第七十二話 大御所の死(1)
天文十九年(1550年)閏5月
わしが生まれて半年もたたないころである。引退を表明した父上に代わって、まだ生まれたばかりの幼子であったわしが足利将軍家の家督を継承することとなった。
父は将軍職も生まれたばかりの幼子に譲るつもりであったようだが、それは周囲の者の説得により諦めたそうだ。
だが、家督の継承自体は生きており、わしは生まれてから半年ほどで足利将軍家の当主として扱われることになる。
無論、幼子であったわしにその当時の記憶などはない。乳母である佐子の局が教えてくれたことだ。
父は将軍ではあるが足利家の家督はわしのものだとし、既に引退した身であるから菊童丸の後見の立場であると言い出した。
そして幼子では政務が取れないとの理屈で父上の側近たちが内談衆として政務を見る形となったのだが、詭弁であるな。
わしは「女の子」なのになぜか「男の子」として育てられた。小さいころはそれが普通で何とも思ってはいなかった。
それに皆がわしに傅くことも当たり前のことであり不思議に思うこともなかった。
わしの父上は第12代の室町殿(将軍)の足利義晴であり、母はその正室で関白である近衛尚通の娘であったのだ。
子供のころはまったく意味が分からなかったが、とにかく凄く偉い人達の子であった自覚はあったようだ。
「さすがは関白殿下のお孫様でありますな」
「いやいや武家の棟梁の子に相応しい立派な和子にござりまする」
「これで公武も安泰でありますな。この和子が必ずや日の本に平穏をもたらしてくれるでしょう」
「征夷大将軍と関白の娘の子という日本史上でも例がないほどの良血の名馬です。牝馬ではなく牡馬クラシック三冠を目指しましょう。凱旋門賞やドバイシーマクラシックを狙うのもよいでしょう」
皆がわしのことをろくに見もしないで褒め称えていた。わしという人間よりも父や祖父の方ばかり見ているようだ。
最後に褒めていたのか良く分からない奴は何を言っているのかサッパリ分からなかったが……
それでもわしは別に不幸とは思っていなかった。母が自らの手でわしを育ててくれていたからだ。この時代の慣習では珍しいという。
あとで知ったことだが、室町幕府の慣習では将軍の嫡子は、政所執事である伊勢伊勢守の屋敷で育てられ、母親ではなく乳母の手で育てられるのが当たり前であったからだ。
わしも慣習で伊勢守の屋敷に移りはしたが、父と母も揃って移り住んでくれたのだ。
わしは伊勢守の者に育てられたのではなく、両親の二人が自ら慈愛を注いで育ててくれた。
おかげで寂しいと思うことは少なかったように思う。
わしは父上と母上が大好きであったのだ。
だが、ときどき母がおかしくなることがあった。
「ちがう、ちがう、コレはわらわの菊憧丸ではないわー」
――そう言って母が半狂乱になってしまうのだ。優しかった母がなぜ……
まだ幼子であったわしには酷く悲しい出来事であった。普段は優しい母が何かの拍子で「わらわの子ではない」と、わしを邪険に扱うのだ。
わしは酷く傷ついたと思う……じゃが、わしの傷ついた心を癒す出来事があったのだ。
◆
わしが4歳になったころじゃ。その時は良くわからなかったが、細川晴元の重臣の三好宗三と三好長慶(当時は利長)が対立したことによって、京の治安が非常に悪化したことがあったそうだ。
京兆家の陪臣同士の対立で幕府が右往左往するのだから情けない話であるのだがな。
わしは母に連れられて、父上とわしと二代の乳母となった佐子の局が隠棲した洛北の八瀬へと避難することになった。
佐子の局は父上に幼い頃から仕えた女房で、父上が最も信頼する人間であった。父は京からわしと母を避難させる場所として佐子の局を頼ったのだ。
洛北の八瀬は風光明媚な土地であった。夏でもあり八瀬では山や川で子供たちが楽しそうに遊んでいた。それを見たわしは我慢ができずに、護衛の朽木稙綱らの目を盗んで佐子の局の屋敷を抜け出して遊びに行ってしまった。
高野川のほとりで一人の男の子に出会った。
歳はわしより2つぐらい上であったろう。
最初は邪険にもされたが、最後は一緒になって高野川の川原で遊んでくれた。
今考えると同年代の子供と遊んだことなんて生まれて初めてのことであったのだ。
――すごく、すごく楽しかった。
その男の子は物知りな子で魚や虫やいろいろなことを教えてくれた。魚釣りや蟹取りなども教えてくれた。楽しくて楽しくて水浸しになりながら川で目一杯遊んだものだ。
じゃが、調子に乗りすぎていたのであろう。川の深みにハマって泳げなかったわしは溺れてしまった。
