第六十六話 足利義藤初陣(1)
天文十九年(1550年)4月
公方足利義藤の親征軍の本隊として、三淵晴員・三淵藤英率いる三淵家と細川藤孝率いる淡路細川家と和泉細川家の混成軍2,000がその日のうちに勝軍山城を出陣した。
天下の将軍率いる本隊が2,000ぽっちというのは寂しい限りだが、これが現実です……
そういえば淡路細川家は俺が率いることになったのだが、当主で義父の細川晴広は先の江口の戦いでの大敗があり今回は大御所の側にあり留守居に回っている。
それと和泉細川家の軍が合流したりしているけど、これは伯父の細川元常からの申し出でがあったためだ。俺が和泉家を援助していることの礼であるという。タダ飯食らっているので槍働きぐらいはさせてくれということだったので、ありがたくその申し出を受けた。
のちの細川三家老こと有吉立言と古参の老将な斎藤元実が和泉細川家の軍勢を率いて俺の旗下になっている。
大御所は病で動けないため勝軍山城にむろん残っている。勝軍山城の留守居には大御所の側近や近衛家関連の兵に、細川晴元の京兆家の兵らが残っている。
三好長慶は先月に伊丹城で頑張っていた伊丹親興とは和睦して摂津の平定を終えてはいるが、まだ本格的には上洛していない。
洛中には松永長頼(のちの内藤宗勝)やその兄の松永久秀の軍勢が駐屯しているが勝軍山城を攻め落とせるだけの兵力はまだないのでしばらくは大丈夫だろう。
本隊の2,000の軍勢だけで高島郡を攻めるにはさすがに無理があるので、後続隊も急ぎ編成中である。
近江山中の磯谷久次、一乗寺の渡辺告、高野の佐竹蓮養坊による1,000の軍勢と、大和晴完、小笠原稙盛が統率する奉公衆1,000の軍勢が1日遅れで本隊に続くことになっている。
高島郡に出陣する軍勢は合計で4,000程度にはなるかな。あとは坂本など志賀郡(滋賀郡)に所領のある奉公衆にも合流を呼びかけているので最終的にはもう少し増えることになるだろう。
準備万端整っていた本隊2,000は白鳥越で穴太に出て、さらに坂本から西近江路を最速で北上してその日のうちに堅田に到着した。
堅田は琵琶湖の最も狭い部分にあり北湖と南湖に分ける位置にある。現代では琵琶湖大橋が架かっている所で、この時代では湖上水運の要衝として栄えており、のちにルイス・フロイスが「甚だ富裕なる町」と評したりしている。
(対岸にはピエリ守山があったりします)
幕府軍はその堅田の町に入り祥瑞寺を本陣とした。祥瑞寺は臨済宗大徳寺派に属する寺院で、あの一休さん所縁の寺であったりするが、堅田の有力者で国人・豪族であり湖賊でもある殿原衆が崇敬する寺でもある。
「義藤さま、本日はこちらの祥瑞寺に逗留していただくことになります。強行軍でお疲れでありましょう、宴席を用意しておりますので、ゆるりとお寛ぎください」
堅田の漁師からうなぎを仕入れていて、土地勘のある清原業賢伯父と大垣からの物資輸送で堅田衆と懇意にしている茶屋明延殿に、先に幕府軍の堅田での宿の手配や宴席の準備をお願いしたりしていた。
「ん、だが戦に出て寛ぐのもおかしかろう。余り気を使うでない。それとも宴席で誰ぞに会えということか?」
「公方様の慧眼には恐れ入ります。大徳寺の怡雲宗悦殿と、この堅田の有力者である殿原衆の者らに謁見頂けると助かったりします」
「チャンスは最大限に活かす。それが私の主義だ」と、カッコつけるわけではないが、公方様自ら出陣してしまったら、そりゃあその権威は最大限利用させて貰うに決まっとるわ。
殿原衆には高島攻めに協力して貰う見返りに恩賞やら水運の利権を与える約束だったが、戦を始める前に公方様への謁見という恩を先に売れれば、なおよろしいからな。
「分かった、呼ぶが良いぞ。その方はわしの出陣には反対していたはずなのに随分と用意のいいことだな」
愚痴をこぼしながらも仕事はしっかりやってくれる公方様で大助かりですわ。
祥瑞寺で謁見をしたのは殿原衆の居初又八(加賀守)宗助と猪飼孫十郎正光(宣尚とも)になる。
