第八十九話 織田信長家督継承(1)
天文二十年(1551年)2月
伊勢貞孝が公方様を拉致して、強引に洛中へ連れ出そうとする不埒な企みはなんとか阻止することができた。
だが、勝軍山城から伊勢派の連中がごっそり抜けてしまったので、戦力の低下が甚だしい。(欠陥MSのサザ○ーの如くパワーダウン)
伊勢貞孝による謀反騒ぎの数日後には、三好長慶が摂津から上洛して 再び洛中に入った。この行動から三好長慶と伊勢貞孝が協調していたことは間違いがないようだ。
そして伊勢貞孝は公方様に宛てて書状を送って来るのだ。
「今出川御所は三好筑前守(長慶)より明け渡しを受けましてございます。御所様(足利義藤)におかれましては、つつがなく御所へお戻り頂き、公方様としての責務を果たしていただきとうございまする。三好筑前守は公方様に対して二心など抱いてはおらず。この伊勢守(貞孝)が、いくらでも筑前守と御所様との仲介の労をとりましょう。洛中の政務も政所がしかと行っておきますれば、御所様が心配することは何もございません」
面の皮が厚いというか何というか、謀反など無かったことにしているようである。あくまでも公方様の忠臣たる政所執事としての立場を崩していないのだ。
政所執事としては正しい行動であり、実に室町幕府らしい考え方だとは思うが……気に食わないのは気に食わない。
こっちとら、お前のせいで苦労してるんじゃい。
まあ、正直いって、伊勢貞孝の処遇とか処罰とか、今はそんな場合じゃないのだ。
勝軍山城の防備などで俺は過重労働に陥るのだから……
「ふ、ふじたかー。もみじ饅頭がー」
「はいどーぞ!」
ドン! 大量のもみじ饅頭を義藤さまに進上する。
「今年採れたてのメープルシロップで作った、出来立てのもみじ饅頭です。もうすぐご飯だから食べ過ぎないよーにしてください」
「きょ、今日の晩御飯はー」
「供御方の大草公重殿が天ぷら蕎麦を作ってくれてますので、少しお待ちください」
「い、いっしょにご飯を……」
「すいませんが、出城の改修の監督に行かねばならないので」
「あ……うん」
◇
◇
◇
「藤孝―? 今日はお昼ご飯を――」
「はいどーぞ。お昼ごはんの山菜の漬物のおにぎりです」
「今日は天気も良いから外で一緒に食事で――」
「すいません。街道の整備で出かけますので、あー忙しい」
「あーうん。頑張るがよい……」
◇
◇
◇
「ふっ、藤孝ぁ、今日は――」
「申し訳ありません。これから補給の打ち合わせですので」
「そ、そうか、忙しいのじゃな」
「すいません、行ってきます。まったく、クソ忙しいんじゃあ!」
「うう……」
三好長慶が上洛して勝軍山城への再攻勢が予想されるので、城の防備の再構築にとにかく忙しい日々を過ごしていた。
伊勢貞孝から城の情報が漏れるのは間違いがないのだ。弱点をつかれて落城なんてことになったら目も当てられない。
出城の改修や、兵の配置の変更、新しい補給路の確保、援軍の要請……
やることが多すぎて目がまわるぞ。この2週間、昼も夜もとにかく働きまくった。労働基準法とかなにそれ? 状態だな。ブラック職場過ぎて嫌になるわ。
「兵部大輔殿にすべてお任せするでおじゃる」の一言で、近衛派も京兆家の連中もまったく手伝ってくれないのだ。
うちの家臣や、高島派の奉公衆らが手伝ってくれるだけマシだが、基本的に指示待ちだから、結局俺が動かねば進まないのだ……
人手がまったく足りない。猫の手も借りたいとはこのことだ。
◆
そう思いながら必至こいて働いていたら、美濃・尾張に派遣していた、明智光秀と金森長近が帰って来てくれた。仕事をぶん投げることが出来る有能な家臣の帰還は大助かりである。
せっかく光秀も長近も帰って来てくれたことだし、俺も米田求政の兄貴も働き過ぎでヘロヘロになっていたから、今日ぐらいは労いの宴会を開くことにした。
本丸の大広間を貸しきって高島派の連中でささやかな慰労会である。気を使うのも嫌なので、京兆家や近衛派は呼んでない。働かざるもの食うべからずである。
久しぶりにゆっくりできたので、米田の兄貴は早々に出来上がってしまった。みなもそれぞれに宴会を楽しんでいるようだ。上司たる者、働いてくれた家臣には少しでも報いてやらねばならないな。
さて酔っ払ってしまう前に、明智光秀や金森長近から報告を受けておかねばなるまいな。
「十兵衛、東の美濃の情勢はどうなのだ?」
「――というわけで、美濃斎藤家、小笠原家、木曽家で同盟を組み、東の甲斐武田家に対抗する準備は出来ております」
(東美濃の情勢は「第八十五話 大津の戦い(1)」をお読み下さい)
「美濃は順調そうで良かった。五郎八、尾張の方はどうなのだ?」
「織田信秀殿と織田信長殿が、織田大和守家の軍勢を誘いだし、先月行われた萱津の戦いで、織田大和守家の家老の坂井大膳を討ち取ったよしにございます」
