第六十七話 届く凶報(1)
天文十九年(1550年)4月
突如現れ、次々と城を落としてまわり高島郡を恐怖のどん底に叩き落としまくった暴虐な軍勢が実は幕府軍でしたーと、周囲に知られ始めたのだろう、本陣とした田中館に近隣から禁制を求める者や礼の物を持って参る者などが集まってきていた。
そういう面倒くさい来客対応は親父の三淵晴員や兄の三淵藤英をおだて上げて丸投げするに限る。
ついでに田中城攻めの準備も米田求政や有吉立言らに振ってしまって、俺は義藤さまとのんびり朝ごはんでも頂くことにしよう。
「義藤さま、近隣の者らが鮒寿司を献上して参りましたので朝餉といたしましょう」
【鮒寿司は琵琶湖の名物で、独特の臭いがして苦手な人も多いが私は好きだったりする】
「んー、食べりゅ……」
寝起きで寝ぼけている義藤さまは、なかなかエロくて可愛い。
「とりあえずコチラに着替えてください」
残念ながら巫女服でも体操服でもスク水でもない。いたって普通の鎧下だ。さすがにTPOはわきまえている。
「うん、匂いは独特だが、鮒寿司とは美味いものじゃな。ん? 藤孝は食べないのか?」
「はあ、なぜか謎の筋肉集団とダンジリ祭りを一日中やるハメになるという悪夢を見まして食欲がないのです。それとなぜか口の中が切れておりまして痛くて食べられそうにありませぬ」
「そ、そうか、体調には気をつけることだな……そ、それより本日は田中城攻めであったか? 手配に抜かりはないか?」
義藤さまの口調は何かを誤魔化しているような感じであったが、多分気のせいだろう。
「大和晴完殿が後続の隊を率いて合流するのを待ってからとなります。田中城を探らせておりますが、籠もる兵は1,000を越える程度かと。田中頼長は手勢を集めるのに苦労しているようであります。田中城がそう脅威でないようなら横山城や武曾城を先に攻めることも検討しております」
「大和殿はどれほどで着陣できそうであるか?」
「すでに勝野津には到着していると報せが参りました。一刻(2時間)ほどでありましょうか」
「そうかまだ時はあるようだな……なあ藤孝、そなたを疑うわけではないのだが……わしには彼らが、高島七頭が敵とは思えなんだ……戦の備えをしていたようには見えぬし、高島七頭同士で通じているわけでもなさそうだ。彼らは京極家と結んで我らに敵対する意思が本当にあったのか?」
あまりにあっけなく敗れる高島七頭に義藤さまが疑問を持ってしまったようだ。
「義藤さまの申すとおり、もしかしたら幕府に敵対する意思はなかったやもしれませぬ。ですが……高島七頭は幕府の外様衆です。幕府は彼らに勝軍山城に参集するよう使者も出しておりました。だが彼らは参集には応じようとはしなかった……幕府の命に従わぬ外様衆などは無用の長物でありましょう」
高島七頭は半ば従属下にあった六角定頼の要請がなかったから兵を出さなかっただけかもしれない。だがまあ、建前上は幕府の直轄であるので命令違反を問えなくもない。
「だからと言って、話も聞かずに攻め滅ぼすというのは……その、少し乱暴であったのではないか?」
問答無用で攻めたから簡単に滅ぼせたのだが、乱暴であったと言われれば乱暴であったと思う。
「攻め滅ぼした高島七頭の所領は御料所とし、我らに従っている奉公衆を代官に任ずることになりましょう。この苦しい状況にもかかわらず従ってくれている奉公衆を助ける必要があります。幕府には忠義を尽くしてくれている奉公衆らに御恩で報いる必要がありましょう」
奉公衆は将軍の直臣であり直接の軍事力なのだ。ここを強化しなければ幕府に未来はないのだ。
「従わない外様衆よりも従ってくれている奉公衆を大事に考えよと……そう申すのか」
「それに高島七頭にも生き残る術はあるのです。進軍してくる我ら幕府軍に身ひとつで投降し、敵対する意思のなきことを示せば、攻め滅ぼすことはさすがに無理があるのです。攻められたからといって無駄な抵抗を行い、座して滅んだ無能な連中など生きていても幕府の役には立ちますまい」
「だが、それではその……大義がないではないか」
