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第八十八話 裏切り(3)

【裏切り(2)の続き】

 ◆


「おお、伊勢守様。お戻りになられましたか」


「面倒を掛けたな貞助(さだすけ)


 伊勢一門の棟梁である伊勢伊勢守(いせいせのかみ)貞孝(さだたか)を伊勢一門加賀守家の伊勢加賀守(いせかがのかみ)貞助(さだすけ)上京(かみぎょう)伊勢伊勢守邸(いせいせのかみてい)で出迎えた。

 ちなみに伊勢屋敷は今出川御所(いまでがわごしょ)の東隣という一等地に立地している。


「なんの、これも伊勢一門のため。して、公方様を案内(あない)する件はいかがされましたか?」


「細川兵部大輔(ひょうぶだゆう)が戻ったのでな、残念ながら公方様をお連れすることは適わなかった」


「公方様のこと誠に残念であります。今出川御所には肥前守(ひせんのかみ)盛正(もりまさ)次郎(じろう)左衛門尉(ざえもんのじょう)貞清(さだきよ)の手の者が詰めておりますが、いかがいたしましょうや?」


 肥前守は伊勢盛正(いせもりまさ)のことで、小田原の後北条氏の本家筋にあたる備中伊勢家(びっちゅういせけ)の嫡流の末裔とされ、室町幕府の走衆(はしりしゅう)を務めたとされる。

 伊勢次郎左衛門尉貞清も走衆であるが、系譜は不明。


「いずれ公方様がお戻りのおりに必要となるであろう。修繕はすすめておいて貰おうか……三好家の方に問題はないか?」


「三好家の手勢は約定のとおり相国寺(しょうこくじ)より撤退しております。上京の統治は我らに譲ると、三好孫四郎(まごしろう)長逸(ながやす))から口上(こうじょう)を得ておりまする」


「よいだろう。三好家との連絡は引き続きその方に任せる」


「伊勢守様、その前にひとつ聞いてもよろしゅうございますか?」


「なにようか?」


「なぜこの時期でありましたのでしょうや? 幕府軍は(いくさ)を有利に進めていたものと存じますれば、三好家を洛中より追い出すこともできたのでは御座いませんか? 勝軍山城(しょうぐんやまじょう)では(さき)の三好軍の大攻勢を凌ぎ切り結束を固めたともお聞きしておりましたが……」


「分からぬのか? ……勝っているからこそであろう。三好筑前(みよしちくぜん)(長慶)は勝軍山城を攻めあぐね、摂津や和泉などの後背も撹乱され、洛中の統治にも(ほころ)びが生まれておった。ありていに言えば三好筑前は困っておったのだ」


「はあ、確かに三好長慶(みよしながよし)めは城攻めに困っておりましたようで……」


「三好筑前は困っているからこそ我が伊勢一門の手を取ったのだ。洛中の支配を伊勢家に(ゆだ)ねるという好条件でもってな。洛中支配には我ら伊勢一門の力が必要であると気付いたのであろう。困っている者を助けるからこそ恩が売れるというものよ」


「流石は伊勢守様ですな。得心が行き申した。ですが、勝軍山城に残る幕府勢や京兆家(きょうちょうけ)、それに近衛家の御方(おんかた)らとは関係が悪くなるかと存じますが?」


「力無き京兆家の当主にもはや用はない。細川晴元(ほそかわはるもと)は捨ておいてよかろう。公方様や太閤殿下の件だが、別に我らは公方様に対して謀反を起こしたわけではない。公方様のために三好長慶との橋渡しを努めようとしているだけのこと。公方様はまだお若く佞臣(ねいしん)(たぶら)かされておるが、近衛家ともどもいずれは過ちに気付き、我ら伊勢家の力を欲することになるであろう」


「左様でありますな。しかし忌々(いまいま)しきは公方様をあやつる佞臣の細川藤孝のやつでありますな。西岡衆(にしおかしゅう)高島七頭(たかしましちがしら)三河松平党(みかわまつだいらとう)彼奴(きやつ)は伊勢の米びつに手を突っ込むこと甚だしいわ!」


