第十話 とある新店舗の落城(1)
天文十五年(1546年)12月
角倉吉田家とは上手く商談ができた。
とりあえず節分祭で売る酒も確保はできている。
だが、これをそのまま売っても大した利益にはならない。
ただの酒をバカ売れする酒に進化させなければならないのだ。
そう……「清酒」への加工である。
この時代の酒はいわゆる「清酒」ではなく「濁酒」になる。
活性炭濾過や加熱処理がされていない、濁り酒かつ生酒が一般的である。
仕入れた酒も黄色味がかった雑味いっぱいで、いわゆる「どぶろく」を想像してくれればよい。
この時代にも実は透明な清酒はすでにあったりする。奈良を中心とした寺院でつくられている僧坊酒にあるのだ。
麹米、掛米の両方に白米を使う諸白の製法で造った酒で、さらに上澄みを絹で濾すなどして作っているらしい。
だが、南都諸白は生産量が少なかった。そのためこの当時の清酒は相当高価な物となっていた。
その高価な酒に匹敵するものを、まだ製法が確立していない活性炭濾過の技術を使って安価でお手軽に、かつ大量に造ってしまおうというのが今回の計画だ。
酒の活性炭濾過については一つ伝説がある――
摂津の伊丹で酒造業を営む鴻池家の酒蔵で、金を使い込んだ使用人が主人の新六に叱られて腹いせに酒の桶に灰を投げ入れて逃げ出した。
翌日に新六が灰をぶち込まれた酒樽を確認すると、中の酒は透明に澄んで香りの良いまろやかな芳醇な酒になっていたという……
ある一定程度の歳の方というか、おっさんならご存知だと思うが「道徳」の授業で「我に七難八苦を与えたまへ」で有名な山中鹿之介の話を習ったことがあると思うのだが……習ったよね?
その「七難八苦」と尼子家再興運動で有名な山中鹿之介幸盛の長男とされるのが鴻池新六だったりする。
この話は伝説かもしれないが、清酒の効率的な製法を確立した鴻池家の酒はよく売れた。大量の酒を大坂から江戸へ海運して売りさばくことでかなり儲けたらしい。
その資金を元手に大坂で両替商を始めた鴻池家は、さらに巨万の富を得て江戸時代最大の鴻池財閥を形成するに至るのである。
鴻池財閥は鴻池銀行となりのちに三和銀行となった。
三和銀行は今の三菱UFJ銀行だ。
ようするに鴻池財閥のパクリで酒を加工して売ろうというわけだ。
そんなわけで、角倉吉田家から安い濁酒を仕入れて活性炭濾過法と火入れの加工を施して清酒にして売り出すことにする。
鴻池の清酒の話は今から50年後の1600年頃のことだと云われているので、製法の秘匿は完全に出来なくても50年くらいは酒で商売が可能であろう。
◆
翌日、家人の中村新助と吉田家(神社)から借りた蔵で、角倉吉田家から仕入れた濁酒を運び込んで清酒への加工の作業を始めることにした。
しかし……吉田と吉田でややこしくて困るな。
「さあ始めるか」
「へい」
さて活性炭濾過法だが、原理は水の濾過とそうは変わらない。活性炭にはたくさんの穴がありそこに余分な物を吸着させるだけだ。
濾過に使うのは吉田神社が買い入れている炭焼き職人に依頼して通常より高温で作成してもらった、なんちゃって活性炭である。
さすがに現代の活性炭には及ばないが、灰や普通の炭よりは表面の穴が多くなっているので効率はいくらかマシであろう。
その活性炭を砕いて粉末にして酒桶に投入する。量の調節はまあこれからの課題だな。
実は活性炭濾過法というシロモノはたしかに酒の雑味や匂いを取り除くのだが、それは酒本来の旨味や香りなどを失くしてしまうことにもなると言われている。
良い酒であれば余りやり過ぎてよいものではないのだ。だが、この時代の安酒は製法も未熟なため、まあやってしまってかまわないだろう。
俺はもともと酒好きでもなんでもないので、酒の良し悪しなど知ったことではないのだ。俺にとっては売れる酒が一番良い酒だ。身も蓋もない話で申し訳ないがな……
一晩置いたら火入れを行う。
火入れはいわゆる低温殺菌だ。
低温で加熱処理をすることで酒の品質劣化を防止する効果がある。
低温殺菌後にはもう一度活性炭濾過法を行う。
今のところはこれで完成だ。ただの安酒から2段階の覚醒を経た、パーフェクトっぽい酒の出来上がりになる。
しかし新助は良く手伝ってくれる。多分何をやっているのかは分からないのだろうけど、文句も言わずに忠実に仕事をこなしてくれている。指示をしっかり与えれば今後も良く働いてくれるだろう。
明日には完成した清酒を振舞って労ってやろうと思うのであった。
翌日の朝、出来上がった清酒を確認して中村新助に飲ませてあげた。がんばって働いてくれたご褒美である。
「う、うめえ……若様、こんなに旨い酒は始めてにございます」
新助が喜んでくれて俺も嬉しい。
「どうだ、良く売れそうか?」
「へい、味も香りも、色も最高です。これは本当にあっしらが造った酒でありますか?」
新助は信じられないといった顔である。
「あたりまえだ、昨日一緒に仕込んだであろう。さて今日からは鰻重の販売も始めるのだ。すまんが新助、ウナギの仕込みも手伝ってくれよ――」
◆
早速、鰻重と試作した清酒を「うどん処・南豊軒」(蕎麦屋です)で出してみた。
結論から言おう、売れた。マジでやばい程売れた――いかんこれはダメなやつだ。
今までの蕎麦や天ぷら蕎麦に加えて鰻重の販売開始に酒の提供もあいまって、客が増えすぎてぶっちゃけパニックになってしまった。
鰻重も清酒も特に宣伝したわけではないのだが、なぜこんなに客が来る?
