第八十六話 三好軍撤退(1)
天文十九年(1550年)12月
大津で松永勢と一戦して、さっさと下坂本まで引いた我らは三好勢の動向を探っていた。再度の大津への進出を警戒したのであるが、三好勢は山科から動くことは無かった。ここで大津を攻められたら手がなかったのであるが、三好勢が警戒してくれたようなので助かった。(警戒させるために奇襲したのであるが)
翌日には高島郡から援軍を率いて来た平井秀名や高島氏春らと合流を果たす事が出来た。
山科から三好軍が攻めて来る気配がみられないので、軍議を開いてとりあえず坂本の守りを堅田衆や高島勢に任せることにして、三好家の本隊に攻められているであろう将軍山城の救援を優先することにした。
居初宗助や平井秀名らと下坂本で別れた我らは穴太から壺笠山を登って白鳥越の道を勝軍山城目指して急いだ。尾根道は人が二人並んで歩くのも精一杯のような道なのだが、頑張って行軍したのだよ。
だが、やっとの思いで帰って来た勝軍山城は――酒盛りの真っ最中であった……なんでやねん。
「さすがは伊勢守殿、弓取りも巧みでありましたなぁ」
「与四郎殿の指揮ぶりもなかなかであったぞ」
「ぐわっはっは、三好筑前など恐るるに足らずよ」
「右京兆殿の指揮で絡め手は敵を寄せ付けませんでしたなぁ」
「いやいや、聖護院の山伏らも大いに活躍しておりましたぞ」
「いやあ愉快、愉快」
「今宵の勝利の美酒は格別でおじゃるのう」
勝軍山城の本丸の大広間は宴もたけなわであった。必至こいて大津から戻って来たのに誰も我々を気にもしてくれない。それに近衛派も政所派も高島派も皆が和気あいあいと酒を酌み交わしている。なぜか俺の居ないところでコイツら仲良くなっていやがった。
「与一郎さま、ご無事にお戻りで」
ようやく我らに気付いてくれた米田源三郎が声をかけてくれる。
「源三郎、この酒盛りはどういうことだ?」
「はぁ……実は――」
源三郎の説明によると、俺達が大津の防衛のために出陣したあと、勝軍山城には予想通りに三好勢が大攻勢を仕掛けて来ることになった。
大手門には三好長慶率いる本隊が、東の砦には摂津衆や山城の国人衆が、そして絡め手にも十河一存が、三好勢は勝軍山城の全方面に対して大攻勢を掛けたのだ。
「我に続くが良い!」
三好勢が大挙して攻め寄せて来たという報に、公方様は供廻り衆を率いてすぐさま大手門方面に向かって自ら防衛の指揮を執られた。
その公方様の勇姿に普段は何もしないやつらまで、なぜか皆で沸き立ったそうである。
公方様の指揮する大手門方面では第二門の手前の腰曲輪に本陣を置いて、米田源三郎の助言を受けながら大手門への攻勢を防ぎきったらしい。供廻りの奉公衆や雑賀の鉄砲隊が大活躍したとも聞く。
一時、西の土塀を乗り越えられるなど危機に陥ることもあったらしいのだが、乗り越えて来た敵勢は奉公衆の織田信勝率いる織田勢が佐久間大学とかいう猛将の活躍もあって見事に撃退したそうである――佐久間大学盛重が織田信勝と一緒に上洛していたなんて聞いてねえよ!
絡め手門方面の戦いでは細川晴元と三好宗三の指揮のもと、十河一存の30数回にもおよぶ突撃を撃退したらしい。ここでは細川京兆家と近衛家の内衆がずいぶんとハッスルしたと聞いた。
近衛家の家司の北小路俊直などが聖護院の山伏らを率いて山岳戦とか繰り広げたそうなのだ――近衛家の内衆がマジメに戦うとかあんのかよ!