「成りあがり者の細川兵部大輔では幕府をまとめることなど出来るわけがないのだ。案ずる必要はないであろう貞助」


「はっ。三好長逸も細川兵部には恨みをお持ちのようでありました。いずれ三好勢でもって藤孝を排除することもできましょう」


「毒を以て毒を制す……幕府の正常化のためには必要な仕儀よ。貞倍(さだます)のヤツも藤孝の首くらいは落として欲しかったものであるがな……」


「左様でありますな……因幡守(いなばのかみ)(貞倍)殿はどうされましたか?」


「勝軍山城から伊勢家の手勢や奉行衆(ぶぎょうしゅう)を引き連れ、こちらに向かっておる頃だろう。明日より政所(まんどころ)の業務を再開できるようにせねばなるまいな」


「はっ、新右衛門尉(しんうえもんのじょう)と準備いたしましょう」


「よろしく頼むぞ」


(新右衛門尉は政所代(まんどころだい)蜷川親世(にながわちかよ)のこと)


 伊勢貞孝との会見を終え、貞孝の自室から引き上げた伊勢貞助は思うのであった。

 伊勢守様は三好長慶が困っているから手を結んだというが、三好長慶が困らなくなったらどうするのだ……我らは三好長慶に捨てられやしないだろうかと。


 ◆


 伊勢貞孝(いせさだたか)の謀反とも言うべき所業により、勝軍山城は大混乱に陥ってしまった。

 伊勢貞孝は歌会と称して公方様を招き寄せ、あろうことか公方様を拉致して洛中へ逃れようとしていた。


 だが、その計画は公方様が身を隠したことで失敗に終わる。計画が失敗したことを悟った伊勢貞孝はいち早く勝軍山城を脱出した。

 残った伊勢一門を中心とする伊勢派の手勢は伊勢貞倍(いせさだます)がまとめて、東の出城に立て篭もった。


 東の出城を守っていた兄の三淵藤英(みつぶちふじひで)は状況が分からなかったのか、出城の守備を替わるという伊勢貞倍の言葉を信じて本丸に戻って来てしまった。


 隠し部屋から出てきた俺は和泉細川家の手勢を率いて来た米田求政(こめだもとまさ)の兄貴と合流して天守の守りを固めていたのだが、兄の藤英に話を聞いて伊勢派の立て篭もりを知ることになる。

 東の出城に篭った伊勢派の手勢は2千であり、勝軍山城に篭る兵数の3分の1にもなってしまうのだ……


「伊勢派の連中も困っているのですぅ。城中で幕府軍同士争う気はないと言っておりますぅ。どうか彼らの言い分を聞いてあげて欲しいですぅ」


 東の出城に立て篭もった伊勢貞倍は密使を天守の公方様のもとに遣わし、勝軍山城からの安全な退去を求めて来たのであった。

 密使は一色藤長(いっしきふじなが)だった……なんでお前は伊勢派の連中と行動をともにしてるんだよ……


「それで藤孝、どうするのだ?」


「三好長慶に付け込まれる恐れがあります。やはり城内で伊勢派の連中と戦うわけには参りませんでしょう。ここは要求を飲んで速やかに城外へ退去させるが上策かと存じます」


「それしかないか……」


「ありがとうございますぅ。この一色七郎が彼らに手は出させませんので公方様には安心して欲しいですぅ」


「七郎……そなたが伊勢守に従うとは思わなかったぞ……」


「公方様、わたしは伊勢貞孝殿に従ったわけではありませぬぅ。なりゆきで伊勢家の手伝いをしているだけですぅ。わたしの忠義は公方様だけに向いておりますですぅ」


「そうなのか?」


「はいー、私は公方様の歌友(うたとも)ですからぁ」


「あー、うん。それじゃあ、七郎殿。これからは洛中にあって、伊勢家の内情を伝える書状をそれとなく送ってくれないかな? 書状は洛中の商家が一色式部家(いっしきしきぶけ)の屋敷に御用伺いに行くようにするから、その時にでも渡してくれ」


「分かったですぅー。藤孝殿との文通に心が躍りますぅ」


 野郎と文通とか勘弁してくれよ。まったく緊張感のない男だ。

 そこが七郎の良いところでもあるが……


 一色藤長が間に立つことによって交渉が成立し、伊勢貞倍は大人しく勝軍山城から退去していった。

 城内で幕府軍同士が相打つことにならなくて良かったと思う。


 まあ、伊勢派の連中がごっそりと城から抜けだしたので、大幅な戦力ダウンだし、城内の内情や城の守備の配置が三好方に筒抜けになってしまうという問題も発生するのだが、そんなことよりも大きな問題が真っ先に来るのであった。


