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第七十七話 再び根来へ(1)

 天文十九年(1550年)7月



 勝軍山城(しょうぐんやまじょう)で幕府の行事に追われる義藤さまを残して再び紀州の根来(ねごろ)へ向かうことになる。

 大和経由で向かうのだが、前回同様に饅頭屋宗二(まんじゅうやそうじ)の伝手で饅頭の行商に扮して南下する。


 紀伊へ一緒に向かうのは、大和に伝手のある米田求政(こめだもとまさ)と我が家のゴルゴな明智光秀(あけちみつひで)に、俺の護衛役である金森長近(かなもりながちか)だ。

 勝軍山城に残した兵は吉田雪荷(よしだせっか)有吉立言(ありよしたつのぶ)らにお任せしている。


 山城国内にはかつて細川国慶(ほそかわくによし)の被官となっていた柳原庄(やなぎはらしょう)本郷の土豪である今村慶満(いまむらよしみつ)伏見(ふしみ)の土豪である津田経長(つだつねなが)西院(さいいん)の土豪で小泉城(こいずみじょう)主の小泉秀清(こいずみひできよ)らがおり、(よど)に進出してきた細川氏綱(ほそかわうじつな)に仕えるようになっていた。

 彼ら細川氏綱(三好方)の勢力から隠れながら大和へ向かわなければならないのであった。


 大和に入ってもあまり油断は出来ない。遊佐長教(ゆさながのり)に牛耳られている畠山尾州家(はたけやまびしゅうけ)三好長慶(みよしながよし)(くみ)しているわけで、畠山尾州家の影響力がある大和や紀伊も安全とは言えないのだ。

(遊佐長教の影響力は河内国内に限定されていた説もあります)


 なんとか無事に紀伊に入り、紀の川沿いの大和街道を通って中流にある根来へと向かった。

 根来には谷筋に多くの坊院(ぼういん)が立ち並んでいる。坊院の中でも有力とされるのは杉之坊(すぎのぼう)閼伽井(あかい)(赤井)(ぼう)岩室坊(いわむろぼう)泉識坊(せんしきぼう)の四坊であり、特に杉之坊は最大の勢力であり西口の旗頭(大将)と称された。それに続く岩室坊、泉識坊は東口の旗頭と称されている。


 どうでも良いことだが、池袋駅の西口には東武(とうぶ)百貨店と東武東上(とうじょう)線があり、東口には西武(せいぶ)百貨店と西武池袋線がある。西なのに東で、東なのに西というややこしい事この上ないのであるが、すんごい余談である。


 杉之坊(すぎのぼう)は紀伊那賀郡(ながぐん)小倉庄吐前(はんざき)(和歌山市吐前)の土豪(国人)である津田家(つだけ)が弟を代々院主に出し世襲化して運営しており、この当時の院主は杉之坊明算(すぎのぼうみょうさん)(津田妙算)になる。


 岩室坊(いわむろぼう)は紀伊那賀郡田仲荘(たなかしょう)(紀の川市の旧打田町(うちたちょう))の土豪である田中家(たなかけ)が代々嫡子を院主にして世襲して運営しており、この当時の院主は岩室坊(いわむろぼう)勢栄(せいえい)と思われる。


【第26代内閣総理大臣の田中義一(たなかぎいち)はこの田中家の子孫だったりする】


 泉識坊(せんしきぼう)は紀伊名草郡(なぐさぐん)粟村(あわむら)の土豪である土橋家(つちばしけ)が一族を院主にして世襲して運営している。この土橋家が問題なのだが土橋家は雑賀衆(さいかしゅう)でもあり、雑賀孫市(さいがまごいち)で有名な鈴木家と並ぶ雑賀衆の有力者だったりする。


