第十話 とある新店舗の落城(2)
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南豊軒叔父さんからも緊急ヘルプが出たので、「うどん処・南豊軒」の閉店後に緊急会議を召集した。
それに酒は……ヤバすぎた。仕入れ値の倍でも飛ぶように売れた。
とりあえずは蕎麦を食べに来た客に徳利で出して節分祭りまで評判を見ようと思っただけだったのだ。
だが、蕎麦屋でさんざん食って飲んだあとに、もう一度店舗に樽やら壷を持参して現れ、酒を買ってお持ち帰りしようとする輩まで現れやがったのだ。
ちなみにお持ち帰り希望の第一号は山科言継卿な。お前のせいか覚えておけよ。
低温殺菌しているから日持ちはするし、品質の劣化もそれほどない。酒の持ち帰り自体に問題はないのだが、壺や樽での持ち帰り希望者が多数現れることは正直いって想定外だった。俺はどうやら酒飲みの根性がわかっていなかったようだ。
仕入れた酒を加工して売っているだけであり、清酒への加工は俺と中村新助だけでやっている状況だから人件費は掛かっていない。正直作れば作るだけ儲けが出る。
だが在庫が足りない。圧倒的に在庫が足りないのだ。(商売は在庫だよ、兄貴ぃ!)
そのような訳で提案(懇願)した。
「蕎麦に関しては南豊軒叔父さんにお任せして大丈夫ですが、鰻重と酒の販売については私に暇がありません。しばらく取りやめたいと思います。節分祭までには生産を急いで在庫を確保しますので、節分祭はご安心ください」
「いやそれは困るぞ、鰻重も酒も評判が良いのじゃ。お得意様だけにでも販売させてはくれんかのう」――憎き敵の兼右(叔父上です)からダメ出しが来る。
「酒は、まあ少量販売なら対応できますが、鰻重の方は私に暇がありません。店舗的にも蕎麦と一緒に販売するのは無理がありました。南豊軒叔父さんも鰻重作りまでは手が回らないでしょう?」
「そうじゃな。わしとしては蕎麦打ちに集中したいと思う」
「それなら大丈夫じゃ。こんなこともあろうかと思ってな、新店長を用意した。新店舗も突貫工事ですぐに建ててしまおうぞ」――兼右叔父がへんなことを言い出した。
「は? 新店舗? そうかそんな手もあるのか……」――何故か納得してしまう俺である。
「では紹介しよう。鰻屋の新店長の吉田兼有じゃ」
いやまあ神社で何度か顔を合わせているから兼有さんは知っているけど。
吉田兼有は、吉田家の現当主である吉田兼右の前の当主であった吉田兼満の甥にあたる人だ。前当主であった吉田兼満が何を思ったのか当主の座を捨てて急に出奔してしまったので、兼右叔父が急ぎ養子という形で吉田家を継いだという経緯があったりする。
そのような経緯があるわけだが、吉田兼有さんは本来の吉田家の嫡流に血筋が近く、吉田兼有さんの存在は吉田家の正当性的に問題になるかもしれないのだ。
【ちなみに吉田兼有は重要な同時代史料である「兼見卿記」で見ると、兼見の病気中に兼見に代わって朝廷に参内したりしているが、後年の話である】
これはアレだな。兼右叔父さんとしてはあつかいにくい兼有さんを鰻屋の店長にすることで、吉田神社の神職から切り離して相続権を弱くすることを狙っているのだろう。吉田家のお家騒動を回避したいとか考えているのだろうな……
「兼有さんは鰻屋をやりたいのですか?」――ちなみに兼有さんは俺の再従兄弟にあたる。
「うむ。蕎麦屋でがんばる南豊軒さんを見ていたら私も何かに打ち込むのも良いかと思ってな」――立場的にやはり肩身が狭い思いをしていたのだろうか?
