第七十三話 あの日の出来事(2)
【あの日の出来事(1)の続き】
◆
「五郎八と源三郎だけであるか? ほかの者はどうした?」
「雪荷殿は志水清久や郎党どもを鍛えてくると申して饗庭野に調練に向かいました。狩って狩って狩りまくってくると気合を入れておりましたな」
吉田重勝(雪荷)はあいかわらずストイックなようだ。俺の小姓にした志水清久も鍛えてくれるらしい。
「光秀はまだよろしくやっているのか帰っておりませぬ。内蔵助は弄ばれて干物になっておりますわー」
「五郎八もお楽しみで帰りは遅いと思っていたが」
「あちきは仕事として接待を受けたまでのこと。篭絡されて帰って来ない十兵衛や、干からびてしまって動けない内蔵助と一緒にしないでくだされ。しかとわきまえておりますれば、美女の色香に惑わされるようなことはないっすよ」
「仕事?」
「あちきや源三郎が商家の用意した綺麗どころと遊んでいるのは、接待を受けようとしない若殿に代わってのこと。せっかく用意された歓待を我らがまったく受けなければ商家の者どもが気を悪くして、今後の商いや政に支障をきたしますからな」
「それは……すまない。気が付かなかった」
「仕方がありませんな。若は今、恋の病の真っ最中でありますからなぁ。商家がせっかく並べた綺麗どころに目もくれないぐらいに惚れておるのですなぁ」
「だ、誰が恋の病だ!」
「若殿が」
「だ、誰とだよ!」
「愛しの公方様と」
「く、公方様と俺が恋に落ちるわけがなかろう」
「は? 源三郎、若殿はまだこんなことを言っているがどうする?」
「与一郎様、いい加減に押し倒すべきです。公方様もきっと心待ちのことでありましょう」
「げ、源三郎の兄貴まで何を言うか!」
「わかとのー、そんなに億手じゃ公方様に嫌われてしまいますよー。それに公方様は父親が亡くなって傷心の身。ここで優しく付け込まないでどうするのですか?」
五郎八はあいかわらずゲスである。
「喪服の女性は美しく見えるものです。欲望のままにここはガッと行くべきでしょう」
源三郎も結構ゲスだった。
「お前らなぁ。人の恋路をからかって楽しいのか」
「我々は若殿と公方様を応援しているのでありますよ」
「俺が誰と恋仲になろうが勝手だろうが」
「与一郎さま、我が淡路細川家には後継者が必要なのです。さっさと公方様を押し倒して、赤ちゃんを作ってくれなければ困るのです」
「そうだそうだー、さっさと孕ませろー」――このゲス野郎。
「しょ、将軍が御懐妊とかしたら室町幕府が崩壊するわ!」
「すでにほとんど崩壊しております。問題ないでしょう」
「問題あるし、幕府を崩壊させないために頑張っているんだろうが!」
「室町幕府なんぞよりも我が細川家の跡継ぎの方が優先ですな」
「そうだそうだー。幕府よりも二人の恋の方が大事に決まっとるー」
源三郎と五郎八の二人は義藤さまが可愛い女の子だと知っているから扱いに困ってしまう。
「そういえば思いだしたぞ。お前ら、よくも俺を裏切って義藤さまにいろいろと白状してくれたなー。というか、何をされて白状したんだ貴様らー」
「若殿じゃあるまいし、公方様に誘惑されて白状したわけではありませんよ。我らに嫉妬しないでくだされ」
「そうです勘違いしてはいけませぬ。公方様は与一郎様に一途なのですぞ。公方様をお疑いになるとは、困った与一郎様だ……」
「ぐっ……だったら何ゆえ義藤さまに口を割ったか」
「若殿が岩神館でお倒れになったあの日――」
◆
――ここから回想シーンです――
「藤孝が倒れたというはまことか!」
障子戸を勢いよく開けて、与一郎さまの部屋へ公方様が血相を変えて入って来られた。
「こ、これは公方様。申し訳ありませぬ」
「源三郎、かしこまってなぞいないで、すぐに藤孝をわしの部屋に運ぶのじゃ。五郎八は医師の牧庵殿を呼んで参れ」
「ははっ」
公方様は岩神館で最も良い部屋である公方様の部屋を与一郎様の病室にあてられ、最高級の羽根布団や七輪で部屋を暖めるなどし、牧庵医師に与一郎様の容態を診させるなど、与一郎様のために手を尽くされた。
「過労からくる一時的なものでありましょう。葛根湯でも飲ませておけば大事ないですな」
与一郎様から以前「葛根湯医者」などと言って、どんな症状でも葛根湯を出してしまう「ヤブ医者」の話を聞いたが……大丈夫だよな?
