第八十六話 三好軍撤退(2)
【三好軍撤退(1)の続き】
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朝から三好勢の攻撃で被害を受けたところを見廻って、城の補修を結城国縁や弁慶新五郎らに依頼するなど忙しくしていたのだが、とても珍しいものを見てしまった。
いつもはキリっとしていて、とかく口煩い政所執事の伊勢貞孝が二日酔いで苦しんでいるのだ。おもわず五苓散をあげたら素直に感謝されてしまったのでこれまた驚いてしまう。
伊勢貞孝までもが酷い有様だったのでほかの幹部連中はもっと酷い状況だった。細川晴元や太閤殿下などは夜通し飲み続けていたらしく、一歩も動けないほど泥酔していたそうだ。
こんな有様なので三好軍の再度の攻撃を心配していたが、三好軍は洛中から動かずに攻撃をして来ることはなかった。さすがに三好勢も被害を受けており連日の攻勢は難しいのであろう。それに三好勢が将軍山城を囲んでもう三ヶ月になるのだ。三好家も苦しいところであるのだ。
そろそろ三好勢を追い返す算段をしても良い頃合かもしれない。そう思った俺は三好宗三との打ち合わせに向かうのであった。三好宗三もやはり二日酔いで頭が痛いとか抜かしていたが、五苓散をやるからと無理やり付き合わせた。
「藤孝どこへ行っていた?」
お昼ごはんを用意して部屋へ行くと義藤さまは少し拗ねていた。今日は朝から忙しくしていたので、そういえば挨拶すらしていなかったことを思い出す。
「おはようございます。すいません、城の補修の見回りをしてから細川晴元や三好宗三殿と合議をしておりました」
「右京大夫らと? 珍しいこともあるものだな。それで何を話し合っていたのじゃ?」
「むろん三好長慶との戦についてであります」
「ふむ。そういえばわしも聞きたいことがあったのじゃ」
「なんでありましょう?」
「この勝軍山城に篭ったままで、我らは三好長慶に勝てるのであるか? そなたはこの先どのように考えておるのじゃ」
義藤さまに鰻重のおかわりを渡しながら答える。
「篭城というものは古来より援軍を求めて行うものにございます。ですが、我らには三好家を打ち破れるほどの援軍を望むことは現状難しくあります」
「援軍を望めぬ我らは勝てないということか? それでは何のために我らは篭城しておるのだ」
「細川晴元などはこの城に篭ったうえで六角家や朝倉家、若狭武田家などの援軍を呼び寄せ、三好長慶に打ち勝とうとしております」
「なんじゃ、援軍は望めるのであるか?」
「六角家は先日撤退したとはいえ援軍を出しておりましたし、今後も援軍を出してくれるものと思われます」
どうせ六角家はガチで三好家とやり合う気はないと思うけどな。
「六角家は京極高延を退ければ、また援軍に来てくれるのであるな」
「恐らくは六角義賢殿が兵を率いてまた参陣してくれましょう。若狭武田家も状況次第では援軍を出してくれるものと思われます。細川晴元の考えはほかに手がないだけかもしれませんが、戦略的にはよい方法であると私も思っております。ですが、それでも三好長慶と正面から戦うには兵が足りないのです」
さすがに3万を越える援軍は難しいものがあるのだ。鰻重2膳を完食して満足顔の義藤さまに麦茶を入れながら答える。
「細川晴元の戦略は分かったがその方はどのように考えておるのじゃ?」
「私も基本的には同じであります。我らだけでは三好家に勝ち目がありませんので、やはり援軍を求めたいと思っております」
「なんじゃ細川晴元と同じか」
「私はもう少し広く援軍を求めるつもりです。美濃の斎藤家や尾張の織田家、それに越後の長尾家と……」
「遠国過ぎてなお難しいのではないか?」
「確かになかなか難しくあります。それに朝倉家の越前もそうでありますが、長尾家の越後も冬は雪に閉ざされ援軍を出すことなどは無理でありましょう。ですので、今は時を稼ぎたく考えております」
「雪解けとともに朝倉家と長尾家に援軍を頼むであるのか?」
「それが出来れば理想と思っております」
義藤さまにおやつの笹団子の笹を剥きながら渡して答える。
「まずはこの冬をどう乗り越えるかですが、なんとかして三好家を洛中より撤退させたく考えております」
「三好長慶がそう簡単に撤退してくれるものであるのか?」
「三好長慶であっても洛中に大兵力を長く留めて置くことは難しきことであります。京は多くの民が暮らす一大消費地なのです。三好家であっても兵糧や戦費の枯渇といった問題に直面することになり、いずれは洛中より兵を引かざるをえなくなります」
「三好長慶はいつになったら兵を引くのであるか?」
「早ければ3月、遅くとも5月までには兵を引くものと思われます」
