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第六十八話 朽木谷制圧(2)

【朽木谷制圧(1)の続き】

 ◆


 野尻坂砦(のじりざかとりで)における朽木家中(くつきかちゅう)の抵抗を排除した幕府軍は朽木谷の中心である野尻(のじり)に入った。さらなる抵抗があることを予想していたのだが、組織だって敵対する者は無く難なく朽木館を包囲することができてしまった。

 幕府軍に包囲された朽木館は逃げ出すものが居たり、命乞いをするものが居たり、館の中は混乱の最中(さなか)にあった。


「公方様、朽木館(くつきやかた)は混乱しており(いささ)か危のうございます。事態が落ち着き朽木家中の敵味方がはっきりするまで岩神館(いわがみやかた)を本陣にしたくあります」


「うむ、任せる」


 岩神館は野尻の朽木館の南方にあり、大御所の足利義晴(あしかがよしはる)がかつて朽木に逃れた際に逗留した場所になる。その岩神館に幕府軍は本陣を置き朽木領の制圧を行うことになる。


【朽木館は朽木陣屋跡(くつきじんやあと)にあったとされる朽木家の居館(きょかん)朽木城(くつきじょう)朽木谷城(くつきだにじょう)とも呼ばれる。朽木館は統治のための政庁であり戦の際には館の北の山中に築いた西山城(にしやまじょう)を詰めの城として篭城したと思われる。岩神館(いわがみやかた)は現在の興聖寺(こうしょうじ)になり、(きゅう)秀隣寺庭園(しゅうりじていえん)として当時の庭園が現存しているとされる。史実では三好長慶(みよしながよし)に京を追われた足利義輝(あしかがよしてる)が朽木に逃れた際に岩神館に在することになる】


 朽木館では朽木藤綱(くつきふじつな)朽木成綱(くつきしげつな)の兄弟が事態の収拾に勤めている。どうやら幕府軍に対して兵を挙げたのは朽木家中の一部であり、反幕府で朽木藤綱に敵対する家中の者どもは朽木館を脱出したようであった。

 朽木館に留まった者らは朽木藤綱に服して忠誠を誓う者も少なくないようだ。また様子見で野尻から逃げていた者らも朽木館に戻りつつある。


「藤孝、朽木の家中の動静はどうなっておるか。朽木家の全てが敵対したわけではないのだな?」


「朽木館で事態の収拾にあたっている朽木藤綱の話では、朽木家中の一部が前当主である朽木晴綱(くつきはるつな)遺児(いじ)朽木竹若丸(くつきたけわかまる)を奉じて野尻の朽木館を脱出、詰めの城である西山城に立て篭もったとのことであります」


朽木竹若丸(くつきたけわかまる)はのちの朽木元綱(くつきもとつな)で、浅井長政(あさいながまさ)に裏切られ朝倉(あさくら)攻めから撤退する織田信長を助けたり、関ヶ原の戦いで小早川秀秋(こばやかわひであき)のオマケで西軍から東軍に寝返ったりして朽木の家名を残した人物である。だが、この時はわずか2歳の幼子だったりする】


「その朽木竹若丸とやらが我らに対し兵を挙げたということか?」


「いえ、朽木竹若丸はわずか2歳の幼子というので、朽木の一門衆である宮川家の一党が叛乱(はんらん)首魁(しゅかい)のようであります」


「その宮川家は何ゆえ我ら幕府に兵を向けたのじゃ」


「はぁ、どうにも朽木藤綱に反発したようです。当主の朽木晴綱殿の討死という事態に幕府が介入して朽木家の当主を朽木藤綱殿に挿げ替えようと画策していると、宮川家の者らは考えたようであります」


「朽木家の家督は当主の朽木晴綱亡き後は稙綱(たねつな)殿が決めることであろう。普通に考えればすでに元服し武功も挙げている藤綱の方が2歳という竹若丸とやらよりは相応しいと思うが、わしは朽木家の家督に口を出す気はないぞ」


「よくある話です。在京していたため国許(くにもと)の家中とあまり親しくない藤綱殿よりも、何もできない2歳の幼子を祀り上げる方が朽木家の重臣たちにとっては、いろいろと都合がよろしいのでありましょう」


「それでは謀反(むほん)ではないか」


「このままでは朽木家は重臣らの専横を許すことになりましょう」


「2歳の幼子を祀り上げる宮川のやり口は気に入らぬところであるが、藤綱は宮川家を説得することはできないのか?」


「宮川らが援軍の宛てもなく篭城するとは思えませぬ。西山城に篭る朽木家中は京極(きょうごく)や三好と通じている恐れもありますれば……朽木の安泰のためにも速やかに対処するがよろしいかと」


