第八十二話 東山の戦い(1)
天文十九年(1550年)10月
将軍山城のある瓜生山の麓で釣り野伏せの戦法により三好長逸を罠にかけた我らは追撃戦に移った。
火縄銃150挺による斉射を2度も受けた敵勢は戦意を喪失してしまった。そこに米田源三郎や奥小密茶などの豪の者が怒声を上げながら突撃するのだから溜まったものではないだろう。
三好長逸勢は総崩れとなり大混乱になりながら来た道を逃げていく。白川村から鴨川を目指しての敗走である。
戦においてもっとも難しいのが退却であり、もっとも被害が出るのが追撃によるものなのだ。我が軍の将兵は手柄首を求めて追いすがる。
そういえば追撃戦とか始めてかもしれないな。いつも逃げてばかりだった気がする。
だが必死こいて逃げる敵軍にはさらなる悪夢がまっていたりするのだ。
白川路の北にある田中村には我が軍の渡辺告の軍勢が潜んでおり、さらに南の位置にある吉田村にも佐竹蓮養坊の軍勢が潜んでいたりする。彼らは退却して来る敵勢を手ぐすね引いて待ちうけているのだった。
渡辺告は一乗寺村や田中村を領地とする国人領主であり、自らの領地に伏兵として潜むことなどはお手のものであろう。
佐竹蓮養坊の娘は吉田村の領主である吉田家の吉田兼見に嫁いでいたりする。縁戚である吉田家のバックアップを受けた佐竹蓮養坊も万全の状態で待ち受けている。
ジャーンジャーンジャーン!
本日二度目の悪夢の陣鐘が鳴り響き、渡辺隊と佐竹隊が退却して来た三好長逸の軍勢に南北から挟み撃ちで襲いかかった。
大変申し訳ないのだが、敵の退路に伏兵をおくのは基本のことなのだ。
三好長逸にはぶるまでにゃんにゃんの邪魔をした報いを受けてもらいましょう。(とばっちりです)
壊走中にさらに伏兵の攻撃を受けるとか、阿鼻叫喚の地獄絵図としか言いようがないだろう。敵の兵はさらに恐慌状態に陥り、そこかしこで討たれていく。
三好長逸は統制を復することは早々に諦め、大半の兵を見捨てて血路を開いて逃げ出した。判断としては正しいだろう命あっての物種だからな。
指揮官に見捨てられて逃げ遅れてしまった可哀相な敵兵は組織だった抵抗もできずに一方的に我が軍に狩られていくことになった。
凄惨な戦闘になってしまったが悪いけど手は抜けない。我らにも勝たなければならない理由はあるのだ。
鴨川の対岸にまで無事に逃げられたのは半数程度であったろう。多くのも者が討たれ、または降伏し捕虜となっている。
また、この戦闘で初陣を飾った渡辺告の嫡男である渡辺左馬助重が手柄首を挙げていた。その手柄首は三好弓介長虎の首であったのだ。
「有吉、もうよいだろう引き揚げの合図を、グズグズしていたら十河一存あたりが援軍にやってきてしまう。深追いも避けたいしな」
「はっ」
ブゥオオオオオ!(引き上げの合図の法螺貝の音です)
「しかし、私にも内緒でこのような策を仕掛けていたとは……」
「黙っていてすまん。全員に知らせると逃げるのが演技っぽくなって敵にバレてしまうからな。敵が追ってこないと策にならん」
「そういうことですか……お人が悪い。ですが釣り野伏せと申しましたか? この策はなかなか有効でありましたな。こたびは残念ながら三好長逸を取り逃がしたようですが、次こそは討ち取ることも可能でありましょう」
「残念だけど次はないよ。今までは罠に嵌めるような戦い方をしてこなかったから騙せたのであって、手の内がバレてしまってはもう同じ手は使えないだろう。三好長逸は何度も引っかかるほど馬鹿ではないさ」
「はぁ……それは残念であります」
「それに三好長慶の本隊もすぐに出てくるから、あとは城に閉じ篭って守るだけで精一杯だよ。下手したらこの戦いが勝てる最期の機会になるかもしれないな……とりあえず俺は疲れたよ。早く味方をまとめて欲しいね。俺は今すぐにでも勝軍山城に帰りたいんだ……」
「畏まりました。引き揚げを急がせましょう」
「頼んだよー」
勝つためとはいえ虐殺みたいな戦いは精神的にきついものがある。正直頭がガンガンして来た。早いところ帰城して義藤さまに癒してもらわないと、また熱でも出して倒れてしまいそうだわ……
◇
◇
◇
「弓介は……弓介は戻らぬのかぁぁぁ! うう、許さぬ……許さぬぞぉぉ、細川藤孝めがぁぁぁ!」
鴨川の対岸にまで無事に逃げ延びた三好長逸はそこで気付くのだ。前線で戦っていた嫡男の三好長虎が帰って来ないことに……
