第八十三話 勝軍山城の戦い(3)
【勝軍山城の戦い(3)】
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翌日もめげずに三好軍は大手門へせめて来た。今度は西岡衆ではなく摂津の国人衆のようだ。だが俺達のやることは昨日とあまり変わりがない。城門前で適当に戦って虎口内に敵を引き込んで殲滅するだけの簡単なお仕事である。
「金森五郎八長近殿とお見受けしたぁぁ。我こそは摂津の野間右兵衛尉長久であーる。槍合わせを所望いたーす」
「おう! いざ尋常に勝負せん。金森五郎八長近参るぞー」
鎌倉武士じゃあるまいし、なんであいつらはこんな所で一騎討ちとかやっているのよ。五郎八のヤツめ適当に戦ったらマクー空間(虎口)に敵を引きずりこめと申したであろうに。
ドウッ!
敵の野間長久とかいう将が金森長近の槍の一撃をすれ違い様に喰らって、もんどりをうって馬上から転げ落ちた。野間長久はなんとか立ち上がろうとするが、そこに金森長近がとどめの一撃をくれようと近づく。
「野間右兵衛尉を討たせてなるものか、松山新介が助太刀いたす!」
だがそこに松山重治と思われる新手が助けに入るのだった。
「一騎打ちを邪魔立ていたすとは卑怯なり、逃げるんだよー(棒読み)」
敵の首は取れなかったものの、一騎打ちに見事勝利して満足したのか金森長近がわざとらしいセリフを吐いて引き上げて来る。敵の雑兵らが追いかけて来たので昨日と同じくマクー空間(虎口)の中にご招待することになった。
「鉄砲隊、電磁スパークだ!」(発砲の号令ですが特に意味はありません)
「ファイエル!」
ダダダダダーン!
虎口に侵入した敵兵は昨日と同じく明智光秀率いる鉄砲の一斉射で殲滅される。学習しない敵の相手は楽でしょうがないよな。
今日も今日とて敵の突撃を5,6回殲滅したところで三好勢は退却していった。
「またつまらぬものを撃ってしまった……」
何か光秀が不適な表情で変なことを言っているが、不気味だからとりあえず無視しておこう。
いい加減そろそろ三好勢も攻め寄せ方を変えてくるだろう。そう思っていたら案の定、翌日に三好勢は大手門ではなく東の出城に攻め寄せた。だがそれは想定の範囲内なので慌てることはない。東の出城には兄の三淵藤英が奉公衆らを率いて詰めている。
大手門の指揮は米田求政に任せて明智光秀とともに鉄砲隊を率いて援軍として東の出城に向かった。
「兄上、援軍に参りました。敵はどうですか?」
「与一郎か、大丈夫だ問題ない。敵将の寺町左衛門大夫は攻めあぐねているよ」
麓から尾根上の出城に向かって攻めて来る敵がよく見える。白鳥越の山道が至る出城の周囲は木を全て伐採して見通しを良くしてあるのだ。
また山道の脇は空堀となっており人が3人も並ぶスペースもない。出城はその山道を囲うように築いているので、登ってくる敵兵を弓や投石で狙い放題なのだわ。
木製の盾や戸板を担いで敵兵は頑張って登ってくるのだが降り注ぐ矢を全て防げるものではない。ここでもほぼ一方的に敵を攻撃していく。
明智光秀の鉄砲隊が展開し終わったようだな……さて、本日のお仕置きタイムだ。公方様のおわすこの城を攻めた不忠の報いを受けるがよい。
「光秀、シャリバン・クラッシュだ!」(発砲の号令ですが特に意味はありません)
ズダダダダダン!
