第六十四話 長尾景虎(3)
【長尾景虎(2)の続き】
◆
「越後屋」の立ち上げという商談はこれから細部を詰める必要はあるが大筋で合意することができた。
長尾景虎という怪物に対するに逆賊討伐という大義名分の提供と、軍資金の提供の二本立てで話を持って行ったわけだが、ひとまずは成功したと言えるだろう。
その夜、長尾景虎に請われて二人だけで酒を酌み交わすことになった。酒豪といわれた景虎の呑みっぷりは噂どおり凄まじく、越後まではるばる持って来た清水の神酒を一晩で飲み干さんとする勢いであった……もうその辺で勘弁してください。
売るお酒が無くなってしまうではないか……(涙)
「御所様はどのような御方であらせられるのだ?」
「まだお若くありますが、征夷大将軍という重圧に負けまいと、一生懸命頑張っておいでです」
「今はお幾つであるのじゃ?」
「15歳であります」
「お若いな……吾が15歳の時は還俗して栃尾で戦っておったか。兄に期待され兄の敵を我が手で成敗してくれようと胸を熱くしていたものだ……じゃが己が手で兄を追い落とし越後の国主になるとはな……世の中一寸先は分からないものよ……」
「晴景様は頼もしき弟御に跡目を任せる事ができ安堵しているやもしれませぬ。それに長尾家の家中の者らには景虎殿が必要だったのでありましょう」
「そなたは優しき御仁じゃな……じゃが吾は……戦の事を思案するとな、高揚を押さえきれぬのじゃ。高揚し喜びに打ち震える卑しき身なのじゃ、家臣に慕われる資格などはないのだ……兄から家督を奪った身でありながら戦となると喜び勇んでしまう。そんな卑しき己を恥じ入り、己を律しようと毘沙門天に祈る日々じゃ」
戦に高揚する自分を静めるために武闘の神な毘沙門天に祈るとか、何かのジョークなのかと思わないでもないが、突っ込んだらダメだろうな。(福の神でもある)
上杉謙信と言えば矢の飛んでくる敵の城門前で悠然と酒を喰らったり、敵の包囲下にある友軍の城に単騎で救援に向かったり、川中島の合戦では敵本陣に突っ込んで武田信玄に斬りつけたとかいう怪しい逸話じゃなくて、勇ましい逸話が多々あり、勇猛果敢な人物像に思えるが、実は結構ウジウジ悩むタイプだったりするのだな。
(史実でも家臣の仲違いに落ち込んで手紙を置いて家出したり、家出から帰る際には弓矢の道から逃げたと思われたくないとか言い出したり、想い人が死んで拒食症になったり、何をするにも大義名分を欲しがったり、短気起こして失敗して落ち込んだり、実は戦にも結構負けていたり、越後国人にとってはブラック上司だったり、トイレでぶっ倒れて死んだり……変な逸話があったりなかったり)
「戦に荒ぶる気持ちを抑える必要はありますまい。景虎殿は武家の棟梁たる公方様にお仕えする身であります。景虎殿の戦は全て公方様のためでありましょう。せ、正義の戦なのではないでしょうか」
思わず「正義の戦」とかいう、とてもハズかしいセリフを吐いてしまった。これは景虎殿も笑ってしまうのではないか……って、な、泣いている……だと???
「御所様が吾を赦してくれると、認めてくれるとそちは言うのか?」
「え、ええ。全ての武家の業は棟梁たる公方様が負うものでありましょう。それこそが征夷大将軍の勤めであると――」
「足利義藤公は……吾を救いたもう女神であったぞ。いや、御所様こそが毘沙門天の化身であったのだ……」
長尾景虎がおかしなことを言い出した。目を潤ませ熱き眼差しで中空を見つめている。どこかにトリップしてしまったようだ。
だが、ちょっとマテ。その女神(義藤さまです)は俺のものだ。誰にもやらんぞ。
景虎は大人しく仏ゾーンでも拝んでいれば良いのだ。
「公方様は残念ながら女神でも毘沙門天の化身でもありませんが、景虎殿をお救いすることは可能でありましょう」
「それはどのような意味じゃ?」――景虎が涙を拭きながら聞いてくる。
「公方様は景虎殿が越後守護上杉家の名跡を継ぐことを許すと仰っております」
「ん? 吾が上杉家を継ぐ?」
「越後上杉家は上杉定実殿亡きあと後継者不在でありますが、公方様は越後上杉家の進退を長尾景虎殿に預け置くと仰っております。長尾景虎殿が上杉景虎としてその名跡を継ぎ、府中長尾家の家督は景虎殿の兄、長尾晴景殿のお子にお返しすることが宜しいのではないでしょうか? 景虎殿が越後守護として上杉家を継承し、晴景殿の嫡子が府中長尾家の家督となれば、孝の道に背くものではありますまい」
長尾晴景の子で長尾景虎の甥にあたる「猿千代」のことである。史実では元服前に夭折したといわれる。
長尾景虎が妻帯して子を成すことをしなかったのは、自らを陣代と考えており、この「猿千代」に家督を返すことを望んでいたのではないかとする説もある。
その「猿千代」が死んじゃったので後継争いが酷いことになるのだが、それは未来のお話だな。
「吾が奪った家督を猿千代君に還す……」
「景虎殿は家督を奪ったのではありませぬ。兄と甥のために一時お預かりしただけでありましょう」
「ご、御所様は吾のためにそこまで考えて……」