絡め手のさらに北方の一乗寺山城には三好長逸の軍勢が攻め寄せて来たらしいのだが、渡辺出雲守は佐竹蓮養坊や岩倉城主の山本尚則の援軍を得て見事に守りきったそうである。
東の出城方面では石成友通や松山重治の執拗な攻撃を受けて隠し砦は攻め落とされ、出城もかなり攻め込まれるなどかなり危ない状況に陥ったのだが、そこに伊勢伊勢守が颯爽と援軍として現れ、兄の三淵藤英と見事に連携して撃退したそうだ――伊勢貞孝もやる時はやるものだが、俺が居る時にも働けよ!
こうして見事に三好勢の攻撃を凌ぎ切り、三好勢の後退を確認した幹部連中は鬨の声をあげて勝利を祝して歓喜の中で本丸御殿にて酒盛りに突入、お互いの活躍を褒め称えながら美味い酒を飲んでいる状況なそうである。
それに彼らは別に防衛を疎かにはしていなかった。各方面にはしっかりと他の奉公衆や大覚寺の僧兵などが守りを固めており、油断しているわけでもないようなのだ。
これでは文句も言えやしない……というか、なんでお前ら俺が居ないとしっかり出来るんだよ。おかしいやないかい。俺が居ると覚醒しないのかお前らは……
「ところで源三郎、義藤さまが宴会場に居ないようだが、いかがされているのだ?」
「公方様は気分がすぐれないと酒盛りは早々に切り上げられました。今は自室にてお休みのことと思われます」
この篭城戦に参加していない俺は完全に蚊帳の外であり、どうせこの宴会に居場所は無いのだ。義藤さまが心配なので近衛稙家や細川晴元、伊勢貞孝らに挨拶だけして早々に退散することにしよう。
◆
「義藤さま藤孝です。ただいま大津より戻りましてございます」
「ん、入るがよいぞ……」
義藤さまは部屋の中でなぜか羽根布団に包まって亀になっていた。
「すいません遅くなりました」
「大津はどうなったのじゃ……」
義藤さまの声色が弱々しい。気分が悪くなったらしいが、まさか酒を飲んで酔っ払っているわけではないよな。酔っ払った義藤さまはいろいろ危険でエロくて危ないのだ。
「大津の三好勢はなんとか追い散らして参りました。高島より平井殿が援軍に駆けつけてくれましたので坂本の守備を任せております」
「ご苦労であった、さすがじゃな」
「義藤さまこそ見事に三好勢の大攻勢を防ぎきったとお聞きしましたが」
「源三郎や周りの皆に助けられただけじゃ。わしの力ではない」
「……元気がありませんが、何かありましたか?」
「すまぬ、わしは戦が……怖くなったのじゃ」
「初陣は高島郡ですでに経験済みでありますし、この戦いは勝ち戦でありましたのに、何ゆえ怖くなりましたか?」
酔っ払っているわけではないようなので少し安心する。
「高島ではそなたの指示で兵は動いておった。じゃが、こたびの戦はわしの指示で兵がいっぱい死んだのじゃ……」
「我が軍の被害はそれほど多くはなかったとお聞きしましたが」
「ん……味方はそうかもしれないが……敵の兵はいっぱい死んだのじゃ」
「それは仕方が無きことでありましょう。我らから攻めたわけではなく、敵の三好勢が言うなれば勝手に攻めて来て死んだわけであります。殊更敵兵のことにまで気を回す必要はないものと存じますが」
「分かっておる。分かっておるのじゃが、わしはまだ覚悟が足りなかったやもしれぬ。わしのせいで兵がたくさん死ぬということに……」
危ないからやめてくれと思うが、大手門の最前線にまで出張ったこともあったそうだからな。目の前で敵兵が討たれるのをまじまじと目に入れてしまったのだろう。
確かに敵兵であろうが目の前で人が死んでいくのを見るのは気分の良いものではない。
「戦にのぞむ武士としては覚悟が足りないのかもしれませんが、私はそんなやさしい義藤さまで有って良かったと思いますよ」
「そなたはそう言ってくれるが、他の者はそうは思うまい。わしは戦の矢面に出るのが怖くなったのじゃ。戦を恐れるようになってしまっては……征夷大将軍としては失格なのじゃ」
征夷大将軍は鎌倉幕府で9人、室町幕府は義藤さまで13人目になる。ほかにも変なヤツらが居た気もするが一応22人として考えよう。その22人の中で前線に出て兵を指揮した将軍は半分も居ないのではないか?