「……西山城の宮川らを討てと申すのか?」


「朽木藤綱殿が朽木家を早期に掌握するためには……討つ必要があると存じます」


「……分かった。幕府に反し京極や三好と通じる朽木家中の宮川らを討つがよい。だが幼子の朽木竹若丸に罪はなかろう。宮川家の者らから保護するようにな」


「はっ、仰せのままに」


 公方様の許可が下りたので朽木竹若丸と宮川家の者らが篭る西山城を攻撃する準備に入る。

 公方様の在所となっている岩神館の守備は親父の三淵(みつぶち)軍に任せ、大和晴完(やまとはるみつ)小笠原稙盛(おがさわらたねもり)には街道の封鎖をお願いした。


「藤綱殿、公方様の命が下った。西山城を攻めるがよろしいか?」


「はっ、此度(こたび)は朽木家中の者どもが幕府に手を焼かせ申し訳ありませぬ」


「同じ朽木家の者が西山城を攻めるのは心苦しかろう。我ら淡路細川家が西山城を攻めるゆえ、藤綱殿には他の朽木家中の押さえをお願いしたい」


「その……竹若丸はどうなりましょうか?」」


「ご安心()されよ。藤綱殿が朽木家を掌握するために余計な者はなるべく取り除いておきましょう」


「お心遣い感謝いたします」


 野尻の朽木館から北方の山中にある西山城を淡路・和泉細川家の手勢と佐竹蓮養坊(さたけれんようぼう)磯谷久次(いそがいひさつぐ)の軍勢で包囲する。西山城に篭るのは朽木竹若丸と宮川(みやがわ)蔵人助(くらんどのすけ)頼忠(よりただ)宮川(みやがわ)三河守(みかわのかみ)貞頼(さだより)などの軍勢であるが、小勢であるので簡単に落とせると思われる。

 ぶっちゃけると彼らはろくに準備もしておらず、慌てて篭城しただけであるのだ。


源三郎(げんざぶろう)。いつも嫌な役を押し付けて申し訳ないが、(おも)だった者は全て討ち果たして欲しい」


「幼子の朽木竹若丸やその母も残らず討ち果たすことでよろしいのですかな?」


「ああ、すまないが頼む。朽木を幕府に忠実な家とするためには必要なのだ」


「安心しました」


「安心?」


「はい。我らが主君は必要な措置を断固として行えるようでありますな。幼子ゆえ見逃せとでも言い出したら、若を叱るつもりでありましたが杞憂(きゆう)でありました」


「つまらぬ情けで台無しにする気はないよ。源頼朝(みなもとのよりとも)を助命した平家の愚行もあるしな」


「しかし朽木家中も簡単に挑発に乗ってきましたなぁ」


「朽木家にお家騒動を起こして幕府が介入する口実を作るだけのつもりが、いきなり挙兵だからな」


「それだけ宮川や日置(ひおき)は忠義厚き御仁なのでありましょう。ですがよろしいのですか? 宮川家や日置家を潰しますと朽木家の兵が弱体することになるかと」


「多少弱くなったところで大して変わらんよ。九里半街道(くりはんかいどう)の掌握と朽木谷でのメープルシロップ採取が出来れば良い。朽木家の軍事力なぞ期待していないからな」


 朽木元綱(くつきもとつな)が戦巧者であったという話などは聞いたことが無い。朽木家は織田、豊臣、徳川の時代に時勢が読めたことで生き残っただけなのだろう。軍事力としてはあてにならん。


 西山城は周囲を包囲され、その大手門は淡路・和泉細川家の軍勢による猛攻にさらされた。城攻めは苛烈を極め、ろくに備えをしていなかった西山城は……蹂躙(じゅうりん)された。

 焙烙火矢(ほうろくひや)に大量の鉄砲を惜しげもなく投入し、一気に大手門を突破。米田(こめだ)源三郎(げんざぶろう)求政(もとまさ)金森五郎八(かなもりごろはち)長近(ながちか)が城内に雪崩込(なだれこ)んでいく。


 (から)()斎藤利三(さいとうとしみつ)が封鎖しており、城の周辺は佐竹と磯谷とともに明智十兵衛光秀の鉄砲隊や吉田雪荷(せっか)重勝(しげかつ)の弓隊が逃げる兵を狙い撃ちにしていた。退路を失った城兵は雪崩れ込んだ米田、金森の指揮する兵に一方的に殺戮されていくほかなかった……


「若殿、西山城の制圧が終わりました。宮川頼忠(みやがわよりただ)宮川貞頼(みやがわさだより)、それと朽木竹若丸(くつきたけわかまる)とその母らは()()()()()みな自決して果てもうした」


