第六十一話 義藤さまのヒミツ(3)
【義藤さまのヒミツ(2)の続き】
◆
伯母上が義藤さまのお世話をするという女性を連れて来た。20代前半くらいのボイーンでグラマラスな女性だった。雰囲気もとても妖艶でエロチックで困る。
義藤さまとは顔見知りのようなのか、今は二人で話をしている。
「伯母上、あの方は?」
「公方様に女房として仕えることになった玉栄様よ。尼さんだったのだけど相談したら還俗してもいいっていうから連れて来ちゃった。(テヘペロ)太閤殿下の娘さまだから失礼のないようにね。そうそう良い人がいたらお嫁にも行きたいって言っていたから紹介してちょうだい」
「太閤殿下の娘とか、嫁にするには家格が難しいでしょうが……無茶いわんでください。それにそんなに簡単に還俗して尼さん辞めていいのですか?」
「いいのよ。必要だったらまた出家すればいいんだから」
「そんな乱暴な……」
【この玉栄という女性は史実でいうところの慶福院花屋玉栄になります。女性の実名はよく分からないので玉栄様で】
************************************************************
「慶福院花屋玉栄と尼門跡寺院」
慶福院花屋玉栄は近衛稙家の娘とされる。源氏物語をよく学んだ文芸に秀でた女性であり、「源氏花屋抄」や「玉栄集」という「源氏物語」の注釈書を書き残している。
晩年には豊臣秀吉に源氏物語を教えたとされるのだが、それ以外はサッパリ謎の人。恐らくは尼門跡であり、どこかの尼門跡寺院に入寺して出家していると思われるのだが、調べたけどドコなのかが分からない。
尼門跡寺院は皇族や公家、将軍家の息女が入寺して住持(住職)となった寺院であり、当時は「比丘尼御所」と呼ばれた。尼門跡は昭和になってからの呼称である。
尼門跡寺院には大聖寺門跡(御寺御所)、宝鏡寺門跡(百々御所)、慈受院門跡、宝慈院門跡、三時知恩寺門跡(入江御所)、光照院門跡(常磐御所)、本光院門跡(西方尼寺)、曇華院門跡、法華寺門跡、中宮寺門跡、尼五山の景愛寺などがある。
公家の日記などに出てくる入江殿や常磐殿などは尼門跡を指しているのだろう。
足利将軍家や近衛家の関係では、近衛稙家と慶寿院の姉妹である「花屋理春」が宝鏡寺17世住持になっている。
近衛稙家の娘の秀山尊性は光照院に入寺。
足利義晴の娘の理源は宝鏡寺に入寺したが、のちに還俗して三好義継の正室になっている。
また足利義輝の娘である耀山が宝鏡寺18世住持になるなど、この時代の多くの者が尼門跡寺院に入寺していたりする。
当時は摂関家や将軍家の子の多くが門跡や尼門跡になるなど、非常に仏教と近い関係にあったことを押える必要があるだろう。この時代は仏教界も結局は血筋がものを言う時代でもあったわけだ。
尼門跡寺院って修道院のような何か秘密の花園のような気がするけど、あまり一般公開はしていないそうなので、見学は慎重にするがよいと思われます。
――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より
************************************************************
「彼女なら公方様や叔母(慶寿院)の事情も知っているし適任でしょう」
「そうですね。とりあえず彼女に自分を紹介してください」
「あら、玉栄ちゃんのお婿さんに立候補する気? 姉さん女房が好みなのかしらぁ」
「勘弁してください……」
正直いうと伯母上はこう下世話な人だから苦手で普段はあまり側に寄らないようにしていた。三淵家にとっても幕府にとっても偉大なおばさんだけど……
「玉栄様、こちらが――」
「御供衆の細川兵部大輔藤孝と申しま――」
「あら、いい男ね。ちょっとお姉さんと付き合わな〜い?」
紹介してもらい玉栄さんに挨拶をしたのだが、妖艶に色目を使われてしまった。義藤さまが鬼の形相で俺を睨んでくるのですが……だから勘弁してくれ。
「えっとすいません。私には心に決めた方がおりまして……」
「あら、残念ね。もしかしてその人って公方様のことかしらぁ?」
「玉栄姐さん!」――義藤さまが真っ赤になって文句を言う。
「冗談よー、あら満更でもないのかしらぁ? 公方様、顔を真っ赤にして可愛いわぁ」
義藤さまもタジタジである。なにか伯母上が二人になったみたいで胃が痛いが、真っ赤になる義藤さまが可愛いので我慢するとしようかな。
挨拶は済ませたので、まだ体調が悪そうな義藤さまのお世話を玉栄姐さんに任せて退出しようと義藤さまに声をかける。
「義藤さましばらくは安静にしていてくださいね」
「そうはいかんのではないか? どこかの馬鹿タレが三好長慶を挑発して来たのでな。彼奴等が攻め寄せて来る前にやらねばならぬことが多いのであろう?」
「三好長慶を挑発して来たわけではないのですが……それにまだ三好長慶が攻めてくるまでには時があります。和泉は平定されてしまったようですが、摂津の伊丹城はまだ頑張っております。まあできれば摂津で篭城する伊丹家には御内書を書いて欲しくはあるのですが……」
三好家に最後まで抵抗している伊丹家に武勇を称える御内書を出してもらい、伊丹家の心を幕府に繋ぎ止めたいとは思っていた。
「やはり寝ているわけにはいかんではないか――」
「いいえダメです。幕府のお仕事なんてアホな男どもに任せて義藤さまはお休み下さい。せっかくなんだから私と女の子の会話をしましょうよー。義藤さまー、幕府のいい男を教えてくださいなぁ」
逃げるように退出する俺に義藤さまが恨めしそうな目を向けてくるが、さっさと退散するのが吉だろう。
玉栄姐さんって尼さんに戻る気まったくないだろアレ……何か逆に尼さん生活でいろいろ溜まっていないか? 伯母上ではないが、さっさと旦那を紹介したほうが身の為かもしれん。
天守閣を出たところで、元気にスクワットをしている新二郎に出くわした。この筋肉馬鹿にでも玉栄姐さんを押し付けたいところだが、いかんせん近衛家の内衆の松井家では家格が釣りあわないと諦める。
「どうしただろ? ため息なんぞついて」
新二郎の能天気な顔を見ながら、幕臣の中によい男がいないものかと思案するのであった――
************************************************************
【参考時系列】
・天文5年(1536年)3月、菊幢丸(足利義輝)と義藤さま出生。菊幢丸が近衛稙家の猶子に、義藤さまは八瀬の清光院(佐子局)のもとへ養女に出される。
・天文5年(1536年)8月、足利義晴が隠居し菊幢丸に家督を譲る。義晴の隠居と菊幢丸の幼少を理由に内談衆が政務を行う。
・天文5年(1536年)10月、菊幢丸死没。足利義晴と近衛稙家が密かに謀り義藤さまを八瀬から迎え、義藤さまが「菊童丸」となる。
・天文6年(1537年)11月、千歳丸(足利義昭)出生
************************************************************
オチ担当のエロいお姉さんでした
戦がなかなか始まらずに申し訳ないです
文句はなかなか攻めて来ない三好長慶に送っておきます
ブクマが増えておりましてありがたいことです
多くの作者がブックマークで一喜一憂しておりますので
私に限らず少しでも気に入った作品があったら
ブックマークしてあげてください
いつもいつも感想、誤字報告いただき感謝です
次話も頑張ります