「どうしてそれが分かるのだ?」
「農繁期と申しまして3月には田起こしを、5月には田植えをしなければなりません。兵は農作業を行う者でもありますので」
(旧暦なので農繁期は4月から6月になります。このころの田植えは現在より1月ほど遅い6月にやっておりました)
「そういうことか……ではまだこの先3ヶ月から半年近くも篭城を続けるということなのか。ずいぶんと先の長い話であるし、三好長慶が諦めて撤退するのをただ待つだけというのも……」
「私も手を拱いてただ待つつもりはありません。完全に撤退させることは難しくありますが、一時的に撤退させることは出来るものと考えております」
「何か手があるのか?」
「一応は……三好長慶が我らにやったことをアレンジしてお返ししてやろうかと」
「あれんじってなんじゃ?」
「京極高延を使って六角家を山科より引かせたように、我らも三好家の後背を攻めようと思っております」
「具体的にはどのようなことをするのじゃ?」
「三好宗三殿と話し合っているのですが、丹波におります三好政生や香西元成を丹波から南下させて摂津の北部を攻めさせます。かの地は三好長慶にほぼ平定されておりますが、つつけば寝返る者が皆無ということはないでしょう」
「勝算はあるのか?」
「残念ながら難しくありますが、三好長慶も全く無視することはできないと思われますので、一時撤退をするか戦力を割かざるを得ない状況には出来るのではないかと」
「それはよいな。時を稼ぐことができるのであるな」
「丹波は三好方の内藤国貞もおり、細川晴元が掌握できているわけではないのですが、一応なんとかなりそうだと三好宗三から回答を得ております。細川晴元は丹波勢を洛中に入れようとしていましたが、そこは説得させて頂きました」
「晴元を説得するとは、それは難儀であったろう」
「ええ、面倒ではありました……右京兆様には同時に我が手勢が和泉に攻め入るということでなんとか説得できましてございます」
少し大げさに話すと義藤さまも苦笑してくれる。
「和泉を攻めるのか、根来衆を動かすのであるな」
「そのとおりです。これより急ぎ根来に使いを走らせて、和泉への侵攻を指示いたします……すいません少し失礼します」
義藤さまに中座を詫びて部屋の外に控えていた米田源三郎とその配下に声をかけて招き入れる。
「この者は米田源三郎が召抱えております早田道鬼斎という者にて、早足を得意としております。この者であれば明日には根来に文を届けることが出来ると源三郎が申しております」
「それは素晴らしい健脚じゃのう」
「本来であればお目通りできる身分の者ではありませんが、公方様が忍びや草の者に興味をお持ちでありましたので、失礼ではありますが特別に連れて参りましたのでお許し下さい。早田の一族は健脚に優れた者が多く草の者として秀でております」
「左様であるのか。道鬼斎とやら、見事に役務を果たせばそなたを武家として取り立てると、この義藤が約束しよう。励むがよい」
早田道鬼斎は一瞬驚いてから体を震わせて喜び大きく平伏してから、書状を受け取って飛ぶように駆けて行った。(身分が低過ぎるので平伏のままで直答を控えております)
【この怪しい名前の早田道鬼斎とやらは一応実在するみたいです。本能寺の凶報を丹後の宮津城に居た細川藤孝が早くも翌日に知ることが出来たのは、本能寺の変があった際に京に立ち寄っていた米田求政が走らせた早田道鬼斎の報せのおかげだったとされています。16里(約60km)を3時間半で走る健脚の持ち主だったそうで、米田求政に命じられて京から宮津まで夜通し走ったとか。今回の話に出ている早田道鬼斎はオリジナル設定ですが、その親ということにしています】
「摂津と和泉を攻めることによって、うまくいけば三好家を洛中より撤退させることが可能となりましょう。よい報せをお待ち下さい」
「ん、分かった」
◇
◇
◇
その日から3日ののち、津田算長に率いられた和泉守護細川軍こと根来衆は雑賀衆の援軍も得て大挙して和泉南部に攻め込んだ。その勢いは凄まじく松浦守は居城の岸和田城を放棄して堺に逃げ出したという。
また、その2日後には香西元成が丹波から摂津北部へ侵入し、一庫城の塩川国満とともに三好方の能勢頼明の丸山城を攻撃している。
その報を受けたのであろう三好長慶の本隊は洛中より摂津へ向けて撤退したのであった。洛中から三好勢の全てが引き上げたわけではないのだが、洛中に残った兵は勝軍山城を攻め落とせる数ではなく、我々は一時の安全を確保することが出来たのである。
忍者でなんでもやっちゃうと楽過ぎるので
あまり出したくないというか現実感が……
マラソンランナーみたいに長距離走が得意な人って感じかしら