 金森長近が西山城の制圧と主だった者の集団自決を報告して来る。


「間違いはないか?」


「間違いなくこの五郎八が確認しましたのでご安心召されよ」


「すまない。では亡骸(なきがら)は朽木藤綱殿に確認して貰ってくれ」


 城は一刻ももたずに落城し()()りにされた。篭城していた朽木竹若丸に宮川頼忠、宮川貞頼らは()()()()全員集団自決して果てたのであった。


 (はな)から勝ち目のない篭城であったのだ。朽木竹若丸を奉じて西山城に篭城した宮川頼忠に宮川貞頼は野尻坂砦が落ちて慌てて西山城に篭城したのだろう。

 彼らが京極家や三好家と通じる? そんなことは考えても居なかったし、そんな暇は無かったと思われる。

 そんなものは公方様に西山城攻めを許可してもらうための方便でしかない。


 彼らは、朽木竹若丸を守るために義憤から篭城したのだろう。昨晩、朽木の館に朽木藤綱と俺の書状を持った使者が現れ彼らは暴発したのだ。


 その書状には朽木藤綱が明日朽木へ軍勢を連れて参るので、竹若丸や朽木家中は臣下の礼で朽木藤綱殿を出迎えるよう命じていたとか、竹若丸は勝軍山城(しょうぐんやまじょう)に連れていくのでその準備をせよとか、高島越中(たかしまえっちゅう)家との戦を主導した者の責任を問うから覚悟いたせとか、いろいろ酷いことが書かれていたそうであるが、その書状は西山城で燃え尽きてしまい、その内容を知る者もほとんどが討死した。


 篭城に参加しなかった者がそのような書状があったことを証言することもあったというが、新たに朽木家の当主となった朽木藤綱がそれを口にしたものを幕府に逆らうものとして粛清してからは、朽木家においてはタブーとなったようである……


 宮川頼忠に宮川貞頼は朽木晴綱の重臣であり、その嫡子である朽木竹若丸を守るために散った忠臣であった……亡き主君の遺児を理不尽に扱おうとする幕府に対して怒り、そして無謀な挙兵に踏み切ったのだ。死を賭しての抗議であったのかもしれない。


「申し訳ありませぬ。朽木竹若丸とその母を自害()()()()()()()()()


「気にするでないぞ。何事も上手くいくとは限るまい」


「それと朽木家の家督の件ですが、朽木藤綱殿と認めると御内書(ごないしょ)(しる)していただけると朽木家中も安心するかと存じますが」


「一部の者が刃向かったとは言え、わしは朽木家を取り潰す気はない。御内書はすぐに書こう。藤綱には心配いたすなと伝えるがよい」


「朽木竹若丸や宮川らの亡骸(なきがら)ですが」


「丁重に(とむら)ってやってくれ。死してまで(おとし)めることはなかろう」


 うーん、なんて良い上司なんだろう。これで可愛いんだから文句のつけようが無いわ。


 朽木晴綱の討死から始まった朽木谷の混乱は西山城の陥落と朽木竹若丸の死によって一応の決着を見た。朽木藤綱が新たな朽木家の当主となり幕府がそれを後見することによって、朽木家中も安定することになる。


 下手に時勢が読める朽木元綱とその配下らなどは、京に近く九里半街道や若狭街道を抑える朽木の地に居ても邪魔なだけなのだ。

 幕府が横槍を入れることによって朽木家の新当主となることができた朽木藤綱の方が幕府に恩義を感じることになるし扱いやすい。

 室町幕府が各地の守護家などの家督争いに介入するのも同じことだ。幕府に従順な当主の方が都合が良いからな。


 俺にとっても朽木藤綱の方が何かと便利である。これで朽木谷からメープルシロップは取り放題に出来るし、流通を抑えることも容易になるだろう。


「しかしまあ……俺も悪人になったものだ……」


 細川高国(ほそかわたかくに)が作事させたという岩神館の庭園を見ながら一人自嘲するのであった――

最近帰りが遅くて時間が取れなかったのと

クリスマスもあったので遅くなりました

父子家庭みたいなものなので子供優先は許してください

明日も子供とお出かけなので今週の更新は厳しいと思います

年末年始にまとめて書きますので

少しだけまって貰えると嬉しいです

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[一言] 確かに普段とはちょっと毛色が違うかもですが、この程度なら当時なら普通かなぁ。 むしろ清濁合わせ呑む度量がないと室町幕府、なにより義藤様を守れないと思いますね~
[良い点] 親足利は貴重ですからね いや本当に…
[一言] うわ。 武家伝奏の飛鳥井家がぶちぎれるだろうな。 武家の嫁となったといっても公家出身の娘がこの状況で自害ってそうそう信じられないだろうな。 元網に能力的に期待できないのはそうとして藤綱はそれ…
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