 伊勢派の連中が城を出たことで、細川晴元の京兆家や、太閤殿下の近衛派の連中にも伊勢貞孝の謀反が発覚したのだ。

 むろん、いつもの非難合戦という名の「軍議もどき」が開かれた。


「なぜ我らには伊勢の連中の謀反の連絡がないのじゃ!」


「我らをないがしろにする気か!」


「どういうことでおじゃるか?」


 公方様を表立って非難できないので、公方様と事態の収拾にあたった俺に皆の文句が集中する。いつものことなので慣れてるけどさぁ……


「まずは急ぎ事態の収拾にあたっており、皆様方に報せが遅れたことは大変申し訳なく思っております」


「反省だけなら猿でもできるわ!」


「黙れこわっぱ!」


「口ではどうとでも言えるわ! まさか伊勢派の連中とつるんでおったのではないだろうな?」


「そうなのでおじゃるか?」


「め、めっそうもござりません。私は公方様の安全を確保するため一緒に身を隠し、公方様の安全が確保できてからは、伊勢派の連中を大人しく城から退去させるために交渉にあたっていたのです」


「それはまことのことであるか」


「いーや信用できぬわ!」


「黙れこわっぱ!」


 日頃の鬱憤晴らしでもしているのではないかと思えるような、俺への集中攻撃が続いていく。

 だが、そこに救いの神が舞い降りた。


「皆の者、兵部大輔が申すことはまことのことじゃ。わしは一連の騒動の中、兵部大輔と共にあって伊勢派との交渉にも立ち会っておった。兵部大輔が伊勢派と通じているなどということはない。わしの言もそなたらは信じられないのか?」


 シーンと軍議の場大人しくなる。

 ああ、義藤さま、あなたはマイスイートエンジェルだ。

 撲殺天使(ドクロちゃん)なみに面倒なこともあるけどな。


「まあ皆様、大事なのはこれからのことでしょう。兵の数が減ってしまったこの先、どう三好家に対抗するのか。それを考えましょう」


 大館晴光(おおだてはるみつ)どのが建設的な意見を述べてくれる。


「そうじゃ、そうじゃ。まずは今後のことを考えようぞ」


「伊勢派の連中、2千の兵が減ったというのが問題じゃな」


「これは大きく兵が減ったものでおじゃるな」


「少なくなった兵でいかにしてこの城を守るのかじゃな」


「6千はおった兵が、4千になったということか」


「して、どうするのだ?」


「どうすればこの城を守り通すことができるのじゃ?」


 むろん、誰も答えなど持っていない。

 事態の深刻さに気付いたのだろう。皆の口が重くなっていき、そして軍議の席は静まり返った。


「まだ慌てるような状況じゃない」


「だいじょうぶじゃ、我らには細川藤孝殿がおるではないか!」


「おお、そうじゃ!」


「そうじゃそうじゃ!」


「藤孝殿ならきっと何とかしてくれる」


「おお、今孔明殿じゃ」


「今超雲殿なら、きっとなんとかしてくれるでおじゃる」


 そして、一同の視線が俺に集るのだ……勘弁してくれよ。

 皆で俺を非難しておいたことをあっさり忘れて、非難していた俺に事態の解決を頼るんじゃねえ。

 まあ、なんとかしますけどね……


 こうして俺のデスマーチが始まるのだ。

 室町幕府ってブラック企業だったのだなぁと、しみじみ思う俺であった。

久しぶりの更新で申し訳ないです

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[気になる点] こわっぱ!って言わせたいのは分かるけど(それもちょっと天丼が過ぎるとは思うけど)全体の警備責任者でも何でもないのにやたら非難の矢面に挙げられるのは違和感が… 近集として将軍様の身辺の安…
[良い点] 武蔵 (格闘家)・ご先祖生き残れよ まあ伊勢氏は家業考えたらあんまり文句言えないんですよね…応仁の乱で細川関連での被害と後処理みれば嫌悪か憎悪でしょうww
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