第七十二話 大御所の死(2)
【大御所の死(1)の続き】
◆
わしにとても優しかった父上が身罷ろうとしている――
高島郡の今津で父上が危篤におちいったという報を受けて、勝軍山城へ急ぎ戻った。
「大御所様、ただいま戻りましてございます。義藤です。遅くなり申し訳ありませぬ」
「大樹か……すまぬ、もうあまり良く見えないのじゃ。もそっと近う寄ってそなたの顔をよく見せてはくれぬか」
「はい、父上……」
「よく戻ってくれた。高島攻めはいかがであったか? 将軍の武威を示してはくれたのか?」
「藤孝の助けもあり、無事に高島郡を平定して参りました。大御所様と高島郡をこれからどう統治していくのか相談したくありまする」
「わしに代わり武威を示してくれて感謝するぞ……よう頑張った。高島の統治は、これからの幕府は、大樹が考えるがよい……わしにはもう無理な話であろう」
「ちちうえ……」
泣いてはダメだと思うのであるが、どうしても涙が溢れてしまう。
「藤孝は一緒に戻っておるのか?」
「はい。一緒に戻って参りました」
「ではすまぬが藤孝を、与一郎を呼んではくれぬか? 与一郎に聞きたいことがあるゆえな」
大御所の願いで藤孝が呼ばれた。大御所は藤孝と二人で話すことがあると言っていた。
藤孝の次には父上の側近達が呼ばれた。皆涙して大御所の病室から出て参った。
皆、大御所の最後の遺言を受けているのであろう。
幕臣らのあとは近衛家や佐子の局など大御所と親しき者らが呼ばれる。
その者らとの最期の挨拶も終り、再びわしだけが呼ばれることになる。
「菊童丸よ。すまなかった。そなたには余計な重荷を背負わせてしまった」
父上が幼名でわしのことを呼んだ。もう意識が……
「そなたにはすまないことをした……余計な重荷を、将軍職なぞを押し付けた父を恨んでいるであろう」
「そんなことはありませぬ。私は優しかった父上が大好きだったのであります」
「わしには後ろ楯が無かったのじゃ。わしと関白近衛家の娘の子であるそなたはどうしても嫡男でなければならなかったのじゃ。ゆるせ……」
「父上……、父上はわたしを愛してくれました。許すもなにもありませぬ」
「お菊よ……そなたには女子の幸せを与えることができなかった。不甲斐ない父を許してくれ」
「私は……菊は……今幸せです。安堵してくだされ」
父がお菊と呼んでくれた……
「お菊よ。幕府など潰してかまわぬ。そなたが幸せになれる道を選ぶがよい。わしが出来なかった仕事をそなたに押し付けようとは思わぬ」
「幕府は私が立て直してみせますゆえ、安心してくだされ」
「菊よ、与一郎と幸せになるのじゃ……」
涙で父上の顔がゆがんでしまう。もっとしっかり見ていたいのに。
「わしは、そなたの嫁入り姿が……ほんとうは見たかったのだ……」
「ち、ちち……うえ?」
「す、すまぬ、そなたの母らを呼んでくれ……もう……」
慌てて母や弟を呼びに走る。本当に最期の時が近いのだ。
母や妹に末の弟が父にすがりつく。
父上の口はもう言葉を紡ぐことはできなかった。
父は最期にわしの顔を見て微笑んだ気がする。
そしてもう目を開けることはなかったのだ……その顔が安らかであったことは救いであったが。
「お前さま、お前さまぁぁぁ」
「ちちうえええええ」
「目を、目を開けてくだされ。父上ぇぇぇ!」
わしを愛してくれた父上が身罷ってしまった……その最期は将軍ではなく、ただ父であったように想えるのだ。
◆
史実で足利義晴は京を追われて坂本に在していた。坂本から三好長慶と戦うために築城していた中尾城に入ろうとするのだが、その途中の穴太にて病に倒れた。幕府を立て直せなかった無念や病の苦痛もあり自害して果てたとする説もある。
大御所は史実より1ヶ月ほど生きながらえている。
洛中の御所に戻ることはできなかったが、勝軍山城で落ち着いた闘病生活を過ごすことが出来たことは、いくらか大御所にとっては救いになったのであろう……
【足利義晴が亡くなったのは1550年の5月で、作中は翌月の閏5月。この当時は太陰太陽暦である宣明暦を使用しているので閏月が入ります】
高島郡の今津から義藤さまを護衛して急ぎ勝軍山城へ戻ったが、なんとか間に合うことが出来たようだ。親の死に目に会えないという最悪の事態は避けられて安堵した。
「与一郎よ。大樹を、義藤を頼む。そなたの父、掃部頭(三淵晴員)はわしによく仕えてくれた。そなたには義藤の支えになって欲しい」
最後の別れをしているはずの義藤さまに呼ばれ、大御所の遺言を真っ先に受ける臣下になってしまう。光栄ではあるが俺でいいのか?