「……分かりました。じゃあ新店舗が出来上がるまでに、兼有さんにウナギの捌き方や焼き方を伝授いたしましょう。言っておきますが材料ほか製法の秘匿はお願いしますよ」
ちなみに鰻重ではなく、「蒲焼重」の名前で売っていたりする。材料を秘密にするためウナギの名前は使っていない。
まあ京中のウナギを買い占める勢いで買い付けをやっている輩(伯父上です)がいるから、そのうちウナギを材料としていることはバレるだろうけどな。
でも誰かが見よう見まねでウナギを蒲焼にしようとしたとしても、ウチの店のような美味しい鰻重を作るには相当時間がかかるだろう。
「与一郎殿、いえ師匠! よろしくご指導ご鞭撻のほど、お願いいたします。この吉田兼有、これからは料理人の道に生きてまいる所存」
「分かりました兼有さん。こちらこそよろしくお願いします」
兼右叔父さんの思惑はどうあれ兼有さんの意気込みは本気のようだ。ならばその気持ちに応えてあげようじゃないか。
「ではあとは酒についてですが、店舗では徳利のみの販売だけにして、持ち帰り用の酒の販売は中止する方向で――」
しかし兼右叔父にまわり込まれた。
「それは困るでおじゃる。それなんじゃが与一郎。吉田家としてはどうしても付き合いがあって、酒の販売の継続をお願いしたいのじゃ」
「叔父上、借り二つですよ」
「分かっておる。兼有の件よろしく頼む。それと酒の件もな。業賢兄上とも相談して、酒は今のところは重要な相手だけに絞って売るわい。なあに少量販売なら少量販売で、売り方があるからな、なあ兄上よ」
「そうだな。希少価値を煽る手もあるしな。少量でも販売が可能なら何も問題はない」
兼右叔父と業賢伯父が目を金マークにして話しをしている。ブランド化とプレミアム化なんだろう。やはり分かっているなこの守銭奴達は……
第二次吉田家・清原家の利権獲得戦争の結果
・清酒の販売は蕎麦屋・鰻屋の店舗では徳利のみで一人一合(1本)までの制限販売とする。
・店長には吉田家の吉田兼有が就任し、店舗の賃料を吉田家がゲット。新店舗で吉田神社の参拝者の増加も見込んでいる。
・ウナギの仕入れは清原家が取り仕切って、中間マージンをゲット。
・調味料の納品は清酒の原料となる濁酒を納品している角倉吉田家に、ごますりのために一括発注を行う。
・酒のお持ち帰り販売は蕎麦屋、鰻屋の店舗では行わない。
・酒の限定販売は吉田家のお得意様という名の吉田神社への高額寄付者のみを対象に吉田神社の本殿で販売する。
・付き合いで断れないやんごとない皆様には、清原家による配達販売を行う。
・酒造り(加工)は今のところ俺と中村新助で頑張る。(吐血)
・俺は鰻屋でも一応オーナーなので利益の一部をちゃっかりゲットする。
・酒の利益も販売経費を吉田家、清原家に支払うが俺はボロ儲けである。
――こういうことになった。
だめだコイツらが偉い神職とか、朝廷の偉い学者様であるとか、まったく思えねー。
まあ、俺も相当儲けているわけで奉公衆より商人に転職した方が天下を狙える気がしないでもないのだが……いかん本末転倒している。あくまで義藤さまのために稼いでいることを忘れてはいけない……ほんとだよ?
そんなわけで明日からは少しは修羅場も減るだろう。これで一安心だ。とか思っていたのだが……本当の修羅場はこの先にあったのだ。
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どうもこんにちは細川藤孝です。本日、二店目のお店がオープンしました。開店初日から大忙しです。さっきから煙が目にしみて涙がとまりません。朝からずっと捌いて串を刺して、炭火で焼いて、団扇でパタパタしております。
はいココは、新店舗でリニューアルオープンした鰻屋です(店名は蒲焼屋 吉田)。
おかげをもちまして大好評で午前中からバカ売れしております。用意しておいたウナギが売切れたら、今日は店を閉めようと思っていたのですが、ヤツらがお店を閉めさせてくれません……助けてクダサイ。
さっさと兼有さんに鰻屋はまかせて、俺の心のオアシスな義藤さまの所へ出仕(逃亡ともいう)したかったのですが、兼見くんが見逃してくれません。
だから俺はかーちゃん(兼見)の奴隷じゃないっつーの!(2回目)
パタパタ助っ人1号の中村新助とパタパタ助っ人2号の吉田兼見と、新店長に収まった吉田兼有さんと俺の4人でウナギを焼いているのですが、需要にまったく追いつきません。焼いても、焼いても客がなだれ込んで来るのです。
いやまあ、あれです。飽食の平成の世でも、有名鰻店では行列が当たり前の世界だからな。これが臭い飯のあふれる戦国時代に一店舗だけ極上の味を提供するお店が現れたのでは無理もない。酒めあての客も居ることだしな。
酒の徳利売りも売れ過ぎてしょうがない。普通の酒の市価の通常の3倍でも飛ぶように売れるので、正直いって加工が間に合いそうにない。昨日の晩には酒の仕込みを、そして朝から店を手伝ってくれていた中村新助が、ついに先ほど討死した。今は新店長と兼見の野郎の三人で店を廻しています。
ああ、吉田兼右の叔父が新たな敵(お客様です)を連れてきやがった。
「ご注文は?」とかにこやかに聞いてるんじゃねえ!