いや義藤さまは長尾家の家督とか全く知らんけどな。でもまあ、後継者不在の越後守護家の家督を長尾景虎殿に継がせてくださいとお願いしたら、あっさり「許す」と言ってくれると思うけど。
「越後守護職と上杉家の家名につきまして、景虎殿がお望みになるのであればその継承に尽力いたす用意がございます。越後守護上杉家とは縁のある関東管領山内上杉憲政殿には幕府が話を通しましょう」
これには「関東管領上杉謙信」ではなく、「越後守護上杉謙信」を誕生させるという狙いもあったりする。上杉謙信を不毛な関東に送りたくはないのだよ。関東はほっといて良いから畿内を目指して貰おう。
関東で無駄なパワーを浪費しなかった上杉謙信が越後、越中、能登、加賀と最初から北陸と畿内を目指していたら……どうよ、見てみたくはないかね? 俺は見たい。
実際問題として、もはや幕府には関東をどうこうする力など皆無なので、関東なぞほっといてコッチ来いということである。
「あ、ありがたき話とは存ずるが、それは上洛を果たし、逆賊を討ったのちの事にしていただきたい」
公方様とついでに藤氏長者たる近衛家も使って、長尾景虎の上杉家継承を認めさせてしまえば、誰も反対など出来ないとは思うが、まあ別に急ぐものではないか。
「大功を打ち立てねば公方様に願うわけにはいかぬ。という事でありますかな?」
長尾景虎が大いに頷いた。
「御所様にはいずれこの景虎が毘沙門天の旗を掲げて馳せ参じるとお伝え願おう。逆賊はこの長尾景虎が必ずや討伐するとな……」
「心強きお言葉にあります」
長尾景虎が燃えに燃えている。これは猛虎魂というヤツだろう……長尾景虎をFAで阪神(畿内)に迎え入れるのだ。これは今シーズンこそVやねんだな。真の「バースの再来」は長尾景虎であったのだ。
◆
「現状の洛中はどうなのじゃ。三好筑前とやらの兵はいかほどか?」
「今はまだ三好長慶は摂津の平定にかかっており、勝軍山城には攻め懸けてはおりませぬ。ただ三好長慶が本腰を入れればその兵は2万5千から3万5千にはなりましょう」
「兵部殿、吾が洛中へ率いる兵は恐らく5千を大きく越えることはできぬものと心得て欲しい」
「5倍から7倍では勝負になりませぬか?」
上杉謙信は史実で二度の上洛を果たしている。一度目は2千、二度目の上洛は5千の兵を率いていたという。
さすがに上杉謙信が軍神であろうが7倍の敵を蹴散らせるとは言うまい。(7倍でも勝ちそうで怖いけどそれはゲームのお話だ)
「勝てぬとは言うまいが……厳しかろう」
上杉謙信は脳筋のように見えて、武田信玄と北条氏康が連合して包囲する松山城に後詰をしなかった(故意の遅刻をした)ように、勝てない無茶な戦はしない男でもある。戦に関しては義の武将というよりはリアリストではないかな。
「御安心下さい。越後勢だけで三好勢にあたるわけではありませぬ。長尾景虎殿が兵を率いて上洛の途につけば、尾張や美濃、越前に近江の兵も呼応しましょう」
「尾張に美濃、さらには越前と近江と申したか?」
「尾張からは織田弾正忠信秀殿の嫡子、織田信長殿が。美濃からは斎藤越前守道三入道殿。越前からは朝倉教景(宗滴)殿。近江は佐々木六角義賢殿が――かの者らが公方様を奉じて同時に上洛の兵を挙げる算段となっております。その全てを合わせれば三好家と互角以上に戦うことは可能でありましょう」
いやまあ、これから算段するんだけどさ……
「なかなか剛毅な話ではあるが、烏合の衆とはならぬか?」
「かの者らを烏合の衆とするか、公方様の精鋭といたすかは……それがしに掛かっておりましょうか」
「そちであれば巧くやりそうであるがな。その策が成って三好を討伐することができればどうなる? 兵部殿はその先をどう見ているのじゃ」
「長尾景虎殿には上杉景虎殿として越後・越中の守護職に。織田信長殿は尾張・三河の守護。斎藤道三殿は美濃・飛騨の守護に。朝倉義景殿は越前・加賀の守護を。佐々木六角義賢殿には近江・伊賀の守護として、また管領代として公方様を補佐しましょう。足利将軍家は皆様のお力を得て、畿内を直轄地たる御料所といたしまする。畿内を公方様が、地方を公方様に忠義を尽くす新たな守護家がまとめるのです。あらたな秩序により室町幕府は再興を遂げることに成りましょう」
「スバラシイ、スバラシイぞ兵部殿! くははははは! 吾はそのあらたな秩序の一翼を担うということだな。もはや5千とかケチ臭いことは言わぬ。越後の総力を挙げて馳せ参じようではないか!」
越後全軍とか来てくれればそれはありがたいことだが、武田がなぁ……武田信玄が北信濃にしゃしゃり出て来るし、上杉憲政なんかも北条氏康に
上野を追い出されて来るから、越後全軍は無理だとは思う。
だがこれで長尾景虎を上洛させる道筋は掴めただろう。大義名分製造マシーンな公方様から大義名分というエサを与えて長尾景虎をコントロールすれば良いのだ。
番犬にするなら調教しやすい番犬の方が良いのだよ。かーっかっかか。
冗談は置いといて、あとは……頼もしきヤツらが上洛して来るまで三好長慶の攻勢から義藤さまを守りきれるかどうかだな……
越後編おわって次はラブコメと解説かなぁ
解説で苦しんでますがラブコメは書いてて楽しい