「むろんでございます。公方様の忠臣として支えていく所存」
「お主に聞きたいことがある……わしに義藤のために最後に何かできることは残っていまいか? 知恵者のおぬしならば何か考えも浮かぶであろう」
「はっ……それではひとつお願いがござります。義藤さまの将軍就任によりその役務を終えておりますが、大御所の遺言ということで内談衆を復活させて頂きたく」
「内談衆を? じゃが老臣がおっては義藤の政務の妨げになるであろうに」
「世代交代の必要はありますが、組織として制度としての内談衆は有益であったかと存じます。新たなる内談衆を任じて義藤さまを補佐するようお命じ頂ければ義藤さまの助けとなりましょう」
「そうか……お主はわしの政を褒めてくれるのだな……で、誰を任じるがよいのであるか」
「内談衆であった大館晴光殿に加え、摂津晴門殿、荒川晴宣殿、我が義父の細川晴広などは内談衆を父に持ち、内談衆の政務にも通じておりますれば適しているかと思われます」
「そうであるな。その者ら以外はどうじゃ」
「ほかには大和晴完殿、飯河信堅殿、小笠原稙盛殿などは有職故実に優れ、その知識は政の助けとなりましょう。また公方様とも親しくありますれば適任と存じます」
「よい人選であるな褒めて使わす。これで七人か、七人でよいのか?」
「8人目としては父の三淵晴員も大御所の傍らに長くあり、内談衆の政務にも詳しく、また公方様を裏切ることのない忠臣として、大御所も安心することができるのではないかと思われますが」
これでもかと新しい内談衆に俺の関係者をぶち込んでしまったけど、これは少々やり過ぎかな。
「お主が8人目にならずともよいのか? お主であれば内談衆としてもそつなくこなすと思うが」
「まだ若輩の身でありますれば、それがしは義父の後任が適しているかと心得まする」
「……よいだろう。お主ののちにその8名の者らを呼ぶがよい。新しき内談衆として大樹を補佐するよう遺言を残す」
「ありがたき幸せ。必ずやその者らは公方様の助けとなりましょう」
「礼はこちらが述べることだ。義藤のために良い策を教えてくれた。では、最後にもう一つ聞きたい……与一郎よ、そなたは義藤を好いておるか?」
「は? むろん公方様は仕えるに相応しき主であると――」
「お主にしては察しが悪いのう。義藤を女子として好いておるかと聞いておるのじゃ」
「そ、それは……あの、その……」
予想もしていなかったことを聞かれ、しどろもどろになってしまう」
「どうなんじゃ。その方はアレのことを愛してはいないのか?」
「……あ、愛しておりまする」
これが大御所との最後になるのだ。恥ずかしがっている場合ではないし、嘘もつきたくは無い。
「それを聞いて安堵したわ。父として改めてお菊のことをお願いする」
「ははっ。う、承りましてございます」
「最後に申しておくことがある。父として許す。あれをいずれ手篭めにするがよい。アレも近頃は随分と色気づいて、よい尻になって来たからのう。ぐわっはっは――」
大御所は尻派だった……最期にとんでもないことをかましていくなや。
こうして俺と大御所の最後の会話は終わった。
俺のあとには内談衆に任じられるであろう者らが呼ばれ、伯母の佐子の局や、その他の幕臣も呼ばれて大御所の最期の言葉をそれぞれが受け取っていった。
大御所の側室や近衛家の者など大御所の親族も呼ばれ、今は義藤さまやその弟に義藤さまの母御前など、大御所の家族だけが最期を看取るために残っている。
……義藤さまの泣き声が聞こえる。
この日、室町幕府の第12代征夷大将軍であった足利義晴はここにその生涯を終えることになった――
それは義藤さまが、第13代将軍の足利義藤が、自らの脚で立って、自らの意思でもって、戦国乱世の荒波の中で揺れ動く室町幕府の舵取りをしていかなければならないことを意味するのであった。
15歳の少女にとっては、あまりにも過酷な運命としか思えないのである……
大御所の最期のターンでした
新年から「一人投稿祭り」をやっており連続で投稿するため
冬休みもあって書きまくってましたが、
明日から普通に仕事ですのでそれもここまでになります
この先はまた以前の週末投稿のペースに落ちると思います
作者は子供がおり、仕事に追われるサラリーマンなので
ご理解いただければ幸いです
この数日たくさんの方に読んで頂き、また多くの人に
ブックマークや評価を頂けるなど感謝感激でありました
皆様の応援を糧に完結まで頑張りたいと思いますので
引き続き御支援頂けると嬉しいです




