第八十二話 東山の戦い(2)
【東山の戦い(2)の続き】
◆
「ん? 目が覚めたか」
「義藤さま……ここは?」
「わしの部屋じゃ。そなたはまた倒れたのでな、ここに運び込ませた」
「ご迷惑をおかけし申し訳なく――」
「こらっ、まだ起きるでない。そなた熱が下がっておらぬ」
たしかに何か頭がふわふわしている。しかし、義藤さまに運び込まれるのはこれで何度目だ? 迷惑かけ過ぎだろ……(3度目です)
「私はまた幾日か寝込んでおりましたか?」
「こたびは二日ほどじゃな、大事ないか?」
「二日も? せ、戦局は、三好長慶はいかがしましたか!」
「うむ。一昨日に三好長慶は山崎より進軍して洛南の東寺に入った。今は西ノ庄の吉祥院城に居を定めたようじゃな」
「まだ攻めては来ていないのですか?」
「いや、三好勢の先鋒は昨日鴨川を渡って一乗寺や田中、白川に吉田の村々を焼き払っていきおった。だが、案ずるなこの城にせめて来てはおらぬ」
よかった、寝てる間に攻められてたらシャレにならなかった。三好勢の動きは典型的な示威行動だろう。焼き払われた村は可哀想ではあるが、普通は事前警告もするから人的被害は結構少なかったりするし……恐らくは大丈夫であろう。
「その後の三好勢の動きは?」
「今日になり近江より六角義賢が援軍を率いて参ったのでな、三好勢は鴨川の向こうへ兵を引いた。六角軍は山科に陣を張ったと報告を受けておる」
「六角勢が山科を押えているのであれば、この勝軍山城はそう簡単には落ちませぬ。ひとまずは安心できるかと」
「そうじゃな。では、そなたはここでしばらく大人しく寝ているがよい」
「で、ですが……城の備えをしかと確認して参らねば――」
「そんななりで何ができると言うのだ。いいから大人しく寝ておれ」
「し、しかし……要所にしかるべき者を配置せぬことには安心しておちおち寝てはおれませぬ。油断から城が落ちることもあるのですぞ」
「兵の配置ならそなたの指示をわしが伝えれば問題あるまい」
「ですが」
「命令じゃ、そなたは一歩もここを動くでない。よいな」
「そのようなわけには……」
「よ・い・なっ!」
「は、はい……」
えらい剣幕で怒られてしまった。大人しくなった俺に義藤さまが満足そうに微笑み掛けて来る。
「喉は渇いてはおらぬか? 前にそなたが作った経口補水液を牧庵先生に作らせたのだ。飲んでみるがよい」
「は、はあ……では一杯」
経口補水液が美味く感じる。やはり体調は悪いようだ。
「腹は減ってはおらぬか? とろろ汁も作らせたぞ」
何やら義藤さまが楽しそうに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。世話好きなのだろうか。
「その方、汗をかいておるようじゃな……よし、わしが体を拭ってしんぜよう」
「いえ、だ、大丈夫でありますれば」
「よいから衣を脱ぐのだ。わし自らが拭いてやると言っておるのだぞ。感謝するがよい」
そう言いながら義藤さまは手ぬぐいを持って近づくのであるが……何か目つきが怪しくないか?