 根来の有力者に会うことが目的の我らが向かった先は、四坊のうちで既に面識があり鉄砲の取引でも繋がっている杉之坊の津田家である。

 根来寺の杉之坊ではなく、吐前の津田家の館に直接出向いて津田算長(つだかずなが)との面会を図ることになる。


「これは兵部大輔(ひょうぶだゆう)様わざわざ根来にまでお越しとは、なにか我らが納めた種子島(たねがしま)に不具合でもありましたかな?」


「いえいえ、津田殿から購入しております鉄砲は十分な性能であります。戦場では重宝しております」


「兵部大輔様の武勇は根来にも届いておりまする。富田(とんだ)では三好家相手に我が種子島で存分の働きをなしたとお聞きしましたぞ」


「あれはたまたまにございまする」


「謙遜でありますな。兵部大輔様の働きで種子島の引き合いが増え、我らも喜んでおります」


「ほほう、引き合いが増えておりますか……三好家などにも鉄砲は売っていたりするのですか?」


「我らは三好家とはそこまで(あきな)いはありませぬが、三好家は堺を押えておりますればそこから入手しているやもしれませぬ」


「できれば今後も三好家には売らずにいただければ助かります」


「心得ております。なるべく遠方の東国(とうごく)あたりの方が高く売れたりしますから、そちらに売ってまいるつもりですわ……で、本日は如何様(いかよう)な仕儀でわざわざ根来まで参られましたのでありますかな? 種子島の追加の購入でしたら、なるべく兵部大輔様には都合を付けたいところではありますが、種子島の増産はなかなか難しくありこれまで以上に販売することは……」


「いえ、本日は別件になります。実はこの書状を見て頂きたいのですが」


「拝見いたしましょう」


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「和泉守護のたしか……細川晴貞(ほそかわはるさだ)様でしたかな? その方からの書状でありましょうか?」


「いえ、実はこのたび、細川晴貞が隠居し、私が伯父の細川元常(ほそかわもとつね)の養子になり和泉上守護細川家の家督を継ぐことに相成り申した。また公方様の足利義藤公より、正式に和泉守護職も拝命しております。あ、これは公方様直筆の御内書(ごないしょ)です」


【公方様の御内緒その1】(超意訳)

 細川兵部大輔はわしが直々に任命した和泉の守護である。

 こいつは正統な守護だからよく話を聞くように。

 聞かないと室町幕府がおしおきするんだからね。セーラー義藤。


「兵部大輔様が和泉の守護職にお成りになられたと? こ、これは存じませんで、ご無礼(つかまつ)りました」


「気にしないでください。まだ成ったばっかりですので。それで和泉は裏切り者の松浦家やそれを支援する三好家に席巻され、我が和泉守護細川家は劣勢に立たされております。それを何とかしたく、新たなお味方を求めて参った次第であります」


「左様でありましたか……ですが、見方と申されましても我が根来は和泉細川家とは過去によろしくない経緯もあったわけでございますが……」


 1499年に九条家の荘園である日根荘(ひねのしょう)日根野(ひねの)入山田(いりやまだ))の経営が行き詰まり、根来寺の閼伽井坊(あかいぼう)秀尊(しゅうそん)が代官となっている。

 それは九条家の家司である唐橋在数(からはしありかず)(家司だけど公家)が1496年に閼伽井坊秀尊から借金をしたのだが、返済できなかったので九条家が代官職を与えたためである。(唐橋在数は九条政基(くじょうまさもと)に殺され、九条家はこの公家殺害で批判されまくって地位を落としている)


 だがここから問題がさらに拗れていく。当時和泉守護の被官だった日根野(ひねの)氏は根来衆だろうがお構いなしに年貢の半分(半済(はんぜい):守護の取分)を取り立てようとした。

 だが相手は戦闘民族の根来衆なのだ。根来衆は待ってましたと閼伽井坊(あかいぼう)の救援に駆けつけ、ヒャッハーな事態にハッテンする。


 守護細川家被官vs根来衆の戦いは数年に及び、さらに根来衆の後ろ楯で畠山尾州家が介入したり、和泉守護の上守護家の細川元有(ほそかわもとあり)と下守護家の細川基経(ほそかわもとつね)が岸和田城を攻められて自害したり、わけが分からんほど混乱極まるのだ。(細川元有の死は畠山尚順によるものだが、根来衆も参加している)