萱津の戦いは信秀の死後に起こった戦いのはずだし、坂井大膳は討死せずに逃亡した気がするけど……
「五郎八、どのような戦いだったのか詳しく教えてはくれまいか?」
「はっ――」
金森五郎八の説明曰く、織田信秀は病に倒れたという噂を流して、織田大和守家の暴発を誘ったそうだ。
誘いに乗った大和守家の坂井大膳・坂井甚介が信秀方の松葉城を攻め、その城攻めの帰路に、織田信長と叔父の織田信光が大和守家の軍勢に攻め掛かり、坂井大膳・坂井甚介の両名を討ち取るなど、ほぼ壊滅させたそうである。
「わたしもお手伝いで参戦して首をあげましたが、まさに完勝といった戦いでありましたな」
織田信光が坂井大膳を待ちうけ開戦したところで、織田信長が後方から襲いかかって挟み撃ちにし、包囲殲滅したそうである。
金森長近も首を獲るとか何やってるねん。遊んでないで、さっさと帰って来いというものだ。
主要な者を討たれた坂井家の一族は清洲城を退去して弾正忠家の軍門に下った。斯波義統、義銀の尾張守護家も守護代たる織田大和守家を見限って那古屋城に入り、織田弾正忠家の保護下に入った。
この敗戦で織田大和守家は風前の灯といった感じに落ちぶれてしまったそうである。清洲城はまだ確保しているようだけど、もう滅亡寸前だな。
「それで御屋形さま、信秀様と信長様からお願いが来ております」
「ん? 信秀殿と信長殿からお願い?」
「信秀様の病がことのほか重いため。隠居の上、信長様に織田弾正忠家の家督をお譲りしたいとのことであります。公方様にお取次ぎの上、家督継承を承認する御内書と、信長様へ新たな官位もいただけないものかと。できれば上総守の官位が欲しいとの願いでありました」
織田信秀は史実では来年の1552年の3月に病で倒れることになる。信秀が倒れたことで織田弾正忠家では家督争いが起こり、織田信勝と結んだ織田大和守家と信長が抗争を繰り返すことになるのだ。
まあ、織田信勝は奉公衆として、この勝軍山城に居るから家督争いも起こらないし、織田大和守家は滅亡寸前だもんな。
史実とは違って、織田信長は順調過ぎるが、やはり織田信秀の寿命は尽きてしまうのか……
だが、さすがは織田信秀だ。自分の病をおとりに敵を誘い出すとは……本当の病らしいから敵も騙されるよな……
「よいだろう。信長殿の家督継承と新たな官位は公方様にお願いする。ただし、官位は上総介だけどな。上総は親王任国だから、上総守は無理だと前にも教えたのだがなぁ……」
【上総介は駿河今川家が代々就任した官位で、信長は上総介を上回る意味で介の上の位である上総守を名乗ったのだろうが、上総は親王が国守となる親王任国で、親王以外は上総介に就任することを知らなかったのだろう。常陸、上総、上野の三国は親王任国であり、親王が大守となるので介が国司相当になる】
「それと尾張国内は良いのですが、三河では今川家の攻勢が激しく、織田信長殿は苦労しておりまする」
「岡崎城はどうなっているのだ?」
「今川派の重臣に制圧されてしまったようです。岡崎城はすでに今川家に通じ、織田家にはどうしようもない状況かと。織田派の松平衆の一部は岡崎城を離れ、信長様に庇護されて末森城に入りました」
当主たる松平竹千代は幕府が保護して公方様付きの小姓となり、岡崎松平(安祥松平)家は奉公衆としてその身分や領地を安堵されたとは言え、当主不在ではやはり今川家に切り崩されたか……太原雪斎もまだ元気だろうし、今川家はこの時期強いよなぁ。
「三河は今川家に制圧されそうな勢いか?」
「刈屋の水野信元殿が織田家と結んで今川家に対抗しておりますが、池鯉鮒(知立)城や重原(鴫原)城まで押し込まれており、尾張にまで今川家が攻め込みそうな勢いでありますな」
これは早く信長に尾張国内を統一させないとマズイことになりそうだな。それに岡崎城もなんとかしないと。
まだ松平竹千代は8歳で元服には早いし、もう少し教育(洗脳)しておきたいところだけど、元服させて岡崎城を取り返す算段でもしないとダメかな……
美濃の遠山家と織田弾正忠家が婚姻しているから、斎藤家と北から三河を圧迫させるのもよいが……
そんなことを考えていたらドタドタと足音が近づき、俺は大声で叱責されて思考の迷路から無理やり引き返されるのだ。
「ふじたかーっ! その方は忙しいと言って、わしを放っておいたくせして、こんなところで何を宴会なんぞしておるのだーっ!」
……何か知らないけど、我が主は酷くお怒りのようであった。
言い訳です、最近の小説投稿が遅いのは
作者がゆっくり解説動画なんて作っていたからです
活動報告にも書きましたが
【ゆっくり解説】桶狭間の戦い
なんていう動画を作り、Youtubeに投稿してました
無駄に解説が長いけど一応動画作成を勉強して
子供に教えるために一生懸命作ったのです
よかったら見てもらえると嬉しいです
そんなことしてないで小説書けと怒られそうですが……
リンクは活動報告にあったりします