「お、おかいまなくー」
「ぐふふふっ」
「義藤さまヨダレ! ヨダレがっ」
あかーん、義藤さまに何か変なスイッチが入っとるー。
「減るものではあるまいし、大人しくするがよい」
怪しい手つきで忍び寄る義藤さま。
「お代官様じゃなかった、公方さま、その儀はひらに、ひらにご容赦を」
「まあ、よいではないか、よいではないか〜♪」
いかーん、義藤さまの目がマジだー。
「公方様、お戯れはいけません、おやめ下されませーっ」
「苦しゅうない苦しゅうないぞ〜、うへへへ」
「あーれー、お助けー」
むろん、助けは来なかった。残念だが義藤さまと違って藤孝には八幡神のご加護はないのである。
藤孝は義藤さまに強引に服を脱がされ、体中を手ぬぐいで拭かれてしまうのであった……さすがに褌は死守したけど。
どうでもいいが普通逆じゃね? この展開誰得なんだよ……
「余は満足じゃ♪」
義藤さまやり遂げた感で、鼻をふんふんしている。
「うう、酷い……汚された……もうお嫁にいけないわ」
「何を言っておるのだ。そなたが嫁にいこうとしてなんとする。その方はお嫁さんを貰う側であろうに」
「では私を汚した責任をとって義藤さまにお嫁さんになってもらいましょうか」
「なっ……な……」――ボンっ。
なにか凄い勢いで真っ赤かになる義藤さまである。
「義藤さまは可愛く看病してくれるよいお嫁さんになってくれそうですからねー」
「ばばばばばばばばばばば、馬鹿を申すでないわーっ!」
見事なサブマリン投法により手ぬぐいを顔面に投げつけられる藤孝であった。藤孝に女心は理解できないのである。
◆
「ん……ではまずは城の備えについて教えるがよいぞ。城の要所がどこなのか知る必要があるのでな」
俺が動けない間に三好長慶が攻め寄せては困るというので、義藤さまより兵の配置の相談を受けるが、まずはこの城のコンセプトの説明からだな。
「この勝軍山城は白鳥越の街道筋の城でございます。白鳥越からの登り口は縄張りに工夫を凝らしておりますれば余程のことがないかぎりは力攻めで落とせるものではありませぬ」
白鳥越の尾根筋の道に城を構えているのだ。
「白鳥越は南の大手(門)に通じる道でよかったか?」
「はい、白川村より大手口にいたる道が白鳥越ですが、街道を取り込んで階段状に曲輪を何層も設けておりますれば、この本丸まで敵に攻め込まれる恐れはありませぬ。ただし白鳥越の道は大手の道から東に分岐する道もございます」
【現在の日本パプテスト病院から大山祇神社を通り瓜生山の山頂へいたる登山道になりますが、途中で分岐しています。地理院地図が比較的見やすいと思われます】
「そちらの備えはどうなっておるのだ?」
「本丸から尾根沿いに行った東の出城で防ぐかたちになります」
「出城だけでは危うい気がするのう、大丈夫なのか?」
「東の出城はこの城の要であり特に防備を固めておりますが、守るためだけのものではありませぬ。言ってみればこの出城は罠です。細い山道を三方から出城で囲んでおりますれば、敵が入り込んだが最期、包囲殲滅することが可能なのです」
大手口で苦戦した敵が迂回したら罠に嵌るように工夫したのだ。
「ふむ、その方がそこまで申すのであれば心配はいらぬようじゃな。では搦め手(裏門)の備えはどうなっておるか?」
【現在の狸谷山不動院から瓜生山山頂へいたる道になります】
「急峻な崖になっており、攻め口には多数の畝状竪堀も施してあります。尾根にいたる手前には空掘に石垣の虎口を備え、二の丸三の丸から射線も通る備えになっており、この方面からの攻撃には十分耐えうるものと思われます」
「そうか。ではこの城に弱点はないのだな?」
「水の手も井戸を掘り万全です。しいて言えばやはり補給路が弱点になるかと」
「白鳥越の道は押えてあるのだろう問題ないのではないか?」
「白鳥越の道はこの城よりさらに北に伸びております。北の一本杉のあたりまで迂回して攻めて来られると少し危ういかもしれませぬ」
「その一本杉とやらの備えはどうなっておる?」
「一本杉の西に砦を構えております。それと一乗寺から登る道が攻め口になりますれば、渡辺告殿の詰めの城である一乗寺山城も備えとなります。きのう一乗寺も焼き払われたとのことですが、渡辺出雲守殿は無事に一乗寺山城に入れましたでしょうか?」
【現在の曼殊院門跡から東へいく登山道から尾根筋の道にあがる感じです。一本杉は現在の比叡山テレビ送信所のあたりで、一本杉の西に志賀の陣で浅井・朝倉が篭った一乗寺延暦寺山城(一本杉西城)がある。完全に山の中で大軍の展開とか不可能ですが】
「確認させよう」
「それと、やはり一番怖いのは三条街道(東海道)を使って山科から坂本を攻められることです。六角義賢殿には何卒公方様より山科の堅守をお命じいただきたく」
「分かった、六角家には申し伝えておく――」
ここまで話したところで部屋の外の新二郎が声をかけて来た。
「恐れながら申し上げますだろ。米田源三郎殿が至急お知らせしたいことがあると申しておりますだろ」
「分かった。部屋へ案内するがよい」
源三郎が? 来るのが遅いじゃないか。どうせなら俺が汚される前に来ればよいのに……しかし、なんだろ?