まともに戦が出来た将軍なぞ、どれだけ居たと言うのだ。将軍失格も何もないと思うのだが……
「かの源頼朝公の戦の指揮などは酷いヘタクソであったとも言われており、頼朝公はそれほど戦場にのぞんでもおりません。ですが、頼朝公ほど御家人に慕われた将軍もいないと存じます。戦が怖かろうがヘタクソであろうが、優れた将軍の資質には関係ないものと思われます」
「そういうものであるか?」
「それに義藤さまはお若いながら立派に将軍の仕事を努めておいでと存じます。今はまだ将軍失格と自分のことを卑下されているかもしれませんが、そう思うのであればこれからもっと研鑽を積んで自己を鍛えていけばよいだけではありませんか」
義藤さまはまだ15歳のピチピチギャルなのだ。これから成長すればもっとグラマラスなよい女になれる素質は十分にあると思うぞ。
「わしは良い将軍になれると思うか?」
「可愛いだけで私にとってはすで最高の将軍でありますが、それを抜きにしても歴代でも5本の指に入る良い将軍になれる素質をお持ちだと思います」
(良い将軍が5人もあげられないだけだがなー)
「可愛いとか将軍には関係あるまい。わしはマジメに話をしているのだ」
義藤さまが少しむくれる。可愛いのは俺にとって最も重要なことなのだが……
「好き好んで戦を起こそうとするような血をみるのが大好きな将軍よりも、敵兵の死を惜しんで無駄な戦を仕掛けないことを心がける将軍の方が、名君足る資格はあると思います」
「本当にそう思うのか?」
『戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』
「戦などはやらない方がよいのです。戦わずに相手を取り込むことこそ必要なことでしょう」
「孫氏か……懐かしいのう。そなたに講義を受けていたことがはるか昔のようじゃ」
「それに義藤さまに兵の指揮を委ねることになったのは私の不徳の致すところであります。今後はこのようなことが無きよう気をつけて参ります」
「わしは別に兵を率いる責任から逃れるつもりはないぞ?」
「いえ、征夷大将軍足る者はもっと広い視点からものを見るべきなのです。いち戦場の勝敗などは、指揮官の仕事でありましょう」
「戦のことではなく、政のことを考えよということか」
「剣の腕や弓矢の腕など所詮は匹夫の勇であります。体を鍛えることはむろん大事なことでありますが、それよりも政や謀に気をくばることこそが肝要なのです。武勇や剣術などは将軍には不要と言っても過言ではありませぬ」
ダメ、ぜったい。NO剣豪将軍。剣を振るヒマあったら政治を学べ。ここは大事だからテストに出します。
「うん分かった」
「それに義藤さまは十分に立派でありました。私が不在の中で城内を一致団結させて見事に城を守りきったのです。これは間違いなく義藤さまの手腕です。天狗になられては困りますが、少しは自慢に思ってもよろしいと存じます」
「うむ。では藤孝、わしの頭をなでて褒めるが良いぞ」
「ははっ。では失礼して……義藤さまは頑張りましたー、サイコーでーす。めちゃくちゃカッコイイ将軍でーす。私は惚れ直しましたー」
頭をなでられた義藤さまはくすぐったそうに微笑み布団から手を出して来る。これは手を握って欲しいということであろう。むろん素直に握ってあげることにする。義藤さまは俺の手を優しくにぎり返して来た。
「わしが寝付くまでそばに居ることをゆるすぞ」
「義藤さまの寝顔を拝顔させて頂けるとは栄誉なことであります」
「このばかものめが……」
義藤さまが寝付いたのはそれからすぐのことであった。少し残念ではあるが可愛いその手を離してそっと部屋をあとにする俺であるのだ。
なんか頭がずっと重くて執筆が遅くなってます
頑張って書きたいのに書けなかった