三好勢が引き上げた西院の小泉城ではこの夜、三好長逸の慟哭と怒声がいつまでも響き渡っていたという。
白川路で行われた戦いは細川藤孝の活躍で幕府軍が勝利することとなった。だがこの戦いはこの先繰り広げられることになる三好長慶と幕府の戦いである「東山の戦い」における前哨戦のひとつでしかなかったのである。
◆
軍をまとめてようやく勝軍山城に引き揚げると、またもや俺は英雄になっていた……
「おお三好勢を見事に打ち撃破った今孔明殿の凱旋でおじゃるぞ」
「兵部殿こそ幕府の守護神ぞ」
「見事なものだが、どうせなら洛中を取り戻して欲しかったわ」
「よくやったぞこわっぱ」
近衛派も伊勢派も中立派も関係なしに城中のほとんどの者が俺を褒めちぎっている。普段は結束せずにいがみ合うことの多い連中だが、今日だけは皆が同じ席で同じ喜びを分かち合っているようだ。
自分で苦労しないで味わう勝利の美酒はさぞや美味しいのであろう。
始まって間もないのだが、すでに勝利を祝う宴から逃げ出したくなっている俺である。
さすがに今日は三好方もこの勝軍山城に攻めて来ることはないと思うけど、あまりにも浮かれ過ぎてはいないだろうか。
今日の勝利は局地的な戦闘に勝っただけであり、全体の戦局にはほとんど影響はないのだぞ。
まあ、政治的な意味あいは有るのだが……
宴席で苦虫を噛み潰したような顔をしていたら、久我晴通殿や大覚寺義俊、聖護院道増らがやって来てお酌をしまくられた。
少し前には義藤さまに逢いに行くのを邪魔されたり嫌味も散々言われたりもしたのだが、最近は180度評価が変わって非常に友好的になっている。
「兵部大輔殿、禁裏での工作は任せるでおじゃる。こたびの勝利を宮中においてしかと喧伝いたしますぞよ」
さすがは久我家の当主だな。やるべきことが分かっている。
「お願いいたします。我が幕府にとって宮中の支持は無くてはならないものでありますれば。それと竹内加兵衛尉(秀勝)殿にご加勢いただき感謝いたします」
「うむ。あれも手柄を挙げたようでなによりでおじゃる」
西岡衆である竹内家は公家でもあり久我家の家礼でもあったりする。家礼とは摂家や清華家、などの高位の公卿に奉仕する公家であり、緩やかな主従関係を持つ家臣みたいなものになる。
久我晴通は家礼の竹内秀勝を出陣させるなど最近は非常に協力的なのだ。俺が久我晴通と懇意になるために竹内家を厚遇した成果が出ているようでなによりだ。
久我晴通は義藤さまの叔父であり、史実でも縁戚として足利義昭を最期まで支援した唯一の公卿でもあるので、できれば今後とも仲良くしたいと思っている。
「兵部大輔殿、こたびも助けられたわ」
久我晴通のあとは三好宗三がやって来てやはり酌をして来る。本当ならすでに死んでいるはずの人と酒を呑むのも不思議な感じがするな。
「宗三殿にお願い申し上げます。今後はあまり無茶な出陣はしませんように右京大夫殿を抑えてくだされませ。いつも救出できるとは限りませんので……」
「すまぬすまぬ。六郎(細川晴元)様にはよく申しておくから許せ」
「それと、下野守(三好政生)殿から連絡は御座いませんか?」
「政生は香西元成とともに丹波衆をまとめておるが、内藤国貞の抵抗もあるようでな。まだ良い返事は来ておらぬ」
「丹波衆には何としてもこの城を攻める三好勢の後背を突いて頂きたいのです。連絡は密に願います」
「任せるがよい。時期を見て六郎様の許しを得て儂も丹波へ下ろうと思っておる。この城はお主がいれば万全であろうからな。頼もしきことよ、がっはっは――」
丹波の国は細川京兆家の領国であるが、大きく分けて晴元派の波多野家と氏綱派の内藤家に分裂しているような状態だったりする。丹波衆は落ちぶれまくった細川晴元に唯一残った戦力と言ってもよいのだが、少しは役に立って欲しいものである。
そのあとも昵懇衆の高倉永家、烏丸光康、日野晴光のおじゃるな軍団がやって来てお酌をして来るのであるが、うん、もう限界だ。
俺は酒が呑めないんだよ。戦勝祝いの席だし義藤さまのため、幕府のためにはお付き合いも必要だと思って頑張って来たけど、頭もガンガンするし……もう無理っす……うっぷ。
オロオロオロオロー(見せられないよ)
いつまでも続くかと思われた地獄のような勝利の宴は、俺の大惨事で強制終了となるのであった。
◆
【東山の戦い(2)に続く】
田中渡辺氏の渡辺出雲守告はよくわからんけど
「つげる」読みでいこうと思った
大坂の陣で頑張った渡辺糺のお爺ちゃん