殿原衆と幕府を仲介してくれたのは大徳寺の怡雲宗悦だ。
居初宗助は堅田三豪族と称され江戸時代には大庄屋となり、現代も堅田の地に続く居初家の当主である。
猪飼正光は堅田の湖族であり、後年には明智光秀の配下ともなる猪飼正勝(昇貞)の父だったりする。
その二人と渡りをつけてくれた怡雲宗悦は居初宗助の兄になり、大徳寺の91世住持であった徹岫宗九の弟子になる。怡雲宗悦ものちに大徳寺の105世住持になったりするので結構優秀な人物だと思う。
徹岫宗九と怡雲宗悦の師弟は豊後の大友宗麟と懇意にしており、大友家の在京雑掌僧ともなる。大友家と幕府を繋いでくれるので大友宗麟(義鎮)が家督を継いだことを契機に仲良くしようと交友を始めていた。
【長尾景虎も大徳寺の徹岫宗九の元を訪ね禅の修業をしたりしている】
同じ臨済宗でも京都五山とは違って大徳寺は室町幕府とは疎遠だったりするのだが、三好家が大徳寺を保護して繋がったりするので、三好家を牽制するためにも大徳寺と幕府の仲を修復する必要があるだろう。
【大徳寺の塔頭である聚光院は三好長慶の菩提を弔うために建てられた。三好家はあえて幕府と疎遠な大徳寺と繋がることで幕府に対抗しようとしていたとされる】
大友家との関係強化や、それに今回の堅田殿原衆とも繋がりを持つため、怡雲宗悦と懇意にすることは一石三鳥だったりする。
大徳寺には殿原衆との仲介の労をもって将軍の親征に協力した実績を作り、何かしらの恩賞を取らせ、今後の関係強化の布石としたいところだ。
あと実は、大徳寺は後年に細川藤孝が起こす肥後細川家の菩提寺になるので、仲良くしておきたいという個人的な事情もあったりするが、これはまあ内緒のことだ。
【細川藤孝の弟で大徳寺130世住持の玉甫紹琮が大徳寺高桐院を開山することになる】
堅田の殿原衆は琵琶湖の水運に大きな力を持つため関係強化は必須であるが、堅田衆と仲良くする理由には琵琶湖産のうなぎを清原家が仕入れていたり、茶屋明延が大垣からの物資を堅田衆に輸送して貰っていたりと、これまた個人的な事情があるので幕府と仲良くなってもらわないと商売上困るのだわ。
公方様は殿原衆が親征に協力を申し出て来たことに喜んでいるし、殿原衆も公方様との思いがけない謁見が叶って喜んでいる。大徳寺の怡雲宗悦も公方様と殿原衆との謁見の仲介という大役が果たせて喜んでいる。
皆が満足できるよい宴席となった。やはり公方様が出張ると物事が上手く進んでくれる。室町幕府の威光がまだ地に落ちてはいないことを確認できて喜ぶ俺であった。
◆
「むにゃあ……お腹いっぱいじゃあ……」
可愛く寝ぼけている義藤さまを叩き起こして、軍勢を舟に乗せて堅田の殿原衆とともに湖上の人となる。堅田水軍の協力を得て琵琶湖から高島郡に攻め込むのだ。
琵琶湖の西岸を順調に北上して、高島郡の勝野津(現大溝)に上陸した。高島郡を湖上から攻めるのは織田信長のパクリだが気にするな。
兄の三淵藤英や米田求政に有吉立言らが粛々と上陸した兵を取りまとめている。義藤さまは少し舟に酔ってしまったようだ。
「気持ち悪い吐きそう……」
「勝野津の押えは堅田衆に任せ、すぐに永田城に攻めかかりますが……大丈夫でありますか?」
「ん……大事ない」
「永田城はここからほど近き場所になり、高島七頭が一人の永田伊豆守の城になります。よろしければ公方様、進軍の下知をお願いします」
「分かった……目指すは永田城じゃ。者ども、わしの初陣を飾る見事な働きを期待する」
「まかされよ」――親父の三淵晴員が嬉しそうに応えていた。
昨日の昼前に勝軍山城を出陣し、その晩に堅田へ、そして翌朝には勝野津に上陸して永田城に攻め掛かろうというのである。「疾風将軍」の名に恥じない進軍速度であろう。
勝野津の北にある永田城は平城で館に毛が生えたような代物であり、篭城の備えもろくにできていないような館など、まず脅威にはならない。
