第八十七話 ザビエル(3)
【ザビエル(2)の続き】
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「それで藤孝、わしは南蛮人のジーザス教とやらの布教の許可を与えればよいのだな?」
宴が終わって白粉を落とした義藤さまが、衝立代わり屏風の向こうで着替えながら聞いてくる。着替えの衣擦れの音がなんかエロいぞ。
「いえ、今しばらくはその必要はありません」
「そうなのか? その方はあの南蛮人と交易がしたいのであろう?」
「彼らが幕府に対して協力的であるなら交易も考えますが、ジーザス教は危険極まりないものであるので、交易と交換での布教などは認めたくないのが本音です」
「キャノンとか船が欲しいとそなたは言っていたではないか」
「大砲はすでに試作を始めておりますので殊更必要とはしておりません。彼らに無理難題を言って、簡単には布教の許可を与えないための言い逃れのようなものであります」
大砲やキャラック船が手に入るなら欲しいとは思っているけどな。
「そなたはなぜジーザス教をそれほど恐れているのだ?」
「彼らの宗教は一神教というものであり、彼らの神を信じない人々をとかく攻撃するのです。ジーザス教徒という連中はジーザス教を信じない者らを人として扱わない酷い連中が多く居るのです」
カトリックの親玉であるローマ教皇が征服してよいと教皇勅書を出しているのだから性質が悪い。スペイン、ポルトガルに関しては世界を分割して征服することを決めたトルデシリャス条約やサラゴサ条約などというクソみたいな条約もある。
「あのザビエルという者はそのようには見えなかったがな」
ザビエルはね俺も良い人だと思います。
「南蛮人の商人にはジーザス教徒以外の人々を物のように扱い、牛馬の如く死ぬまで働かせるような連中が多くいるのです。彼らによって我が国の人々も異国へ売り飛ばされていることでしょう」
(1550年の6月に初めてポルトガル船が平戸に来航しているので、ポルトガル人によって奴隷売買が始まっているかは微妙だったりします)
「嫌な話であるが、乱捕りや人買いは戦の習いでもあるのだろう? 倭寇とやらも高麗や大陸(中国)から人攫いをしていたと……そなたはわしに教えてくれておったな」
「確かに倭寇は人攫いを行っておりました。また我が国にも商家の丁稚奉公や女中に、娼婦のような隷属的な身分があるのも確かです。それに戦で敗れた者らが捕らえられ、売買されたりかつての奴婢のような身分で過酷な労働を課せられたりすることもあります。ですがそれらの人々は下僕のようなものでもあり、まだ人として扱われておりました」
「そうは言っても酷い話であるがな」
「ですが全く人扱いされない牛馬の代わりの奴婢以下の存在である『奴隷』という存在が異国の地にはあり、その奴隷に対して我々には考えられないような恐ろしい仕打ちをする人々がいるのです。人を人として扱わない『奴隷商人』というおぞましい連中もおります」
(ここで言う奴隷はローマなどの古代の奴隷ではなく、いわゆる黒人奴隷になります)
「奴隷か……その言葉はしかと覚えておこう」
現代の価値観で奴隷貿易を非難するのもおかしな話であるのだが、やはりどうあっても認められるものではない。この時期の奴隷は人類史において最悪なものだと思うのだ。
「後期倭寇の連中によって、我が国でもすでに人買いは行われていることでしょう。我が国には売れる物が少ないので、唐物を手に入れるためには人を売るおぞましい商家も多くいるのが実情です。それに子を売る親というものも残念ながら少なからずいるのです。それは口減らしで丁稚奉公に出すようなものとは根本的には違うのですが……彼らは丁稚奉公のようなものだと自らをも偽ってそれをなすのです」
「……嫌な話であるな」
「私としてはザビエルのような人物と懇意にすることで早期に人売りを商いとすることを辞めさせたく考えております。我が国の人々が異国に売り飛ばされるということは百害あって一利なしです。国を富ますのは人が有ってこそなのです。国を滅ぼすような所業は避けるべきでありましょう」
「それは出来る話であるのか?」
「恐らくは難しくあります。ですが彼ら南蛮人との交渉を継続的に持つことをしなければ、人買いを禁止したいという意向を伝えることもできないのです」
豊臣秀吉のように全国を統一しない限りは奴隷売買を行う商人を統制することなどできない。
「そのために南蛮人を歓待したのであるか」
「彼らと懇意になるためにもうしばらく南蛮人を歓待したいと思っております。奴隷となる我が国の民を一人でも少なくするためにお許し頂けると嬉しくあります」
「分かった、励むが良い。それでまた宴を開くのであるか?」
「いえ、彼らを坂本や今津の町に案内することになっております」
「それはわしも是非行きたいものだ」
着替え終わった義藤さまが元気に顔を出してくる。残念ながら普通に公方様らしい格好である。