朝から普通に鰻重と酒目当ての客が来て、長蛇の列をつくっているのだ。
「兼見くん、ひとつ聞きたいのだが」――と、ウナギを腹開きにしながら従兄弟に聞く。
「なんだ? このクソ忙しい時に」――吉田兼見も忙しそうにパタパタしている。
「あの、おじゃるな集団はなんだ?」
先ほど店に入って来て、おじゃるおじゃると酒を飲みながら、鰻重を美味しそうにつつく、やんごとそうな集団を指差して聞いてみる。
「なんだと言ってもあれは、山科言継様と公卿の皆様だろ」
あれが山科言継卿か、まあこの時代の有名人だな。
「ではなぜ、清原業賢伯父があんなに楽しそうに接待しているのだ?」
俺はウナギに串を打ちながら、あいかわらずパタパタしている兼見くんに聞いてみる。
「それはアレだろう。業賢伯父が招待したからじゃないのか?」
「……そうか、ではあそこの集団はなんだ?」
串をあて終わったウナギを兼見くんに手渡しながらさらに聞く。
「なんだと言ってもあれは、坂浄忠先生とお医者様仲間ではないかな」
「坂浄忠先生はむろん知っている。先日会ったばかりだからな……では、なぜその浄忠先生が手招きしてお前を呼んでいるのだ?」
俺は桶の中でぬるぬるしているウナギを器用に掴みながら、やっぱり兼見くんに聞いてみる。
「それはアレだろう。俺が招待したからだな。あ、すまんがちょっと行って来るわ、あとはよろしくなー」
ウナギを焼くために団扇で炭火を扇ぐ「パタパタ助っ人2号」の吉田兼見くんが逃げ出した。
朝から「パタパタ助っ人1号」を務める中村新助は死んだ魚のような目でひたすらパタパタしている。
そこにヤツの親父である吉田兼右叔父が新たな敵(お客様です)を引き連れて現れた。どうやら今度は神職のお仲間のようだな。ニコニコして注文なんか取っていやがる。
「与一郎、蒲焼重5人前に黒うどんを3人ま――」
プチっ
「この忙しさは、てめえらのせいかぁぁ!!」――ついに俺はブチ切れた。
「兼右叔父! もう蒲焼重は注文を止めなきゃだめだ! もう明日の分のウナギまで捌いて売っているんだ! 全部売っちまってどうすんだ。明日のウナギが足りないよー」
「なんだ与一郎はそんなことを心配していたのか?」
そこに公卿の皆様の接待を終えた清原業賢伯父が現れた。
もう嫌な予感しかしねえ。
「こんなこともあろうかと。明日の分のウナギの買い付けは先ほどやっておいたぞ。明日の朝には届くから心配は無用だ。なに礼はいらぬ」
「いやだが、そうだ清酒だ、酒ももう仕込んだ分がなくなるんだ」
「こんなこともあろうかと。先ほど早馬を出しておいたぞ」――業賢伯父が胸を張って言う。
「へ?」
そこになんと角倉家の若旦那の吉田光治が手もみをしながら現れた。
「いやあ早馬で連絡を頂きましてありがとうございます。このご時勢に酒の追加注文を頂けるとは誠にありがたいことですなー」
いかんすでに包囲網が敷かれていた。
ダメダこいつら(叔父上たちです)早く何とかしないと俺が討死する……
◆
【とある新店舗の落城(2)に続く】