毎度卑怯くさいが、永田城を包囲した幕府軍は一斉に問答無用で襲い掛かった。昨日まで京に居たはずの軍勢が攻めかかって来るなど予想もしていないだろうし、恐らくは攻めかかってきた兵が幕府軍とも気付いていないものと思われる。永田城にとっては完全な奇襲攻撃となった。
「これが戦か……」
「この風、この肌触りこそが戦であります」
歴戦の古将のように言ってみるが、まだ俺には似合わないだろうな。朝倉宗滴あたりなら似合いそうなセリフだが。
「何を偉そうに言っておるか、しかと指揮をせぬか。この戦はお主が仕切っておるのであろうが」
「ご安心下さい。事前に陣立てや寄せ方は指示しております。それに優勢な兵力でろくに防備も整っていない館への奇襲攻撃です。すぐに落とせましょう」
幕府軍は最早弱いものイジメを得意としており、平城というか館を攻めることは慣れているし段取りもバッチリだ。
「何やら非常に卑怯な物言いに聞こえるのう?」
「戦は敵の虚を突き、弱きところを攻めるが上策。戦に卑怯もクソもありますまい。勝つことこそが肝要、正々堂々と戦って負けるは愚か者の所業というものです」
「そうか、覚えておこう」
「義藤さまは初陣でござりますれば、まずは戦場の空気にお慣れください」
ワー! ワー!
「ん? 何事か?」
「敵が討って出てきたようにございます。破れかぶれの悪あがきでありますな」
いきなり現れた謎の集団(一応幕府の正規軍です)に館を攻められ、逆上して打って出たようだが、あれでは良いマトにしかならん。
パパパーン!
「む、鉄砲か」
「はっ。城から打って出た敵勢を明智光秀の鉄砲隊が殲滅したようであります」
「そうか……」――義藤さまは一瞬悲しげな顔をしたが、本陣に伝令が駆け込んで来たのですぐに気丈な顔へと戻った。
「伝令! 有吉将監殿、敵大将が永田伊豆守の首級を挙げたよしにございます」
「大儀である。将監には褒美を取らすと申し伝えよ」
永田城は半刻もせずに焼け落ち、高島七頭の永田家はあっさりと滅んでしまうのであった。
「義藤さま、すぐに進軍いたしますればご用意を」
「分かった。七郎(一色藤長)、仕度をせよ。それで次はどうするのじゃ」
「ここいらの押えは居初宗助らに任せ、我らは鴨川を越えて北上し、高島七頭の山崎家が治める五番領城を攻めまする。その途上に小川城という城もありますればついでなので攻め落としていきましょう」
「……よくわからぬが、城というものはついでに落としていくものか?」
「良いのです。どこのどいつが征夷大将軍の御親征に文句を付けられましょうか」
「ついでに落とされる小川城は文句の一つもいいたいと思うが……お主、最初からわしを、公方の名を利用するつもりであったのではなかろうな?」
「何をおっしゃいますか、公方様には危ない戦場にはお立ち頂きたくはありません。本来はこの将軍旗たる牙旗を授けて頂くだけで済ませるつもりでありました」
足利将軍家の御旗である八幡大菩薩に二つ引両の白旗を持参している。牙旗は中国に由来するが将軍の旗のことだな。
ようするに将軍の旗があるということは幕府の正規軍になり、それに敵対するもの「賊軍」になるわけだ。
公方様の名は最初から利用するつもりマンマンではある。
「危ないも何も本陣を出やしないのだ。危険になりようが無いではないか」
義藤さまは城攻めで本陣にただ座っているだけなのが不満のよう。だが戦場では何が起こるか分からないものだ。松井新二郎や沼田兄弟ら供廻りの奉公衆が本陣を固めているが危険が皆無とは言えない。
「本陣とはいえ、伏せた敵兵が攻め掛かって来るやもしれませぬ。ゆめゆめ油断は致しますな」
「わかっておる。子供扱いするでない」
◆
【足利義藤初陣(2)に続く】
なんとか今週も週2回のノルマを達成でけた♪
ブクマが剥げてモチベが下がったけど
応援の感想と評価を貰えてありがたくて頑張れました
反応貰えるとコロっと元気になれるから現金なもんです(苦笑
さあ来週もノルマ達成頑張るぞ
何か今回の話が長くなりそうな予感がぷんぷんしとるけど……