「それは無理でありましょう。内談衆や政所が公方様の外出などお認めになるわけがありません。まだしばらく儀式漬けにされるのではないですか?」
「そなたは幕府にこき使われる哀れなわしのことも助けようとは思わないのか?」
ジト目な恨みがましい目を俺に向けて来るが、「公方様」をザビエル一行に会わすわけにはいかないのである。
「二、三日で帰って来ますのでそれまで我慢してください。ではザビエル達が待っておりますので行って来まーす」
「そなたは鬼じゃ、人でなしじゃ! 呪ってやるんじゃからなー」
義藤さまに散々罵られてしまうのであるが、聞こえないフリをして逃げ出すのである。薬種問屋の小西隆佐が高島屋に協力してくれることになったので、今津で高島屋の経営会議を開く必要があるのだ。申し訳ないけど幕府の無駄な儀式なんぞに付き合っているヒマは俺には無いのである。
サビエル一行はひとまず平戸に帰ると言うが急ぐ旅では無いし、坂本や今津の町にも興味があるというので連れて行くことになっている。
三好長慶が洛中に居ないので、少しぐらい勝軍山城を留守にしても大丈夫だろうと思っていたのだ。だがそれは油断でしかなかったことを思い知ることになるのであった――
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フランシスコ・ザビエル(1506年生-1552年没)
フランシスコ・ザビエルは1506年にスペインのナバラ王国で生まれている。イエスズ会の創設メンバーの一人であり、ポルトガル王の依頼で当時ポルトガルが攻め落としたばかりのインドのゴアに派遣され宣教師として活動を始めた。
ザビエルが日本へ布教に来るきっかけとなったのはポルトガル領となっていたマラッカで鹿児島出身のヤジロウ(アンジローとも)と出会ったからだとされている。
ヤジロウは若い頃に殺人を犯してマラッカに逃れたというが、普通に考えて倭寇か密貿易の商人であろう。この当時に日本からマラッカに簡単に行けるものではないのだ。
ザビエルは倭寇の阿王という人物のジャンク船に乗って日本に向かい、1549年の8月に薩摩の坊津に上陸した。
(阿王という人物は王直自身か、王直の倭寇グループの人間だった可能性が高いのではないかと思っている)
この薩摩で始めて日本におけるキリスト教の布教がなされたとされている。ザビエルは島津貴久に許可を貰って布教活動を行い「鹿児島のベルナルド」という日本人に洗礼を授けるなど、1年程度布教活動に従事した。だが、仏僧との対立などがあり島津家の理解を得ることができずに薩摩での布教活動は失敗に終わってしまった。
薩摩を離れることになったザビエル一行は日本の首都に行って、天皇や将軍に布教の許可を貰おうと考え京に向かうことにしたようだ。
まずは平戸へ向かっている。平戸には王直の誘いで1550年6月にポルトガル船が来航していたこともあり、領主の松浦隆信には歓迎されている。
ついで山口に向かい大内義隆に謁見するのだが、男色大好きな義隆に男色はダメでーすと、余計な説教なんかしちゃって怒られたりしている。
畿内へ向かうのに瀬戸内海の海路を使ったようで、堺で商人の日比屋了珪の協力を得ている。日比屋了珪から小西隆佐を紹介されて上洛することになった。
史実ではこの当時の京は三好長慶と細川晴元の争いで荒廃しており、将軍の足利義輝は近江の堅田へ逃亡している有様であった。無位無官の外国人が天皇陛下に謁見できるわけもなく、ザビエルは坂本にも行ったようだが結局将軍にも会えずに失意のうちに京を離れることになってしまう。
京から平戸に戻ったザビエルは、山口でもう一度大内義隆に謁見し、今度は身なりも整えて献上品も持っていったので布教の許可を得ることに成功する。山口の布教ではロレンソ了斎に出会うことができたようだ。また大友宗麟に招かれて豊後でも布教活動を行っている。
ザビエルはその後日本を離れて二度と戻ることは無かった。インドのゴアに戻ることになり日本での布教活動はトーレスに任せることになる。日本で布教活動を成功させるには、日本に影響力のある中国での布教が必要だとなぜか思い込んでしまって中国へ向かってしまうのだ。
だがまだ海禁中だった中国に上陸することは困難であり、上川島(マカオの近く)でザビエルは残念ながら病に倒れて命を落とすことになってしまった。
サビエルは日本人のことを教養があり礼儀正しい民族だと高く評価していたという。また日本の文化水準の高さも認めており、立派な宣教師でないと日本の布教は失敗するとも述べたとされる。ザビエルがもう少し長生きし日本にもう一度来ることが出来れば、日本のキリスト教の未来も少しは変わったのではないかと思う次第である。
――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より
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