いつも同じ展開で申し訳ないのだが、鉄砲による攻撃がもっとも効率がよいのだから仕方が無い。山道を必至こいて登ってきた哀れな敵兵が一瞬で片付けられる。
「ぜ、全滅? 一瞬で全滅したというのか、やつらの鉄砲隊は化け物か……た、退却だー」
敵の司令官である寺町通昭の声で生き延びた敵兵が一目散に逃げ出した。だが簡単には逃がさない。兄の三淵藤英の号令で出城の兵が追撃をかける。
さらに別の尾根にある隠し砦から斎藤利三率いるレンジャー隊が姿を現し、焙烙火矢を投げたり矢を射掛けたりして敵の撤退を妨害するのである。戦なんて敵に嫌われてなんぼやからな。
寺町通昭は残念ながら取り逃がしてしまうのだが、三淵藤英の活躍もあって東の出城に攻め寄せて来た敵の100人近くを討ち果たす戦果をあげることになった。
「俺の後ろに立つんじゃねえ」
本丸に引き上げる時に光秀がまた変なセリフを吐いていたが気にしないでおこう。
◆
だが三好軍はまだ諦めない、この翌日には十河一存の部隊が搦め手に押し寄せて来るのだ。搦め手は細川京兆家の内衆の隊が守りを固めており指揮官は三好宗三になる。細川晴元は先の戦いで懲りたのか今は本丸で太閤殿下とよろしくやっている。
大手門にも搦め手と時を同じくして敵が寄せて来たのでこたびは義藤さまの鉄砲隊である雑賀衆らを率いて搦め手の援軍に向かった。大手門の守りは米田求政が指揮して明智光秀の鉄砲隊がいれば大丈夫だろう。
搦め手側は崖になっているので傾斜がきつく、大手門や東の砦に比べると登ってくるのがさらに大変なのである。大軍で攻められるような地形ではない。
十河一存もそれは分かっているのだろうが、大手門側を突破できないので仕方なく搦め手に来たのだろう。だが結局は攻めあぐねて退却していった。
「藤孝戻ったか。戦果はどうであった?」
「搦め手に攻め寄せた十河勢を追いやりました。雑賀衆の活躍もあり100人近くを討ち果たしております」
「おお、大勝利ではないか。大手門に東の砦、それに搦め手でも戦果を上げておるな。これなら三好筑前めも我が城を落とすことをあきらめるのではないか?」
「この3日間で我らは500人以上の敵兵を討ち取ったかと思われます。ですがそれはこの戦の勝利に結びつくものではありません。三好長慶は3万を越える兵を上洛させているのです。この将軍山城において局地的な勝利を積み上げてもあまり意味はないでしょう」
「では、そなたはこの城に篭城することに意味はないと申すのか?」
「いえ、公方様がこの勝軍山城に頑張って居座ることには意味があります」
「頑張ってじゃと……その方は先日、細川晴元が必勝の信念でもって攻めかかれば寡兵でも勝てるのだと申した時に、それを思いっきり否定してはいなかったか? 頑張っただけで勝てるなら苦労はないとかかんとか文句を言っていた気がするが?」
「それは精神論で局地的な勝利を得ようとすることが浅はかであると申しあげたのです。公方様がこの城に頑張って居座ることには政治的な意義があり、晴元のアホな精神論とは意味が違います」
「では政治的な意義とは何なのじゃ?」
「公方様が内裏のある洛中のすぐ近くに居続けることが大事なのです」
「なんじゃそれは、わしはここに居るだけでいいのか?」
「流れ公方などと称された足利義稙(義材)公や、近江に逃れて帰ってこられなかった足利義澄公、それに京と近江をいったり来たりしてしまった亡き大御所様(足利義晴)のように、京を維持できなければ将軍の権威などはどうしても軽んじられてしまうことになるのです。将軍にとっての一所懸命の地とは京でありましょう。義藤様には何があってもこの勝軍山城に居続け、決して京を捨てる気がないことを態度で示し、禁裏や地方の大名らに幕府の健在を誇示して頂きたいのです」
「分かったが、それでわしは具体的に何をすればよいのじゃ?」
「この城を守る手立てについては私が算段しますのでご心配なく。義藤さまがやるべきことは地方の大名に健在であることを伝えるお手紙を書くことと、将兵を鼓舞することですかね……そうそう、城の守りを指揮して疲れて帰って来た私を甘やかすことはすごく大事なのでお忘れなきように」
そういって義藤さまのそばでゴロンと横になって膝枕をおねだりするのだが避けられてしまう。
「お主は先日わしに対してどんな仕打ちをしたのか忘れたのか? お主にあるのはご褒美ではない。お仕置きじゃー」
「え? え? あれは正座させられてさんざん説教されたではありませんかー」
「あれごときでわしが許すと思ったら大間違いじゃ! 大人しくそこに直るがよい、細川兵部大輔藤孝っ!」
「ちょっおまっ――」
義藤さまに後ろから強引にスリーパーホールドを決められるのだが、苦しいよりも背中にあたるおぱーいの感触がやわらかくて、結局はご褒美にしかならないのであったとさ。
翌日以降、三好長慶は力攻めを諦めたのかにらみ合いに終始することになった。戦線が膠着したので守りは固めつつも義藤さまとのんびりしていたのだが、1週間後に事態が急変することになる。
三好方の別働隊の松永長頼や細川氏綱の兵と山科方面でにらみ合っていた六角義賢が、戦わずに兵を近江へ引いてしまったのだ――