 結局、1504年に守護方と根来衆の和睦が成立して、閼伽井坊(あかいぼう)明尊(みょうそん)が代官になり、守護方に半済(はんぜい)を納めることで争いはやっと終結する。

 これ以降、根来衆は和泉国内で土地を買ったり、代官になったり、武力で攻め取ったりと和泉にガンガン進出していくのである。


【余談だが、この煽りを受けて日根野氏の一部は和泉での地盤を失い、遠い美濃へ移住するハメになったようだ。その移住した日根野家から美濃斎藤家、今川家、長島一向一揆、織田家と主を代えまくって流浪した日根野弘就(ひねのひろなり)が生まれている。弘就の孫の日根野吉明(ひねのよしあき)も信濃諏訪(すわ)、下野壬生(みぶ)、豊後府内(ふない)と移封をくり返し、結局、日根野家は親子四代で流浪しまくったすえに無嗣(むし)改易となった】


「和泉細川家と根来衆に過去遺恨があったかもしれませんが、それは昔のことでありましょう。過去のことは水に流して、私は根来衆とは是非手を取り合いたいと願っております。条件さえ折りあえば根来衆による和泉国内の権益を守護として公認する用意も御座りますれば」


「守護として公認? それは……根来衆にとっては良い話と思えますが、その条件とは?」


「先ほどの書状に有るとおりです。松浦家とその背後にいる三好家と戦っていただくことになります」


(オープニングスタッフのチラシのことです)


「それでは兵部大輔様は根来衆を率いて松浦家と戦うおつもりなのでありますか?」


「少し違います。和泉守護たる私は公方様の側近でもありますれば在京しなくてはなりません。今回参った主な目的は、私に代わって守護権を行使する新たな守護代を任じることにあります」


「守護代を任じる?」


「松浦が守護代を僭称(せんしょう)しているかもしれませんが、松浦家の守護代職はすでに公方様が解任しました。私は新たに守護代となる者を連れて公方様に謁見して頂くことを命じられているのです。あ、これがその公方様の御内書です」


【公方様の御内緒その2】(超意訳)

 幕府の命に従わぬバカでアホでマヌケな松浦は守護代をクビじゃ。

 わしの命に従う有能でイケメンな守護代をつれて来い。プリティ義藤。


 義藤さまの署名以外は勝手に書きました。


「は、はあ……」


「津田監物(けんもつ)算長殿、和泉守護代に興味はありませんかな? そうそう、お土産がありましたな。源三郎アレを。津田殿に披露してくれ」


「はっ。津田殿、御検分くだされ」


「こ、これは……」


「守護代の格式たる。毛氈鞍覆(もうせんくらおう)いに赤傘袋(あかかさぶくろ)になります。公方様から下賜(かし)された品になりまする」


 ハッタリの為にわざわざ作って持ってきました。むろん義藤さまは知りません。


「こ、これを私にと?」


「はい。私と一緒に守護代として上洛しませんか? 今なら従五位下(じゅごいのげ)大監物(だいけんもつ)叙位任官(じょいにんかん)もオマケで付いて来るお得なキャンペーンも実施中ですよ♪」


 そう言ってニッコリ微笑むのだが、津田算長は唖然とするばかりであった……


 ◆

【再び根来へ(2)に続く】

最近調子に乗っていて、(超意訳)と書けば

何をやってもいいのかと怒られそうだけど

ネタだから許して


根来衆、雑賀衆もどっかで紹介するかなぁ

需要があるとは思えませんがっ

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[良い点] 津田本家を誘惑中 杉の坊も残したい 嬉しい悲鳴でしょう、実際与一郎としては津田の傭兵業辞めさせる手段でしょうが
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