「大義のある戦をするには大義のある戦ができるだけの強さが必要でしょう。力なき者には大義の戦をする資格などないのです。それに大義のある戦などはほとんどありませぬ。大義はなくとも大義名分がたてばそれでよいのです」
室町幕府が大義のある戦をしたなんてことは、とんと聞いたことがない。はっきりいえばクソみたいな幕府だしな。自分が今、大義のないクソみたいな戦を起こしている自覚はあるが、公方様ではなく俺が汚名を受けるのであればなんら問題はないのだ。
「戦を始めるに大義など不要だし、証拠も必要がないと申すのか」
「大義名分は将軍による征伐で必要十分です。それに確たる証拠は今はありませんが、どうせこれから出てきますので御安心下さい」
「証拠がこれから出てくる? いったいそれは……」
そこにタイミングよく柳沢元政がやって来て、俺への来客を告げて来る。
「兵部大輔様、高島七頭の平井家の使者が兵部大輔様にお会いしたいと名指しで参っておりまするが……」
「公方様にではなく私に?」
「はい」
「話の途中ではありましたが義藤さま、中座をお許しください」
「ああ……いってくるがよい」
◆
「御指名ありがとうございまっす。フジタカでっす。フゥッ!」
場を和ませようとホストのコントネタで登場してみたが、完全にスベったようだ。とりあえずやり直そう。
「幕府御供衆の細川兵部大輔藤孝であります。平井河内殿の使者とお聞きしましたが、それがしに何用でありましょうや?」
「平井河内守頼氏が嫡男、平井孫三郎秀名にございます。実は某、吉田神社門前の黒うどんや鰻重に、もみじ饅頭も何度か食べに参ったことがありまして、こたびそれらの料理の考案者であるという兵部大輔様が高島郡にまで参ったと聞き、何卒ご指南をして頂けないかと参上つかまつった次第であります」
「はぁ……指南ですか。それにしても、黒うどんやもみじ饅頭を私が考案したことをよく御存知でしたな。とりあえずもみじ饅頭に新作の笹団子も用意がありますれば食してくだされ」
柳沢元政に頼んでもみじ饅頭と笹団子を出してもらい、せっかくなので茶席の用意もする。
「突然お伺いした某にこのような歓待を頂きまして感謝いたします。さすがのお手前であり、この笹団子も実に美味しゅうございますなぁ。せっかくの機会を得ましたのでお聞きしたかったことがあるのですがよろしいですかな?」
「私で答えられることならば」
「お聞きしたかったのは他でもない。黒うどん……実はアレはソバを使っておいでではありませんか?」
「ほう、それも御存知とは、孫三郎殿はなかなか侮れない方のようで」
「いえいえ匂いです。あの香りはソバではないかと思った次第でありまして、兵部大輔様に一度直接お聞きしたかったのであります」
まあ黒うどんが蕎麦だというのはいずれバレるとは思っていたが、高島七頭の嫡男にバレるとは思ってはいなかったな。
平井家の嫡男といったが永田や山崎が滅ぼされ、この田中館も幕府軍に接収されている状況において、のほほんと蕎麦談義をしてお茶菓子食いに来たわけではあるまい。いい加減本題に入るとするか。
「匂いに敏感な孫三郎殿であらば、この情勢下においてわざわざ蕎麦談義だけをしに参ったわけではありますまい。そろそろ本題をお聞かせ願いたい。平井家はいかがいたすおつもりでありますのか? わざわざこの場に参ったということは敵対する意思はないものと思われますが」
「我が平井家がどうするか……でありますか? はっきり申せば分かりません。公方様の真意も分からず。父上などはこの事態にどう対処してよいのか分からず右往左往しております。永田、山崎の両家が潰えたにもかかわらずです……で、あれば、どうすれば良いのかを、その答を知っておられる方にお聞きするのが一番早いと思った次第」
「私が答を知っていると?」
「はい。平井家が生き残れる道が有るのか無いのか。公方様の側近として名高い兵部大輔様に聞くのが一番早道と思いまして父の反対を押し切って某がこうして伺った次第であります」
「孫三郎殿はなかなか豪胆な御方のようだ」
「いえいえ、某などは茶や菓子が好きなだけで、父上からはもっと一家の長らしくしっかりせよと怒られてばかりであります。最悪、我が平井家が取り潰しを免れない場合には、兵部大輔様の臣下に取り立てて頂こうかと。兵部様の下で菓子作りや黒うどん作りを教えていただくのも悪くはないかと思っておりまする。はははは……」