「すまなかったな牧庵殿。ここはもうよい。朽木館の怪我人の治療に戻ってくれ」
「いえいえ、与一郎は我が甥でもありますれば、公方様の心使いに感謝いたしまする。それでは……」
「源三郎に五郎八も下がってよいぞ。藤孝の看病はわしがするのでな」
「お、恐れながら申し上げます。公方様御自ら看病にあたるなど――」
「かまうな。藤孝の看病は以前にもやって慣れておる」
「で、ですが……」
「ふむ、源三郎。その方は藤孝が病に倒れた原因に心当たりはあるか?」
「い、いえ、それは……」
「藤孝はこの数日、無理をしておったのじゃ。その方はそれに気が付かなかったか?」
「そ、それは申し訳なく……」
「藤孝は口では悪ぶったことを言うが、その実は小心者で臆病な男なのだ。この高島攻めで無理をし、朽木の件もあってな……少し、その方らと話す必要があるようじゃな。その方らは隣の部屋で待つがよい」
「は?」
「新二郎あるか?」
「はっ、新二郎ここに」
「わしは着替えをして、隣の部屋でこの者らと内密の話がある。しばらく人払いをして部屋に誰も近づけさせるな」
「かしこまりして御座いますだろ」
装束を着替えて内密の話? 公方様はいったい何を?
五郎八と二人で隣室に移り公方様を待つが正直意味が分からない。
そして唖然とすることになるのだ。
「二人とも待たせたな」
「え???」
「なんだ。わしの格好がおかしいか? 与一郎は麗しいと褒めてくれるのじゃがな」
隣の部屋から入って来たのは公方様ではなく、可愛らしい巫女さんであった。
「たしかに麗しいですが……?」
「そんなに驚くでない。その方ら二人にはこのような格好で会ったことがあるではないか」
「あ、若殿と一緒に居ためんこい巫女のお嬢さん……」
五郎八は何か心当たりがあるのか?
「うむ。五郎八には洛中で近江の田舎侍に絡まれているところを助けられたな。感謝するぞ」
そういえば……
「も、もしかして、与一郎様の良い人では……」
「そうじゃ。わしと与一郎が川端道喜の店でデートとやらをしている時に源三郎とは会ったな」
「しかし、なぜここに貴方様が?」
「源三郎に五郎八……余の顔を見忘れたかっ!」
カーン!(何故か江戸城奥の間のカットインが入る)
「こ、これは上様! ははーっ」
こ、このような所に上様が参られるわけがない……上様の名を騙る狼藉者ぞ! 者どもこの狼藉者を斬り捨てーい。
そしてBGMが流れ、公方様が峰打ちによる殺陣の大立ち回りをして、源三郎が「成敗」される……というお約束な展開には残念ながらなりません。
(上様は室町時代では御屋形様と同レベルの敬称だと思うので、この当時の将軍に対して使うのは不適当かもしれませんが、雰囲気で許して)
可愛い巫女さんの格好をしているが、その声は、その顔は、まさに公方様であったのだ。
「源三郎に五郎八。わしはむろん公方であるが、その実は女子であり、藤孝の、よ、良い人であるのじゃ」
顔を赤らめて与一郎様の良い人と述べられた公方様は、控えめに言って可愛らしかった。
「く、公方様が女子で……若殿の良い人であると?」
「なんと……公方様をたらし込むとは、若殿もやるもんですなぁ」
五郎八……その軽口をなんとかせんと、いずれ手打ちになるぞ。
「わしは、その……藤孝が大事であるのだ。その藤孝が無理をしているならば止めたいと思っておる。その方らには協力して貰いたいのだ」
「我らは、その……公方様に何を協力いたせばよろしいのでしょうか?」
「うむ。この朽木谷を攻めるために藤孝がなしたことや、これまでの高島平定で藤孝がやってきたことを洗いざらい白状するがよい」
「そ、それは……」
「心配いたすな。わしが藤孝を処罰することはない」
たとえ公方様であっても、主君のことを告げ口するなどは……
「公方様であらせられましても、我が主君は与一郎さまであり……」
「わしは藤孝を、あ、愛しておるのじゃ……わしが藤孝を粗略にすることは決してない。信じてくりゃれ」――ボンっ!
さらに顔を真っ赤にする公方様は一途な乙女であり、我ら二人はその恋する乙女な義藤さまの姿に心を奪われ、若殿の悪行を洗いざらい白状することになったのだ。
――回想終り――
「我らは恋する乙女の義藤さまに協力することを心に決めたのです」
「左様、我らは甲斐性の無い与一郎様のケツを蹴り上げてでも、一途な義藤さまの想いを実らせる所存」
「よ、余計なお世話だ! それに誰が甲斐性なしか!」
「あそこまで想われておきながら情けない……」
「このヘタレが」
「て、てめーらわ……」
「明日は大御所の葬儀で久しぶりに義藤さまに逢えるのです。ここはしっかりと義藤さまを慰めなければなりませぬぞ」
「問答無用で押し倒せ」
「そ、そんなことができるか! ボケェェェ!」
二人に変なことを言われまくったためか、慈照寺での大御所の葬儀のあと義藤さまと東求堂で逢ったのだが、妙にギクシャクしてしまうのであったとさ――
閑話休題みたいな回でした
次話から本筋に戻る所存です