その男の子は水練も得意で溺れたわしを助けてくれた……とてもカッコよかった。
川原で焚き火をして濡れた服を乾かしてもくれた。その時初めて「お前女の子だったのか」と言われた。
ずっと男の子として育てられていたので、意味が分からなかったが、わしは男じゃと泣きながらポカポカと殴りかかってしまった。
じゃが、良く見るとその男の子とわしとでは、その体の一部が違っていたのだ。
その子には、その……お、「おちんちん」が付いていたのだ。
わしには残念ながらなかった……
その時はじめてわしは己が女の子だと自覚したのだと思う。
そして優しい母がおかしくなる理由もわかってしまったのだ。
母はわしが女の子だと分かると狂ったように暴れるのだ。
わしは男の子でなければならなかったのだ。
京の治安はほどなく落ち着きわしは京に帰ることになった。
それは一緒に遊んでくれた男の子との別れでもあった。
わしはもっとその男の子と一緒に居たかった。
わしはその男の子のことが好きになってしまったのだろう。
八瀬での最後の日、わしは男の子にお願いをした。
「万吉ちゃん、お、大きくなったらわしをお嫁さんにするがよい」
「ん? なんだか良く分からぬが、お菊をお嫁さんとやらにすればよいのか? うん。いいぞ大人になったらお嫁さんにするぞ」
「必ずじゃぞ。必ず迎えに来るのだぞ」
こうしてわしの唯一の楽しい夏の記憶である八瀬の夏は終わったのだ。
◆
それからまた洛中での日々が続くことになる。この時期はあの細川晴元としてはめずらしく政権運営がまともな部類であったので、割と落ち着いた日々を京で送って居た気がする。
仲良くなった男の子と逢えないのは寂しかったが、別の男の子と出会ったことで少しはその寂しさも紛れたりした。
わしとしては友達になって欲しかったのだが、その子は残念ながらわしに対して臣下としての態度を取るようになってしまった。
それを寂しく思うこともあったが、それでも同年代の子が一緒に居て以前より楽しくはあった。
今では「筋肉バカ」になってしまったが、昔は真面目で良いヤツだったはずなのだ。
新二郎のヤツはドコでおかしくなったのだろう……げせぬ。
だが平穏だった日々は終わってしまう。細川国慶とやらが洛中に攻め込み慈照寺に逃れることになる。
そして父がわしに将軍職を譲ると言い出したのだ。わしに第13代の征夷大将軍になれと言うのだ。
わしは女の子なのじゃ。将軍になどはなりたく無かった。
わしは……お嫁さんになりたかったのじゃ。
父に将軍になれと言われた日、わしは泣きながら慈照寺を逃げ出した。
だが、川のほとりで頭から血を流して倒れている「あやつ」を見つけてしまった……
それはあの夏の日からずっと逢いたいと思っていた相手じゃったのだ。
わしは逃げ出すことを諦め、あやつを手当するため慈照寺に連れて帰った。
もしかしたら死んでしまうのではないかと怖かったが、看病の甲斐があってか、あやつは無事に目覚めてくれた。
じゃが、あやつはわしのことなどすっかり忘れておったのだ。
頭を怪我した影響なのかほとんど全てを忘れておったので仕方がないのかもしれぬが……それでも腹は立ったな。
それからしばらくしてあやつはわしの側に仕えてくれるようになった。
将軍になるのは嫌なことであったが、あやつが美味しいものを食べさせてくれて、一緒に居てくれて楽しかったのだ。
それにあやつだけはわしを「女の子」として扱ってくれた。
女子の装束を着せられるのは恥ずかしくあったが……嬉しくもあった。
わしはまだ「女の子」でいても良いのだと思えたのじゃ。
あやつはいろいろ頑張ってくれた。商いの才があるのか銭をやたら稼ぐようになり、幕府の仕事でもわしを助けようとしてくれた。
全然わしのことを思い出さないあやつにイライラしたり、不安に思ったりもしたが、わしのために一生懸命頑張ってくれる姿にそんなことはどうでもよくなった。
わしは幼き日のあやつも、今のあやつも同じく大事だと想うようになったのじゃ……昔の記憶を思い出してくれなくてもよいとな。
父もあやつのことを随分と褒めておった。
父には心を許せる者として三淵晴員や佐子の局が居たが、わしにも心を許せる相手が出来たのだと喜んでくれた。
あやつを大事にしろとも言われた。
わしもあやつを大事にしたかった。
だから止めたかったのだ。悪人になってでも無理して幕府を立て直そうとするあやつを……
わしには幕府なんぞより……そなたの方が大事なのであるのだから――
◆
【大御所の死(2)に続く】
前回のアホな話からシリアスに急に変わってすいません
義藤さまのお話になります