「兼右叔父! ここは蒲焼屋だ! まだメニューも蒲焼重の一品しかねえ! 松も竹も梅も特上もねえ! 明日の分のウナギまで捌いて売ってるんだぞ。全部売っちまってどうすんだよ明日は!」
「なんだ、与一郎はそんなことを心配していたのか?」――そこに店舗の裏口から、清原業賢伯父が颯爽と現れた。まったくもって嫌な予感しかしねえ。
「こんなこともあろうかと。この先一週間分のウナギの買い付けはやっておいたぞ。巨椋池から明日の朝以降順次届く手筈になっているから心配は無用だ。なに礼はいらぬ」
巨椋池ってそういえば、この時代にはそんなものもあったな――
巨椋池とは木津川、桂川、宇治川が流れ込む、かつて京の南部にあった池としてはクソ馬鹿でかいのでまあ湖である。豊臣秀吉の頃から治水工事が始められ干拓により湖は消滅し、現代では農地が広がっている。
この時代はまだ河川の治水改修が全然されていないので、大きな川沿いは湿地帯であったり、池がそこら中にあったりする。
歴史のある町が少し高台にあったりするのは、河川改修がなされていない時代は、低地に水の気が多過ぎて住むには適さなかったからである。(関東平野の川沿いなんて沼か湿地か池である)
ダメダこいつら早く何とかしないと俺も討死する……
嵯峨野の角倉吉田家からの酒の仕入れ量も大幅に増加してしまっている。土一揆は治まったとはいえ、細川国慶の軍勢とかが闊歩して治安が悪化しているのに、嵯峨野から東山までよく運んでくれている。
というか、角倉吉田家からそろそろクレームが来そうで怖いんだけど……なにせ加工転売だからなあ。
調味料の一括納品も頼んだから今は良い顔してくれているが、内実を知ったらブチ切れるかもしれないな。
まあ、近いうちに情報を開示して加工も角倉吉田家に任せないと、いい加減俺の体が限界を迎える。新助が復活してくれないと、明日売るお酒にも事欠く有様だぞ。
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ぬるぬる野郎を解体するのに飽き飽きしつつ、新店長にダメ出しをしながらウナギの捌き方のキモを教え込んでいく。
朝から続くひたすらウナギを捌いて串をあてていく無間地獄の中にあって、俺の心は崩壊しつつあった。
ああ、早く俺の心のオアシスに帰らないとマジで心が持たない……
そんなことを想いながら次のぬるぬる野郎を手にしようとしたその時であった。
「ご注文お待たせしましたー」という巫女ウエイトレスの声に続けて、店内から何故か聞きなれた声が聞こえてきたのだ――
「これは、ムシャムシャ、うますぎるだろ、パクパク、このタレが相変わらずご飯に合うではないか。ウナギはやっぱり美味しいものだろ」
「ンマー。美味いぞ〜♪」
俺の頭の中でタネか何かが割れた――
覚醒した俺は人を超越するかのような高速の動きでそいつらに急接近した。そして――
「お前ら何やってんだぁぁぁ!」――と、思わず怒鳴りつけてしまった。
そう俺の心のオアシスが破壊されたのだ。もう完全に俺はブチ切れていた。
「しんじろー、藤孝が怖いよー」
「どうした? 心の友よ? 少し落ち着いて筋肉でも鍛えたらどうだ?」
怒り狂って、暴走した強化人間の如く暴れそうになる俺を、心の友がその自慢の筋肉で抑えつける。
「……今、心の友と言ったな。よし! お前をパタパタ助っ人3号に任命する。ちょっとこっちに来て手伝え」
「おう! なんのことだかよく分からんが、俺にまかせるだろ」
「面白そうだな! わしも何かやるぞ〜♪」
――そして、猛烈な勢いでいにしえの芭蕉扇の如く、団扇をあおぐ謎の筋肉マン。
方や、手伝おうとしているのだろうが、そこら中にぶつかりまくって、ウナギの焼き台をぶち倒す、謎の暴れん坊将軍(そのうち就任予定)。
この二人が有機的に結合することによって鰻屋に悲劇が起こる。
打ち倒れた焼き台から火の入った炭がこぼれまくり、そこに芭蕉扇が巻き起こす突風が襲い掛かかった。あっという間に炭火は業火となり店の壁に燃え移った。
「ちょおまっ――!?」
それは一瞬の出来事であった。燃え移った業火は店の壁を、そして天井を焼いていく――
俺は、すっころんで呆然とする謎の暴れん坊将軍を抱きかかえ、謎の筋肉マンに討死して倒れている「パタパタ1号」を抱えさせ、そして店の土壁を内側からぶち破って業火の中から脱出するしか術がなかった。(ほら消火器とかないし)
……こうして、どこかの謎の筋肉マンと、暴れん坊将軍(そのうち就任予定)によって、新店舗は開店初日にみごとに落城した。
俺は思ったね。この先何が起ころうが、金輪際こいつらには絶対に店の手伝いはさせないと……幸い人的被害が奇跡的になかったことだけが救いである。
まあこれで俺は鰻屋の親父役からはしばらく解放されるかと思って、不謹慎ながら喜んでしまったのである。
だが、何故か鬼神の如く焼け落ちた店の瓦礫を撤去し、神速のスピードで新店舗を建て直す、謎の宮大工集団の出現により俺の目論見は潰された。なんと2日後には何もなかったかのように通常営業をやらされるハメになったのだ。
だがこれは、多分夢か何かだろう――
おかしい……確か本格歴史小説っぽい何かを書いているつもりだったのですが、
日常ギャクらしき何かになっている気がする――すいません完全にギャグ回です。
ギャグ話なんでどんなに悲惨な状況でも誰も死んだりはしませんです。
反応がないと書いてて不安になるので、何かしら反応があると、喜んでシマウマ。