これは若いのになかなかの人物が高島七頭にも居たものだ。高島七頭などは朽木家のほかは所詮歴史から消えた存在なのでろくな人材などは居ないと思っていたが……居るところには居るようだ。
【平井秀名は1529生まれの数えで22歳になる】
「こたびの将軍親征は公方様が認めた京極家の家督である京極高吉殿に反する京極高延に高島七頭が与したことに対する懲罰……ということになっているようです」
「我が平井家は京極高延に与した事実などはないのですが……それは申しても詮無きことでありましょうな」
「それを申されると平井家には生き残る道はないやもしれませぬな」
「我ら高島七頭は幕府に外様衆として忠勤して参りました。公方様に反する意思などはなく、こたびの公方様の御親征は何かの間違いではなかろうかと、父の河内守などは申しておりますが……」
「ほう、平井頼氏殿は我ら幕府軍が、公方様が、まさか間違っていると申しているのですかな?」
「いえいえ、滅相もありませぬ。間違えているは父の方でありましょうし、そのような事は申していなかった気がしてまいりました」
「孫三郎殿にはそろそろ平井家が生き残れる道が見つかったようでありますかな……」
平井孫三郎秀名は黙してしまったが、どうやら頭をフル回転しているようであった。そしてどうやら道に迷うことはなかったようである。
「……であれば、我が平井家は京極高延からの誘いに乗るをよしとせず。公方様に仕える外様衆としての本分に立ち返り、公方様とともに京極高延に立ち向かいまする。というのがよろしいですかな?」
「もう一声でありましょう……我ら幕府軍は京極高延に与しているであろう高島七頭を懲罰するために参っておりまする。京極家と高島七頭とが手を結んでいることの証しを欲している……かもしれませぬな」
「なるほど、なるほど……では我が平井家としては、田中殿や越中殿(高島)らと共に京極高延に与するよう誘われましたが、それをよしとせず。公方様に対して他の高島七頭が京極と結んでいることを通報し、もって公方様に対する忠誠の証しとする……ということが最善の道でありますかな?」
「それを公方様や居並ぶ諸将の前で証言いただければ、平井家はまず安泰でありましょう。それに私は孫三郎殿という素晴らしき知己を得ることができることになりまする」
「平井家は公方様の忠臣として生き残り、私は兵部大輔様に茶の湯や菓子作りを学ぶことができると……いやいや前途が明るくなったようであります」
「平井秀名殿は話の分かる御仁のようで助かります。では、田中や高島越中が京極高延に与したことを公方様の御前で証言頂ける……ということでよろしいですかな?」
「はっ、それはもう証言でもなんでも仰せのままに」
「では、孫三郎殿には公方様に謁見していただきます。平井家の後見はこの兵部大輔にお任せあれ」
「ははっ、ありがたき幸せぇぇ」
こうして公方様に謁見した平井秀名は許しを得て、舟木城より父の平井頼氏とともに手勢を率いて幕府軍に合流した。
しかも京極高延からの書状を携えてである。京極高延は六角定頼に対抗するため手当たり次第に書状を出していたようで、むろん六角家に半ば従属していた平井家はその書状を黙殺していたのだが、証拠に成り得るのであれば何でもよいのだ。
平井秀名殿とは本当に有意義な「世間話」が出来たものだ。茶の湯や料理にも興味を持っており、視野もなかなか広い面白き人物であった。高島郡の事情にも通じるであろうし、今後とも是非オトモダチとして仲良くしたいものだ。
どうせ高島七頭のうちの一つは残すつもりであった。京極高延と密通していたと証言させるためであるがね。
平井秀名のおかげで割合簡単に高島七頭が裏切ったという「証拠」が手に入った。あとは無用の長物となった残りの高島七頭を口封じに叩くだけであるな――
◆
【届く凶報(2)に続く】
史実の平井秀名がどんな人だったかは
高島七頭の解説でやると思います
藤孝がどんどん卑怯者になっていくな……
後編も8割がた書きあがっているので
この週末であげる予定です




