。俺を助けてくれ。出来心だったんだ。ちゃんと皆に謝るから、お手伝いをちゃんとして借りは返すから、頼むよ俺を助けてくれよー」
「だが断る」――彼の返答により絶望する俺。
「なぜだ? 俺は君には何もしていないじゃないか? なぜだー!」
「オマエ俺ニ雪玉ブツケタ」――何故か無表情に言われたのである。
バレてーら……最初から俺に退路は無かったのである。
しょうがないのであきらめて、泣く泣く鳥居に吊るされながら一夜を過ごした。
結構寝れるものである。
なんとなく、新宿の掃除屋と呼ばれる漢の気分がわかった気がした。
――翌朝、幸運にも親父の三淵晴員が下を通りかかり、俺を助け出してくれたのだ。
だがその条件に当然の如く俺からの借金の棒引きを要求された。
この先、親父が大御所に怒られても助けてあげないことを今決めた。
結局、吉田神社には救いの神は居なかったのだ。
俺は今日この日から、吉田神社にお賽銭を入れるのをやめた――ささやかな抗議である。
◆
そして、そんな俺をさらに不幸が襲う。
体の節々が痛むがそれでも新作料理をこしらえ、その荒んだ心を癒すため、いそいそと俺の心のオアシスである東求堂に向かっていたのだが、そんな俺の行く手を遮る者達がいた。
その男は進士九郎賢光と名乗った。
「なんの恨みがあって我らが役務を侵害するか? 返答によってはタダでは済まさんぞ!」
進士九郎賢光は初めから喧嘩越しで話になりそうになかった。
もう一人は進士美作守晴舎といって、進士賢光の兄だという。
こちらは気が弱そうな印象である。
どちらかというとやり過ぎる弟を止めようとしてくれている。
まったく効果はないようだが。
さらに別の男は大草三郎左衛門公重と名乗った。
こちらは、「へい、大将」と声をかけたら、「今日はいいネタ入ってるよー」とか返事しそうな威勢のよい寿司屋の大将みたいな男だ。
「細川殿が面白い料理を作るのは聞いているがな。それに公方様が喜んで食されているのもまあ存じてはいる。だがなあ職分てえものがあらーな。人の仕事を奪うのは頂けねえ。幕府における饗応役を務めようというのなら、まずはわしらに筋を通すってのが、必要ではないか?」
俺の行く手を遮ったこの三人達は、幕府の奉公衆であり、また包丁人として足利将軍家に仕えるものたちであった。
供御方などとも呼ばれ将軍や将軍の家族の食事を提供することを生業とする。
いわば「将軍の料理人」である。
御成りなどの公的行事においては、その饗応役を務めるなど、幕府にその料理の腕で仕えた家柄のものであった。(いろいろな説があったりします)
まだ大草殿の方は話になりそうだなと思い。
とりあえずこちらと交渉してみることにした。
「申し訳ありませぬ。私は饗応役の役柄を奪うつもりは毛頭ありませぬ。此度の織田家の宴席のことについては恐れながら、公方様のご意向が強くあったがためになります」
「貴様ぁ! 公方様に罪を擦り付ける気か?」
うるさいな進士賢光。
お前とは話をする気はないぞ。
「だがなあ公方様は宴などで、これからも貴殿の料理を振る舞いたいと仰せであったぞ」
大草の大将にも反論される。
「それでは公方様がまた私の料理で宴を開きたいと仰せのおりには、私が大草殿に調理方法をお教えするというのはいかがでしょうか? 私の料理で恐縮ではありますが、大草殿が調理を指揮して宴席を差配いただく形であれば、私がその役儀を奪うことにはあたらないかと存じますが」
「しかし料理の技法をわしに教えてもよいものなのか? ふつうその技法などは門外不出にするものだぞ」
「技法や材料の秘密厳守はお願いしたくありますが大草殿は秘密を守って頂ける方ではないかと感じました。それに公方様も存じ上げている料理の秘を無駄に広げることはありますまい」
「ふむ。わしとしてはありがたい話でもあり特に異存はないが。進士殿はいかがするか?」
「ふん。細川殿が役儀から外れるのであればわしは別に構わん。細川殿の料理にも大して興味はござらん。大草殿の好きにすればよろしかろう。細川殿、今後は少し出しゃばるのを控えるんだな。失礼する」
ドン!
進士賢光がわざとらしくぶつかって来て、俺は持って来た新作料理を落としてしまった。
ああ勿体無い。
「こ、これは申し訳ない」
謝ったのは兄の進士晴舎の方であった。
進士賢光は無視して行ってしまった。
兄の方はいい人みたいだ、詫びながら片付けを手伝ってくれる。
大草殿も一緒になって手伝ってくれたが、これはもうダメだな。
持ってきた料理が台無しである……まあまた作ればよいか。
「大草殿、よければこれから食事でもいかがですか? 実は私の料理は吉田神社の店で食べられるのです。私から料理を習うかどうかは食べてから判断してもよろしいかと」
「そうか、それもよいな。では案内してくれるか」「ええ」
「あ、あのー」
「美作守殿はまだ何かございますか?」
「いえ、弟はあれですが、私は与一郎殿の料理にも興味がありまして、弟の手前言い出しにくいのですが、私もご一緒させていただけませんか?」
「ええ喜んで」
今日のところは義藤さまのところへ出仕するのはあきらめ、大草公重殿と進士晴舎殿と三人で蕎麦屋と鰻屋をハシゴした。
「ほんとうに申し訳ござらなんだ。進士殿と私とで織田殿の饗応について話していたらのう、急に公方様から細川殿の料理を振舞いたいといわれだしてな、少し頭に血が昇ってしまったわ。今日の非礼はお詫び申す」
酒が入った大草の大将が急に謝りだした。
「私も弟の非礼をお詫びいたします」
「私のほうこそ無神経に公方様に御食事を献じてしまっておりました。本来は供御方のお役目であります。無作法をお許し下さい」
「まあ普段の食事は我らも任されているしな。公方様のたまの気まぐれぐらいは許してやらんとな」
「ええ、そうですね。我らが公方様や大御所様に疎まれたわけではありませんし」
「じゃあまあ、これで手打ちということでな。とりあえず呑もうや! おおーい酒じゃあもっと酒を持ってこいやあ。ここの酒は美味すぎていくらでも呑めらーや」
「この天ぷらというものもサクサクがたまりません」
とりあえず大草殿と進士の兄貴の方とは無事に手打ちができたようだ。
まあ進士の弟の方はほっとこう。
大草殿と進士兄とが協力してくれれば、この先料理関係で揉めることも少なくなるだろう。
それでよしとする。
このあと、盛大に酔っ払ってからみまくる大草の大将に苦労したり、酔っ払ったら人格が豹変した進士の兄にこんこんと説教を喰らうハメになるのだが、まあそれは余談である……
最近ろくなことがないのだが、俺何か悪いことしたかな? と、真剣に悩んだりもした。
――だが、まだ災厄は終わってはいなかったのだ。
◆
【伊勢伊勢守(2)につづく】