「お楽しみのところ申し訳ありませぬ」
「熱があって寝込んでいるのだ。残念ながら今日はお楽しみ中じゃないよ。いいから早く要件を申せ」
「い、いつもはお楽しみ中みたいに申すでないわ……」
「はっ、鴨川へ引き上げた三好勢を追って細川晴元様ならびに奉公衆の上野信孝殿、彦部晴直殿、杉原晴盛殿、細川晴広様、それに大覚寺や聖護院の僧兵ら合わせて2000の兵が出陣されたよしにございます」
「わしは出陣の許可など出しておらぬぞ!」
「は? 何を目的に……」
「山科の六角勢と連携して昨日の焼討ちの報復をして参るとか申していたそうにございます」
三好長慶の本隊が合流したとなると洛中の敵勢は少なくとも3万は越えていると思うのだが……
「源三郎、六角勢はいかほどなのだ?」
「1万ほどと聞いております」
六角勢と合わせても1万2千ではないか。無理だ勝てるわけがない。
「藤孝、いかがいたす?」
「……ざ、残念ながら対処不能です。彼らが、義父上が無事に戻ることを祈るしか……」
義父上(養子縁組は解消してます)……
「藤孝、3階へは登れるか? 天守から戦況を確認いたそう」
「はっ」
「与一郎様、それがしの肩に掴まりください」
「すまぬ」
義藤さまの部屋は瓜生山山頂の一番見晴らしの良いところに建てた天守閣の2階にある。天守の3階からであれば洛中が一望できるようになっているのだ。
山科方面は南の山が邪魔してよく見えないのだが、六角勢が動いているようには見えないな。
「藤孝あれを」
義藤さまが指差した先には白川路を西方に進軍する一団が見えた。大手口より出撃した細川晴元らであろう。
まさか六角勢と合流もしないで鴨川まで行くのではないだろうな。
だが、そのまさかであった……
「与一郎様、あれは相国寺でありましょうか、敵勢が出ましたぞ」
どう見ても細川晴元の軍勢の3倍以上の兵が雲霞の如く相国寺を出て鴨川に展開していくのが見える。
「藤孝、細川晴元が仕掛けたぞ」
馬鹿な、敵より劣る兵でなぜに先に仕掛けるのだ? それも川を渡河しようとするとか馬鹿なの? アホなの?
「蹴散らされておりませんか?」
「うむ。まるでゴミのようだ」
「あれが十河のイカヅチです。さっさと逃げればいいものを」
「あ、逃げ出しましたね」
いやまあ勝てるわけが無いよな。鴨川で戦っていた細川晴元はあっさり蹴散らされて退却に移った。というか壊走している……
あれでは追撃されれば全滅はまぬがれない。
「藤孝、援軍を送るか?」
「……今更間に合いますまい。それよりも城の守りを固めるほうがよろしいかと。敵が追撃の勢いのままこの城に押し寄せるやもしれませぬ」
「誰に指揮を任せるがよいか?」
「我が父の三淵晴員でよろしいでしょうか」
「問題ないが、藤孝、あれを見よ。敵が引き返しておるぞ」
「え?」
鴨川で細川晴元らを蹴散らした十河一存と思われる軍勢は追撃を行わずに鴨川の対岸に引き返していくのであった。
「なぜ敵は勝っているのに引き返したのでしょうな」
「まさか罠を警戒しているのか? 三好長逸が釣りの伏せで罠に嵌められたから伏兵を恐れているのか?」
まあ意味のわからん鴨川渡河攻撃とか、あの見事なまでの無様な壊走を見ると、罠と勘違いもするかもしれないな。
「細川晴元が助かったのは藤孝のおかげであるな。じゃが城の守りを固めるのはやっておこう。七郎を看病にやるから藤孝は大人しく寝ておれよ」
どうやら本当に伏兵を恐れているのか三好勢は追撃をかけずに洛中に引き返した。とりあえず義父達は助かったようである。
しかし、これで東山の戦いは1勝1敗か……
緒戦で勝利しあとは城を守り通して、三好長慶恐るるに足りずと喧伝し、あわよくば三好派の体制を崩壊させようという俺の甘い目論見はあっさりと崩壊することになってしまった。
それどころかこの先あんなアホな連中を率いて三好長慶から城を守り通すことなどできるのか?
自信がまったく無くなってしまうのであった……
更新がキツクなって来た……




